少林寺拳法と少林拳 その衝撃的な事実が明らかに(`・ω・´)

[音楽]
おりゃ
えー今回は我が日本に伝わる小林寺憲法と
中国の小輪拳についての比較をしてみたい
と思いますお前の勝ってさでままずは
小林寺憲法についてなんだけどね多少武術
武道をかじったことがある人なら小林寺
憲法とは名乗っていても中国の小林寺とは
何の関係もないということはよく知ってる
のではないかと思うかつてはその小林寺と
いう名称を巡って裁判沙汰になったらしい
よなそうだねま私はそこら辺のことはよく
わからないし特に興味もないんだけどただ
小林寺憲法の総子者である同心が語る小林
時憲法発症までの生殺と実際の中国の小林
時における憲法の現状を比較してみるのも
面白いかなと思ったんだよねまあまり武道
武術に詳しくない人にとっては小林寺憲法
と実際の中国勝林時の憲法が具体的にどう
違うのかとか分からないだろうしなという
わけで言ってみようまずは総同心が著した
このの小林時憲法王義の内容を吟味して
みるこの本によるとだ総同心は特務期間に
所属してたらしく時に1928年17歳
だった総同心は任務の関係で同居の専門
学校に入ったらしくてそこで賃料という
老師に身柄を預けられたのだそうだでその
陳老師は秘密決しの在りの一員でスザ勝林
時に現を発する北勝林百連権の主婦でも
あったのだそうだよなんだ北林百連拳って
存在しない流派だねつか改めてて見ると
平気で嘘ぶっこいてるな総同心でま
とにかく総同心はその人狼師ときを共にし
て1つ2つと憲法の技を習っていったのだ
そうだそんで総同心によるとその習った技
というのは体系的に整理されてるわけでも
なく名前もあったりなかったりであったと
しても意味の分からない名前だったらしく
てそこで総同心は自分だけに分かるように
それらの技に日本的な名前をつけて整理し
たのだそうだよその名前が現在の勝林時
憲法の技名になっているということかと
いうことなんだろうねでなんかその後ち
老師の紹介で陳老師の先輩にあたる文体操
老師に出入りすることになったのだそうだ
そんで文老師は北勝林義は門間の主婦なの
だそうだよ北勝林義は門間というのは何だ
さあね適当に立ち上げたってところだろう
ねそんでまその北林技は門というのは
向い合って行う相対部を多くえていた
らしくて現在の小林寺憲法が中国武術で
主流となっている1人での方をほとんど
行わずもっぱら相対練習ばかりしていると
いうのはこの北小林技は門間とやらの影響
ということなんだろうね情報のない時代
じゃこれが本当か嘘かは分からなかった
だろうなちなみにこちらのはめよう勝林寺
憲法という本によるとだ現在の林寺憲法は
総同心が中国に渡って学んだ剣技に自の育
風を加えて全く新しい武道を作り出したと
いうことになっているらしい風件かなけど
まあだったらその元になった中国の剣技と
やらがあるはずなので元になるものがあっ
てそこに総意工夫を加えたのかそれとも
全く無関係に作り上げたのかでは話が
変わってくるはずだ霊か1かという話だな
そこでここからは実際に技術を演じて比べ
てみようと思うちなみにう主はかつては
勝林寺憲法をやってたわけだけど相当忘れ
てるけどそれなりにはまあ思い出せると
思うそれと中国勝林時の憲法についてなん
だけど監修的に中国では小輪時憲法とは
呼ばずに小輪権と呼ぶでそもそも小輪権と
いうものがスザ小輪時に集まった憲法の
総称だったりするんだけどそれらの憲法は
同様の基本の上に成り立っていたりする
わけだそんでその基本が現在の中国北派
武術全体の基本になってたりするわけで
それを長基本校と呼ぶ要するにその長基本
校と小林時憲法の基本を比較してみれば
違いは一目瞭然って寸法よそういや検事で
も天下の今風勝林よりいずとか言ってたよ
なそうだねその言葉はあがち間違ってい
ないと思うあそうだ唐突実際の比較に入る
前にAラインBラインライン取りの概念に
ついて踏まえておいて欲しいじゃあ説明
動画のリンクを貼っておくぞ軽く復讐お
互いの成虫線同士を結ぶ意識上のラインを
Aライン自分の両サイドから相手の顔面
当たりへ向かう意識上のラインをBライン
AラインのものがBラインのものに対して
Aラインの戦いへと持ち込むテクニックを
ライン取りとそれぞれ名付けたとりあえず
まずは月を見てみようこれは小林寺の
振り子付きという付き方で脇を締め拳を肩
あたりに置いて体を振り込のように左右に
ふらしながらついていく明らかにBライン
型の動きだなそうだねで勝林時では月を
ついたら相手につまれないようにすぐに
引けと教え
られるそれに対してこちらは勝林拳の基本
の月魔証券だこっちは明らかにAライン型
の月だな先ほどの振り子月とは違って
こちらの月はついたらすぐに引いたりと
いうことはしないこの時点ですでに両者の
基本は全然違うな正面からフームを確認し
てみよう小林寺の月の場合はついた際の
打点と体の中心軸との間にこれだけの開き
があるこれは図はウィービングさせて相手
の攻撃をかわしつつ月を入れるという構造
になっているわけだ言ってみれば
ボクシングに近い動きだよなそれに対して
小輪拳の月は正面から見た時に月の打点と
体の中心軸が一致するこちらは完全にA
ラインだな次は蹴りを見てみようこれは
小林寺の振りこげだ体を左右にふらしつつ
金的を守りながら蹴っていく蹴りの軌道は
さっきの振り子つきと同様だなこの蹴りも
蹴ったら蹴り足をつまれないようにすぐに
引っ込める蹴りを当てるのは全速定と呼ば
れる足の親指のすぐ下の部分だ勝林拳で今
の振り子蹴りに相当すると思われるのは
分脈と呼ばれる靴のつま先で相手を蹴る
蹴り方や客というかで相手を蹴り込む蹴り
方だねこれらの蹴りは振りみたいにすぐ
引いたりはしない理由は複数あるけど1番
の理由は蹴り足をそのまま踏み込みに使う
ためだね正面から確認してみよう小輪時の
振りこりではやはり蹴りの打点と体の中心
軸との間にこれだけの開きがあるこれも
やはりウィービングしながら蹴るためと
いうことかそういうことだねそれに対して
分脈や当客の場合はやはり蹴りの打点と体
の中心軸が正面から見て一致しているわけ
だなるほどというわけで最近は小林寺憲法
の技術について総同心が中国で学んだ剣技
に創育風を加えたものだと言われている
わけだけどもはやこの時点で両者は根本的
に違うわけで勝林時憲法の元になったと
いう中国の剣技とやわなかったというのが
分かるわけだ霊か1かで言えば元々が例
だったととまこれで終わってもいいんだ
けどさすがにそれだとちょっと物足りない
んでもう少し続けてみようと思うもう
ちょっとだけ続くんじゃまあ要するに
小林寺憲法は総同心の完全な捜索なわけだ
けどだからと言ってダメかといえばそんな
ことはなくむしろよくできてると思う
先ほどの振り子付きを移動してやって
みようこれは純月逆付きという小林寺憲法
の基本コンビネーションだいわゆるワツだ
なでこのコンビネーション最初に習うやり
方でやろうとしても使えないと思うなぜに
最初に純をう時って踏み込んだ足が着地し
てからうてと教わるからだよそういう動
きって2動作になってしまうから踏み込ん
だ時点で相手にカウンターを食らう
もしくは逃げられてしまうんだよ動作が
テレフォンだしなだから小輪時憲法の技は
使えないと思ったりする人もいるんだけど
ただちょっとアレンジすると小林寺の技
ってびっくりするほど使い勝手が良くなっ
たりする例えば先ほどの小林寺12も最初
の順月を踏み込みの着地と月がどうになる
ように
するするとだ純月をジャブのように使って
いけるのでこうすれば相手のカウンターは
食らいにくいつかまんまボクシングみたい
になったなそんで小林寺憲法では約束組手
のことを包茎と呼ぶんだけど私はこの方形
の練習が大嫌いだったんだよねどうして
使えない技ばかりだったからだよしかし
まあ談試験とかあったからやらされたんだ
けどねでなんで使えないかというと例えば
これは一番最初に習う方形の流水蹴りと
いう技なんだ
けどこの技はまず顔を突き出して相手に
顔面をついてこいと誘いをかけるわけだで
相手がついてきたら頭をウィービングさせ
つつ前蹴りで反撃するんだけどいや顔を
殴ってこいと誘いをかけて馬鹿正直に顔を
殴ってくるやついるのかなとかそもそも
フェイントもコンビネーションも使わず
単発の月で攻撃してくるやつがいるのかと
かそんなことを習った時には思ってしまっ
たわけだ当然の疑問だと思うぜしかしこの
流水蹴りもアレンジすればかなり使えると
思うこんな風にフェイントを混ぜて相手が
攻撃するかしないかを織り込んで使って
いけばいいんだよそもそも相手の攻撃を
確認してから技を出してちゃ遅すぎるし
なもう1個やってみようこれは内受け付と
いう技
だこの技は相手がが顔面をついてきたら
サドに出つ打ち受けをするそんで中段に月
を返して反撃するわけだけどいやまあこの
技も本当使えねえなと相変わらず相手の
攻撃を確認してから動いているなそうだね
しかもこの技相手がつきという少ない動き
しかしてないのに対してこちらは体さきで
大きく動いていたりするからいやそんな暇
あるわけねえだろとそんなことやってる間
に相手は次の動作に移っちゃってるよと
まあ林憲法の技って相手が1動作しかして
ないのにこちらが2動作も3動作もするの
が多いよなしかしそんなうち受付もこう
すれば使えると思う体さきは体の振りだけ
にとめて内受けと月をほぼ同時くらいに
出すさて今見たのは合法と呼ばれる打撃技
の方形なんだけど小輪時には重と呼ばれる
抜き技や固め技の方形がある組技という
ことかそれとはちょっと違うねなぜなら
商時には投げ技がほとんどないからね個人
的には小林寺の重は体柔道を想定して作ら
れているのではないかと思うちなみに中国
武術にはそんな合法とか重とかって明確な
区別はなくて例えばこれはキシという
手のひらで相手を打つ打撃技なんだけど
場合によっては相手に手を掴まれた時に
このキシの動きで手を抜く抜き技としても
使えるつまり中国武術の場合1つの動作が
ある時は打撃ある時は抜きまたある時は
固め技になったりと複数の意味を持つ当然
小輪拳も同じ構造を持っているわけだこれ
もまあ小林寺憲法と小輪拳が技術的に何を
関係もないということの証拠になるなで
小林寺の重の基盤となっているのがこの鍵
てか足というものだこのか手か足を使えば
相手がどんなに強く引っ張っても耐える
ことができる結構便利そうだなこれじゃあ
ちょっと重をみようこれは抜きという技で
相手に腕を引っ張られたら鍵て鍵足で耐え
てコテをねじって抜いて裏拳中断付きで
反撃する銃は結構神術として使えそうだ
なで今の抜きの容量で相手の手首を固めに
行くこともできるこの技は勝林時では逆
コテと呼ばれる道の返しみたいな技だな襟
を取られた時はこの抜きという技が使え
相手の襟を掴んだ腕の行線となる側の手で
目打をかましてぐるぐる巻いて抜く体重道
用かな今の襟抜きの動きで相手の手を抑え
ておけば襟十字という固め技が
できる袖を掴まれた時はこちら今度は相手
が袖を掴んだのとは対角線側の手で目打ち
をかましてあはぐるぐる巻けば袖ができる
で相手の手抑えたまま袖のきの動きをすれ
ば袖取りができるわけだほほ結構よくでき
てる気がするなとまあこんな感じになる
思うに小林寺の重は中国武術にも応用
できるというか中国武術にも存在している
ものだと言えるねつかこういう抜き技とか
固め技ってどこも似た感じになりそうだな
まあ人体相手にやるわけだからねただ
やはりこの銃も方形で習ったまんま使うの
は難しいと思うから多少のアレンジは必要
だと思うでままとめとして小林寺憲法と
勝林権は技術的な関係性はないとただ
小林寺憲法の技はそれはそれでよくでき
てると思うむしろそういった体系を1から
作った総同心がすごいのかもな最後に私は
かつては小林寺憲法をやっていて今は中国
武術をやっているわけだけどこれは小林寺
の先生も認めていたことなんだけど林寺は
それほど強力な打撃は打てないそしてその
先生曰勝林寺はご心術だからそこまで強力
な打撃は必要ないという話だった正論なん
じゃないかそうだねあくまで身を守ると
いうことであればそんなに強力な打撃は
必要ないのかもしれないただ私は剣事を
読んで八極拳の強烈な一撃とか本試権の
猛烈な連打とかに憧れちゃったからね
じゃあしょうがない
なというわけでそれでは今回はここで終了
ご視聴ありがとうございました最後まで
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29 Comments

  1. 振り子突きの前に頭を動かさず正中から突き出す「三角突き」と言う基本が本来はあったよ。
    草創期は前掃腿みたいな技もあったみたいだけど今は消えちゃってるね。
    伏身っていつ使うんだよ、って体捌きだけ写真で残ってる。

  2. 少林寺拳法は昔から(表向き)乱取りはしていなかった様ですが、最近は専用の防具を使ってポイント制の乱取りを行っているのをネットで見かけます。
    乱取りが活発になると、習っている生徒自身の内面に、使える技・使えない技の取捨選択の気付きと疑問が出てくると思います。
    そして結局、ポイント制を取る限り動きや戦略は防具空手と同じものになるでしょう。

  3. 白蓮教、義和団、秘密結社の武術-W:
    清代発祥の武術はここら辺に母体の武術があるのでは、というのは笠尾先生の研究

    いっそのこと、寺自体伝説の南少林派にしとけば良かったんじゃないかしら?-W:

    カンフー映画ブームに乗って、ブルース・リーに憧れて、勘違いした結果、一気に門弟が増えたとか

    確かに洋画劇場の[燃えよドラゴン]の宣伝でも[主人公が少林寺拳法で悪を討つ]的な紹介だったような

    やはり、武術普及の成功はメディアの力が大きい-W:

    映画[阿羅漢]見た素人の感想-W:

  4. 反清復明だろ?義和団(門)はレジスタンスだから固有の門派では無く、各門派の人間が集まって抵抗運動しているから自派に迷惑をかけない様に義和拳と名乗ってる。
    純粋な固有の義和拳が存在する訳無かろうに。何を論拠にしているのか教えていただきたい。

  5. 日本初の少林寺拳法もこの動画のとは別にもう一つ有って
    空手にも少林流というのも有って、これも実は嵩山少林寺とは無関係とか
    「少林寺」とは武道家にとって憧れ的アイコンなのかもしれませんね。
    若しくは携帯音楽プレーヤーを全部「ウォークマン」と呼ぶ様な感覚とか?

  6. 今晩は。他の方の動画によると、「極真会館本部」を襲撃したそうです。実戦をやったかどうかはわかりませんが。実戦空手には敵わないと思います。   頑張ってください。

  7. きちんと少林寺拳法の動きを再現されてるのなら比較対照になると思いますが、できてないですやん。
    アレンジすれば使えるとおっしゃるなら試合で実証して下さい。試合で使えなくて「使える」と言えるのでしょうか?
    身内相手にチョロっと約束組手しただけで満足してたら自慰行為と変わりないですよ言葉は悪いですが。このようなチャンネルを運営されてるのでしたら「実証」して下さい。それが最低限の責務ではないでしょうか。

  8. 少林拳というのは文化大革命の後創作された表演競技用の体操ですな。現在嵩山少林寺にある武術専門学校の類は映画『少林寺』のヒットの後作られたものです。

  9. 今晩は。白蓮に関して。最近届いた「燃えよ洪拳」によると、洪熙官が出る作品で、当時の白蓮教の女性教祖という事になっていました。この時代は、清の世代で、もう南に移動している
    わけですが。もし、この教祖の名前を取った物ができていたとしても「南派」となっている筈です。つまり、嘘という証拠です。なお、この物語では、洪拳は人差し指第二関節まで
    曲げて握った「鳳拳」を使う鳳凰拳😅と融合したとなっていました。     頑張ってください。

  10. 日本少林寺拳法に限らず、この手の流派がよく想定する“手首を取られた場合”や“胸ぐらを掴まれた場合”って、現実にまずあり得ないと思います。
    もし、あるとすれば、
    前者は警官やセキュリティが犯罪者・不審者を確保する時。更には、女性なら痴漢ですかね。
    後者は素人の喧嘩そのもの。
    何れも、脅威ではない。
    掴んでいる側は無防備なので、やりたい放題に出来る。
    ホントにぶち56していいなら、金的か関節蹴り、喉突いて終わりです。
    ピンチでも何でもない。
    というか、なぜ髪の毛や耳を掴まれた想定は殆んど無いのか?

    これらの流派が、護身としてはかなり怪しい根拠の一つと思っております。

  11. 宗道臣が習得した拳法は主に三つあり白蓮拳、仁王拳、義和門拳です。
    その中で最も主系を為すのが義和門拳で正式には北少林義和門拳といいます。
    これは宗道臣が21代目宗家を継いでいる訳ですが、師匠である文太宗は若い頃嵩山少林寺の僧侶であったが、中国が列強から侵略されるのを憂いて山を降り、哥老会という秘密結社に入り、そこで19代宗家である黄龍伯という人物に弟子入りした訳です。
    つまり宗道臣が習得した拳法は少林寺の拳法では無く、昔に少林寺より流出した拳法の一流派です。

    今でも少林寺周辺には流出した拳法を伝承している方達が幾つもいる様です。

    それに比べて少林拳はというと文化大革命で僧侶が逃げてしまった(紅衛兵が少林寺に行った時目の見えない僧侶とその世話役の僧侶の二人しかいなかったという記録があるらしいです)為に少林拳は途絶え、文革後に映画少林寺を作る際にも無い資料をかき集めて想像で穴を埋めたそうです。

    宗道臣も著書の中で戦時中に少林寺に行ったが数人の僧侶が簡単な単体演武をしただけだったと書かれています

    よって現在の少林拳と少林寺拳法が全く違うのは当たり前です。

  12. 結局のところ、中国の少林拳や日本の少林寺拳法は、最早、戦後の現代では、形骸化しているんですね。そう見ると、ボクシングやキックボクシング、ムエタイは本当に素晴らしい、優れた格闘技ですね。 素晴らしい 天晴れ

  13. 少林寺やってました、柔法はマジで喧嘩でも使えますっつか使えました。あえて向かってくる相手に腕を突き出して止めようとすると間違いなく取って来るんでそっからさくっと。
    しかし打撃は確かにちょっと…ま金的狙いまくるのは実に実践的だと思いますがw

  14. 少林寺拳法は日本発祥の武術であり、日本武道館の日本武道協議会に参加しており日本武道として正月の鏡開きに奉納演武を行っております。

  15. 竹内三統流柔術だと言ったのは、のちに破門された長尾(永尾)光容氏(第一期生)が谷口光昭氏に話した自分の推量で、
    長尾「(前略)ま第一ここの拳法の技は私ら第一期でしたからね、一緒にこしらえていったり、あの技にしようか、この技にしようかというてこしらえたんです。その時はここで講習会等をしていましたからね。私は当時拳法の歴史と一緒に生きてきたと思ってますから古い書籍なんかこの間整理してましたらノートに技の基本的なものなんかこしらえた後がやっぱりありますね」
    谷口「そうすると一番初めのは、中国の名前はもちろん……後で知ったわけですか、宗道臣さんて方は。
    長尾「あの方はあの方のおじいさんは竹の内流の竹の内サントウ流のね、あの道場を持っていたなんです。おじいさんがしばらくの間苦労しましてね。お母さんが天理教におられてね、それで全部寄付してしまったりして本当に困っていた時代があるらしいんですね。それ以後おじいさんに育てられた時代があるんですね。よく話してました。うちのじいはイッパイ飲んだら気持ちようやって、呑まんかったらしゃとしとるんやと云ってましたから、当時の技の中に竹の内流の技の系統があるのはおじいさんの影響です・それから母親が天理教だったんで、現在の組織の中に天理教的なイズムがあるのもその血の中にあるんじゃないですか。それで、当時こうしなきゃいけない、宗教的にしなきゃいけないと言ったのも私自身でしたし、……ですから戦犯ですな、私は、そういう意味から言いましたからね。森実君自身入れたのも私でしたからね、ここへ流れてきたのを少林寺拳法に紹介して、ハハハ……。それから当時の組織作りのほとんどは私が参謀でしたからね。宗教的でなければいけないというような、武道だけではいけない、昭和二二、二三年頃でしたからね、武道だけでは誤解されるし、将来は新興宗教の教団でなきゃいけないというのが一つの考え方になって武道と少林寺拳法というのはお寺から出たんだから、それでいいじゃないかという安易な気持ちからこのように発展していったのですね。(中略)」
    「当時、中野師範は鉄道保安官をしていました。鉄道関係、乗っていくだけですね。ですから陳とか文という人に習ったと言うんですが、当時の奥さんは陳とか文とかいうのは商人の名前だろうということですねわ、奥さんは。それで三度目の奥さんでしょ、今は。二度目の奥さんは戦後帰ってきて小さいお菓子屋さんをしながら、当時習ったという先生は奥さんに言わすと全部ウソだと言いますね、だから、技自体はハッキリ言って八光流がここへ二日三日来たことがあるでしょう。
    丸亀にです。きました時に八光流をおじいさんがやっていた竹の内流の技とかわらないということで、そしたらそう云うふうな技をやろう。当時、柔道三段でしたからね。中野師範は、だからそういう風な柔道系統なものと八光流なんか組み合わせてやったら何かおもしろいじゃないかと、それで当時の少林寺拳法とはぜんぜん無関係だったと私はそう思います。当時は文献見ましたら、逆技なんか、こう取ったらこう取れるとか、例えば手ひとつでもこうした技もあるんじゃないかというと、そしたら、それも入れようかと言って入れた覚えがございます」

    と長い引用でしたが、
    これが八光流や竹の内三統流説、弟子と一緒に作った説の元ネタになりましたが、
    長尾氏はこうも述べています。

    「逆が入って、抜きが入って。それから徒手格闘になります。だから半年ぐらいは逆専門にやらしてあとは徒手格闘、ついたり、けったり。それも連系統が多かったですね。連系統はどこから出たかというと、やっぱり志那の拳法の中で二連、三連の技を見てたんだろうと思いますね。だから見よう見まねだったですね。突いたり、けったりの組み合わせは中野師範がやったですね。それからあの方の組織作りがうまい方だから次々と組織化しましたね。だから自分の頭の中でこしらえたと言っても過言じゃないですか。」

    一方では中国で見てきたものだろうとも言ってるのですが、この部分は否定派には採用されず、長尾氏の竹の内三統流説が八光流説に置き換わって、弟子の質問に答えただけの話を、弟子の自分と一緒に作った話に膨らませた長尾氏は森実氏と別組織を作りますが、少林寺拳法は私が一緒に作ったものだから、というのが少林を名乗る根拠にしたかったのではないかと思いますがいかがでしょう。

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