こころたび Journey Of The Heart Across Japan #260 (2013)

[音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] おはようござい ますこれ が雪で作った鎌倉です子供たが倉で遊ん え横手の駅にい ます秋田県の4日 目昨日こっから大きな木を見に行っ て土砂ぶりでし た今日はまだどん よりこれから晴れる予報だけど晴れて ください怒られないじゃそ 怒ら れはい ね え日本銃弾頃旅井野翔平 さん私のもう一度訪れてみたい心の風景 は秋田県湯沢市院内の湯沢温泉 です温泉来た 私の両親は小学1年生の時に離婚し姉と私 は母に育ててもらいました離婚後も父は 時々家に来て晩御飯を食べたりすることも ありましたうん多分小学3年生の時だった と思います皮膚が弱くていつも出身や人魔 に悩まされていた私を父がゆ当時に連れて 行ってくれることになりまし た場所は母の実家の近くの温泉です院内駅 前の実家に挨拶をして土と2人米沢温泉に 歩いて向かいまし た夏の暑い盛りですセミシグレの中山道を あまり話もせずに登ったような気がします 道路はの簡易水道の冷たい水で喉を潤し ながら歩いたのですが子供の足では遠い 遠い道のりでした何泊したかは覚えてい ませんはっきり記憶しているのはお風呂 です壁も床も浴槽も全て木星で広い浴場の 真ん中に四角い大きなお風呂があるの ですなんてなかったんじゃないか な1日に何回もそのお風呂に入りました 皮膚病に聞くという温泉は評判通りだった よう ですある日部屋に小さな銀色のボルトが 落ちていましたある日部屋に小さな銀色の ボルトが落ちていました私は何気なく 拾い上げ窓の外の畑にポンと投げたの ですしばらくして父がラジオのネジが取れ ているけど知らないかと聞きました私は 知らないと答えてしまったの です本当のことを言っても父は怒ったりは しなかったでしょうしょうがないなと笑っ て済ませてくれたと思い ますでも私はそれができなかっ

た父でながらもう家族ではないという子供 ながらの感情だったのでしょう かあのお風呂は今も変わらずあるの でしょうか高速道路もでき行こうと思えば いつでも行けるはずなのになんとなく生き そびれているのは昔のおかげを壊したく ないからなのでしょうか翔平さん是非訪ね てくださいませんかもし変わっていたとし てもそれはそれで受け入れられそうな気が しますと いうこういうお 手紙ですえ湯沢市院内の湯沢温泉という ところ風呂入るとかじゃなく てあ分かった今日の目的はえ窓の外の川畑 のボルトを探しに 行く50年前の ボルトこういう秋田県で今横手随分内陸 です横手ってここにい ます 横手もうちょっとでこっち岩手県あります ね横手から えほれ湯沢 もうこのぐらいこんくらいですねこん くらいで湯沢に着き ます で院内 発見 の院内あ湯沢温泉これ です読めますか はいって言んで行く [音楽] よ [拍手] ではユザーの駅から発 です行き [音楽] [拍手] [音楽] ます [音楽] あんまはい待って [音楽] て待っててちょうだい これ 100円100円だけど はいこれここ飾ろうと思ったけど派すぎ ね食べられません100円って書いてある 何です か鼻 なすノ物ですよこれ はかそうあカかこれでかいでしょちょっと ちょっと大きいですね半分にしたらいける んじゃないです かこれを2つ に

こりゃあいた 青いた青いだ青いよい や車置きましょう かちょっとっ逃げますちょっと棒 がこれ 絡んで ますこれどこないやつですかどこはない よしこれは絡みに絡みついちゃっていや これでいけ たいてえつのバカこれでいけ た しますた 大ちよしこんなんです よ りいう俺は巻きつかれたもうダ だブレスレット ですただこっち話すと怖いブレスレット です逃したろか 逃してやるそれそうだね はいこれさこれ絶対虐待って言われるけど ここ持ってベーンてやるとおやめとけやめ とけて言ん だ生き物1見つけてよかっ [音楽] た [音楽] [音楽] え だ 湯田 院内あらこつけた から 湯野湯沢温泉 3.7kmこの駅の前の実家にご挨拶して そっから歩き出した3.7km歩いたん だき ますよろしくお願いします はいござい ます ここを歩い たお父ちゃん と は 新井さん休もうって言わない で休もうよ休みましょういや待ってました いやすご よ よいしょダラダラダラダラ こいつ [拍手] いやあもう計算上は1kgちょっとだとあ 2km来てんですかね2km以上来 てるもう何kmでもいいよはい大丈夫 大丈夫きますねちゃり よ

[拍手] うわ ああ まだあん だなんか見てる よいしょ登り坂頑張ってくださいここがお 水組むと か [音楽] うわあ建物見え [音楽] た よいしょ よいしょ 到着もういい ですこんな風になってん だ も山の すぐ 斜面ここにもう妙畑ない ぞ妙の畑じゃなく て妙がになってた から 旅館 の人いる のこういう感じはどうなんだ 最初に来た50年前 とここはもうしん だ そう ですごめん くださいあの止まるもんじゃないんです けどちょっとお聞きしたいことと はい撮影させて欲しいことがあるんだけど いいかなと思ってまずね聞きたいのはは 50年ぐらい前にはいま物は絶対ねこれ 綺麗だそうです50年ぐらい前にはい周り に明が畑ってありましたあすぐ そ川 は今は今名残りはあり ますすぐそこにこう茎の長いうんああああ これも妙は見れば分かるん だこの口えあ だすすごい増えてうんちょっとりでって あの葉っぱのサの葉っぱみたいにこうある のあるでしょあはいはいはいあれに はだけど今身はかってないねそうですね ねそれとですねはいお風呂があはい50年 前はええ全部木で作ってはいえ中に広い 木作り天井も木で真ん中に木の浴 があったつねはいそれ一緒ですかちょっと 違いますけど全部木で作てよかったら履い てください映して方いいですかあ今誰お客 さん女の人が入ってると一番いいんです けど女はうちの金入って奥さん入ってます

かじゃあ撮影させてもらっていいです いでおばちゃんそれでここはあれですか 長流する人もいらっしゃるんですか昔は そのあ昔はやってたんですけどそ昔のこと ですかえ昔はやってたんですけど今は あの旅館だけです昔は自炊したりしあそう ですわあ場 さんあの2人お客さんいらっしゃるんです けどとってもいいてあじゃいい かりよかったらうんじゃ俺が入んなき俺 入んなちょっとしてもらった後で入るうん ちょっと撮影していいですか こゆさんからもう1回 入るちょっと撮影していいですか綺麗なお 風呂だこいやいやいやお風呂さがるさっ さっき腰た絶 からもないういやきあいい匂いもするし いいです かですよああえ残念なのせになるとたあの こなああ閉まっちゃうんだあなるほどそれ だけはちょっと皮膚病にいいっていういや 私はこの水ねあの飲み物かすでてここのお 湯であのご飯から落ちてからすああ下水 飲むとか私水がありますもんね水がどうも お邪魔してすいませんとええですじ 閉まり ます閉まりましたはあでも新しいですね 新しいだから全然違うと思うな50年前と 当時場だったって言ったもんね今は 違う昔のここの写あそ喜ぶかもしれ ないこれでどれぐらい前 よろとりここちょうど旅館になって108 年目なんですそれじゃもっと前だ100年 単位だこれうんこれ 全あこれ今あの赤い橋渡ってきたと思うん ですけどはいうんその橋のところですこの 川今ここに赤い橋があったんですけどああ なるほどはいじゃ50年50年前は多分橋 あったよねきっとねじゃなき釣り橋だった と思います釣りはい へえあとちょっと小さいんですけど昔の その旅館の客室ですねへえこれ はちゃんとちっちゃい子がいる小学生だっ た子が来たって いう建物はおそらくこれですね50年前 でした50年前はこれ ええでその人のねあの思い出はねえええ そのお部屋から妙畑にお父さんのラジオの うん部品のネジを投げちゃったらしい それは今から探すからごめ もまあればいいなと思っ てありがとうねでもあいいえありがとう ござい ますここかこれは気をつけていかないと これはちょっと危険だな滑ると危ないっす

ねこうこう行くしかないよねこ下ではだ もじゃ先発さ行きますあさん足元 はい これネジ 諦めよ 俺50年も前の ねしそうだよなあの辺からポンと投げ ちゃった の 私 のもう一度訪れてみたい心の風景は秋田県 湯沢市院内の湯沢温泉 です私の両親は小学1年生の時に離婚し姉 と私は母に育ててもらいまし た離婚後も父は時々家に来て晩御飯を食べ たりすることもありました 多分小学3年生の時だったと思い ます皮膚が弱くていつも出身や人魔神に 悩まされていた私を父が当時に連れて行っ てくれることになりまし た場所は母の近くの母の実家の近くの温泉 です院内駅前の実家に挨拶をして父と2人 沢泉にい向かいまし た夏の暑い盛りですセミしぐれの中山道を あまり話しもせずに登ったような気がし ます道路ハの簡易水道の冷たい水で喉を 潤しながら歩いたのですが子供の足では 遠い遠い道のりでした遠かってやろ な何泊したかは覚えていません はっきり記憶しているのはお風呂です壁も 床も浴槽も全て木星で広い浴場の真ん中に 四角い大きなお風呂があるのですカなんて なかったんじゃないかな1日に何回もその お風呂に入りました皮膚病に聞くという 温泉は評判通りだったよう ですある部屋に小さ銀色のボルトが落ちて いまし た私は何気なく拾い上げ窓の外の妙がばに ポーンと投げたの ですしばらくして父がラジオのネジが取れ ているけど知らないかと聞きまし た私は知らないと答えてしまったの です本当のことを言っても父は怒ったりし なかったでしょうしょうがないなと笑って 済ませてくれたと思います でも私はそれができなかった死であり ながらもう家族ではないという子供ながら の感情だっったのでしょう かあのお風呂は今も変わらずあるの でしょう か高速道路もでき行こうと思えばいつでも 行けるはずなのになんとなく生きそびれて いるのは昔のかを壊したくないからなの でしょう かさん是非尋ねてくださいませんかもし

変わっていたとしてもそれはそれで 受け入れられそうな気がしますえ清水 れい子さんのお手紙でし た変わったんだと思います随分 綺麗お風呂もお部屋のあれ も50年前と橋も変わったんじゃないかと 横のお姉さんが言ってたで明が畑の名残り があれだった多分あの上の窓からポンと 投げたんだろう な綺麗な湯だった湯は変わらないと思う よ子供の足で大変だった だろう車だとわずか数 分 自転車もきつかった わ で秋田終わりましたえ次は 岩 ふ秋田 え北から南もうそこ山形との謙なんだっ てありがとうございました ちゃんちゃん [音楽] さ

Based on letters sent in by viewers, actor Shohei Hino goes on a bicycle journey across Japan in search for the unforgettable sceneries deeply engraved in their hearts.

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