鈴木杏樹公式インスタグラム(@anju.suzuki_official)から
女優の鈴木杏樹(55)が17日、TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」(月~木曜前8・30)に生出演。母について語った。
この日パーソナリティーを務めたヤ―レンズから、芸能界入りのきっかけを問われた鈴木は、テレビで見ていた歌手の松田聖子らに「普通に憧れて。ああ私も歌手になりたい、アイドルになりたいみたいな。歌も歌えないのに」と思うようになったと話した。
そうして音楽学院に通い始めると、発表会を見に来たレコード会社からスカウトを受け、イギリスでの歌手デビュープランが持ち上がり「17歳の時に単身で渡英するんです」と告白し、ヤ―レンズは大抜てきだと驚いた。
留学中は「いっぱいいろいろ大変でしたよね」と鈴木。英語は「中1からインターナショナルスクールに行ってたんですよ」としたものの「アメリカ弁(英語)とイギリス弁が全然違って。行ったら耳なじみが悪くて。聞き取れなかったです、最初。方言っていうのかなあ」と苦労したと打ち明けた。
生活は当時英国に住んでいたミュージシャンの屋敷豪太と鈴木賢司と同居をしており「困ったことがあったらお兄さんたちがいたので聞いたりして。全く1人ではなかった」と鈴木。
そんな生活でも家族や友達がいないため「不安だったし、夕日見たら泣いてたし」「物凄いホームシックでした。母に毎日のように手紙書いてましたよ。当時まだメールがなかったから」と振り返った。
母から月に1回電話があったというが「10万円ぐらい払ってたのかな。でもそれに支えられて」と懐かしんだ。母はかつて「国際線のスチュワーデスさん、キャビンアテンダントさんだったんですね」と言い、渡英は反対されなかったのかと問われると「当時彼女がなりたい時におばあちゃまに反対されて葛藤したことがあったみたいで。私がイギリスに行きたいってなった時に、自分は反対しちゃいけないって思ったみたいですよ」と明かした。
また「背中を押してくれました。頑張んなさい、あなた引っ込み思案なんだからって。引っ込みたくなったら、右足前に出すのよって」とも言われたと感謝した。
鈴木は結局英国でデビューし、シングルを2枚発売、欧州ツアーを行い、アルバムも録音したものの、湾岸戦争がぼっ発し、英国も参戦したことからいったん帰国することに。その後東京で歌手活動以外の仕事をするようになったとした。
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