ドラマ「美空ひばり物語」で不死鳥の衣装を着て、復活コンサートシーンを撮影しました
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 ノンフィクション作家の上前淳一郎さんの「イカロスの翼~美空ひばりと日本人の40年」を基に制作された「美空ひばり物語」は、ひばりさんが亡くなられて半年後の1989年12月30日にTBS系列で放送されました。

 “一卵性親子”とも言われた母親・加藤喜美枝さんとの関係を中心に、ひばりさんが生まれる直前から亡くなるまでが描かれました。自宅を出て葬儀所に向かう霊きゅう車を沿道で見送るファンの姿など、実写映像も盛り込み、4時間近い大型ドラマになりました。

 オファーをいただいたのは、ひばりさんが永眠して間もなくのタイミングでした。まだまだ日本中の国民の胸に生き生きとひばりさんが生きていらっしゃる時に「こんなんじゃないよ」と皆さんから総ツッコミされるのは必至。私は「無理。できるわけがない」と思って何度も何度も断り続けました。

 そんな時です。ひばりさんの息子の加藤和也さんが「おふくろが喜ぶからやってやってくれ」と説得に来てくださいました。私も覚悟を決めました。

 「本当にへっぽこだし、ひばりさんの足元にも近づけないけど、姉ちゃん!こんなんでごめんなさい!でも一生懸命頑張ったよ!と言えるように、感謝の思いでやらせていただこう」

 決死の思いでオファーを受けましたが、それでもなお「私なんかにひばりさんができるわけがない…」と不安で不安でたまりません。誰かにすがりたくて連絡したのがビートたけしさんでした。

 82年に放送されたTBSドラマ「刑事ヨロシク」で共演して以来、何かとお世話になっていたたけしさんに「田岡組長の役をやっていただけないでしょうか」とお願いしちゃったんです。

 昭和30年代にひばりさんも所属した興行会社「神戸芸能社」の社長で、山口組三代目の田岡一雄組長。たけしさんは快く受けてくれました。本当にありがたかったです。

 樹木希林さんが母親の喜美枝さんに決まりました。「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに」のフレーズが流行語にもなった富士フイルムのCMでもご一緒した希林さん、近くに居てくれるだけで心強かった。他に森田健作さん、陣内孝則さん、夏八木勲さんといった俳優陣に加えて五木ひろしさんや小林幸子さんら現役の歌手も出演する豪華な配役が実現しました。

 恐れ多くもひばりさんの役を必死に演じていた撮影中、私にとってつらい出来事が襲いかかりました。母の幸子がくも膜下出血で倒れてしまったのです。母は放送後の翌90年1月3日に心不全のため57歳で彼岸の人となりました。

 ひばりさんが亡くなり、そして母までも…。人生で一番しんどくつらい時期でしたね。

 ◇岸本 加世子(きしもと・かよこ)1960年(昭35)12月29日生まれ、静岡県島田市出身の64歳。77年、テレビドラマ「ムー」で女優デビュー。以降、テレビ、舞台、映画、CMなどで幅広く活躍。ドラマ「あ・うん」、舞台「雪まろげ」、北野武監督の映画「HANA―BI」「菊次郎の夏」など代表作多数。著書に小説「出てった女」、エッセー「一途」など。

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