【ゆっくり解説 】出雲族とは何者なのか

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙だぜ霊夢は
出雲族という種族を聞いたことがあるか
出雲出雲っていうのは聞いたことあるけど
種族なんて知らないわよまあ謎の多い種族
だからな知らなくても無理はない何よその
言い方謎が多いって言われると気になっ
ちゃうわ早く教えてちょうだいそれじゃあ
今回は古代出雲族の謎について解説して
いくぜそれではゆっっくりしていってね
出雲族というのは古代の出雲現在の島根県
及び鳥取県のあたりに存在したという種族
だ出雲神話の担い手として想定されては
いるんだがその実在性はいまい不透明なん
だ何それ存在はしてないってこと一応乞食
に出雲族についての記述が残されている
乞食によると高間原を追放された須能の命
の子孫が出雲の力足原の中つ国の国づくり
を行ったということだそうだ須能の子孫神
様の子孫だなんて強そうね出雲の国は古代
日本においてかなりの優勢を誇ていたよう
だなしかしそれも長くは続かなかった後
から日本に来たアマテラス大御神が天神
たちを率いて出雲の国に押し寄せてきたん
だえアマテラスって確か須ののお姉ちゃん
よねわざわざスノの子孫の国にやってきて
何をしたっていうのさすがに子孫たちでは
アマテラスの軍勢を同行することはでき
なかったからアマテラスたち肉に譲りを
行ったそうだひどい勝手に押し寄せてきて
国を奪うだなんてアマテラスたちの
グループは天と呼ばれるようになりそれに
対して須のたちの神々は国つみと呼ばれる
ようになったでもひどいわよねアマテラス
が出雲の国を乗っ取ったってことはそこに
住んでいた出雲族たちはみんな支配下に
置かれたってことなんでしょ須のの子孫の
はずなのになんだか悲しいわふふふ霊夢
ここでちょっとした引っかけがあるんだよ
引っかけ何よ引っかけって実は出雲族と
いうのは出雲の国島根や鳥取に住んでいた
だけでなく日本列島の後半な地域にばらけ
て生活していたらしいんだえ出雲族なのに
出雲に住んでたわけじゃないの出雲にも
住んでいたという表現が正解だな2010
年に出雲地方のDNAと各地域の人の
DNAを調査するという試みが行われた
ところ出雲地方の人々は東北地方の人々の
DNAに近かったそうだ出雲から東北って
かなり離れてるのにDNAが似ていたの
それじゃあ全国筒裏裏出雲族は散らばって
過ごしていたのも本当っぽいわねまた出雲
地方にも方言がありマネはアガだったり
あんなことはあらんことだったりとかなり
なっているようだただこのようななりの中
には東北弁に近い部分があることも指摘さ
れている方言まで近いだなんていよいよ
出雲と東北の関係は濃厚そうねまた出雲
地方には腰長や腰原といった腰とのつく
地名や場所が多いこれはある単語がなって
伝わった結果ではないかという推測がされ
ているんだある単語って何講師のことだ
講師というのは古代の腰の国のことまた昔
は腰の国と表記され現在は福井県から山形
県の一部地域を指す言葉だぜえ福県東北に
まで渡ってたのは分かったけどどうして
そこで福井県が関与してくるのよ分から
ないかこれはつまり出雲の国は東北だけで
なく中部地方なども支配下においてかなり
巨大な勢力となっていたということだ特に
腰の国といえば越前越中越後の三国の故障
がありそこに出雲族がやってきていたと
するとその三国をがっちり支配化に置いて
いた可能性があるってことは出雲の国は
かなり強い国だったってことじゃないま
そういうことになるな元々出雲の国から腰
の国までやってきているくらいだから強い
のは当然のことだろうがなるほどねそれ
じゃあアマテラスグループがいもの国を
支配したがるのもなんとなく分かるような
気がしてきたわだが問題はいかに
アマテラスがスノの姉だからと言って力を
持っている出雲族の軍勢に真正面から
立ち向かうかという点だまそれは確かに
せっかく強い奴らを取り込もうとしてるの
に正面衝突で軍勢を減らしちゃったらもも
もないもんね天テラスだってその辺は
しっかり考えていただから柵を使ってきた
んだどどんな柵だったの出雲王国に自分
たちの関係者を送り込んで内通させたんだ
よさらに内部で適当なことを言って身内
同士で争わせる作戦も考えたヒそれが神様
がやることなの強大な軍勢だから欲しくて
たまらなかったんだろうな結局内部から
徐々に攻撃を加えられ出雲の国は
アマテラスグループにとって変わられた
かわいそうに実の姉にそんなことされる
なんてとは言っても出雲の国の中でも純粋
である国つグループは全国に展開していた
し出雲の国の乗っ取りは起きたもののその
後の展開が最悪というわけではなかった国
つみグループは公開技術生鉄技術に優れて
いたと言われているわけだが日本は初め
から生鉄技術を持っていたわけではなく
海外由来で技術を得た民族だどこから鉄
技術を得たんだっけ鉄を最初に始めたのは
筆体と民族現在のトルコにてアナトリア
王国を築き生鉄技術で質の高い武器を作り
勝利を納めてきた歴史があるわけだが出雲
の国に関してはルーツはインドからだと
いう説が出ているえ出雲のルーツがインド
どどういうこと
よ古代インドにあったとされいるインダス
文明この文明を作ったのは古代
ドラビアンナイト伝わっているわけだが
霊夢ヒド教の中にあるインド神話の話を
知っているかインド神話って言われても
色々あるしどれのことを言っているの
しばしが女神咲と結婚して蛇の縄を使って
父の海をかき回すとそれが人間になったと
いう神話の話だああなんか聞いたことある
ような内容なそれがどうかしたのなんだか
どこかで聞いたことあるような話だと思わ
ないかこの人間の作り方えうんどこだった
かしら日本神話のいと伊波の話だよイナと
伊波は高原の神々から地上に降りて土地を
固めよと命じられた2人は展開と地上を
つなぐ天の浮き橋を旅した海を見下ろすと
霧が流れて浮かんできてイナは歩を水に
つけてかき回して引き上げたすると他から
降りた大きな水滴が地球の表面に
こぼれ落ちそれが島となって生み出された
ああイザナと伊波の日本創生の話ねそれ
なら確かに聞いたことあるそこからイザナ
と伊波は結婚し子供を作っていくことに
なるんだがこのかき回し何かを作るという
部分はインド神話と日本神話で共通校に
なっている言われてみれば確かにそうねえ
インド神話と日本神話何か関係があ
るってことそうだこの部分がまずインドと
日本が遠くない関係にあるポイント他にも
古代
ドラビアンナイト
日本語の語順は全く同じなんださらに
タミル語は到着語でありこの部分も日本語
と似ているタミル語の歴史の方が
おそらく
ドラビアンナイト
JEではないがまあルーツはそっちの可能
性があるよなまた大分県にある宇神宮には
とある古伝承が残されているんだなんでも
出雲族たちは鼻が長い動物と夕蛇が住む国
からやってきたという伝承があるらしいん
だぜ鼻の長い動物それってまさか像のこと
じゃないないわよね実白像のことだと思う
ぜそれと夕蛇というのはインドコブラの
ことだなどちらもインドに生息する生物だ
と考えると出雲族の機嫌はやはりインドと
いうことになるだろう全然知らなかったわ
まさかインドと日本がそんなに近い関係
だったなんてでも魔理沙インドなんて
かなり遠いじゃないどうしてわざわざ日本
にやってきたのかしら出雲族は高い公海術
を持っているという歴史が残されている
からな公開の途中見たこともないシグを
見つけさらに住むのに適した環境だから
土着したかあるいは遭難してしまい
流れ着いたのが日本だったのかまその辺は
推測の息を出ないからここでは断定的な
ことは言わないでおくぜなね彼らは一体
どこからやってきたのかしらインドが出雲
族の機嫌という説の他中国東北部からだと
いう説もあるみたいだぜインドの次は中国
また随分離れたわねでもどうして中国なの
まず中国説の最初にインド説の否定が入る
んだが古代界における公開術では日本列島
と大陸の横断程度しかできなかったと考え
られインドから日本まで公開するというの
は例え優れた公海術を持っていたとしても
難しいとなると近辺の中国からやってきた
と考えるのが妥当とする説だなるほど一応
根拠はあるわけねでもそれはインドからの
流れを否定してるだけで中国から来たって
いうのを裏付ける証拠とかは見つかって
ないのどうやらそれは見つかっていない
ようだなただ近くにあるから中国があげ
られたんだろうなんだそれじゃあ根拠とし
ては弱すぎるわよただ公開技術に関しては
近年見直されつつある2017年に
イギリスロンドン近郊の川底から人骨が
発見されたんだがえももしかして何か事件
的な話かしら安心しろ事件的な話ではない
どうやら1世紀頃の人間らしいんだがその
人骨を調べてみた結果韓民族のものである
ことが判明したそうだ官民族どうして
イギリスに官民族が漂着してきたという説
もあるが漂着したなら普通人骨は海にある
はずだそれなのにロンドンの川底なんかで
発見されたということは漂着してきたので
はなく明確に当時のイギリスに住んでいた
ということになる韓民族がイギリスまで
行く方法なんて公開以外にはないぜって
ことは当時からそのレベルで公開技術を手
に入れていたってことねそうそして当時
からそのレベルを持っていたということは
当時の
ドラビアンナイトねすごく納得の行く説明
だわまたドラビアンナイト
では元々
ドラビアンナイト
し合い今のインド人になっているえそう
だったんだインド人にもそんな歴史が最終
的にアーリア人が優勢を占めて
ドラビアンナイト
の共存が難しいと考えたドラ人たちが公開
で逃げたのではないかとする説も存在して
いるんだそっかただなんとなく公開した
わけじゃなく闘争が目的の公開だった可能
性もあるのね元々住んでいたところを追わ
れるというのはドラビアンナイト
[音楽]
そこまでは考えてないんじゃないのないわ
よねさあ真相は日本神話を作った人のみ知
といったところだななるほどねそれで
ドラジたちが鉄技術を持ってきて日本で
たばとかを作ったってわけねいや違うぞ
霊夢ドラビアンナイト
[音楽]
を持ち込んだのは筆体都人だ日本人の
ルーツはドラビアンナイト
[音楽]
紛らわしいわドラビアンナイト
してもそれは変わらなかっただからこそ
筆体都人がやってきた時ドラビアンナイト
[音楽]
当時の日本人たちの安友が隠されていると
いう説が浮上してきているんだどんどん説
出てくるわね今度はどういう説なの須のの
命が山田のオチを倒すという有名な話が
あると思うが須のが山田のオチを倒した後
彼の尻尾から草の剣を手に入れるという話
この草なぎの剣が実は生鉄技術の安友では
ないかと言われているんだえ全然意味が
分からないんだけどさすがにこじつけなん
じゃないのいやこじけってわけでもなさ
そうだぜ古代中国にはすでに鉄技術が存在
し朝鮮半島に進出してきたと言われている
当時の日本人が須能だとして山田のオロチ
が古代中国だとすると当時の日本人が古代
中国を打ち倒して生鉄技術を手に入れたと
いう話として解釈することもできるという
ことだう確かにそう読み取ることもできる
んでしょうけどやっぱりこじつけ推測の息
を出ない話だと思うわそれに
ドラビアンナイト
わけじゃないみたいだしふむじゃあ
ドラビアンナイト
[音楽]
[音楽]
72年に出雲の国の鍛冶屋の娘として
生まれた出雲大社の新前巫女として歌舞伎
で舞を踊ったとも言われているだがこの
出雲の大国に関しては色々と謎が残されて
いるんだ1572年に生まれたと言われて
いるのに織田信長とあったことがあるとさ
れているえ信長にだが織田信長は本能寺
京都にいたはずそれに対し出雲の奥には
出雲の国にいて当時はまだ10歳にも
満たしていないそんな状態で織田信長に
会っているというのはいささか不自然な気
もしてくるんだふむ出雲の国が嘘をついて
るってことかしらさあな出雲の国が嘘を
ついてるのか実が何か間違っているのか
また出雲の奥には当然ながら出雲が苗字と
いうわけでもないえじゃあ苗字は何なの
苗字は中村というらしいがなぜか彼女は
中村のせを名乗らなかったその理由は定で
はなくただ歌舞伎を生み出した女性という
ことだけが情報として構成まで語り継がれ
ている状態なんだなんだか不思議な話ね
一体どうしてなのかしら何よりも謎なのが
なぜ彼女が歌舞伎を始めたのかという部分
だ定説によると出雲代謝に使える巫女とし
て出雲代謝を押し進めるために全国を回っ
たとされているその際に何か踊りをした方
が有名になれると思い歌舞伎踊りを始めた
という説が有力だただその歌舞伎踊りを
どこから編み出したのかについてだが踊り
年物から派生したのではないかと言われて
いるぜ踊り念仏踊り念物というのは一辺
証人を解とする仏教の一派だぜただ出雲
代謝を押し広げるためにわざわざ踊り念物
を使う必要があるのかというところには
疑問が残るまあ確かに踊った方が目立つし
印象には残ると思うけど別に他の方法は
色々あったんじゃないかとは思うわねそこ
である説が浮上するんだが出雲の奥には
決して出雲代謝を全国に広めるのが目的で
はなかったんじゃないかと言われ始めて
いるえでも出雲代謝の巫女だったんでしょ
じゃあ広めようとしたんじゃないの巫女だ
からって別に本人まで広めるのを目的とし
ているかは分からないぜそれよりも踊り念
物を利用して全国を旅するのが目的だった
のではと言われているえ神聖な巫女さんが
そんな不純な目的を実際彼女の踊りは少し
だけ不だらなものもあったと言われている
からな巫女ではありながらも遊び人として
の側面もあったみたいだぜみ巫女であり
ながら遊び人私だったら絶対許せないわ
ただまあ遊び目的以外にも任務をって全国
を回る役割もあったかもしれないえそんな
わけないでしょただ遊んでただけよいや
任務目的を持って全国を旅する存在といえ
ば1つ思い当たる存在がいるんだよ忍者と
いう役割でなに忍者ですって出雲の奥には
忍者だったっていうのその説が噂されて
いるそれなら崇城がいまいち分からないの
も納得だしな女性忍者だから苦の位に
当たるわけだが彼女たちは主に情報収集を
任務としている特にくの位は歩き巫女にし
全国を旅して回っていたと言われている
歩き巫女に噴石ですってそれじゃあ確かに
該当はするけどでも一体忍者としてどこ
からそんな技術を実はな霊夢忍術のルーツ
に関しても紀元前4000年のインドから
来ていると言われているんだえ忍術って
インド発症だったのインドから中国大陸を
通り日本に伝わったと言われているな古代
出雲族がインドのドラビアンナイト
を使えるのは何も不思議なことではない
ちなみにそうした忍術が高成に継がれこが
忍法の元になったと言われているぜここが
忍者がこんなところにいたなんて何か
すごいわね最もこれもあくまで説に過ぎ
ないから出雲の国が本当に苦の位だったか
どうかを裏付ける証拠があるわけじゃない
しかしだあまりにも繋がりがありすぎるん
だよドラビアンナイト
名乗らなかったのも崇を隠したかったから
だとすると辻は合うでもなんで忍術別に
普通にしてればいいのにわざわざ忍術を
使い始めたのはアマテラスラが関係して
いると考えられるアマテラス一派に国を
追われた出雲族の子孫は忍術を使うことに
よってアマテラス一派から隠れつつ生活を
続けていたまたアマテラス一派に見つかれ
ば何をされるか分かったものじゃないから
なまそれは確かに隠れ生きていれば見逃し
てもらえるかまた天照一派によって出雲
王国は滅ぼされてしまったわけだが国を
奪われた後も王族はひっそりと生き延び
続けていたと言われているえそうだったの
いつかは王建復興のために腰淡々と機会を
伺っていたんだろうなそれに出雲族は全国
各地に散らばっていたから情報収集ができ
ただが全国から情報収集しようと思うと
動きが目立つ可能性があるそこで忍者で
ある出雲族の生き残りの出番ってわけね
そういうことだ出雲の奥には一の1人とし
全国を巡って情報を収集し王族に伝えて
回っていたもちろん忍者であることがバレ
てはまずいから表向きは出雲代謝を全国に
広めるためそしてその説得力を増すために
踊りまで編み出したのだでも忍者なんだ
から目立ったらまずくないわざわざ自分で
目立つような真似をしていやこれはりに
かってると私は思うぜこそこそと神社を
広めていた方が怪しまれるから自分は出雲
代謝のためにここまでしていますと
開き直って行動していた方が帰って怪しま
れずに住むというわけだはあそういうもの
かしらまたアマテラス一派から逃れていた
という説の他に使えている家系があったと
いう説もあるおそれは気になるわ一体どこ
に使えていたのかしらあ桃山時代の出雲
大家は中国地方の大名モケの日にあった
つまりモケに使える忍者集団だったと言わ
れているんだモケあ桃山時代のモ家だと誰
がいるのかしらモ元隣をソフトするモ照元
だな彼はモの14代投手だったそしてトミ
とは対立関係にあったからモはトヨミの
情報収集がしたかったそこで出雲の国の
忍者たちを利用していたってことねなんか
色々繋がってきて面白くなってきたわ
インドから渡ってきたドラビアンナイト
[音楽]
[音楽]
じゃないかあ確かにくの位で全国を巡って
いたなら亡くなる前の織田信長に会うこと
だって物理的には可能だったでしょうね
そういうことだたった10歳にも満た少女
が織田信長にあっただなんて何を馬鹿なと
思えるかもしれんが卓越した忍術を使えた
ならその可能性は十分あるそう考えると
出雲族ってみんな忍術が使えたんじゃない
かしらものすごく強い忍者集団ってこと
できれば生き残ってて欲しいけど多分薄く
はなっていると思うけど血は残っているん
じゃないかなこが忍者の生き残りだって
現代にもちらほらいるみたいだしまあ
もっとも現代においては当時のような強い
忍者は残っておらず伝え聞いた技術も
使える人はいないんだと思うがななんて
こと忍者は日本の誇りなのに最も今は忍者
が存在する理由もないんだし平和でいいん
じゃないか確かに情報収集とか敵と戦うっ
ていう必要はないかもしれないけど普通に
野山をさささって駆け巡ってみたいし剣と
か投げてみたいのよまあ別にそれは好きに
すればいいと思うが素人が手裏剣投げると
危ないぞちなみに現在のインドでも忍術の
名残りのようなものは確認できる特に
インドには円盤型の武器チャクラムがあり
これは手裏権の原型になったと考えられる
円盤型の手裏権何これかっこいいわね古代
インドにおいては日本の忍者のように隠れ
忍ぶというよりはトリッキーな動きをして
相手を錯乱しながら戦う感じが多いようだ
な特に武器がトリッキーなものが多い今
紹介したチャクラムの他にうるみと呼ば
れる柔らかい鉄で作られた長剣なんかも
有名だて鉄が柔らかいどういうこと言う
なれば鞭のように使うことができる剣だ
軌道が読みにくく剣をさくことが難しい
から厄介なんだよ古代インドすごいじゃ
ないその技術日本にも伝えてくれればいい
のにまあチャクラムが伝わってきてるんだ
からそんなに文句を言うこともないだろう
出雲の国は結局アマテラス一派に乗っとら
れはしたが出雲族はそれでも細外隠れ
ながら自分たちの文化や伝承を残し続けて
きたその結果忍者という形で現代でも話が
残されているんだから出雲族たちは完璧な
忍者だったと言えるんじゃないかなすごい
わね出雲族自分たちがいた歴史をちゃんと
残せるんだから私にも出雲族の血が流れて
ないかしら何かしらの覚醒遺伝で急に忍術
が使えるようになったりそんな夢みたいな
現象が起きたらきっと全国で忍者が多発し
てるだろうな今は平和な日本になってる
から認は必要ない出雲族はすごかったんだ
なと古代の日本人を尊敬しているだけで
十分だぜというわけで今回はこの辺にして
おくぜご視聴ありがとうございました

「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。

※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。

著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願い致します。
yabaikodaishi@gmail.com

26 Comments

  1. 最新の発掘調査において、ヒッタイトが鉄の製造を始めるより1000年も前から、トルコ中部において製鉄がなされていた事が発見されました!不思議なことにこの発見された地層からは、木製のそれまでの様式とは違う建物遺構が見つかっています、
    ヒッタイトは鉄で武器を作った、初めて製鉄を行った人々は、武器を作らなかった まるで縄文人の様に!

  2. 初期の大和王権が豪族などの連合体であった事は現在でもわかっている事です。
    問題なのは日本としてまとまった歴史や伝統を破壊する為に分裂を画策する事です。
    この動画のような取り上げ方は異常で「出雲風土記」の存在を見れば相互尊重をしていた事は明白です。

  3. 八瀬童子の子孫ですが面白い話ですね。小説の世界では八瀬童子は天皇の影法師という事で天皇に世間の動きを伝える諜報活動をしていたストーリーになっていたりします。なお民俗学的には出雲族です。八瀬の直ぐ近くに崇道神社があるのですが、出雲の農耕神を祀る伊太太神社と小野氏を祀る小野神社が明治に合祀されています。なお小野氏も出雲族と考えられていて、その子孫が小野製薬であり、甲賀忍者の製薬技術とも関連性があります。小野小町について以前にも書きましたがインド系なので目が大きく鼻筋の通った現代でも美人として通用する人だったと考えられます。
    また小野氏で興味深いのが小野氏は和邇氏の支族であり、日本書紀にも天皇の次に和邇氏の娘が多く登場します。継体天皇までが和邇氏の娘で繋がりがあり、政略結婚で天津神、国津神がひとつになった事が伺えます。また和邇氏の中に春日氏がありましたが、春日氏は元は春日大社のある場所を本拠地としていたとされるので、乗っ取ったのは中臣氏(藤原氏)ではないかと考えられます。国譲りについて平和的な部分、衝突がおきていた部分が入り混じっていたと思われます。

  4. もし出雲族がドラヴィダ族だとしたらもっとインダス文明との共通性が見つかっても良さそうだけど、青銅器以外殆ど無いですよね
    彩文土器は弥生土器の方が似て見えるし…

    インダス文明は紀元前2600〜前1500に発展だから縄文晩期に当たるけど日本への影響を感じない
    一説には王族が逃亡して来たと言うけどそれなら相当インフラを整備して文字も残っただろうし、滅ぼされたとしても痕跡・遺跡は発掘されそうなのに

  5. 出雲の民は超古代、縄文時代初期からの東日本側出身者で構成された交易専門集団。世界初の商社とも言える集団が長い期間を経て島根県出雲に腰を据える事になるのは、中華の戦乱から逃げるように渡来してきた漢民族他、居住地を奪い合う争いを制圧、警戒するために交易拠点の一つだった場所を防衛前線基地に変化させたため。
    決して大和王権と敵対していた訳では無い。むしろ日本列島を平和へと落ち着かせる為に出雲へ拠点を移したと考える。

  6. 皇室(継体天皇(元出雲王家、富家のご次男が出自)~)は
    出雲神族(王族)です。

    (継体天皇以前は
    皇室とは直接関係性のない
    勃興滅亡した数次の王朝家系を無理やり継ぎ接ぎしたもの)

    第二次出雲王国(王朝)が
    我が国の有り様。
    (前漢(劉氏)と後漢。西晋(司馬氏)と東晋、北宋と南宋。等の関係と同じ。
    勿論、本家(富家)はあるけど、市井の家)

    我が国初の王国を樹立(紀元前660年頃~)

    北は新潟県、
    南西は北九州迄を
    版図とした
    正に大国だった。

    出雲繁栄の礎は
    東アジア最古(約4千年~)の製鉄、
    タタラ製鉄から安定的に生産された
    鉄。
    中国人からは垂涎の的となり
    ひっきりなしに交易船が出雲の内海(島根半島は沖合いに浮かぶ島だった。)
    に入港した。

    中国人は妬み~
    出雲特産の鉄に
    金+夷=【銕】の文字まで創作した。

    系統化され統一化された
    国教、幸(サイ)の神信仰(原神道)を有した。
    現在の日本人の社会規範や通念、信仰はここに由来します。

    なんしか、古事記すら幸の神信仰をベースに記述されていますから?

  7. 毎回楽しく拝聴させて頂いております、歴史は色々と(私の場合は妄想かな)考えられるのがとても楽しく、後にその考えが本流になったりする事が有ります😆💓

    沢山想像出来るのが、歴史の良いところ❤
    素敵な動画を有り難う御座いました(*^^*)

  8. 天照大神は太陽神であり子孫は不可能です。スサノオは徐福の化身神であり出雲族とは、別族ですが、大国主(ヤチホコ王)の長女・高照姫を妻に迎え、五十猛が誕生します。

  9. 忍者は見つからないように潜むもの
    現代にいても居ないことになっているだろう
    現代の忍者=スパイってことなら現実に色々と事件起こしてるし

  10. 出雲の枕詞は「八雲立つ」ですね。私は煙が立ち昇る地だったのだと思います。
    海人族である安曇族は海上交易を主な生業とする集団だったと思いますが、彼等が半島で鉄や銅を購入するために交換材を生産する為の基地だったと想像します。
    交換材として用意したものは塩と木炭と土器。翡翠や瑪瑙の玉もあったと思います。
    越から塩作りの集団を連れて来たと読める記述も風土記に残っていますね。出雲と越の製塩土器は似ています。

  11. 私はずっと、宇佐神宮付近には何かがあります。
    渡来人も居たし3世紀頃の古墳も存在。
    なんと!宇佐神宮が弥勒寺宇佐宮だったから、伽藍神は祇園社です。
    現在の八坂神社の御祭神は、素戔嗚尊、天照大御神❗。
    普通の八坂神社の御祭神と違います。
    そして、国東半島にはオギョンサンとよばれる石祠から神社までも存在感がある信仰があります。
    国東半島にも出雲王朝の名残はありますかと思います😊

  12. 中近東の、スサの王が日本に。中近東のタガーマ州のハラン(高天原)から日本にやってきたのがアマテラス。ツキヨミは殷(弓月の国)の君かな!?

  13. ヒンドゥー教は4世紀以降でそれ以前はバラモン教ですよ。出雲族の忍者を語るなら、信濃の海人系の諏訪神社の諏訪氏と武田氏に仕えた滋野一族(後の真田氏など)あたりの関わりを追いかけた方が面白いと思いますよ。

  14. よくまあこんだけデタラメをかき集めたもんだな。もっと筋が通ってりゃフィクションとして楽しめたかもしれんが、こんだけバラバラなデタラメばかりじゃ単に妄言だらけのうわごとでしかない。

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