2025 年4月24日発売の「Forbes JAPAN」6月号では、「多彩な新・起業家たち100人」にフォーカスした企画「NEXT 100」を特集。地球規模から社会、地域まで多様化する課題に対して、アントレプレナーシップをもち、「自分たちのあり方」と「新手法」で挑む起業家やリーダーたちを「NEXT 100」と定義し、100人選出した。本記事では、カバーに登場したSKY-HIのインタビューをウェブ仕様で公開する。

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日本の音楽業界が大きな変革期を迎えるなか、急成長を続け5期目を迎えたBMSG。4月に始まるBE:FIRST初のワールドツアーを皮切りに、世界進出に挑む。

BMSG所属アーティストの活躍が目覚ましい。2025年4月2日にはオーディション番組「No No Girls」(ノノガ)からガールズグループのHANAがデビュー。BMSG第1弾アーティストであるNovel Coreは2月に初のアリーナ単独公演を開催し、前年12月から始まっていたBE:FIRSTの初ドームツアーも、約30万人を動員して幕を閉じた。

注目したいのは、個々のアーティストだけではない。人気アーティストのライブに行けば、そのアーティストのTシャツやタオルを身に着けたファンを見かけることは珍しくない。ただ、BMSGの場合は「BMSG」とロゴの入ったグッズを身に着けているファンも目立つ。裏方である音楽プロダクションごと応援されているのだ。

毎年BMSG 所属アーティストが勢揃いする 「BMSG FES」。24年は3日間で12万人を動員した。©田中聖太郎写真事務所 毎年BMSG 所属アーティストが勢揃いする 「BMSG FES」。24年は3日間で12万人を動員した。(C)田中聖太郎写真事務所

BMSGを創業し、自身もラッパーとして精力的に活動するSKY-HIは、日本のエンタメ業界のなかにおける自社の存在感について、次のように語る。

「会社のマーチャンダイズが今日本でいちばん売れている企業は、おそらく自分たち。まず一曲が評価されて、次に一枚のアルバムが売れて、そこからアーティストのファンダムができるとしたら、本来その先にあるのは会社組織への支持。そこが根強くあることへの感謝は強くあります」

才能を見殺しにしていいのか

なぜBMSGを“会社推し”するファンがいるのか。それは同社が掲げるスローガン「才能を殺さないために」が共感を集めているからだろう。「才能を殺さないために」は、波紋を呼びかねない刺激的なワーディングだ。なぜこれを掲げるに至ったのか。それを知るには、SKY-HIのアーティストとしての歩みを振り返る必要がある。

のちにSKY-HIとして知られるようになる日髙光啓がHIP HOPに目覚めたのは中学生のころだった。ただ、傾倒するほど距離も感じた。ジェイ・Zやナズ、エミネムといった当時のHIP HOPスターたちは厳しい家庭環境や治安の悪い地区で育ち、ラップを武器にはい上がっていった。一方、日髙は劣悪な環境で育ったわけではない。ストリートカルチャーに魅了されながらも、「自分が表現するべきことは彼らと違う」と“自分に似合う服”を探す旅を始めた。

その旅の途中で、05年、18歳のときにエイベックスからダンス&ボーカルグループ「AAA」の一員としてデビューする。AAAは幅広い活動を行い、露出の仕方はアイドルに近い。残念ながら、自分にぴったり合う服はそこにもなかった。

「当時の芸能界とHIP HOPは特に食い合わせがよくなかったですね。業界の方から『ここはおまえのやりたいことに向いてない』『かっこいいものと売れるものは違う』と言われるのは日常茶飯事でした。かといって、HIP HOPにも居場所があるかというとまた別の話で。SKY-HIと名乗ってラッパーの端くれとしてアンダーグラウンドで活動していましたが、『アイドルのくせに』と馬鹿にされて、クラブでのステージにビール瓶が飛んできたり、胸ぐらをつかまれたり……。こっちの世界とあっちの世界の間にある道を歩くだけで、悔しい思いをすることばかりでしたね」

苦しみつつも、SKY-HIはソロでのライブ活動やリリースを重ねて足場を固めていく。12年には自主レーベル「BULLMOOSE」を主宰。以降はヒットチャートをにぎわす機会が増えていった。

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