【1ヶ月プー太郎】兄、松坂大輔に「そんな奴いねぇから」/アンダーアーマーの総代理店を2年休職して、独立リーグへ/プロテスト受けてドラフト待ち…最後は兄貴に/株式会社ONE4ALL社長松坂恭平に密着③

[音楽] そのクラブチームはなんていうクラブ チームんですかえっと東京lbcです東京 lbcっていう社会人のクラブ クラチこれ は都市対向とか選手権も出れる格があるあ そうですね一応もううんたうんうん公式の クラブチームなんでうん東京都の連盟に所 しているうんはいうんじゃあ本当企業 チームと対戦してそうですねあ勝っていけ ば勝っていけばなるほどありがと結構そう いうクラブチームって多いですか社会人の 都市対ああ多いと思いますねはいそれなに なると思いますはいどういう方が集まって くるんですか選手基本はやっぱもやっぱ あれじゃないですかねそういうこと普通に 働いててこれこと多分大学まで高校まで あってまそれ以降の なんて言うんですかねま大学だったら 社会人と行けなかった人たちがまだ野やり たい人がやったるとかいう感じだったと 思いますけどねじゃ結構まだプーを目指し てる人もいればあそうですねいる人もいれ ばって感じですまだまだ野球をちょっと大 はい野球公式の野球まだやりたいっていう 方はいでしたねだそれで言うと僕は当時は 全だですねそのプロになりたいまだうまく なりたいて形でうんうんうんうんなるそか 当時は独立リーグみたいなだな独立リーグ はちょうど1年目なんですあはいただ独立 リーグは全然なんか当時はそんなんか なんか発足したってのは分かってるます はいはいはいはいでもあれですよ確かに 四国とかそうです国だったんであっちの方 ですそうですでそのクラブチームは何人 ぐらい行たんですか選手は選手どんぐらい 行たんですか一応20人かもしか230い たんじゃないですかね登録してる選手は 23人ぐてはいってるんでが集まること ほぼなかったですけどうんうんうんうんで 土日がメインで活動していきながら平日は ここではい練習していって平日はないです ねクラブチムの練習はないです土日だけ ですうんうんうんうんはいそこは野手とし て入ってるんですかそこは野手ですねで なんかいなかったら投げたりとかします けどに投げたりっていうところでなるほど 感じますそかでそこからまプロになるため にっていうところで考えるとまトラがじゃ ないですけど入そうですねしかなかったと 思いますねそれはま1年目から受けれるん ですかあ受けれられたと思います普通に誰 でも受けれると思いますはいあの 5000円の参加払えはいはいはいはい はいはいはい確かそんぐらいんではいそう そこで入ってんですねそこで実際受けたり をしたんですかいや受けなかったですねま その点1回やめてはいコやめてはいでそれ もう4月のもう頭なんで1か月間ぐらいは はいもう本当あれです何もしてないうん フリーターてないんではいあのバイトもし てないんでうんうんはいただなんかもう 野球選手になりたいんだつって朝から起き たら走ってはいはいでスイングしてみたい なことをあと上糸としに行ってみたいな はいはいはいをやって土日クラブチームで えっと試合したりとか練習してみたいな 生活を1ヶ月間やってたんですようんうん うんでそのままやってこうと思ったんです けどはいえっとねそれこそ兄貴から連絡も あっていやそもそもお前大学卒業して働か ないでそんなことやってるやいねえから みたいなでれてまず働けって言われてはい 働けも別に練習できんだろみたいな言われ てうんうんはい別に24時間やっ練習し てるわけじゃねえだろみたいなうんうん はいっって言われてはいで紹介してもらっ たのが株式会社道なんですよああはいで ドムの面接とかあのあの学校じゃないか会 見に行ってはい当時天皇になったんですか ねはいあってでも当時がやっぱ斬新であの ジムがあるんですよ会社の中にはいで結構 普通にみんなあの6時以降修業時間以降は えっとここでトレーニングしたりとか実際 まだ現役であのアフてやってる選手とか はいあとはラクロスの選手ですかねいる からみたいなことを当時のあのはい役員の 方に言われてはいであとサプリメントも あったんではいはいはいで上として サプリメント飲んでみたいなああできるよ うちだったらみたいなるほどはいレに叶っ たはいわいいなと思っそうですよねはい それがアンダーアーマー株式会社どそう アンダーマのソダ店戦そうですのそうです よねソダ店っていうところでえはいから5 月のゴールデンウィーク明けから3日僕 最終職してるんですよはいはいはあそこで こう入っていくわけですねはいじゃあま お兄さん のせ説教じゃないですけどそうですねあと 進めと進めとはい入っていってそっから そこででも結構ずっとやられるんですもん ね最終的には最終的にはそうですねそう ですよねはいただ入って急その冬ですね冬 に独立リーグのトライアウトを僕受けに 行ってるんではいうんうんうんうんで 受かってで2年間はい給食してるんで なるほどはいそっかそっかはいそういう ことですねはい実際じゃ入してからあ クラブチームと一緒にやりながらそっちで やっぱしっかりトレーニングサプリメント も含めてもう全部無料ではいやそう トレーニングはそう無料あの無料すけど 施設なんでサプリメントは自分で販で買う と感じですああなるほどま安くなってく はいそうですうんうんたまに切迫品って あのなんて言うんですか賞味券が近いやつ が戻ってきたやつはあなんか10人と5人 どうぞみたいなありましたけど基本的には まはいはい販で買ってなるほどはいまでも 本当に1番いいすよね仕事しながそうです ね当時はそれこそそのサプリメント扱っ てるんでそのなんて言うんですかその栄養 学的なものは別に資格は飛んなかったです けどうんうんある程度なんか勉強したりと かしてうん営業しなきゃいけなかったんで うんうんうんはいそれは結構良かったです ねうんうんうんうんはい筋肉がどういう風 になったらどうなるみたいなあ体の仕組み 的なはいそうですはいなるほどいいですね まプロ皆にとって絶対プラスの知識ですも ねはいでまプロの方にも営業シさんではい はいはいはいはいそっかそっかはいで学生 にも営業しに行ったりとかしていてうん うんはいじゃそこで野球会の人とのこう 接点というか人脈もこう広がっていきつつ はいそうですねで独立リーグこれ独立 リーグ目指そうと思ったきっかけは何だた 思ですかあえっとそ最初トライトあの トライトてあの入団テストですよねのプラ プロの行こうと思ったんですけどただ やっぱそのクラブチームの野球やっててで ま自分がどんだけ打ってるとか分かるじゃ ないですかうんうんうんうんでまだこれ 多分行っても別になんか受けてもうん分 浮かんないだろと思ったんでうんうんうん これはもう1回なんかちゃんとやれる環境 行きたいなと思ってうんでその時になんか あでも四国行ってみようかなと思ってうん ていうのをなんか急に思ってうんうんうん で行行くことになった行くことっていうか 行ってみようと思って捉えとあの応募して うんうんうんで香川県まで受けに行った んすよねうんはいでも結構な決断じゃない ですか仕事を1回お休みしてあでもまあ 独身ですしああまなるようになるだろうっ ていうはいですねはいそっかそっか別家も なんか変なし僕の給料でとちゃん母ちゃん が暮らさなきゃいけないってわけでも なかっではい別にいらないっていう感うん はいはいはいはいはいはいじゃあま結構 自由にそうですね僕自分のことだけを 考えればよかったんではいま失うもが そんなにあそうですね別に何の結決断と いうかそのなんかはい大きな決断ってのは 別に何もなかったて感じですねうんうん うんはいなるほどじゃあ実際そのまま独立 リーグに行ってこう入ってみて実際どどう やったんですか特立にはいああそうですね ま実際入ってみてうんなんていうんか レベル感的にはま正直すごいピンキだっ たってのあります実際うんあの高校生の子 もいましたしうんうんうん中退して入って きてる子たちもいますしで逆にやっぱ僕 入った時は林さんって方がいてその人は それこそえっとどこだっけな立命ですね 立命であって東海リカうんで東海リカを やめてきて入ってきてる方だったんで ちょっとバッティングはもう抜けてました ねうんうんうんもううんすごかったんで ちょっとびっくりしてうんであと全然無名 な方とかもうんほとんどその方以外 ほとんどま無名というかうん感じなんです けどピッチャーの方も浦川さんて方がいた んですけど若松高校から 福岡 福岡工業大学か不わかんないですけど50 近くのけですよへえ早と思ってこんな人が いるんだと思って正直はい社会人行け なかったんだと思ったりとかうんでその ちゃ子もはい同級性ぐらいの子もうん普通 に40中盤とかて うん結構あれうんすごいなと思ったりとか してはい結構じゃあレベル高そうですね 思ったよりそうですあの高い人はいるんか なっていうのは正直はいはい思いました はい全然なんか前ジあんまなかったんで うんうんあま調べなかったのでそこははい うんそこあ調べよもなかったですあんまり そんなにそうですね情報がなかったはいド 独立リーグでははいうん実際どうなんです かこう入っていって自分の力はこう通用し ていったのかそうですね久々に内野州で 行ったんではいで内野州って僕多分小学校 以来なんで真面目にやるのがはいうんはい でもそうすねでも最初やばかったすね フライ落とすぐらいやばかったですねはい もうなんかみたいなみたいな そうですねしょうがないすねしょがはいで なんかなんですねなんだんだんなんか だんだんなんか色々思い出してはいはい はい思い出してであとやっぱりまあのや元 プロの方たが教えてくれるんではいなんて 言うんですかねすごい引き出しを持ってる んですよねうんステップワークの何にしよ までもそれを多分ほと1からして止まって たんでうんうんうん本当に僕だけ違う メニューとかやったんであのすごいきそう なやつはいはいはいはいずっとこうやって やかあはいでずっともうなんかコを置いて そにバワと走ってってほとなんかもう右の カトからついてつま先ついて左かついて うんうんつま先ついててこういう動きとか をずっともう本当ひたすら1年間とやらさ れたんでやらされたと欲しいですけどそう いう指導受けたんででもやっぱどんどん どんどんあと試合数がやっぱ多いじゃない ですかああそうですよねするとやっぱり なんて言うんですかね慣れてくるじゃない ですかうんで別に追い込まれても焦ん なかったりとかなんか色々ななんて言うん ですかねま冷静に慣れたりとかうんであっ たんでまなんか上手になってってるとか そういうイメージはできてきましたね一応 開幕もそそううっすね確かそう3番 ショートかなんかで使ってもらってあ サードすねサードで3番サードみたいな うんうんうん使ってもらってはい年間何 試合ぐらいするんですかぐぐだったんです よ全で454だったんですよはいでプラ 野球との交流性みたもあったんで100試 ぐらだったんじゃないですかはいへえそれ はまあでも多いすマチはま独立プロです けどNPB以外で言ったらはい試合制多分 1番そうですね年間100試合やったら なんかです勝手に上手になるじゃないです けどはいはいはいはい確かに日ありました それは独立リーグをやる大きな1つ メリットはいそうですねですよねはいでも あれって一応お給料は出るそうですね給料 出ます正直もし話せの範でいんですけど僕 ら当時はABCってラクがあってはい 12万10万8万です確かはあはい12万 10万8ただえっと3人でえっとルーム シェアしたらその家賃は球団払ってくたん ですようーだったのでうん自分が出すお金 はえっと車の駐車場台はいと日々のあの 食事食事ぐらいですねああじゃあなんとか ギリいや多分全然楽勝だと思いますそ 12万円全部食事と一緒なんではいはい はいはいはいはいで駐車場大体4000円 ぐらいなんではいそうですよねはいはい結 自分に使えるお金が10万ぐらいあるって 考えるとはい全然うー普通になんか余計な もん買わなければそうですよねまあ十分分 暮らせるはいそっかでそれって間ずっと 出るんですかシーズン中だけなんですかあ えっと確かシーズン中だだけだった2月 から2月のキャンプから始まってるんで はい2月からシーズン10月までだったと 思いますが 1211この3ヶ月間はないですよて感じ ちゃったと思いますなるそっかえその3 ヶ月間はなんかアルバイトとかえっと残っ てる方たちはそのまま愛媛僕愛媛県だった んで愛媛県松山のチムだったんで愛媛県で そのバイトしてで年末だけ帰ってみたいな てやってる人とかいましたねほとんどそう あったんですかね僕東京帰っちゃったんで うんうんうんうんうんはい東京帰っ て当時たまた怪我したんですよ1年目僕 有高骨かなんか骨折してはいはいはいはい はいそれのリハビリもあったんでうんうん うん帰りますって言って帰ってうんで当時 はですね あの片岡君とかはいてるトレーダーの方が いたんです安さんっているんですけどはい はいはい今もパーソナルでやってるんです けどその方になんかで繋がったんですよな ので僕オフずっとそ安福さんのえっと トレーニング片岡君とそう小田さんとか はいはいはいたまに湧井君いたりとかあ あと中がいたりとかたすますいうメンバー ではい1月の中旬までずっと一緒にやらさ やらせてもらっててあであと佐藤友明さん がま現だっはいはいはいはいはいで色々 ほとバッティングとか色ってはいはいで 難しかった全的なかった ですいやでももうブのやってそうすねで 上糸とかもそん時上糸なんかちゃんと人に 教わってしっかりやったって感じです今 まで我流だったんではいはいはいなんか スクワットとかもちゃんとやったりとかし てうんしたらなんか180kmぐらいまで できるになったりとかしてうんそなんか体 すごい強くなってはいでその方は陸上も やってあの走り方も教えられるんでうん足 も早くなってうん24歳ですけどはい早く なってなんで結果的にあの1年目1トル だったんですけど2年10トルぐらいし はいすごいすねはいはあじゃあその トレーニングがやっぱりかなりあそうです ね成長のポイントとはい刺激と結構自分で もびっくりしましたすごいな足早早くなっ たステップとかもそう強くなったりとかし たん で守備も多分上手になってはい今まででき なかったような感じでできたりとかしてて うん はいただやっぱこっちはですねはいダでし ねうつほ方はやっぱりやっぱりセンスです ねああはいちょっとなんか打てない人が 打てるようになるならないですねなるほど はいやならないですはい難しいそう難です 守やればうまくなるうんただバッティング は最後はやっぱあじゃないですかタ ピッチャーでやこのこのなんか点の中で 対戦するっていうなんかまあまあそうです ねはいタイミングがちゃんと合わせられる かとか人気応に柔軟にはいできるはいでま 独立リーグとしてで期間は2年間2年間 ですねこれはなんか2年間に定めた理由 ってあるいやめ最初本年間だけだと思っで もう1年だけしっかりやろうと思ってはい 行ってただやっぱりなんかちょっとずつ うくなってる感覚はあったんでうんうん うんうんもう1年なん度か頑張ったらもし かしたらと思ったんで2年目あの球団も 契約してくれるってらっしゃったんでうん うんであと会社には1年だけ行ってきまっ て言ったんでうんもう1回やらして くださいもちやらしてくださいあのすて うんはいあの役員さつって 年足さはい好きにすればって言われてああ 大なここねではい好きにしたっていうはい やってはいで一応僕らが2年目の時は結構 そのあれですね育成で取るあの球団が ちょうどちょろ出始めたって感じですか 確かと3球団ぐらいしかないと思うんすよ ね今みたいに全球団 が成選手持ってるような状況ではなかった と思うんですよはいはいでその中でも多分 ロッテが1番当時はなんかその独立リーグ に目を向けててみたいなだったんですよ うん角中さんとかそうあそうですね中選手 はそういうこと角選手はですね僕が1年目 の時に多分もうプロ行ってますよああそう にはいはい多分2期世なよね同じ制でで 高知県にファイティングドックスでで僕て いたんうんうんうんそうですよ1年でまま 19歳高速で若かったあ若いですしなんか あれでしたねあのなんかすごいなんか 力強いと思ってましたね あすごいはい第多分2割4ぐらいなんす けどホムはも多5本とか6本ぐらいやって んけどま当時あのボールあのあれなんです よアイランドリーグのボール安いんで飛ば ないんですへえ本当ばいんですよだプロと やるじゃないですか交流戦はいはい バッティングメシめっちゃ飛んですよあ ええアダのリーグの時のバテン練習はい はいはい10mぐい違じゃないはいほと触 ないボールあったんで当時本当にホーム ラン数とかも多分ホームラウンとかもはい 僕入った時っても一桁とかじゃないですか ねうそんなに結構はい2年目もちょっと 良くなったみたいでその後は確か結構いい ボールちゃんと買ったんだよて球団の方も 言ってたんではいでホームラの数か結構 伸びてたんですけどまたまそうですねカ そんぐらいだってですけどうんやっぱ なんか持ってるもっていうかま力強さとか すごかったですねうんそうなんすねそっか 力強さかねでまそうですね行ってで僕らは 2年目やって最後はいあのロッテのえっと テストをはい独立リーグの選手希望者全員 受けられたんですよ うんでみんなやっぱ最後あれじゃないです かうんさもうもしかしたらで結構受けに 行って愛媛からもうん結構受けに行ってで 最後一応まなんか一応なんか合格というか なんかあるんですよはいはい1時2時が あったんですかね確か一応2時に受かった 人たちは一応最後ドラフトでどうなるか わからないんでうんうん確かドラフトの えっと一応待ってくださいみたいうん うんうんうん一応ドラフト待ってください に入ってたんでお一応なんか スーツさあのネクタイ閉めてこうやって 買ってもってましたはいはい本指名絶対ね んではいもう育成のこれからこうやってっ てましたはい本名はなんでないですかそこ に枠を使わないって感じいやまもうそうす ねもうそこ行けるようなレベルでないって のは分かってましたしああそういうことか はいロッテのそのドラフトも基本的に育成 うんだだけていう感じだったと思うんで 確かうんうん はいですね結果的に4件からその49段 から何人かやっぱロッテに34に行ったん ですかねええはい来ましたねそうだったす ねはいで僕は指名されなかったのでえっと どうしようかなと思っ てでま愛媛は別にもう1年あの契約して くれるって話だったんですけどうんうん ただ僕も20歳ですよね25歳はい25歳 で うん でま色々あったんすよねでま環境変えてみ たいなってもあったんですようんだったん でBCリーグ当時あったんではい富山に トライアウト受けに行ってはいオフにうん で富山は当時来るんだったらあのあの合格 ですって言ってもらってで来だったら来て くださいって言われてうんうんていう状況 ででまいろんな人に相談してうんもう1年 やるべきなのかとかっていう結局25歳な のでうんうんはいもう26歳の年じゃない ですかはいで26歳から育成ってなんか あれじゃないですかなんて言うんですか 育成じゃねえだろっていう年だです正直 26歳なんではいはいそうですねはいうん だったんで多分本使命行かないと意味ない よねっていうのは多分レベルだと思うん ですよ26歳なんでうんていうのもあっ てであと僕ん中ではもう25歳とかなんで 逆にば高卒の子も入ってくるんでうんする と高校卒業者入ってくる選手なんでま すごい可能性あるじゃないですかただ可能 性はあるんですけど25歳とかの方がま 経験値があるんでじゃあ用意ドって時多分 ちょっとこっちのがうまかったりするじゃ ないですかうんするとこいつがいることに よってこいつ僕ですけどいることによって この子が出れないじゃないですかはいはい はいで試合出ないとうまくないじゃない ですかはい たらもうプロの確率がないんだったら僕は 知とくべきだって思ってたタイプなんです よ立リーグは正直うんうんうんうんはい じゃないと今から目指したい子たちが なんかなんて言うんですかねもうま正直 本当プロの確がめちゃくちゃ低い人たちが レギュラー貼ったままっていうのはうん うんうんうんなんて言うんですかねその リーグとしても良くないんじゃないかと 思ったりとかして結構葛藤してたんですよ うんはいあった中ででどうしようかなと 思って最後それこ兄貴に相談したんです うんうんしたら普通にやめた方がいいん じゃないかって言われてうんはいだって お前もうそれこそ25でしょみたいな うんでなんか兄貴は多分そ僕のこと見る わけじゃないないじゃないですかプレイを なんで多分知合のスカウトの人とか聞いて どうなんすかみたいなうちの弟みたいな うんはいはいはいはいはいでえっともう 25歳ですと仮にえっとも二十歳だったり とか高卒で今の実績だったらまかかるかも しれないよねみたいうん感じて聞いた俺は て言ってへえだからま兄はもう無理じゃ んって言われてうんうんはいうんそっ からってお前がいきなり 上手になるかどうかとま分からないけど みたいなうんただプロに入るのが目的だっ たらもうやめた方がいいってやたんですよ ああなるほどはいお前が活躍してうん なんかもう一軍でバリバリやるんだって いうそういう自信があるんだったらやべき たんじゃないのって言わてうんでその僕は こうやっていやそこまで考えてなかっ たっていうかうん さんのはいえ影響力というか助言っって いうのはやっぱり結構響くケなそうですね 当時はそうですね はいそうですねうんやっぱそうはい基本 みんなやれって言ったんですけど1人だけ ですねやめろって言ってきたのは ええそうですでそれにま納得してっていう まそうですよねプロの対戦で確かにプロを 目指すんだったらやめなさいとプロ日軍で バリバリやるんだったら挑戦するべきいう だ両法ありましたけどねそのなんかなんて 言うですか経営者の方とかはなんて言うん ですかね別に若いままだ若いと25って うんそのもしかしたら育成だったらなん ちゃらてあるけど逆に 若い時にしかそんな挑戦できないよていう じゃ仮に30歳になった時にもう1回 やろうたって多分もう大力の無理でしょう みたいなうん うんうん感じで悟される方もたくさん いらっしゃったんですけどうんうんうん ただ本人はなんかそうですね風呂入って 高校卒業して入ってきて34年でま引退さ れる方とかも結構見てきててみたいなうん うんだったらみたいなもうサラリーマン しっかりやった方がいんじゃないのみたい うんなるほどはいそか実際どうですか今 振り返ってみてその当時の決断にま結果と して良かったのかやどっちでもなかたん じゃですかねあんまりじゃ後悔はなかった 別に後悔はないですしはいそうすねはい うわやっとけよかったみたいなないですし もなくはいじゃあやっぱスパッとこ気持ち 切り替えてそうですねうんうんうんはいで もスパットは聞かれなかったですね実際あ 実際はじゃ結構引きずっ そうですね引きずるというかそれで僕会社 に戻ったので2000えっと67だったん で2008年の1月からまた社業というか 株社トって仕事しましたけどはいなんか別 に仕事はそんなにあれです身入ってなかっ たですね正直 うんサボらないですけどはい100%が 言われますけど200%やった方はやって ないですねその当時ははいはいうんうん うんはいままちょっと思いつき証拠軍じゃ ないですそうですねアモそうですねやっぱ 25歳それこそなんかそのプロになりた いって思いだけではいうんやってた人間が まそうですね目標がなくなってそうですね すものなくってですねなるほど当時はその 会社では どんな業務あえそうですね当時はスポーツ マーケティング部っていうところに 配属あ所属していてはいで主にはえこれ あの野球なんでうんえっとプラ野球社会人 それこそ高校あ大学高校うんうんなかな 中学生な世にたがありましかまそこのま 営業担当うんうんうん営業すね営業とあと それこそあのプロはあの選手のサポート だったりとかうんうんうんまた選手の獲得 ですよねああ あかですねなるほどはい当時ねも めちゃめちゃ入ってましたもんねそうです ね憧れでしたもあ本当ですかはいあのはい あのはいあれを期いていうはい はい1つそうでしたねあ本ですかれでした めちゃめちゃはい

第一話

第二話

第三話

松坂恭平
東京都江東区出身

東陽フェニックス
江戸川南リトル
東陽中学校
都立篠崎高校
法政大学
東京LBC
愛媛マンダリンパイレーツ
株式会社ONE4ALL
代表取締役社長

株式会社ONE4ALL HP
https://one4all.co.jp/

one of the answerインスタ
https://www.instagram.com/one_oneoftheanswer

松坂さん インスタ
https://www.instagram.com/kyohei_matsuzaka_1982/
x

——————————————————————————————————-
アオバラ関連
【HP】 
https://www.blue-rose.co.jp/

【You Tube】
https://www.youtube.com/channel/UCU7y-Zu2HfHSgZ0w7JO3FOA

【Instagram】
https://instagram.com/baseball_bluerose

【x】
https://twitter.com/baseball_aobara?s=21

【その他お問い合わせ】
取材希望者、チームも随時募集中!
blue.rose.info.2007@gmail.comまでご連絡ください。
※取材をさせていただきたい方のみに返信しています。

ご了承ください。

〜アオバラプロジェクト〜
甲子園出場(2007年夏)経験者の3人、ブル、キャップ、スイッチが経済的事情で野球を辞めないよう少年達に資金提供をし、
野球界への恩返しをテーマにしたプロジェクト。

少年野球・中学野球を中心に、
次世代を担う野球少年達を応援します。
現在競技人口が減少している野球。
野球のおかげで今がある。
「想いは一つ、野球界への恩返し」

詳しくはプロフィールへ
応援してくれる方は「フォロー」と「いいね」を待ってます!

#野球人密着ドキュメンタリー

Music by Reggie San Miguel – Present – https://thmatc.co/?l=0B89D0D0

1 Comment

Leave A Reply