(CNN) テイラー・スウィフトが10代のカントリー歌手としてデビューしてからこれまでにどれほどの進化を遂げてきたか、長年のファンならよく知っているだろう。その進化は話し言葉のなまりにも表れているという研究結果が、このほど報告された。
米ミネソタ大学の研究者2人が、過去のインタビュー動画を基になまりの変化を分析し、その結果を米音響学会誌(JASA)に発表した。
論文を執筆したミスキ・モハメド氏とマシュー・ウィン氏は、スウィフトによる多数のインタビューやメディアへの登場が、なまりの長期的な変化を追う「得難い機会」になったと強調。ある人物のなまりが途中で変化する場合に、住む場所やキャリア、目標がどう影響するかを理解するためのヒントになるかもしれないと述べた。
スウィフトは1989年に東部ペンシルベニア州で生まれた。カントリーミュージックの道を志し、13歳で本場の南部テネシー州ナッシュビルに引っ越した。そこで若きカントリー歌手として成功を収め、2008年にはカントリー・ポップのヒットアルバム「フィアレス」を発表した。
その後、12年のアルバム「レッド」で本格的にポップミュージックに転向。14年にニューヨークへ移り、初の「公式なポップアルバム」として5作目の「1989」をリリースした。
モハメド氏らは、YouTube(ユーチューブ)などインターネット上のインタビュー動画から音声を抽出し、08年から19年にかけてスウィフトさんのなまりがどう変化したかを分析した。
インタビューはどれも特定のアルバムのプロモーションをテーマにしていた。両氏はスウィフトが録音、プロモーションの間どこに住んでいたかによって、三つのアルバムを選んだ。
一つ目のインタビューはナッシュビル時代の「フィアレス」について、二つ目はフィラデルフィアで作った「レッド」、三つ目は19年にニューヨークで作った7作目「ラヴァー」について語っている。
今回の研究では、ナッシュビル、フィラデルフィア、ニューヨークの三つの時代を分析した/The American Institute of Physics
分析した音声の長さはナッシュビル時代が45分、フィラデルフィア時代が24分、ニューヨーク時代が37分。それぞれのインタビューの中でスウィフトが発した母音を、音響的に測定した。
時代別の音声
各時代の測定値を比較した結果、スウィフトの母音の発音に変化の跡がみられた。ナッシュビルでは南部特有のなまりで話し、フィラデルフィアへ戻った時にそのなまりは消えたことがうかがえる。
ナッシュビル時代は「アイ」という二重母音を発音する時に舌の移動経路が短く、例えば「ride(ライド)」という単語が「rod(ロッド)」のように聞こえた。これは南部なまりの特徴とされる。
その後、フィラデルフィアへ戻ると「アイ」の発音は長くなり、ニューヨークでもそのままだった。両氏によれば、ニューヨーク時代は「アイ」母音の最後がとても高く、「南部なまりを過剰に修正していると解釈したくなる」ほどだったという。
また、ナッシュビル時代は「ウ」の母音で舌を前方にせり上げる動きが、ほかの時代よりもずっと目立っていた。ここからも、当時は南部なまりで話そうとしていたことが分かる。
例えば「two(トゥー)」を「ティユー」のように発音していたが、その特徴もフィラデルフィアに移ると消えた。
なまりは単に地理的なものと思われがちだが、「人々が話し方を変える要因は所属先の社会的共同体など、ほかにもたくさんある」と、ウィン氏は指摘する。スウィフトには、カントリーミュージックのコミュニティーに入り込むという理由があった。
なまりと社会活動
また研究結果によると、ニューヨーク時代の声はそれ以前よりもかなり低くなっていた。低い声は、話者が重要な話題で自信や権威を示そうとする時によく使われ、リーダーらしい印象を与える。
両氏によると、これはスウィフトが社会変革や性差別、二重基準、ミュージシャンの権利、自身のキャリアにおける自立について、公の場で盛んに発言し始めた時期と重なる。
スウィフトは19年にMTVビデオ・ミュージック・アワードの授賞式で性的少数者の平等を訴え、20年の楽曲「オンリー・ザ・ヤング」で若者たちに行動を呼び掛け、民主党への支持を表明した。
ただ、声の高さが変わったのはスウィフトが19歳から30歳になった時期。英国の故エリザベス女王も、ちょうどこのくらいの年齢で声が低くなった。単に20代の女性にありがちな声の変化だった可能性もあると、両氏は指摘する。
本来のなまりではなかった
スウィフトは数年前、デビュー当時のレコード会社に初期のマスター音源を売却されて対立したが、今年5月に全楽曲の権利を取り戻したと発表。06年のデビューアルバム「テイラー・スウィフト」の再録を完了したことを確認した。
デビューアルバムの再録がそれまで長年実現しなかったのは、スウィフトがカントリーミュージックを歌うために、本来のなまりではなかった南部なまりを取り戻す必要があったからではないかと推測する声もある。
ただし両氏は、スウィフトが歌手としてのキャリアの中で話し方を意識的に、あるいは無意識に変えてきた理由を、この研究だけで断定することは不可能だとも指摘している。