【吹石徳一 ホームラン】南部高~日本新薬を経てドラフト4位で近鉄入団。内野のユーティリティとして長く活躍。守備力高いが打撃は、、、も7年目には規定打席到達し2年連続二桁本塁打もマークするパンチ力も

はい本日は吹石徳一選手近鉄バファローズ
でございますこちらは1988年10月準
あの10.1級第2試合でね勝ち越しと
なるホームラを7回に打った映像でね近鉄
ベンチも大盛りウキ選手もね嬉しそう
そしてファンもね喜みっていうところです
よね吹選手というはねやはりねこちら映っ
ております左側の娘さん吹岸かさんがねま
女優としてねそのお父さんということで
もう有名じゃないですかそれにプラスして
ですね福山正春さんのねま義のお父さんと
いうことでもねまちょっと話題にもねなっ
たりしてことありますよね福井選手は
和歌山県出身南辺高校2年秋近畿大会
和歌山予選で決勝まで進むわけですが私立
和歌山商業に破れそしてね3年最後のさの
大会も順々決勝に進まれるわけですが神宮
高校にね破れて甲子にね出場することは
できなかったんですね高校卒業後は社会人
野球日本新役進まれ3年目の1974年
都市大綱にもね出場されておりますこの
190074年こちらがドラフト1位の
面面でございますやはり目玉は松下電気の
山口高志そしてですね井の1番くじを引き
ました近鉄バファローズはなんと同じ松下
電気の福井安を投資をね1位示してねこれ
はねちょっとわっとね驚いたねそんな感じ
のドラフトでしたよねそしてこちらが近鉄
の指名前子になりますが本日の主人公福石
選手は4位指名でね近鉄へ入団されるわけ
で2位の村田投手5位の谷としてねま後に
ね活躍されたねピッチャーもねこの時ね
一緒に示されてるわけなんですよね福井
選手1年目は1軍出場なく2年目ね1軍
出場をね果たすわけなんですが48試合で
1割4分3厘3年目も28試合で1割6分
7厘とねまこの2年目3年目というとね1
分と2をね行ったり来たりするようなねま
選手だったわけなんですよ当時のね近鉄の
ショートのレギュラーはこちらの石渡茂
選手でま石渡選手のバックアップという
ことでね4年目から1軍市場はね増える
わけなんですがまねショートだけでなくね
内野全てを守りまして74試合で1割一部
91本塁ダそして5年目もね95試合しか
しながら1割キーブ2銀3本リーダー打力
はちょっとという成績ではありますがね
内野が全て守れるユティリテプレイヤーと
いうことでねま本当ね守備の人っていう
感じだったわけなんですね5年目80年は
ですねまちょっと打力がついてきたいう
わけで19試合に必要2割4部9厘12
本塁だとね一気にね打撃成績がアップする
わけなんですよそうしてですねま当時はね
石渡選手がセカンドへ回ってねセカンドで
石渡選手が57試合守るなしてねショート
で不選手ね87試合をね守ったりするわけ
なんですよねそしてですね日本シリーズは
ですね第戦途中からシトに入りますと9回
こちら江夏豊か投手から同点の犠牲フライ
を真打つ活躍そしてですね第2戦8番シト
でねスタメン必要いたしますと5回こちら
池ヶ谷小次郎投からスリランホムラをね
打つ活躍こねされるわけなんですよねまね
第3戦以をですねショートサードでね活躍
されて全車にね出られているんですね7年
目は石選手が不審ということでね石選手
59試合の出場に対しまして吹選手
ショートでもね88試合しかしねショート
だけに限らずねファーストサードもねやり
つつ126試合によ2割4部ゴリ日本塁だ
とプロ7年目にして初の規定打席にね到達
されるわけでねオーナもね2年連続2桁
ですからね8年目は石渡選手のみならず
こちらのね森脇浩選手も対当位してきまし
てねま併用という形になるわけなんですが
82試合で1割87人3本人だとね過去2
年間の成績は打力はどこ行ったのっていう
ぐらいねちょっとね成績下がってしまうん
ですよね9年目83年はねこちら単に新一
選手がね入団してきまして吹選手はね森脇
選手を押しのけてねまシトのレギュラーを
獲得いたしますとね外で11試合トータル
でもね119試合ね出場されるわけでキ
選手は67試合で2割1分日本塁だという
ね成績に終わってしまうんですよ10年前
ね谷選手が66試合に対してね不帰選手も
78とままた併用の形になるわけで2割4
部キリ5本塁打の勝そしてですねこの
ゲームねこういうね小技をね見せるわけ
ですよねこういうとこできるのもね
なかなかいいですよね1年目85年はです
ねまそれまでね森脇選手や谷選手とのはね
守りはいいけどちょっと打力がということ
だったんでこちらのね村上高幸選手が
打てるとして114試合にね試乗するわけ
なんですよねそしてセカンドの大石サード
の原田選手のねおれ不審などもありまして
まそういったところもねセカンドサードも
ねま不帰選手守っわけじゃないですか
そして103選手を2割4部312本塁だ
というね活躍をねされるわけなんですよ
12年目も村上選手はねショートで124
試合そしてですねこちら金村選手がサード
に定着いたしまして128試合ということ
でねまショートサードは若手にね取って
狩られたといういうことで吹選手ねまそれ
でもね他のポジションutt性をね発揮
いたしましてね86試合で2割3日本
リーダーというね成績を残されるんですね
13年目はですね今度はこちらマキ選手が
ね入団してきましてまね守備にねちょっと
難がある村上選手に変わってねま63試合
シトを守ったりするわけなんですがそんな
中ねキ選手は60試合で1割7/9位と
いうね成績によってしまうわけなんですよ
ねそしてねま翌年は木選手が104試合
シトということでねま中身選手はね外野ね
コンバートされるわけなんですよねそして
優勝あせのね真最中10月13日ねこちら
サードのレギュラーだあったカラ選手がね
有効骨のね骨折をいたしましてねまその
大学としてね吹選手天版がやってくるわけ
なんですよねそして迎えましたこちら10
月19日ダブルヘッター第2試合その日和
投手から7回ねこちらホームラをね不帰
選手がね見事にね打つわけなんですよね
本当ねもう嬉しそうですよねもう近鉄ベチ
を大盛りあり吹選手も嬉しそう不安も
大喜びですからねまね残念ながら優勝は
できなかったわけなんですがこの年は56
試合で2割6部さに日本里だという成績
まあねこの年限りでみたいなねこう噂も出
ていたわけでそれだったらねこの試合で
打てばいいんじゃないかってねま成田星が
ね言ったらしいんですよそしてほんまにね
打っちゃうからすごいですよねましかし
ながらねこの1週間後にですねま引退を
決意いたしましてねまそれからねこ近鉄
そのねコチにね収されるんですよね
インテスはねなんとね11年間ね好調され
てその後ねスカウトへね転出されるわけで
その後ですねま楽天にねまチーム合併とか
の問題でなるじゃないですかそしてその
楽天でもねスカウトをね務められるわけな
んですよねそして2013年からねフルス
の日本新薬でアドバイザーを務めその後
コチを経て17年から19年とねそこの3
年間は日本新約でね監督もね務められて
いるわけですよねこうしてね近鉄のね消を
改めてみますと石茂選手がですねま打って
ね守ってよの選手やったじゃないですか
その後はですねま盛明選手谷選手なんかね
守にはいいけどちょっと打力がっていう
ところがあったりしてそしてね村上選手ね
バッティングはいいけどちょっとショート
の守備はなんていうことでねなかなかね
定まらなかった時期だったんだなっていう
のがね改めて見えてきますよねまそんな中
ねショートをね守ったり他のねサーは
セカンドを守ったねユーティリティでねま
そのショートねガチッとはまらな間もです
ねもう影ながら支えた吹選手いうのはね
やはりねすごい選手だったんだなって思い
ますね武選手通算成績は1020試合で
424アンダ52本塁打200打点57
通り打率2割2キリの成績を残されており
ます最後は10.19でのホームランシン
をね見ながらお別れしたいと思います最後
までご視聴いただきありがとうございます

[音楽]
はDET

吹石徳一選手は、娘さんが女優の吹石一恵で娘婿が福山雅治という事で有名だが、近鉄では内野のユーティリティとして14年間にわたり活躍。

6年目には打力も付き12本塁打、7年目には不振の石渡に代わりショートを守り規定打席到達し10本塁打と2年連続で二桁本塁打をマーク。

打力・守備力を備えた石渡茂の後のショート問題。森脇浩司・谷真一は守備は良いが打力が弱く、村上隆行は打力は良いが守備が、、、とショートが定まらない時代に、それをカバーする選手として活躍。またショート以外にもサード、セカンド、ファーストと内野はすべてこなした貴重な選手だった。

最終年1988.10.19では故障した金村義明選手の代役サードで出場し第2試合7回園川一美投手から打ったホームランは圧巻!しかしその1週間後に球団からコーチ就任要請を受け、熟考の末引退しコーチ就任。

通算成績
1020試合 424安打 52本塁打 200打点 57盗塁 打率.229

25 Comments

  1. 吹石徳一 選手は、打力・守備力を備えた 石渡茂 の後のショート問題。森脇浩司・谷真一は守備は良いが打力が弱く、村上隆行は打力は良いが守備が、、、とショートが定まらない時代に、それをカバーする選手として 近鉄 で長く活躍した印象が強い。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。

  2. これで優勝できる、と思いましたが、あの日のロッテは最下位とは思えないくらい強かった。

    因みに息子さんは智弁学園の捕手で甲子園に出て、2002年夏の初回の智弁対決(2回目が2021年夏の決勝)を戦っている。

  3. 近鉄いてまえ打線の中では内野のユーティリティプレイヤーとして脇を固めた
    1988年の優勝争いでは有鉤骨骨折の金村義明の代役で貴重なホームランを放った
    伝説の10.19のダブルヘッダー第2戦の勝ち越しホームランはこの日この試合が引退試合とは思えない大活躍だった

  4. 吹石選手、あの「江夏の21球」の時のセカンドランナーだったような。
    んで、10.19の試合でホームラン!と記憶に残る試合のシーンに出てますね。

  5. 当時、近鉄ファンでもないのに10.19の吹石、真喜志の本塁打攻勢はムネアツだった
    水上のファインプレーもそうだったけど

  6. 「フキイシ」という名前の音感がカッコよかった。
    娘さんがデビューしたとき、まさか本当の娘さんとは思いませんでした。
    娘さんも凛とした魅力のある女優さんですよね。
    お父さんも、娘さんも職業人として好きです。

  7. 10.19の二試合めでテレビの実況をしていた安倍アナウンサーは、吹石選手がホームランを打った時、これまでの吹石選手の努力と苦労を知っていたので、(ついに彼の努力が報われる時が来たと)涙を流しながら実況していたそうです。周りの人全てから愛された人なんですね。

  8. 娘さんのことを知らない人が増えてきましたね(笑)
    って書くと知ったかイソコが増えそうですね(笑)
    娘さんのこと知らないのに吹石さん御本人を知るわけないのに(笑)

  9. 同郷の和歌山県出身選手だったので近鉄の中でも特に応援してました。なかなかレギュラー定着できなくて故障した選手の穴埋め出場が多かったので10.19は勝ち越し本塁打でヒーローになれると感涙したものです。勝利を逃した後の三塁の守備の姿も忘れません。

  10. 吹石選手の打撃は・・・と言われますが、ブレイクした1980年と81年は、南海戦ではよく打つ事が、ラジオの野球中継で話題になっていました。
    今回の動画でも分かりますが、吹石選手は、重くてグリップエンドが大きいバットを使用していました。
    高校球児となった私は、吹石選手に憧れて同じ形状のバットを試しましたが、握力が弱かった私では、グリップエンドに指を掛けられない吹石モデルを使いこなせませんでした。

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