山口百恵と三浦友和”現在の関係”に感動…「いい日旅立ち」伝説女性歌手の家族

押夫婦の代表とも呼ばれている三浦友和 さん桃さ国祭なんですけどもしかしそこに 至るまでには本当にね大変な思いがあった んだなというのがね今回分かりました そんなお2人がま最初に出会われたのが 1974年グリコのチョコレートのCM こちらで初めて共演されてるんですねで 映画伊豆の踊り子にその後出演されまして 主演の山口さんのお相手さを止められたの が三浦友和さんだったということなんです よねでとじ15歳にしてもうすでに押しも 押されぬトップアイドルだったという彼女 に対し7歳年上の三浦友和さんこれがまだ 映画初出演という無名の俳優だったんです よね実はですねこの時の山口桃さんのお 相手役というのは一般工房によって一旦は 現役の東大生に決まりかけていたんですね この映画の監督をされた方がああ少しでも ね演技経験がある方の方がいいなという風 に異論を唱えられましてちょうどCMで 彼女と共演している三浦友和さんを推薦し てくれたということだったんですよやはり ねあの映像はかなりね衝撃的でありそして またお似合いだなというのがねしみじみと 伝わってきた感じがありましたからねこれ はこの映画監督は素晴らしい采配だったな という風にね思いましたよその買もあって かですねその伊豆の踊り子は大ヒットさ れるんですよそれ以来とか桃のゴールデン コンビ映画の作品も12作品も作られて テレビドラマでも赤いシリーズを始め度々 共演されていました三浦友神さん後年彼女 との馴染めを振り返っていて当時の アイドルは人が決めたものをやるというの が普通だった中で彼女はきちんと自分の これは違うと思うものをちゃんと主張して いたんです当時まだ10代の女の子なに そういうことを見ててああ素晴らしいなと 思い始めたのが徐々に恋愛感情が出てきて 恋愛関係になっていくきっかけでなったの かもしれないとそのようにねご本人が語っ てるんですよねそうだったんですね15歳 の少女が徐々にね成長していく家庭を見 つつもそんな思いがあったというところ だったんですねそんな山口桃さんに惹かれ たのは当時の三浦さんご自身がなかなか 自分のことを主張できなかったということ の裏返しでもあったんではないかとも言わ れていてそもそも彼が俳優の道に進んだの が成行きの部分がかなりあったということ なんですよだからご自身がですね俳優を これから頑張ってやっていくぞという思い があったわけではなくてなんというかなん となく俳優の方に流れていってしまったと いうね感じだったんですよこれにはですね まある方が関わっているんです山梨県出身 の三浦友和さん警察官だった父親の転職に 伴って小学校3年生の時に東京の方に 引っ越されるんですねで都立日野高校 こちらのご出身なんですが今の清郎さんと 同級生になるというねこれは何という 巡り合わせなのかというところではない でしょうかね今の清郎さん在学中に後の 伝説のバンドとなりますRCサクセション を組まれましたそしてプロの ミュージシャンとしても活動を始めていた 時だったんですね三浦友和さんも当時 バンドを組んでいてRCのメンバーたちと 付き合ううちにあこれは自分でも音楽で 食べていけるのではないかななんて風に 思ったそうなんですよその後高校卒業した 後に大学には進まなかったんですねしかし そんなに甘いもんではなかったとで音楽の 世界に入ったんですが三浦友神さんには なかなか目が出なかったそれを見かねた 当時のえ今野清郎さんのマネージャーさん から進められて俳優の道に行った方がいい かもしれないよとこう勧められたそうなん ですよでドラマ刑事君とという作品に出演 されましてこちらがデビュー作品となった んですよね1971年19歳の時だったん ですで芸能界に入った当初何か楽しいこと があるかもと淡い気持ちもあったんです けどもしかしその内日そんなに楽しめる 場所でもなかったということでいつでも やめてやろうという気持ちでいたという ことだったんですよその間に山口桃さんと の共演作がヒットし純心な青年役の出演 以来が次々と舞い込んできたとそして本人 も仕事の面白さにも目覚め俳優として生き ていくことに迷いはなくなっていくんです ねしかし政党派アイドルのような立位に 次第に違和感を覚え始めると言います ちょうど70年代後半の頃萩原健一さんや 松田優作さんといったアウトロー的なね 俳優さんが人気を集めていたんです三浦 さんもまた彼らに憧れていや俺は本当だっ たらあっち側の精神なんだけどなという風 にも語っててでも俺はキャラクター的には あっち側じゃないし昔の仲間は笑ってるか もしれないなでもましょうがないやと諦め の境地でしたよという風にね語ってるん ですよ昔のあの遊んでいた仲間からすると 三浦何やってんだよあいつあんな資材に 分けて真面目にみたいなねそんな感じだっ たのかもしんないですよねだからかなりね 葛藤されていたということでしたねで そんな中でも三浦友和さんは俳優としては 恵まれた環境にありましたそのことに彼が 気づいたのは1980年に28歳で結婚し て間もなく厳しい現実に直面してからだっ たんですこれが確かに結婚後も西武警察 パート2で刑事役など当たり役はあったん ですがしかし出演以来は年を負うごとに 減ってくるんですねでドラマに支援して すぐに番組が打ち切りになったりとま不遇 の時期も続いたんですよやはり年を負う ごとに青春もの映画とかドラマにね出演さ れるのにもちょっと無理が出てくる年でも あったということなんでしょうかねそんな 中から結婚してから4年経った後に32歳 でご長男が誕生されます三浦裕太郎さん ですねでその後オムツを変えたりお風呂に 入れたりリニ食を作り食べさせたりと 子育てには4年がなかったと言います三浦 さんは後に自伝で語ってるんですが当時の 自分をジョンレノンが小野洋子さんとの間 に息子を設けると音楽活動を休止して育児 に専念したことになぞらえつつジョン レノンと大きく違うのは私はこの時期仕事 がほとんどなくて希望しなくても時間が たくさんあったんですよとそんなね ちょっと自重気味に自虐的に語って いらっしゃったということなんですよね そんな三浦友香さんはもうアイドルと呼ば れる年齢ではとなかったわけですねそして でも人生を語れるほど大人でもないとで まして司会やバラエティなど俳優以外の 仕事ができるほど自分は気ではないなと いう自覚もあったということなんですねで やはりそうなると何もかもが中途半端に なってしまって三浦友さんは俳優としての 居場所を徐々にね見失っていってしまうん ですねそんな中ですねある時に天気が 訪れるんですね当時映画会に新風を 巻き起こすれていた監督さんが いらっしゃってこの方が相馬慎二さんと いう方なんですがこの方に全員依頼をされ たんですねその映画が台風クラブという 映画なんですよこちらはあの工藤ゆさんが 主演をされている映画なんですけどもで 様々な不満を抱えた中学生を軸とするその 作品三浦さんにとっては初めてのま帝王さ の単管上映の映画であってその役所も今 まで演じたことない大人の無責任ぶりを絵 に書いたような教師の役だったんですね これはなかなか難しい感じがねいたします けどもねでもこの役になぜ自分を選ばれた のかとちょっと今1つ腑に落ちない部分が あったんですけどもでも相さんに聞いても 夢で見たんだよいいじゃないかと はぐらかされてしまったとでもいざ撮影に 入ってから相さん三浦さんが振り向く シーンでその振り向き方がうーんいかにも 三浦とかなんだよねとそう言いながら ちょっと不に帰ってしまったこともあると いうことなんですねその時相さんが何を 言ってるのか全く分からなかったとしかし しばらくすると自分が今まで青春スター 三浦友和というイメージに無意識のうちに られていることに気づくんですこのことが 彼に新たな扉を開かせました事前では次の ようにね記されてるんですよこの時に 初めて三浦友和という実は不確かなもの だったブランドの看板を下ろすことができ ましたきっとそま監督に出会っていなかっ たら今の自分はありません俳優業を続けて いられなかったかもしれないそれぐらい 大きな出会いだったんですという風にね 語ってるんですよこれね本当にそう思い ますよねこの時にもし出出会っていなかっ たら今はどうか分からないですけどもその 後もねしばらく数年は自分の中での葛藤が ね拭えなかったんではないかなと感じが いたしますよねあ本当にいい出会いだった なという風に思いますよその1985年に その映画は公開されるんですがで同作での 演技がまやはり評価されてるんですよ三浦 さん放置映画賞の助演団優勝も受賞されて いてこれをきに政策現場での姿勢も変わっ ていったということでしたそれからは視野 も広がったというか本をもらって自分の役 だけをなんとかすればいいじゃなくクラン クイン前に監督と意見を交わしたり アイデアを出して膨らませていく作品作り に参加してる一理なんだという意識が だんだん強まりましたとその後ね語っ てらっしゃるんですよでもそれ1本だけで はやはり一気にね仕事が増えたというわけ ではなかったんですね35歳の時には東京 郊外に立てた自宅を手放して百夜暮らしを するべきではないかと悩んだりもされたと 言いますただその時を三浦さんの方から桃 さんに話したことは1度もなかったそうな んですよでも彼女はおそらくそのことに 気づいていたにも関わらず聞いてくること は全くなかったと言いますそもそも彼女は 結婚してから三浦さんの仕事のことには 一切触れずに来ましたこの時にも妻がブれ ていなかったこと彼はかなり救われたよう でしたあるインタビューの中でエピソード をね語られてるんですよそんな苦しい時で もうちの妻は本当に腹が座っていましたと 10万円なら10万円の生活1000円 なら1000円の生活をするだけですよと そのように言ってでも本当にそん時にいい 女房を選んだなとしみじみ感じたと語っ てるんですよこれね本当にいいお話だなと いうね思いがいたしますよこの話を聞くと やはり自分に置き換えてね考えてしまうん ですけどももしね自分の奥さんがそんな風 に言ってくれたらね嬉しい嬉しいというか もうきっとね苦しい思いをしてる中での そういう言葉ですからこれはもうこの人を 一生大事にしなきゃなという思いが いっぱいになったんじゃないかなと思うん ですよね本当に素晴らしいなと思いますよ こういうところから長年に渡ってねいい 夫婦の関係を続けてこられてるんではない かなという風にね思いますよねそういう ところこともありまして徐々にね平穏な 日常を掴んでいくんですがでもまだですね 芸能界を待したモさんを今その現在はその 時はですねまだマスコミの取材構成が エスカレートしていく時期でもあったと 言われてるんですねで長男と次男が誕生さ れていてそして幼稚園の入園式や運動会 断るごとに報道人が押し寄せていたと言い ます自宅の前を終日張り込むれることも ありましたその恐怖たりや後に三浦さんが ご自身の著書の中で例えていらっしゃるん ですけどもこれが夏の海水浴客で賑わう 海岸にに放たれた上手のような存在に思え たというね風に表現されてるんですよこれ は相当だなという感じがねいたしますよ 普通上手なんていうね例えが出てこないと 思うんですけどもねそれぐらいに 恐ろしかったということなんではない でしょうかねその後マスコミとはまよくね 話し合ったと言いますそしてようやく平穏 な日常を獲得するようになり生活が 落ち着いてからまインタビューでま随時 あの振り返っていらっしゃったんですねま 100歩譲って僕たちはま芸能人だった から仕方がないとそれにしても周りの人に 迷惑がかかることだけは避けたくた避け なくてはいけないしだから夫婦で一致脱血 してマスコミ校生と戦ってまりましたでも 今になって思うと共通の苦悩を抱え協力 体制で乗り切ったことで培った信頼関係と いうものが確実にあると思いますと語っ てるんですよこれはねま夫婦としてもそう ですけどもま同士としてもね一緒に乗り 切ってきたと苦難をね乗り越えてきたと 仲間だといういい識もあってそして家族で あり夫婦でありというところなんですよね 手を取り合っての協力体制というのが非常 にねお2人の絆を深めたんではないかなと いう風にもね思いましたよでもこれは結果 的にはそのようになりましたけどももしね これ以上に話し合ってもうまくいかず マスコミの取材構成が変わらず行われてい たとしたらもしかしたら三浦友和さんご 夫妻の家庭が壊れていたかもしれないと いうねそんな可能性も十分にありたわけな んですよだからそれを本当に乗り越えられ たというのは元々夫婦の間に互いを 信じようという思いが強くあったからだと そのようにもねおっしゃられていました なかなかねそうはうまくいかないところ ですけどもねその辺がやっぱりさすがだな という感じがねいたしましたよで走行し てるうちにま徐々にねまお年を召されて いって俳優としてのなんて言うんでしょう か円熟と言うんでしょうかね魅力的なおを されるようになってくるなという感じがね 見て取れるわけです映画賞も多数受賞され ていてで役の幅も広がっていって映画で 言うところのオールウェイズ3丁目の夕日 とか沈まぬ太陽とかそして2022年には 稽古目を済ませてという作品があるんです けどもこちらはボクシングジムの会長役を されるんですねでそこに主演のあの女性の 方が出演されるんですけどもこの方の役所 というのがボクサーであってでロア者なん ですねしかしその方とはシアを使わずに心 を通わせる様を見事にね演じ切ってると いうことなんですよこの映画はあのキネマ 順法のベスト点では非常にね高く評価され ていて助演男優勝も受賞されてるという ことなんですよねそんな中三浦友和さんが 還暦を迎えた頃からなんですけどもねよく 考えることがあると言われてるんですあと 何年生きられるだろうかとあと何年この 仕事ができるのかということをねよく 考えるそうですよ自分に残された時間を 考えるようになったとおっしゃってますで 2018年インタビューで大体先輩方を見 ていると80代で亡くなる方が多いんです 僕も80歳まであと14年間演じられるの はそれぐらいかなと漠然と思っています あと14年で何ができるのかどんな役を 演じられるのかなって自分の将来を見据え ているという風にもね考えていてそして ただ具体的にやりたい役があるわけでは ないんですよとでも彼に言わせると俳優と いうのは受け身なんです三浦にどういう役 をやらせたいと思われるかが勝負なんです よとまそのようにねおしゃられていてだ からこれもやはり30代前半にそれまで 自分を縛りつけたイメージを解き放って からということなんですよねそういうこと をされてきて様々な役を演じながらま自信 をつけてきたというお話だったわけですよ ねこれはま最初青春スタートして活躍され ていてその看板をその時に下げるきっかけ があったから今に至るということですから ねもしずっとそのままねしがみついてい たら今はきっとねなかったんではないかな という風にもね感じられますよだから三浦 山口桃さんがねそのまま復帰なんていう こともねあり得たかもしれないかななんて ね風にも思ったりもしましたけどもねはい というわけで今回はですねえ三浦友和さん 山口桃さんで今あの押夫婦と呼ばれるまで にはいろんな苦難があったんだなというね 思いがありましてまそちらをご紹介いたし ましたこれからもね是非お幸せに暮らされ てほしいなという思いでございますそれで はまた次の動画でお会いしましょう さよなら

三浦友和さん山口百恵さんお幸せに!
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#今日ヤバい話を聞いた#山口百恵#三浦友和

4 Comments

  1. 配信ありがとう🎉
    私も、友和と同じ年、三浦友和❤山口百恵ゴールデンコンビ大好きでした❤今でも大好きです❤私の青春は、友和さんと百恵さんとともに、生きて来たと言っても過言ではありません。今でも大好きです❤❤❤
    テレビ📺ドラマや映画作品を全部持ってます❤好きな時、好きな時間誰にも邪魔されない私だけの時間今でも胸キュンキュン感謝でいっぱいありがとうございます🙇
    これからも、仲の良いご夫婦で、友和さんにはまだまだご活躍をしていただきたいです。私も頑張って残りの人生を主人共に過ごして行きます🎉🎉🎉
    ありがとうございました。

  2. 年数越え何時までもお互い信頼
    妻を守る良い御夫婦で良いですね
    お互いの努力、信頼と夫婦愛、三浦友和さん百恵さん
    何時まで幸有ります様に、お幸せに🎉🎉🎉🎉🎉

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