横浜フランス映画祭2025で上映され、絶賛されたフランソワ・オゾン監督最新作『秋が来るとき』が5月30日(金)より全国公開。初期のフランソワ・オゾン作品を感じさせる、濃厚な人生ドラマを描く本作について、メインキャスト2人が語った。

主人公のミシェルは自然豊かで静かな田舎での一人暮らし。休暇で訪れる孫と会うことを楽しみに、家庭菜園で採れたにんじんをスープにし、デザートは自作のケーキ、そして秋の気配が色づく森の中を親友とおしゃべりしながら散歩する。

後ろめたい過去を抱えつつも、80歳の女性ミシェルが人生の最後を自分のため、家族のため、友人のため、ある秘密を受け入れる。

美しいブルゴーニュの景観の中、人生の秋から冬を迎える女性のドラマを繊細に、ときにドラマティックに描き出し、さらにサスペンス的な要素も垣間見える本作は、初期のフランソワ・オゾンの作風を彷彿させる。

『秋が来るとき』を紐解くフランソワ・オゾンの名作

フランソワ・オゾンは現在のフランス映画界を代表する監督の1人であり、その多様なジャンルと独特の視点によって変幻自在な語り部と称されている。今回はいくつかの名作に着目し、そこから浮かび上がる彼のアイデンティティに着目した。

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』より (C) 2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS-France 2 CINEMA-PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE■『8人の女たち』

まず『8人の女たち』(2002)。カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペールから、本作のリュディヴィーヌ・サニエら、フランスを代表する女優たちが集結したこの作品は、密室殺人をめぐるミュージカル形式の華やかなミステリー。

だが監督は単なるジャンルの模倣にとどまらず、女性たちの連帯と孤立を対照的に浮かび上がらせる。彼は「男性のための女性像」を解体し、女性たちを複雑で矛盾した存在として讃えているのだ。

■『ぼくを葬る』

次に『ぼくを葬る』(2005)。若くして余命わずかと宣告された写真家の男性が、自分の人生と向き合いながら選択的な別れをしていく物語。

ゲイであることをオープンにしている監督は主人公の愛や怒り、そして孤独を極めて静謐に描く。LGBTQ+当事者としての視点も内包しつつ、人はどう死ぬかではなく、どう生きるかを描いた。

■『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』では、神父による児童への実際の性的虐待事件を基に、被害者たちの証言と行動を丹念に描き、監督の怒れる1人の信者としての顔が現れる。

そこに派手さはないが、きわめて倫理的な熱さが漂い、被害者の尊厳を守りながらも真実に光を当てる手法が印象的だ。

■最新作『秋が来るとき』

本作は、過去の名作からフランソワ・オゾンの分身を連れてきたかのような作品になっている。

主人公は冒頭に教会でマグダラのマリアについて説教を聞くシーンがあったり、あえてシニア女優を起用し、老いた女性の生き方や親友との自立的な暮らしについて丁寧に描いたりするなど、そこには男性のための女性像は存在しない。

また、主人公はある秘密を抱えることになるのだが、それをどう消化するのではなく、どう共存するのか自分なりに咀嚼していくのだ。

本作の主演に起用されたことについて、エレーヌ・ヴァンサンは「年配の女性がメインと言うのは面白いと思いましたし、年齢を受け入れてくれたことは気が楽でした。シワや老いはオゾン監督以外の映画製作者にとって未だに問題なのでしょうか。そこに変化があれば素晴らしいニュースだと思います」と答えた。

また、ジョジアーヌ・バラスコは「フランソワと一緒にいることは楽しかったです。私は彼の仕事のやり方や進め方が好きです。独自のスタイルがあるし、本当に尊敬できます。この映画は色んな層が重なってできているところがいいですよね。観た人によって、感じることは様々だと思います」と映画について語った。

併せて新場面写真も到着。どこか思い詰めた表情で遠くを見つめるミシェル役のエレーヌ・ヴァンサンと、不安げに口を開く親友役のジョジアーヌ・バラスコが美しく切り取られたカットが公開となった。

『秋が来るとき』は5月30日(金)より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。

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