水曜どうでしょうは2026年、放送開始から30年を迎えます。
放送が始まったのは、ちょうど家庭用の小型ビデオカメラにデジタル革新が起きて、小型なのに高性能、家庭用なのにプロ並みの画質が簡単に撮れて小型でピントも露出も全自動、おまけに手ブレまで補正して揺れない画面を提供してくれるビデオカメラ、SONYのVX-1000が完成した翌年のことでした。
その偶然を思えば、まるで「水曜どうでしょう」のために画質劣化のないデジタルカメラをSONYさんが開発して我々のスタートを待ってくれていた、と、そんなふうにも考えられる。
いや、そうとしか思えない。
ありがとうSONYさん。
日本では古来より、こうしたご縁を「さいさきがよい」と寿いできたわけです。
そんな「水曜どうでしょう」を祝福し待ち受けていてくれたカメラに、ヨドバシカメラで買い求めた、大泉洋さんに近寄レバ近寄ルホド顔がひん曲ガル広角レンズをくっつけ、マイクもヨドバシカメラで買い求めたガンマイク1本で、大泉洋さんに近寄り過ぎるたびに髪の毛に突き刺さりながら、これだけの装備で6年間、ぼくらは果敢にロケを敢行し数々の名作をものして来たのです。
その6年間は、4人全員が「水曜どうでしょう」以外に可能性がなく、「水曜どうでしょう」一色であり続けた6年間であり、だからこそ、そこには4人の人間性が凝縮され、摩擦も激突もイザコザも、あっただろうか、なかっただろうか、でも、あったとしても「水曜どうでしょう」の他に可能性がなかっただけに退団もできず、といったジレンマの中で番組内の内圧は高まり続け、カメラを回す中で、言葉でぶつかり合い、言葉で殴り合いながら、その度に爆笑でオチをつけ、わだかまることなく本番中に、「あーだこーだ」は解消してしまう冷静さを失わない熱い意思と若さとに溢れまくった、そんな6年間のロケ作品の輝きぶりといったらもう、この先、数100年が経とうとも、人類がいる限り色褪せることはない、それほどの力の傾注っぷりだったと思います。
そして、そのあとその6年分の仕事を後世に残そうと「水曜どうでしょう」のDVD事業が始まって、あれから早や23年を迎えるという2026年春、ようやく最後の新作がDVD化され、「水曜どうでしょう全集」は、全てのタイトルをコンプリートするのです。
でも、「あぁ、これで何かが終わる」とセンチメンタルな感情を抱く人は、おそらく一人もいないでしょう。
だって、日本人のほとんどがDVDプレイヤーすら持っていない2003年に始まったDVD事業だったのに、そこから作業に23年も掛けていたら、気がついたらあんなに日本で盛んに見られていたDVDも下火になって久しく、今や動画は映画もドラマもネット配信で見るのが主流となっているという、こうした世の中の変わりようにこそ、30年という歳月の長大さを思い知らされるのです。
でも、かといって「水曜どうでしょう」は、DVDが下火になろうとも、ちゃっかりNetflixさんで配信されており、当たり前の顔をして令和の若者の気分にも訴求して、新規の「水曜どうでしょう」ファンを新たに増やし続けているのですから、「水曜どうでしょう」に限っては、何かが終わるという予感は皆無なのです。
いや、終わるどころか、ここに来て、今度は、世界の「デアゴスティーニ」さんが、「うちのラインナップに『水曜どうでしょう』を加えたいです」と、もろ手を上げてくれ、「水曜どうでしょうDVDコレクション」が2026年から始まるのです。
今度はデアゴスティーニさんの仕事ですからこれには詳細な取材を行ったムック本が各号ついて2週間に一度書店に並ぶ運びとなるわけです。
つまり、これから、かつての道民がそうであったように週に一度の「水曜どうでしょう」の放送を待つような感覚で「水曜どうでしょう」の発売を待って見るという体験が始まるのです。
初号はもちろん格安の¥490-!
これにより、「水曜どうでしょう」を放送で見るだけで終わっていた人たちも、ネット配信は、いつ終わるかもしれないから、このタイミングでデアゴスティーニでDVDを全作品を揃えようとする新たな動きが出る予感です。
つまり、我々にとってのこの30年目というタイミングは、いよいよ「始まる」という予感がリアルに感じられるときなのです。
その予感は、つまり、デアゴスティーニさんの、さらにその先の、いつかどこかで。さすがにそれは、すぐではないのかもしれないけれど。
でも、必ず始まるであろう、「水曜どうでしょう」のグローバル化です。
これに向けて、いよいよ歩き出したと予感されるタイミングが、放送開始から30年という歳月を経た今なのです。
ここへ来て、ようやく「水曜どうでしょう」が世界のあらゆる民族の間で見られる日が来ると、確信を持って我々に予感されてきたのです。
このグローバル化のために我々は、この30年という歳月を掛けて、おさおさ準備を怠らなかったのだと、マジメに思っているのです。
そして、世界のあらゆる民族の人たちに見られるようになったとしても、「水曜どうでしょう」は、やっぱりメジャーにはならないのです。
やっぱり世界に出ても誰もが見る番組ではなく、物好きに好きな人たちだけにしか見られない、そうしたところだけは変わらない番組なのです。
ただ、そのマイナーさも今度は世界規模、これはただ事ではない、ということですね。





