14歳のときに聴いた音楽が、その後の人生における音楽の好みに、最も大きな影響を与えるらしい。

これはアメリカのニュースメディア『ニューヨーク・タイムズ』にも掲載された話だそう。「音楽の好みは一般的に13~16歳の間に決まる」という、研究結果があるらしい。

そんな話を知ったのは、わたしが“ソレ”に出会ってから随分後のことだったと思うのだけれど、わたしはこの研究結果に悔しいほどにぴたりと合っているのだ。

この文章を書きながら、母親に連絡をしてみた。

5人兄弟の末っ子のわたしは、母親とはかなり歳が離れている。それでもいつも、お互いジャンルや時代に関係なく、好きな音楽を共有するのだ。そんな母親に聞いてみる。

14歳のときに聴いていた音楽はなんだった?

答えは、カーペンターズ。

Vol.1にもひとことだけ書いたのだけれど、母親はわたしが小さいころ、よくカーペンターズのCDをかけていた。そのあと同じく母親が好きな谷村新司のことも聞かせてくれたから、「谷村新司を聴いていたのはいつだった?」と聞いてみる。

「13歳」。ビンゴ。

「音楽が好きです」と、ことある毎に話すわたしだから、母親でも、友人でも、ファンの方でも、自然と音楽の話になることが多い。

そして、「好きなアーティストは?」と聞かれたとき、わたしは必ずいちばん最初に口にする、揺るぎない答えがある。

わたしの答えは、SEKAI NO OWARI。

出会ったのは、中学校1年生のときだった。12歳か、13歳。学校の放送で流れてきたその曲の歌詞を、いちど聴いただけで覚えてしまったのだ。

Ah 君はいつの日か
深い眠りにおちてしまうんだね
そしたら もう目を覚まさないんだね
(眠り姫/SEKAI NO OWARI)

中高生のころのわたしは、とにかく学校に必死だった。いまでこそ「学校は苦手だった」と言えるけれど、当時はそのことに気付きもしないくらいには、必死だったと思う。

クラスや部活の女の子たちに悪く思われないように常に気を遣っていた。部活の打ち上げにわたしだけ呼ばれなかったときは絶望した。

中学2年生になると同時に部活を辞めた。体の弱い親友が学校に来られなくなった。わたしのいないクラスのLINEグループで悪口を言われていた。

高校生になってひとりでいる時間が怖くなくなった。周りに呑まれないように勉強も部活も必死でやった。成績はクラスでも、学年でも、1位を目指して泣きながら勉強をした。

誰かに相談することも、うまくできなかった。休む勇気もないから、学校には毎日行った。ただ勝手に無駄に、プライドが高かっただけなのだけれど。

SEKAI NO OWARIが、唯一の救いだった。

学校から帰ればすぐにPCを開く。姉がもう使わなくなった、古くて厚くて動作の重いノートPC。SEKAI NO OWARIの動画を見漁って、歌詞を調べて歌って覚えて、ピアノのSaoriさんのブログをいちからすべて読んで、毎週金曜日のラジオ番組を聴いて、タワーレコードでCDを買って。

中学校2年生で吹奏楽部を辞めたとき、母親が地域のジュニアオーケストラに入れてくれたことがあった。「学校以外にも、別の世界を持っていたらいいよ」と言ってくれた。結局そのジュニアオーケストラも長くは続かなかったのだけれど、母親のその言葉はずっと心に残っている。

SEKAI NO OWARIが、わたしにとっての別の世界だったのだ。

いま思えはこれが、『大丈夫、わたしに 音楽がある』の始まりだったのかもしれない。

オトナは進入禁止
「普通」も「常識」も聞いてねえよ
(アースチャイルド/SEKAI NO OWARI)

ライブというものに初めて足を踏み入れたのも、この出会いのおかげだった。家族の誰にも内緒で申し込んだ、SEKAI NO OWARIのライブのチケットが当たったのだ。母親に「わたしはカーペンターズのコンサートに行くのを何年も何十年も我慢したの。いま行かなくても大人になってからでも行けるよ」と何度説得されても、わたしは聞かなかった。

人生で初めて「生きていてよかった」と本気で心の底から思ったことを、いまでも覚えている。

そしてその瞬間の目の前の景色、ステージまでの距離、照明の色、きらめきまでも鮮明にすべて、すべて、いまもずっと忘れられないでいる。

2014年4月29日、さいたまスーパーアリーナ。SEKAI NO OWARIのライブの1曲目として定番だと聞いていた「スターライトパレード」。深い青で染まった会場に星が降って、プラネタリウムのようだった。

「グラスの泡みたいに消えたように見えたとしても
ちゃんと貴方の心に溶けてる見えなくなっただけ 消せないの」
(琥珀/SEKAI NO OWARI)

わたしの心にはSEKAI NO OWARIが溶けて馴染んでいる。

きっとこれは、一生なくならない。なくしたくない。

あの不安定で多感で必死だった思春期に出会った音楽だ。唯一の救いだった音楽だ。別の世界に連れて行ってくれた音楽だ。その後の人生の音楽の趣味に、影響しないわけが無いのだ。

結局わたしは、音楽の趣味が決まる13~16歳をSEKAI NO OWARIとめいっぱい過ごした。そのおかげで、いつかは自分が音楽を届ける側になることをこっそりと夢見るようにもなった。

あの苦しかった日々も、無理矢理行ったライブも、ひとつでも欠けていたら、きっといまのわたしは無かったと思う。

いまこうやって文章を書くことも、歌詞を書くことも、ステージに立って歌うことも、きっと無かったのだ。

あなたが14歳のときに聴いた音楽は、何でしたか?

ツクヨミケイコ

1月13日生まれ、東京都出身。2019年5月に結成、同年7月1日にデビューした、7人組アイドルグループ・SOMOSOMOのメンバー。「全身全霊ではしゃぎ倒す」をコンセプトに掲げ、ロックを軸とした楽曲でエネルギッシュなライブパフォーマンスを行なっている。SOMOSOMOでは楽曲の多くの作詞も担当している。

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※「大丈夫、わたしには音楽がある」は隔週月曜日更新予定です。

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