東京の青空に、飛行機雲がまっすぐ伸びていた。〈堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…〉。1945年8月15日。正午にラジオから流れた「玉音放送」を聴き、15歳だった中部日本放送(現・CBCラジオ)元プロデューサーの松谷敦は肩を落とした。「負けたということを、肯定できなくてね」

自宅に保管している、第九中学校の在学証明書と名札。「空襲で焼けて、身分を証明するものはこれだけだった」=名古屋市名東区で

自宅に保管している、第九中学校の在学証明書と名札。「空襲で焼けて、身分を証明するものはこれだけだった」=名古屋市名東区で

▽連載「CBCラジオドラマ 心の劇場 松谷敦の回顧録」
 名古屋でラジオ放送が始まってから、15日で100年。日本初の民間放送局である中部日本放送に開局間もなく入社し、多くの作家たちのラジオドラマを手がけた松谷敦・元プロデューサー。作家たちとの交流を振り返り、ラジオドラマの魅力を伝えます。

 ご多分に漏れず軍国少年だった。「戦争ごっこ」で兵隊のまね事をした。だが…

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