2025/05/14 18:00

自分の卑小さを歌うのが、ぼくの思うロックンロール

── “うつくしさ” も、まさにのっぴきならなくなったときに出てくる言葉という感じです。それぐらい志磨さんにとっての大切なものが、むき出しの形で詰まったアルバムという。ファンのみなさんは聴いてどう感じるでしょうね。

志磨:ね。楽しみです。今、すでに先行配信曲の “ミスフィッツ” だけでもさっそく賛否両論が巻き起こってますから。

──でも、こういうことをずっと志磨さんは違う言い方で歌ってきたような気もするんですよね。

志磨:そうですね。この曲ができてよかったなと思うのは、今までつらつらと言葉を費やして何万遍も歌ってきたことが “ミスフィッツ” っていうタイトルの一言に集約できたことで。こんな便利な言葉があったのかという感じです(笑)。

ドレスコーズ 「ミスフィッツ」MUSIC VIDEO

ドレスコーズ 「ミスフィッツ」MUSIC VIDEO

──ミスフィッツという名前のバンドがあるのは、あらためて思うとすごいですよね(笑)。

志磨:そうそう。だからパンクなんかが好きな人にとっては聞き慣れた、そんなに目新しい言葉ではなかったがゆえに見過ごしていましたけど、ふと思い直せば、我々もまたミスフィッツだっていう。今いる環境や社会にうまくフィットできない、なじめない。はみ出し者だとか、社会不適合者だとか、そういうものを救ってくれるのは、ロックンロールを含めてアートだけなので。こんなにすばらしいものはないんです。

──自分のダメなところを正直に歌にして、みんながキャーキャー言ってくれるわけですものね。

志磨:歌にしなくたっていいし、キャーキャー言われなくたっていいんですよ。アートがある、ロックンロールがあるだけで、ぼくは今までどれだけ救われたかわからない……「救われる」と言いたくはないですけど。なぜならぼくは見つけただけなんで。救ってくれはしない。そこもいい。「救いますよ」とか言い出すと、それはもう宗教なんで。

──たしかにそうだ。

志磨:いいんです。見返りもない。手を差し伸べてもくれない。手助けもしない、救いもしない。ただ囃し立てるだけなんです。チャック・ベリーの“Johnny B. Goode”だってそう。Go Johnny,go,goとしか言わない。ただ無責任に背中を押すだけ。でも聴いた者が勝手に「これは絶対にぼくのことだ」って思い込むんです。

──言語も人種も時代も違う人たちの囃し立てのなかに居場所を見つけられてしまうのは、考えてみたら不思議なことですね。その不思議に迫った志磨遼平流ロックンロール論みたいなものがみちみちに詰まっているのが、自伝を読んだ後に聴くとわかります。 “やくたたず” も “ロックンロール・ベイビーナウ” も、全部そうですね。 “キラー・タンゴ” は、単純に曲名からの連想ですが、もしかしたら美輪明宏さんとお会いになった経験と関係があるのかな、と思いましたけど。

志磨:いや、これは美輪さんにお会いする前に作ったもので、率直にプロテスト・ソングですね。反戦歌も多いです、このアルバムには。

──話が逸れますが、例えばSNSで「ロックが好き」「ブルースが好き」とプロフィールに書きながら平気で差別的な発信をする人がいるじゃないですか。ぼくには考えられないことですが、「勝手に見つける」って意味では、そういうものなのかもしれない。

志磨:そんなおつむの悪い子も魅了するぐらいには、ロックは魅力的ですよ。でもね、それは本質を見誤っている。なめないでほしい。そう思いますね。

──アルバムに耳を傾けていると、志磨さんはロックンロールを、こういう言い方はあんまりしたくないんですが、正しく聴いて、演奏してこられたんだなと思います。

志磨:でも、それも「ロックが教えてくれた」とかではないんですよ。教えてもくれない。もともとぼくに備わっていたものを、ロックンロールのなかに見つけただけなんです。「あれ、同じだ」って。

すべて正しいことを歌ってなくていいんですよ。ひどいことが目の前で繰り広げられているとするじゃないですか。例えば人が殴られているとか、おじいちゃんが倒れてるとか。それを静止しに行ったり、おじいちゃんに声をかけて肩を貸したり、そういうことにはすごく勇気がいるし、誰もができることではない。それをできなかった自分の卑小さを歌うのが、ぼくの思うロックンロールというか、ぼくの好きな音楽ってそういうものなんです。よく「いじめを見過ごすことはいじめに加担しているに等しい」とか言いますけど、ぼくだって等しい罪で裁かれてもしょうがない。 “キラー・タンゴ” はそういう歌です。ロックンロールは道徳の教科書みたいなことを歌っているわけではない。「困っている人がいたら助けてあげましょう」ではなく「助けられない自分のなんと醜いことよ」と歌うんですね。で、それもやっぱり教わったわけではないんです。ロックンロールのなかに自分の醜さを勝手に見つけるという。「ああ、ぼくだ」って。

ドレスコーズ【LIVE】「キラー・タンゴ」(from “EVIL A LIVE”2024)

ドレスコーズ【LIVE】「キラー・タンゴ」(from “EVIL A LIVE”2024)

──ロックンロールって鏡みたいですね。

志磨:そうそう、そうなんです。だから定義が難しいです。その人、その人でやっぱり違うので。

──キングスメンの「ルイ・ルイ」とかリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」に何を見出すか。

志磨:そうです。いわゆるひとつのロックンロール語ですね。なんの意味もない言葉に救われるんです、勝手に。

──志磨さん自身も、聴いてくれる方たちがご自分の音楽からそういうものを勝手に見つけてくれたらうれしい?

志磨:たぶん、ぼくの音楽に共感してくれてるのはぼくに似た方たちなんですよ。だからみなさん、あんまりぼくに救われたいとは思ってないんじゃないですかね(笑)。似てるから。ぼくも人に期待しないので。みなさんもきっと「志磨遼平を信じよう」とか「志磨遼平は味方だ」とか、たぶんあんまり思ってないです。

──そううかがうと “ホエン・ホエア・ホワット” の味が増してくる気がします。「いつ どこで なにがあっても ぼくだけは ぼくだけは きみの ともだちだよ」ときて、その内実が列挙されるなかで、いちばんグッときたのが「うわさなら しってるけど ぼくだけは ぼくだけは くびを かしげてるよ」でした。

志磨:ここね、面白いですよね。「ぼくだけは信じてるよ」ではなくて「首をかしげてるよ」。「う~ん……ま、あいつならやりかねんか」ぐらいの(笑)。最近のゴシップじゃないですけど、「あいつがこんなことをしでかしたらしい」と聞くと、みんな疑いもなく「なんてひどいやつなんだ」とすぐに決めつけるでしょう。やったかもしんないし、やってないかもしんない。どう思いますか? と聞かれたら、ぼくは首をかしげていますという。

──半信半疑、判断の保留というのは不安定で疲れるんですよね。いちばんエネルギーがいる。

志磨:たしかに。決めつけてしまえば悩まなくてすみますからね。

──でも現実はスッキリ解決できないことのほうが多いですね。なのでこの一節は心に響きました。

志磨:ある種の鈍感さというか。ぼく自身、非常に鈍感で、みんながピリピリしていることにも、わりと「へえ」ぐらいなんですよ。そういう鈍感さが古いエンタテインメントにはあるじゃないですか。鈍感なものに触れるとなんか安心するんですよね。

──わかるわかる。「気にしてもしゃあないよな」って思えるやつですね。

志磨:どーんとしたものを見ると安心するという。

──こないだ来日したイギー・ポップなんて、まさにそんな感じかも。

志磨:あー、もう最高でした。

ふてくされた瞬間に、ニヒリズムってやつに飲まれちゃう

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