【スーツ旅行】千葉県一周 完全制覇の旅へ 千葉県誕生150周年!!

おはようございます東京千代田秋葉原に やってきました秋葉原は千葉県の玄関 jr東日本もここから一駅東へ行けば 浅草橋から向こうはもう千葉者の管轄です 今日も多くの千葉の人たちがここ秋葉原に 降り立ち各方面へ乗り換えていった でしょう各いう私は東京都民でありまして 千葉県民ではないのですがそれでも東京 都民にとって千葉県は明治時代いやそれ 以前から大切なパートナー私たちにとって も大変嬉しい千葉県誕生150年ですいれ ば知らぬ人はいない黄色い電車に乗って 千葉の道を進めたいと思います右側 [音楽] です [音楽] 西船橋に着きましたここが千葉県で上行客 通トップの駅千葉周囲の駅となっています 駅名表ご覧くださいありとあらゆる電車が 乗り入れて駅名表はよく分からないことに なっていますどんな電車が来るのかな東京 との結び付きが強くここは千葉県ですが 東京メトロが入ってきます東洋高速鉄道と いうの東京と千葉を結ぶ高速鉄道と意味な んでしょうねディズニーランドにも1本で 行くことができる場所ですああなるほどね 東京への通勤率が高いのねベッドタウンね まベッドタウンはその通りですごい マンション軍ですけども千葉の観光といえ ば暴走半島みたいな印象ですがまそれだけ じゃないすよこれレンタサイクルで船橋の 海を見に行きましょうあもうすでに マンホールにヒントが出出ているじゃない です かこんな街中でサイクリングと思うかも しれませんが千葉県東京湾ZEの海側は みんな工業地帯向けに道が整備されてるの で意外に道が広く走りやすくまた独特の 景色を楽しむことができますちなみに気に なってみたちょっと調べたんですけども目 の前にあるこれは下水処理施設だそうです ねお水を綺麗なお水に戻して東京湾に返し てい ます よし着いたぞ前から1回来てみたかったん ですがついに来ることができましたうわ すごい景色じゃないですかこれが船橋の 名車の1つ3番勢ですね今日は平日で朝 からあんまり人も来ていないということで 鳥取先でも見るような風貌が現れています 東京湾はま今回ねいくつもの川を渡って 千葉にやってきた光景先ほどご覧いただき ましたがこの川によって上流から運ばれて きた砂がたくさん溜まる元々は砂の海でし たこの3番勢は東京湾の原風景と言えると

思います昔は東京の海の景色もこんな感じ だったのです砂浜が真っすぐ連なりその まま泥の海になります水深が浅とはその海 がずっと続くというのは東京湾の伝統的な 光景だったそうですそして川から運ばれて くる豊かな栄養成分で多くの生物が白まで これちょうど鳥が歩いた後ですよねえ さらにここに貝殻がたくさん漂着してい ますどれももう生きているもんではあり ませんが栄養成分が多く2枚外がたくさん 生息する豊かな海だということがよく わかります昔東京湾といえばどこへ行って もこんな感じの景色が続いていたそうです しかしこのような浅瀬の海ですとまず経済 を必要とする東京千葉神奈川などの それぞれ臨海部はですね大型線を 招き入れることができませんから問題です はるか遠くに大型線がいっぱい止まって いるのが見えますがみんな随分離れてい ますねなんでこっちの方にないかこっちの 方に近づいてくると水深が浅くなって しまって危険だからま近寄ることはでき ないんですねだからこの辺にも大型線がえ 切断することはできませんさらに構造成長 前後の頃に水出がどんどん汚染されていた という時期がありましたのでその時に やっぱりジもう汚くなってしまった海は 漁業にも使えないから埋め立てていくしか ないねということでえ開発が進められて ですね東京ディズニーランドとか浦安の 鉄鉱団地などが作られていったという歴史 もあります向こうにちょっとなんかそれ らしいものはねえあるディズニーランドの 施のか見えると思うんですがということで ここ以外でも東京湾のこうした日型の景色 砂浜の景色というのはどんどん失われて いったのですがここ3番手周辺は非常に 珍しい東京湾の昔の姿をそのまま楽しませ てくれる場所なのですいや来て良かった ですよこれが東京湾の教科書で見る日型と いうやつですね今日は天候の関係で富士山 は見えるかなと思ったんですけどどうも 見えないみたいです見える時もあるとの こといっぱいここにね悔が植えてあるじゃ ないですかこれは江戸前のノをここで栽培 しているんだそうですよのノりの養殖と いうのは昔はいっぱいあったそうですが今 はあまり見られなくなったという説明が 一般にはされますしかしここでは今でも 東京安名物のノりを楽しめるんです ねこれノりの収穫の時期にものすごく朝 早くやってくるとここで実際に漁船がやっ てきてあ漁業の方がされてるの見ることが できるんだそうですようわ大型線があそこ ああ動いてるじゃないですかあそこだけは

瞬して通れるようにしてるんですね技術の 進歩を感じますそして船橋の経済力も感じ られるところです船が出入りするという ことは大量の積にすなわちお金が動いて いるということですから ね昔のありのままの自然は失われてしまっ たかもしれませんがそれでも今に続く千葉 の発展千葉港の黄と古くからの原風景を 並べてみられるとは贅沢なことですそして この豊かの海が東京湾沿岸の人たち千葉 県民や東京都民などの胃袋も満たしてきた わですね続いてはこの豊かな海で取れた 江戸前の食べ物を見に行きましょう もちろん食べますここ海浜公園になってる んで色々あるんですけどこのなんか 100円で運転できるバッテリーかも 100円でこれできんなら大人もやりたい ですよ ねと変わって自転車で20分ほど来いで やってきましたここは船橋港です船が 集まっていますが特に漁船の数がすごいに こんなにずらっと漁船が並ぶところがま崎 港とか南方に行けばあるでしょうけどここ は東京湾の一番奥の奥ですよそこにこんな 大きな漁港があったなんて漁港があること は私も知ってはいたんですけれどもついに 真近に見ることができました千葉県150 年の案件をいただけて本当にありがたい ですね周りは運送会社や工業地帯に囲まれ ているんですがその中に昔ながらの船橋の 食べ物を出してくれるお店があります3番 線港屋さんです扱っている商品はここ船橋 の漁港に上がったものだけなのだそうです 今日は上がったタチや立派なスキなどを 見せていただきますこれが本物の江戸前の 魚ですよよく歴史の説明で江戸前寿司と いうのは江戸ワで取れた魚を昔そのまま 食べていたから江戸前寿司と言うんですよ 昔の名残りですねとか言うんですがここで は本物の江戸前の魚が上がりますこれ非常 に貴重な体験だと思いますそしてかなり 安い値段で提供してくれたり浜焼きを 楽しんだりすることができえこんなすごい 場所が千葉にあったんですかごめん知ら なかったんですけれどももう何年か前に 知りまして行きたいなずっと思っていた 場所でした特に江戸前寿司の王様といえば 小ですよね昔の人たちは小がねいっぱい 取れたんで食べてたそうなんですがという のもありますま今ね小幅があの取れてい ないそういう時期ではないということで これないそうですまいつも全部エニがある わけじゃないみたいなんですけどまその方 がいいですよね本物のあれが取れますから しかしこれは本物の船橋で取れたスキの唐

をいただきますいくつか早速食べてるん ですけどこれ300円でいいんですかこれ 30000円でものすごい量あるんです けどもこれ行った方がいいと思うんで みんなここにこの非常に品質の高い船橋の 魚介類は江戸時代ぐらいから身分の高い人 たちにの江戸のお城の方に運ばれて提供さ れていたということですよいそれをね こんな安い値段で食べられちゃうんだから 高級な洋食とかを食べる時にスキの ムニエルですとか言って出てくるような魚 を飛び切り贅沢な地産地できますでさらに ですねまたタイミングのいいことに隣に 生り1パックと書いてあるんですが船橋市 のまさに地元の古くからの名産の今では もうほとんど見られなくなってしまった 東京湾のノリですがありましてこれはねえ まさに収穫をし始めたあの1番乗りという 言い方があるんだそ1番乗り2番乗り3番 乗りとあるんだそうですけども飛び切り 上等な1番のりがここに揃ってるそうです あいいんですかであとこれこれ僕知ら なかったですこんな大きな貝があるんです ね安いなそろそろ時間の限りもありまして 行かないといけないんですがここれも食べ てきたかったですねホンビノスサム 650円そそそんなんでいいのしかしこれ は注文していただきました生のりの天ぷら ですでこちらにその1番のりがポン酢を かけていただいたのをサービスでね出して いただきましたこれ試食などで少し いただくことが皆さんもできるそうです実 は私の先祖も羽田で両書をやっていたそう でしてもう今羽田は空港になってしまって ますけれども昔はノりとか拾ってたんじゃ ないかなと思うんですけどね大昔の話です よ揚げたてを塩でいただくんだそうです これ300円でいいんです かうわこんな美味しいのり初めて食べまし たよなんかこの例え方が失礼に当たるたら 申し訳ないですけどあのすごく薄いわかめ みたいですねこれ取り立ての本当のいい のりはですねえ匂いも何もないということ こんなに美味しいの全然違います ねその船橋の貴重な類はいっぱい販売され ていますがあのノりはね乾かして食べる 場合も多いと思いますけどもこの紫 1080のこれが1番のり今食べて1番 最初のやつだそうですでその後オレンジに なりますと半分の値段になりましてま ちょっとおねなやつも出てるんですけども この生のりを大切に持って帰って冷凍して 自分のうでまた解凍して食べても風味は 変わらず楽しめるということですから是非 ね買っていきたいところなんですがこれ

から千葉一周しなきゃいけないちょっと 持っていけないんでねすいません今回は これだけで失礼したいと思いますいや あちこち行ってるとたまにあいう極端に 素晴らしい店があるんですけど絶対行った 方がいいですよ船橋駅に着きましたすごく 立派だここは千葉県内で2番目の上行客数 を誇ります西船橋に継ぐ上行客数ですここ 船橋もありとあらゆる電車が走りまくる ようなところですがその中から総武線の 快速電車を選んでケと千葉へ向かい ましょういい速さですよこれがね総部快速 線の楽しみ最高時速120kmで東京千葉 間は普通40分です特急であれば30分で 行き ますご乗車ありがとうございました終点 千葉8番線に到着です内房線速線千葉駅 2016年ぐらいにびっくりするような 綺麗なリニーあを受けましていやすごく なりましたよねいつ来てもびっくりな綺麗 さです千葉市は関東地方有数の大都会人口 は100万人ですま言うまでもない大都会 ですけれどもビルの中を縫うようにして モノレールが空を飛んですいも見られ ますあしかもあのモノレールはこっちに 来るんじゃないのかなんか路線がね色々 あるんですよ市モノレールですね実は僕も 乗るの初めてですこれで千葉市の力の源を 見に行きましょう ね千葉県の県長はなぜ千葉なのかという こと勉強しに行きたいと思います目的地は ですねモノレールでわずか4分で行きます 千葉港駅 です お出口は右側ですJR京葉線はお乗り換え です芝港駅へ着きました連絡のJRの駅を 昔風の看板が立ったりもしていますが港 オア県を上げて港を観光地区に開発しよう としてるみたいですねバスもいっぱい行き ます怒りなんかもこのこおしゃれに展示し てますよ駅から10分ぐらい行ったところ に相当立派な建物があり 千葉ポートタワーです高さ125mの展望 タワーですこれで千葉港や千葉市街を一望 できるという話です夜景が素晴らしいと 有名で初日で見に行く人とかもいるらしい んですが僕は昼の景色が好きかな1986 年にオープンした展望施設ですこれがその 地上125mからの景色ですがいやここ からの景色はすごいだろうと思ってたん ですけどね予想通りでしたよまず1番最初 に見るのは東京都心の方の景色を見たいと 思いますが東京タワー六本木ヒルズ手前は ディズニーランドですか右側にもなんか 観覧車とかがありまして右手側はこの辺が

新宿になるのかなという東京都心からでは 逆に近すぎて見ることのできない東京の 前方を遠くに1列に見渡すことができる すごい景色そして東京の人が魚を食べたい と言えばここから魚を送りそして東京や 神奈川県横浜などとの地理的な近さもここ にはいいのがあるじゃないか昔の人たちが ずっと目をつけてここに日本一の巨大な港 千葉港を作り上げました千葉港はその大き さ面積の広さで行って日本で1位となって おります世界中から集まり東京湾を埋め 無数の大型線たちこういった船が目指す港 はどこなのかというと対岸の横浜などを 想像される方が多いと思いますあるいは 川崎や行など想像される方が多いと思い ますが実は東京湾に入ってくる船の結構な 割合が千葉港に入っているのですなんだっ たらこの辺りにある港では東京港川崎港 横浜港ありますけれどもそれよりも千葉港 の方が取り扱いの高が大きくえ今取り扱い だで言うと1位が名古屋2位が千葉3位が 苫小牧だそうですね特に製鉄の事業などが 目立つ慶王工業地帯飛行機で羽田空港に 降りる時など左右にの景色が見えることも ありますが煙突がザクザクと 突き上げる手前の側にももうどこまで工業 地帯なんですかというこの広い景色は夜に なりますと夜景の名所だということでここ から夜景を見に行く船も出ているのだと いうことです案内のポスターが出ていまし たそしてその千葉港の一番最初の場所は ここの東京湾から一番奥に入り組んだこの 入江の辺りに江戸時代ぐらいから千葉の港 が気づかれましてじゃあこんなにいい港が あるならばは150年前に千葉県制を始め た時ここを県の県庁の置き場としようじゃ ないか千葉県庁はここに生まれるとなった のもここに港があったからなんだそうです ねここにはねこの恋人の聖地的な椅子も ありましてこれこう千葉の聖地を背景にし て写真を撮れるということなんですけれど も千葉の貴族意識が高い特に県民の皆さん ここへおいでになっていやここあの関東 地方東京などもね全部を支えてきた主要な 港なわけですから私たちの関東地方に中誠 神を持ってる恋人の皆さん是非ここに来て ですねえ千葉の港の前で永遠の愛を誓うと いうのもいいんじゃないでしょうか千葉県 の聖地前での愛の誓いですさてそれでは これからどうするかということなんですが いよいよこの南に長くつる暴走半島の北端 に至ったと言っていいでしょうここから先 うわすごいずっと続きますねまさに千葉 県下の通りですねどこまでも伸びる 暴走という橋があるんですけど

もそのどこまでも伸びる長い暴走半島を たどり何かの旅を始めたいと思います エレベーターが来るかなあれボタン押し ちゃと思ったあもういたんだまこうやって 見るとねこのエレベーターの中の限られた 視界に移っている景色は向こうの端から こっちの橋まで全部千葉港ですよもう港 関連のものばかりじゃないですか逆にここ まで開発しまくった中でよくさっきの3番 勢とかが残されてましたよね芝港駅へ戻っ てきましたもうね東京都23区内と千葉 市内とのアクセスはとんでもなくいいです 接道事情がとにかくいいですからね いろんな電車が頻繁にやってき ます 暴走の玄関は千葉港の1個隣の千葉市内蘇 駅から始まるとい印象ですねここから内房 線この水色に示された線と外房線ピンク色 に閉めれた線がそれぞれ分岐しまして広い 暴走半島の東西を結びながらこの先の阿 鴨川シチの水族館で有名なところでまた 合流します内房線と外房線が同時に入選し ました特急列車若潮号列は若潮号ってあれ ですよね潮の道引の大塩とか小とかが だんだんだんだんその潮の道引が小さく なっていくことを潮が分るという風に言う のだそうですね外房線内房線同時到着 です飲み物買うの忘れてましたねそ乗務員 交代 だ [音楽] 乗務員交代の間に飲み物も買えました外房 線に出ていく特急が優先的に出そうだ なジフユナイテッド千葉の応援の曲が流れ てくるんですけど著作県の関係でこれ ぐらいでちょっと失礼して流れるという 事実だけ紹介します蘇駅から阿房小湊駅 までは1時間と8分の乗車になりますで 指定席を予約してるんですけれども 880円ですねこれかなり安いです4 割引き通常の価格の6割しか支払ってい ないとかなり安い金額ですエネットでね チケットですて購入すると当日直前でも 安く買えますので覚えておきましょうこれ から進む外房線は東京湾の外側太平洋側を 抜けていく路線になりますですが先ほど までの東京湾沿いの旅というのは一旦 終わりですということでまずは東京湾側 から太平洋側へ抜けていくための山越を 行いますこれで千葉県の東海岸へ出ること ができるわけですこんなね線最近この前 なかったですよ改してくれたサービスが どんどん良くなります今度来年度からは 自由席がなくなって指定席に変わるという ことなんですけれどもま全車指定でもね

あの指定席で安く予約できる多分して くくれるんじゃないかな少し移動しまして 列車はかさ一宮駅に着きました千葉方面の 電車に乗る機会のある方ならば名前を聞く ことがある駅だと思います列車は下からか に入りました駅からそう遠くないところに かの国一宮玉崎神社がありまし時間があれ ば今回も寄りたかったんですけどねさて だいぶ何かして列車はじ勝浦に着きます この辺に来ると暴走半島は険しい山に囲ま れ反対側は海ですまだ海は見えませんけど ね駅前の様子とかを見るともう海に面した 観光地という雰囲気ですよね黒潮の流れも 届く温かい海のあるところへやってきまし た先ほど見た東京湾とは大きく異なった 景色です砂浜は確かにありますが東京湾の 引き方は非常に穏やかで波もほとんど何も 見えなかったのにも関わらずここは太平洋 外海です海からやってきた強い波がその まま押し寄せてきます千葉県は2つの海を 持った県です東側の太平洋と西側の東京湾 それぞれが全く違う様子で両方の海を 楽しむことができますこの辺りは特に 険しくリアス式海岸のようになっていて崖 が海へ落ち込みその間のところを列車が ちょっと片狭そうに通り抜けていくという のが特徴です ご覧の通り三崎がつるところの内側を列車 は小さなトンネルで貫きながら険しい海 ぎりぎりのところをかめるようにして走り ます東京からほなところでこんな荒々しい 警官が楽しめるのは楽ですよ近いですから ねこの外房線も出発した時は東京へ直通 する超重要通勤路線という感じだったのが 末端の部分では東京駅から直通してくる 特急がポツポツとこなローカルな感じの昔 の駅に止まっていく阿小湊いい場所ですよ 本当にまもなく安房小湊です安房小湊の次 は終点安房鴨川です開き ます目的地の阿房小湊に到着です昔ながら の駅にお客さんが10人ほどおりました 海外からの観光客の方もお見えでしたね数 さは素敵なところですよさっきまでの力 ある雰囲気の芝湖船橋の景色も良かった ですが 昭和初期の古い雰囲気ある駅舎が リニューアルされましたそこに駅員さんが お務め南の方にやってきて南国風の木が うわり駅の目の前の景色がこれですよ 先ほど船橋で見た東京湾の景色も良かった ですけど外海へやってきますとさっきの 大人しかった海とはだいぶ違いますま今日 は波がそれでも落ち着いている方だと思い ますが外海から波がザザーと寄せてくる阿 小湊の駅前の海水浴場ま海水浴場海水浴場

なかごめんなさいまとかこういうようなね 美しい砂浜が広がってますけれどもあそこ にねまた船が一石動いてるのが見えますね ちょっと遠いですがあれは今調べましたら 苫小牧初東京行きの貨物フェリーだそう ですこれから暴走半島の南側を大きく迂回 しなければいけませんまこれはねこういう 感じですよ現在地小湊ですけれどもこの 沖合いからずっと暴走半島の南端を回って よもう何時間もかけて東京港に到着すると いう感じでまフェリーの乗組員さんもね 面倒くさいと思っているかもしれません 遠いんですよね暴走半島が大きいですから 暴走半島邪魔だな違いますこれ東側から波 が寄せてきても暴走半島の長い防波堤が 全部これブロックしてしまうので波静かな 東京湾が生まれているのですこの大きく 雄大な暴走半島東側から寄せてくる波を みんなここで受け止め壊してしまいますま これによってここから山をこうやって反対 側になりますけれどもはるか向こうに存在 する東京湾そこにある東京川崎横浜そして 千葉などの主要な港たちはは皆この東側 から寄せられる波に襲われることなく 落ち着いて港へ着くことができるんですね ちなみにこの浜辺は阿小湊駅の目の前に ありますが実は住所を調べてみますと現在 地はまだ小湊ではないみたいです本当の 小港に行ってでしょう向こうですね駅前 から10分も歩かずに小湊に到着すると 思いますここは本当に住所小湊ですまず この日の電柱が素晴らしいですけれども 周りにはたくさんの漁船がそして入沿いに 多くのおがぎっちりと並び向い側には漁港 もあるということでこういう雰囲気のいい ところはね日本海側とかに行くといっぱい あるんですけれどもなかなか東京周辺で こういう不にありつくことは今時難しいん じゃないかと思いますが特急列車で芝し ないから1時間ぐらいでやってくることが できるすごく便利ですよねでちょうど あちらの方のすごくいい大きなもの 釣り上げたみたいですよだいぶ立派なん じゃないですかごめんなさいちょっとよそ 様のものなんで見るのはこれぐらいにさせ ていただこうと思うんですがここね おそらくなんですけどこれさっきのところ 砂浜だったのに比べてここは砂浜じゃない じゃないですかで多分水深が結構あるんだ と思うんですよね先ほどの浜辺と比べると 外洋の波がほとんど入ってこない良い港と なっていることが分かりますこれは昔仙台 とか東北地方の太平洋側の辺りから船でえ 東京方面とかに行こうとするとですねま 大昔反戦の時代ですけどねそうするとこう

風があの吹くのタイミングを待たなきゃ いけないんでどっかで待つ必要があるん ですけどもちょうどこの小湊は地形が うまく入り組んでいて波除けにもなるしえ なんかあった時の避難先としても有用だと いうことで昔からここが使われていたんだ と思いますそして漁港としても人は優れて いるわけですよね特に有名なのがタイです ここではタイの裏と呼ばれている区域が あります特別天然記念物となっていてタ そのものを真鯛を食べることはできないん ですがその代わりよにも珍しいタイ ウォッチングってのがあるんですねなんか イルカウォッチングクジラウォッチングっ てのは聞きますけどもタの遊覧線ですタイ の暴走を代表する観光地で海際で途中が 狭いですけれどもそこにたくさんの大きな 建物が並びますまこういう感じで遊覧線の 乗り場とかもいい雰囲気なんですけれども あちょっと今日はね波が高くて結構という ことですなんですがあの前に撮影したもの がありますねこれこんな感じなんですねい あの餌をやると本当にタがこうわーっと見 こう寄ってきてくれたりと結構面白い ところですね波がちょっとやっぱり外海で 外洋からの波がザパと来るので多少を 揺れるかもしれないというの承知した上で 見に行くべき名所だと思いますでこの体が またなんでじゃあ天然記念になってるのか ということなんですがそれはこちらの横に あるお寺が関係していますここは誕生寺誰 が誕生した場所なのかと言えば日連中の 階層日連さんがここでお生まれになった そうですここにですね誕生水井戸があり ますね誕生寺津波の関係で移転しており まして本当に日連さんが生まれたところに 現在立地するわけではないんですがすごい ですね湧き出した清水の水脈をたどり井戸 がられだ同じ水になるように鹿水脈を 探し当てたということですね鎌倉時代に 日連商人が生まれた時その庭にお水がこう わーっと湧いてえさらに体がみんな揃って 歓迎の踊りをしてきたそれの場所がすぐお 隣の体の裏であったと伝わっています ガランは災害によって何度も壊れてしまっ たそうですがとは言ってもこの仁門なんか も江戸時代のもので普通は江戸時代のもの でもなかなか残ってないですから ね私にとって2024年最初の自社への 訪問になりますね初詣だ日連商人を祀る阻 道もこれ一番重要な施設だと思いますが 江戸時代に何度か壊れてしまったそうです が壊れてはすぐに復興して今の江戸時代 末期に作られたものが残っているという ことです日練習のシンボルでありますハの

いやま仏教全てのシンボルであると思い ますけどねハの花を大切にするのは色々な 意味があるそうで例えば泥の成分を 吸い込んでも泥の汚れを体の中に 取り入れることなく美しい花を咲かせると かですねまものすごく色々意味があるそう なんですがま今回はこのぐらいの紹介に させていただき ます素晴らしい漁港のあるタイの裏小湊で は鯛を食べるということはないそうです しかし他の魚を捕まえる時などに体が 上がってしまうことがありそれで死んで しまった体については食べるということは なく定長にとうことになっているそうで今 でもタの苦が行われています漁港に上がる お魚は他にもいいものがいっぱいあります ので近くのお店で選んで食べて行ってみ ましょうていうか僕も魚を食べていく時間 を設けておけばよかったな漁港には金メダ とかねさっき船橋で見たのとはまた違った 種類のお魚が上がってきますから金メダは 東京湾にはいないんじゃないですか水深の 深いところの魚ですもんねちなみに誕生寺 はなかなかすごこの渡り廊下を設置して 道路をまいで作られているおタになって おりましてこの渡り廊下を進んだ先が本道 これは内部撮影禁止になっておりますが 日連商人がご自身でおかきになった手紙が そのまま残ってる本人の字がそのまま全部 読めるような状態で残ってるのは珍しいと のことでありますさてここからどうするか なんですが阿小湊駅に歩いて戻ってもいい んですけどもこの北側に滑川アイランド駅 にもう1駅がありましてそこまで歩いて いくのがね結構いい体験なんじゃないかな と思うんですよねうん大体誕生時から徒歩 38分か40分ぐらいで行けるにした 素晴らしいハイキングコースになると思い ますよ誕生寺を背後に歩き始めたこの道は 道幅は結構広め ですJR外房線ができる前の昭和戦前期 ぐらいまではこれが唯一の道だったんじゃ ないですかねイナン防臭通報艦おそらく昔 は国道だったんでしょうね今は別のところ に新しい道ができて国道ではなくなりまし たがしっかりしたガードレール右手に 美しい海を左手に険しい山を見ながら進む 暴走半島の幻風景を教えてくれる道だと 思いますただ山ですからねイシに気をつけ なきゃいけないんだよな通り道に住む人も あまりいないようなのでなんでこの道が あるのかなっても気になってたんですけど も右手側に謎の斜面があって多分これ 山仕事する人が使う場合があるんでしょう ねであったあったあれですよボソといえば

この光景ものすごく高い崖の下 にロックシェッドによって落石をなんとか かわそうとして作られたトンネルが口を 開けて出迎えていますちょっと怖いです けどねこれ入ってくのあまり一般の観光向 きって感じじゃないなあまりにもいい ハイキングコースだあでも大丈夫 ものすごい長いトンネルで真っ暗なのかと 思いましたが出口には外房の波が寄せて いる光景を見ることができます ねま例によってこのトンネルは多分り みたいな感じになているでしょう戦後の トンネルなのかな完全にスりというわけで はなくコンクリートをこのように吹きつけ てしかし岩肌がはっきり感じられるような 明りなしではちょっと通りたくないような 暗いトンネルですね昔はこれが国道だった んだと思うんすよね車がこんなちっちゃな トンネルでお互い行き違いながら頑張って 通ってたんだろう な抜けますと波の寄せてくる音がだんだん 激しくなってきました 千葉県の1番険しいところへやってきたぞ という気分ですねま千葉県には色々険しい ものがいっぱいあるんですけどそこ ガサガサガサお鳥だったかよかったよかっ たやばい生き物だったのにちょっとビビっ ちゃいますよ漁業関係者以外侵入禁止あ 漁業関係者の方がここを使うことがあるん ですねこの付近での遊泳は大変危険遊泳を 禁止頼まれても行きたくないけどねもう 所々に発生した隙間から崖下に見る太平洋 の波の雄大さは見事です うわあこれが周りに誰もいないこういう すごい環境で楽しめるっていうのがいい です ね千葉県には色々な海があるんです ね右手は海へ落ちていく高い崖で左手もあ 上を見渡すと目がくらむような高い崖です よ崖の中腹のところに昔の人たちは道を 刻み刻みこんな立派なものを作ったんです ね今でも通れるなんて幸せです うわあこれですよ期待以上 だ海まもうそのままストンと落ちてるじゃ ないですかその崖のところのこれを歩いて いっていいんですねなんと幸せな体験 でしょうなんか海の景色はもっと良くなり そうです ねちなみにここでちょっと一瞬だけ内側の 方にこう折れ曲がるんですけどここで今 千葉県鴨川市を歩いているんですがここ から勝浦市へ戻りますなんだこれ何かある これ昔通れなかった時があったのかなあ ここから0.9kg区間はえ雨量規制です ね雨がものすごく降ると通れなくなること

もあるとうわあさっきからうわしか言って ませんけどま落石注意の看板があそこに うもれているという時点でなかなかの迫力 なんですがこれいつのガードレールなん ですか ねま1950年代とか60年代戦前って ことはないと思いますけどいい景色 だ来てよかったなんかこの道はね 素晴らしい景色に出会えるような気がして たんですよGoogleマップを見た時 からね何年も前の昔から1度ここへ来てみ たいと思っていたんですよ ね 素晴らしいまだ続くのかこの贅沢な景色は えやばくないですか こんないい景色見たことない よなぜここがいい景色だと感じるのが 分かりました電柱がないですよねなんで ないのかなさっきまではあったんですけど もあのもう何もなくなりましてガサッと音 が聞こえるのが時折り動物が来たんじゃ ないかと怖いと思いますがおおこれ現役の 道路なのか今反対から車が来ました景色が いいのでここを見ていきたいという人も いるんでしょうねあら何やら看板が無事を 祈ります これ今まだこんなちゃんとした道があって ねここもコンクで固めてくれてるからいい ですけど昔これまっすぐ行くと千葉の町へ 行けるらしいんですけどこの道を歩いてい た江戸時代の人たちは大変だったでしょう ねこの険しい道の終点が見えてきましたよ いやまだ終点か分かりませんが立ち入り 禁止とか防波とか漁港がありますねこんな 険しいところでも昔からここ東回り海運の 主要ルートですかあほらほらもうこ いっぱい通ってるじゃないですか今船の 性能が上がりましたんでもうそのままただ 海の上を切っていけばいいだけですけど昔 はこう途中にある程度中継地点が必要だっ たし歴史ある入り江なんじゃないでしょう かなんと僕の目の前でねあの落石が発生し ましてでかい石がこう落ちてきたまま ぐらい前だったかなでバーンとこう バラバラになってまあの何も影響はなかっ たんですけれどもちょもう怖くなっちゃっ てね走って逃げてきましあの極めて 美しかった道がガイドブックに乗ってい ない理由はもしかしてやっぱりあの落石が あまちょっとねえ少し思うようなところも ありましたまこれ行かれる方は自己責任 ってことになっちゃうと思いますけども ともかく先ほど漁港が見えました大沢組に やってきましたねでねえ今はもうこっから 先に海沿いに行く道は多分廃道になってる

のかなけないんですけれども昔は多分あっ たんですよねでえ今は大丈夫ですあのその 代わりあっちのね現在の国道があって トンネルになっているのでこのトンネルを 抜けてこっから先進むことができますが昔 はこれこれだったのかなもしかしてこ なんかすごいのありますよ ねなんかほらこ柵とかあるじゃないですか これ昔道路として使ってたんじゃないかと 思いますけどいやそれにしたら狭い かえどうなんですかねでもすごい道っぽい ですねなんかこの先にも延々となんか刻み があなんかあるじゃないです かまだやっぱりこ特定の私みたいな感じで 使ってる人がいるのかわからないですけど ま当然ね私たちいけないと思いますが おそらく自動車時代になってからはこの下 のこう船とかが通ってるこの辺をどこう 通ってたんじゃないですかねあそこに ね侵入禁止という風に出てるんですけれど もま地形的には昔その先にも道があったの かなという感じ ですこの奥に続いてたのか ななんかあるんですよね 所々昔の人は大変でしたねここを行ってた んだからですが今の僕もあやあと10m前 に行ってたらどうなってたか分からない ですよま石が落ちてくるっての気づいた から良かったわまあでも千葉県の魅力を またこれもお伝えできたと思 この駅からちょっと歩いてくるだけで簡単 に大冒険みたいな体験もできるしもしくは 船橋で穏やかな砂浜を目の前に日型が昔の 景色がここに美味しいお魚こんなにわノり も生のやつじゃないですかいろんな体験が できる千葉ですあの道いつか廃道になるん じゃないかなってですけど今の国はこんな 感じねもう立派なトンネルでちょっと車 怖いですけどもいろんな危険がありますよ うわ何あれああれが自動車代の道だったん だもう入れないようになってますかね漁港 の横にあんな小さなトンネル が今はこの上をモスピードで車がこう ビューンと行きかう国道になって良かった ですねさっき僕も特急若商号の指定席に よって何の苦労もなく渡ったと思われます 鉄橋がこの上に国道から行ってもいいん ですけどね横にももう1個道があります ついつい古い方の道に行ってしまうんだよ なもうこの辺はどこを通ってもトンネル だらけ穴だらけですよどれだけちっちゃな トンネルがいっぱい口を開けてるんですか この向こうに集落があるそうですこれね こう大沢の集落が沢沿いにあなんかお子 さんの鳴き声が聞こえますね安心しますわ

夕飯を支度してるのかないい香りがして くるトンネルを抜けると自動販売機に 出迎えられる皆さんのお家を抜けて谷沿い の狭い沢沿いの土地に集まったお家の横を 単線の線路が横切る光景なんていいじゃ ないですかこれで電車が来たら最高なん ですけどやってくる電車に僕は乗らない いけないからなでえっとあと300m ぐらいで滑川アイランド駅なんですけれど もこれこれ行っていいんだよねライトが ないと何も足元は見えないわ蛇とかがいて 踏んづけたらやですからねうわあまた すごく深い切りこれあそこからここまでこ 掘り抜きてるわけですよねちってこういう すごいところ多いんですよこれも旧国道 だったんだ道幅がすごく広いもう落石が 怖いからで右も左も落石が落ちてないから ね大丈夫だと思うんですけどさっきの ところもあんまり石がこう落ちてなかった んで大丈夫だろうと思ったんですけどね 珍しい落石が僕の目の前で発生しました なんだ通行止めだったじゃないですかそう 書いといてくれれば通らなかったんだけど なこれ通り抜けた後でに通行止めでした みたいなパターン結構あるんですま歩いて 行く人のことは考えてないからそういう ことなんだと思うんですよねあのこれ シーンはカットしようかと思ったんです けども注意換気のために残さしていただき たいと考えていますその先へ進んだら いきなりJRの線路が出てきましたね こんな地形にになっているのかいやいかに 暴走の地形がね特にもう半島南部の地形が 険しいかというのが分かりますねあ滑川 アイランド駅ってこんなところだったのか ちこの向こうに昔滑川アイランドっていう あの遊園地テーマパークがあったんです けれどもえ現在平遠してるというのも知ら れているところですねそういう名前なん ですねそしてこの球道と国道とJRの合流 地点のところに変わった名前のトンネル線 転がしトンネルっていうのがありまして これがねこの辺りの1台名所になっており ますまさっき見てきたような警だと思うん ですがそれが人はよく見えるそうですこれ 右はもう使われてないホテルかなんかなの かな誰かまだ住んでるのかな多分関係ない と思います左ですねすごいなこれこのブジ に切り込まれた谷のところに日がブジに 差し込んで見たことのない色になってい ますでこれもまきっと古くから交通のね 重要なルートだった時代があるわけです けどもこれを頑張ってみんな切り開いてい たんでしょうてことは今急いで行けば太平 洋に沈む夕日を絶景ポイントで見られる

ってことですあいいじゃないですか先ほど ここは廃道になったんですねという風な話 をしたところがありますけれどもその廃道 に塗った区間を見渡すことができる場所 です おお廃道になった区間とは言いますけど もあの辺とか僕がまさに歩いてうわまずい これは落石がとか言ってたとこじゃない ですか僕あそこ歩いてきたんですね風が 後ろから吹いてきてでこれはねま昔の 悲しいお話が工場おせおせさんがここから 身を投げたというお話があるんですねでね この向こうにすごく景色の良さそうな場所 があるんですけどあるんですが ああこれはちょっと本当の段階絶壁なちょ ちょっとね怖すぎるんでこれちょっと行く のやめてきます命は大事に使わなきゃね 暴走半島南部の道の険しさを皆さんにお 伝えしたいなとと思ってこの辺り歩いてみ たんですがいや12分にお伝えできたん じゃないですかちなみにここ自体の アクセスは非常にいいです滑川ンで行から すぐですからね昔の人どうやって歩いこう いうところ歩いてたんでしょうねこんな 感じのところあすいません僕おせが身を 投げたんだと思ったんですけど違いました もっと悲しい話でした ねお父さんが広い欲張りで恨みを買ってい てそのお父さんが殺されるという殺害計画 があったのでじゃあ娘の汚染が自分が身に なってお父さんの代わりに死のうと言って ここから投げ込まれて死んでしまったと いうことですそれが身代わりのお染であっ たことを翌朝まで民たちは知りませんでし た北にくれる民たちは詫を入れここに地蔵 を立てて立てたんですねでさすがの父も心 を入れ替えたということ です危ない近づかないで近づくのはやめて おきましょうあの崖のところは上に立てる ようになってたみたいですけどものすごく やすそうな地質に見えましたのでもう さっきも落石があったしね本当あそこには 行かない方がいいと思います よ景色は本当に素晴らしいなこの草が同じ ような高さにみな1列無視て誕生寺から ここまで歩いて無事にJRの駅に たどり着くことができましたって感じに なりました ねま今回は千葉県1550年を記念して皆 さんに千葉を紹介しまなんなら私が紹介し たところを見て旅行に行っていただきたい という思いで動画を作ってるわけなんです がちょっとみんなにお勧めできるような 場所ではなかった思ったよりちょ危険が ありましたんでねリスクもあると思います

でああいうちょっと危ないところに挑戦し て行ってみていただきたいというよりは ですね私が言いたいのは特急若商号とかに 乗ってねあちょっと海が見えるトンネルの 区間だねスマホの電波通じないねみたいな そんなことを言ってる間に実はあのような すごい空間を通過していてここを特急電車 でビューン乗っていくだけで東京ご気楽に 帰れてしまうというのは本当に素晴らしい ことなんだというのをお伝えしたかったん ですねあのこの光景を覚えていただいた上 で外房線の特急若号に乗って阿房小湊誕生 寺や阿房鴨川のシーワールドなどへお 出かけいただければ私としては十分だと いう風に考えています今歩いてきた阿小湊 から滑川アイランドまでの一区間の運賃 わずか 190円なんという安さかと思いますよね このJR外房線が開業したのは今から90 5年前1929年ですそれはね日本の主要 感染の中ではかなり遅い方だと思います それも納得ですよねこの険しい地形です から東京では日頃経験しないような日日場 を体験しまくりのいい旅行ができている ことを嬉しく思います勝浦駅につきました 今日の旅行はここまで です旅館に止まってゆっっくりしましょう あちこちで千葉県150年が言われてます ね今通り抜けてきたとこウにこんなのが あるんですか今前なかったですよねすごく 綺麗だと思いんですよ僕が経営してる会社 観光有一株式会社ってるんですけどね落石 に怯えながら汚染転がしの球道区間を見て 回るんじゃなくてああいうところに観光客 を誘致した方がいいんじゃないかみた なんか僕のこ経営の仕方間違ってるんじゃ ないかみたいな気がするんですがまこう やって見てねああなんかなんとなくいい 景色だねて思うのもいいんですけどいや この段階絶壁のこの厳しさこそ暴走ならで はの恐ろしくも美しい景色だなみたいな こう思えるようになると観光客としての レベルが上がりますんでそれを目指したい ですねそれとより旅行が楽しくなりますま 険しい地形が続くこの辺りですが勝浦に 関しては平らな土地がいっぱいあります人 のいっぱい集まる都会です外房線が開通し たような頃つまり100年ぐらい昔から ずっと同じ建物で営業してる旅館があると 聞いたんですよねここですねもすごいハ フっていうんですかね入り口が立派な旅館 ですよ松屋さんですはいチェックインです 入り口のところは今ちょっとねお客さんが いっぱい来られたりしてるようだったので また後で見ることにしましてあ本当ここ気

が効いてますね部屋がめられてあったかく も入った瞬間からですし結構広いあちなみ に僕が今お邪魔してるところは別館ですが 立派な所員これ員所員か所員と言っていい んですよね本館の建物は100年ぐらい ですがここの営業の歴史は江戸時代から あるそうですこれパンフレットですね登録 有文化剤なの宿お風呂が一際は素晴らしい ということなんですけれどもえ僕が泊まっ ているのがあお庭つきのここですねえでし てで文化剤のお部屋こっちが本館の方で こっちの方がまより古いわけですけれども 戦前の木造の家の方はトイレは別の作りに なっていますまそれがね普通だと思います でえ係の方がちょっとね口を滑らして いらっしゃったんですけどあのご夕食は 結構豪華でああの色々出ますのでという風 におしっていたんですがご夕食の1え一例 あ一例ねすごいじゃないですかこれ別注 料理とかも含めてるの かはい藤田ですはいこちらがその2食付き のお夕飯ですえ最高じゃないですかこ今回 ねちょっとうちの会社を経由して予約した んで今ちょっといくらなのかまだわかん ないですけどあと値段もね調べ紹介させて いただきたいと思います 船盛カレーの 唐揚げこれ何だったかなごめんなさい忘れ ちゃいましたけど鍋もあって火をつけて くださるところだったんですがちょっと後 であかい状態で食べたいんであのこ チャッカマン置いてっていただいていい ですか後にこうリクエストしてね後でけ させていただくことにしましたこれ銀ダラ だったかなでえこのカカのあのマヨネーズ 焼きはこれも非常に美味しそうなんですが これはねカ浦の港で上がったものではない そうですまそうですよねここ黒シの海です からあんまりこうカとかっての寒いところ のやつですね逆に言いますと他にあるこれ ら解散物はみんなカに上がったものなんだ そうですよえそんな最高な旅館があるん ですかいやなかなかねこう土地のものを 食べるっていうのは海の近いところに行っ ても難しかったりするんですが船橋では 1番乗りにスズキを食べカ浦ではこんな もういっぱいの地魚を食べお染転がしも 無事に突破しても最高ですよこれお米が 千葉県さんかどうかわかんないですけど実 は千葉はもうお米の産地としてもかなり力 を強く持ってますあそれこの旅館でてる方 なんですけどもあの昔からずっと大々 受け継いでいらっしゃる女将さんも いらっしゃるしそれからあのまその他従業 員の皆さんもいらっしゃるんですがそれ

働いてる方々がみんな若々しいんですよ 若い人が多いです普通こういう死に旅館と かに来るとなんかねこね年配てたら失礼な んですけど中井さんみたいな感じの人が こうやってきてこうなんか色々とねああ そうですかそうですかみたいな感じこう やってくれるみたいな印象じゃないですか であのここはねところが若い人も結構いる んですよねこれはね駅からちょっと期へ 行ったところに国際武道道大学がありまし てこの武道台の皆さんが勝浦の街中のこの 辺でいっぱいねバイトしてるんですよだ から街中がもうみんな若い人がいっぱいい て活気があるんですねでしかも屈強な アスリートの男女大学生たちがですねま 屈強って言ってもななんて言うんですか 膨れ上がった筋肉の人たちがこう来 るっていうわけじゃなくてあのすごいこう ハラとした感じのね若々しい皆さんがあの いらっしゃっ て礼儀正しく親切でなかなか他ではない 経験をできる旅館ですね勝浦ならではあの 表なしでしょうかこういう海のさが 素晴らしいところにやってくるとね刺身が 1個1個がものすごい厚切りなんですよ気 になる値段を調べてみたんですが1月27 日でえとりあえず1名と入力して2食付き プランにしてみたんですが1万3 1200円今時宿泊費が高騰してるという のにでこれお料理の写真が違うようです けどその日入ってきたものに合わせて何を 提供するかっていうのを変えてるみたい ですこれはアジのなめろが入ってるみたい ですけど今回はアジのなめろがないとかね まそういう状況によって異なりますお任せ メニューの1泊2食付きプラン回線茶碗 ムシ地魚おお作り唐揚げだからやっぱこの このメニューなんですよねまもしかしたら 夏とかね料金をこう変わる時期もあるかと 思うんですけどもいやえこれちょっと ものすごく安安いんじゃないですか今日は 安い体験しかしてないな物はいいのにお 刺身も本当にいいやつし鮮度が高いと シャキシャキですよね今日いいものしか 食べてないな 唐揚げに塩が付いてるんですけどちょっと こっちに出してつけて食べるかこの塩がね あんまり辛くないんですよちょっとこう 多めにつけちゃってもね多分あの十分 ちょうどいい美味しさになると思うんです がこれは多分地元のそういい塩を使ってる んだろうな海水から作ったミネラルとか 豊富ないいお塩だと塩以外の成分が結構 化粧に含まれてますもん ねエビのお刺身もこんなに太いのがあるん

ですねエビフライの太さより太いよような 気がしますだいぶ食べ尽くしましたので ちょっとね携帯電話を見ながらえご飯を 食べるとおぎの悪いことをやってるんです けれどもさっき歩いてたところ国土チリの 地図で見てみたんですねでそしたらですね この汚染転がしと書いてあるここなんです けれどもここに点線の表記あるじゃない ですかこれさっきねあそこのところわ なんか廃道みたいに道にこう刻みが入って ますねみたいにいったところがあると思う んですがこれらしいんですよこれ昭和27 年まではほ現役の国道だったみたいですで もう通れないと思うんですけど一応地図に はねまるでなんまだ通れるかのような かぶりで残っています信じられないなと いうことはもう昭和初期に鉄道が通る前 もう本当にあのもう1回ご覧いただきます けどこの崖プチギリギリのここを通って 人々は生していたんですね鉄道ができる前 の不便さは想像ぜしていたと思うんですが それでもね昔から鉄道ができる前から勝浦 には人がいっぱい明治時代とか頃から馬車 とかでなんかみんな崖のところとかも進ん でくるののかなあの集まってたみたいです よ何したかて実は勝浦は涼しいんですよね あの全国の天気関東の天気とか見ても勝浦 だけはなん全然暑くないみたいなね多いん ですよ今でもだからあの秘書地には本当に いいですNHK千葉放送局もこのように 報道していますなぜ涼しいカツびっくりし たんですけど記録が残る1906年以降 1度も35度を超える猛暑日を記録してい ませんすごい市場最も気温が高かったのは 34.9うわギリギリじゃないですか やっぱ暑いのかなと思いきはその記憶を 叩き出したのは1924年だということで 今から100年前なんですねもこのお世話 になってる方でもね武道大学卒業の方 いらっしゃるんですがカツってやっぱ 涼しいですかって聞いたらあ涼しいですよ 本当にって言ってましたもん大体ねそう いう会話する時っていやそんな言われて ますけど住んでるとわかんないんですよね とかなそういう会話になりそうなんです けど本当に涼しいみたいですNHKの取材 に答えた一位教授によりますと海底の地形 深い海底には日光がとどきにくいので 冷たい水がたくさんありますよねカ沿岸の 回転の深さは陸から10kmほどの大きで 200mと急に深くなっているんです なるほどだからちょっと行けばいいお魚が こ金メダとかねそこの方に住んでいるのも 取れるから涼しくて良い漁場が揃ってると いうことなんですね食後ゴロゴロ寝転がっ

てウキペディア見てたんですけどすごい ですねこのカナの人口分布大学生の年代 だけズガン最大多数になっていますこれ Wikipediaの解説にも書いてある んですけれども舞台のキャンパス武道の キャプスがあるため20歳前後の人口が 突出しており市の全人口1割を国際武道 大学の学生が占めているおし万兵みたいな ことになってんですね連絡通路を伝って 本館の方に戻りましょうこれこういう感じ になってんですね今日は宴会もあるので 大変賑やかになっていますこれがねそ さっき旅館の入り口なんですけれどもこ靴 が並んでスリッパが揃えられて古い旅館に 求めるものがずらっと何でもありますよね いやあそこに水槽がありましてあそこでお 魚を一時的に保管したりするんですねだ から体操鮮度がいいわけでですねうとひが あるのが気になりますね時にはあれを使っ てお餅をつくのかもしれませんね用がある 時はこれを持ってこれチリンと鳴らします と係りの方がすぐに来てくれますあ出た これがねこの動画投稿までにタイミング 間に合うかわからないんですけれども有名 なカツウラビッグひ祭りというやつですね これストーブなんかがありますんで古い 日本家国木造家国でも寒くありません そもそもカ浦はねここ冬はまた寒くなら ない飛地にもなっておりましてまこれ暖房 が効いてるからてのあるんですけど気温え 13°全然寒くないねチェックインの時は こう宿帳も書くんですね名前電話番号住所 の後これそう伝統的なやつだとねえ職業と か到着に前夜の宿泊地とか次に行く場所と かそういうそう書くんですよね書きました こちらお風呂になります勝浦松屋右から左 に電話47番戦前の電話の書け方ですよね 多分ねえ循環式のお風呂ですここのお風呂 がすごいと伺っています失礼します あちらこちらを改築修繕して古いものと 新しいものが色々入り組んでい るっていうのはここの面白いところなん ですけれどもこれねえ大体40年か少なく とも30数年使っているという古代ひのき あの土の中とかに大昔のひのきが埋まって 保存されてるってことがあるんですねそれ 非常に貴重な材質の木材ひのきを使いまし たお風呂でございますでこれあの上に 浮かんでいるのは冷めないよということ ですね体を洗ったら使って温まらせて いただきますがこの旅館のあちらこちらの 具材相当いいものが使われてるみたいです よこの夕もそうですけど昭和20年生まれ だと伺った女将さんのお話によればこの 建物は大正時代からもあったみたいですね

で元々ねこの前の道がもっと狭かったそう ですそうですよね大体もうどこの道も歴史 あるところはそうなんですけどあの今自動 車の時代になってこうお互いにちゃんと 生き違えるようになんなきゃいけないで これ広げられていますが元々はね幅が多分 2.7mとかなのかなあのなんか明治時代 とか江戸時代ぐらいの道に見られた狭い 企画があるんですよねでえ手前のところは 砂利道でもっと手前のところにこう門が あってその門から奥に入ったところがこの 旅館の中の入り口だったそうですで2階が 宴会場お座敷になっているわけですが戦前 から大勢の人がやってきて特に漁業の人 たちがですね船で勝浦の港にやってきてで 大量だったりすると景気がいいもんで みんな車さんとかを呼んでですね大にと いう感じだったそうでありますでここには ご宴会ご報用宿泊しらし書いてあります けどもこれが現在は事務室になってるそう なんですが元々はここが車庫だったそうで 戦前の時代常用者自動車が非常に効果貴重 だった時代にこの中に自動車を入れて保管 していたのだそうですねということからし てまこの予感の外観からしても分かります けれどもものすごく繁盛していたようです え今もねお客さんいっぱい来ていてあの こう予約とか検索してもなかなか空いてい ないとことも多かっあったりするんですね 大きなガラスで中まで見渡せるようになっ ています特に戦前とかの時代こんな大きな 窓ガラスつたらええ目を引くものだっ たろうと思いますがここから中が見渡せて ここに止まった有名人早々たる面々の サイン書いてありますがこれ山口桃さんの サインですここでね映画の撮影をしたそう なんですがもうそうなりますと中がよく 見えますんでねえギャラリーの人たちこの 前に大勢詰めかけてというその時は結構 色々大変だったみたいですねじゃあるで 失礼します下に敷いてあるタイルは当時の 昭和初期戦前化もしくはもっと前ですかの ものをずっと大切に使い続けているそう です入り口のところに敷石があります けれどもまず玄関入って最初に見上げる 天井 はあちこちの各地の木材の名所から職人 さんを集めてまずどの木材を使うのがいい かというのを選ぶところから始めたという 切り上質な木材だそうでしてえこれ木目が 横に走っておりますけれどももそのお隣の マスを見てみますとこちらは木目縦に走っ てますでそのさらに隣を見てみるとこれは また横に走ってるということでまどれも ですね隣あって縦たて横横と連続になら

ないよう木目で一松模様を作ったんでそう ですねこれも大昔から戦前からずっと使い 続けているということであの交換するのが ものすごく大変らしいんですけども落とし て割ってしまったらもう終わりだという ことで電球の交換は慎重にやっていると いうLEDの長寿のおかげで多少交換頻度 が減ったのかなという入り口の証明くいで 上がるところの敷石はこれも横1枚の立派 な木材です よこれこのこの光景だけで千葉を代表する 絶景の1つだと思いますけどね靴は旅館の 方が知らないうちにあげてくださってい ましたがこれこれこれも相当いいんじゃ ないかなここカ浦に移住しビジネスの拠点 にされているという方がですね作ったお塩 が販売されていますでこのこの仕なんです がさっき夕飯でこれは普通の仕じゃないん じゃないですかと言った仕だったようです がやっぱりそうですね普通の仕じゃなかっ た地元勝浦のこだわった海水の仕様でこれ は満月の時の海水を使用にしたものこれ 新月の時の仕を取ったものだそうです電話 室ですねあの隣のトトロみたいに電話を人 のちに借りに行ったりとかね電話交換局に 行って交換してもらったりとかしていた 時代の電話今でもそのえこれ電話として そのまま使えるんですねああるもんねうわ ここから電話かけてみようかな10円持っ てきました電話47番これ何に使うのかな 昔は多分これが意味があったんでしょう けどねちょっと今の時代ここにこれが書い てあることがどう役に立つのか分からんわ まとりあえずやってみましょう自分にかけ たかったんですけど自分の携帯電話番号を 公開するわけにもいかないんで ねゼロあ0じゃない間違えて0やっちゃっ たあそかこうすればお金帰ってくるわ やり直せばいいんだあなるほど さんの講習電話ですね 117かかりましたよさっき暗いところで こうぐるぐるぐるってやってたんですけど これ照明がつくようになってるそうでして 電気つけましょうかつけていただきました これだったんだね電気の照明もこういう いいやつが多いですからねでも新しいのも あります大体こういう味のある旅館は冬に 来ると寒いんですけど寒くないってのは ありがたいですでここの物を見てみたいと 思うんですが うわこ博物館被初めて見たなチャンネルを 回すの語言になったやつですねでなんか これが喧嘩して取れちゃうとかね取れ ちゃうともうチャンネルが回らなくなる 聞いたんですけどもこれは白黒テレビです

かちっちゃいね画面がこんなテレビは でかいのに画面じゃない部分がこんなにあ るってのがちょっと今考えるとね僕の感覚 では凄まじいんですけれどもえ他にああり ましたこの旅館の相当大昔の姿ですね今は この旅館のこの入り口のこのカハになっ てるところねここがあのもう道の車道の すぐ前になってますが昔はかなり手前の方 に入り口の兵があったんですねそれだけ この前の道が狭かったことが分かります それからねもうなんか色貴重な品があり すぎなんだけど今は事務室になったという ガレージに自動車を入れている時の写真 ですね出ましたよこれこう昔の放物が語っ てあります昭和初期のすです戦前の相です ねあの今でもありますよね小学1年生と 小学2年生とか小学の雑誌ありますけれど も小学2年生新年号 付録太郎花子さんえ心漫画GHQに禁止さ れるまで戦前には心と科目の授業があった そうなんですけれどもまそれなんか模範的 な子供になれるすご当時の子供たこういう のも楽しい楽しいてやってたんですね花子 さん学校へ行く前ちゃんと道部の用意をし ておきます楽しいねすごくそ教育を楽しい ものだと受け取ってやってるって昔の価値 観が今からするとちょっと信じられない けどいいことですよね当時の模範的な 女の子の家には東郷平八郎の肖像が飾って あったんですかこの勝浦案内の察しがこれ が面白いですよ大正時代の松屋旅館これの 奥に細長い建物が映ってますけども今僕は この建物の下にいるそうですこの縦の廊下 が僕の今いるところでここは大昔から本当 に変わっていない同じ建物を使い続けて いるのだそうですでなんから僕が今いる この昔の資料品展示コーナーみたいなのに は昔なんかタイル張りとかがものすごい 豪華なトイレがあったそうですねでそれを 改築したりにしてるそうですそれからね これびっっくりなんですけども東京から船 できた観光客これこれ何東京からこれに 乗ってきたんですかここまでこれ橋走なん じゃないこれで来たのも鉄道開通前から カ浦は本当に涼しくて素晴らしいところだ ということでもこれ旅館がいっぱいあって ですね臨海学校とかで大勢人々が来てた とにかく人がすごかったそうですあお 金持ちが品川から船で観光に来たあそう みたいですね確かにえスーツ旅行 チャンネルもびっくりじゃないですか こんないい服を着て暴走半島の三先を全部 ぐるっと回って勝浦までやってきたんです か今からすると考えられないカ浦が反映し ていた理由の1つが観光街づくりの戦略と

して人々が心を1にして取り組んだことが あげられる大量のイワシを入れてるんだ そうですでイワシ量というのは北海道の2 両と並んで戦前の農業社会であった日本に とってなくてはならないこれ書いてあり ますねえ魚を取ってそれを肥料に加工して え畑田んぼに巻くというのが昔の基本だっ たんですが価格肥料ができるとこのは衰退 しますでところが今度サバとかですね カツオとか大量に取れるようになったので やっぱり勝浦の漁港は反映したそうです あとは大正時代の朝日新聞とか多分これ 旅館で見つかったんでしょうねありまして 当時は第1次対戦の終わった後みその時の 復興のことについて色々ニュースが たくさんあるよムリーにしとか書いてあり ますけどやっぱ一番面白いのはこれじゃ ないですかねスピルカ温かい自強飲料これ 違いますねカルピスですがあのホットカル ピスって今でもコンビニとかで冬になると 売ってますけどあれこんな時代からあった んですねカルピスって暖かいの最近できた のかと思ったらちょうど100年前です 100年前からあったた恐れりましたもう この辺貴重なものばっかりなんで慎重に 歩かないとじゃあ明日も早いですし寝させ ていただきましょうあこのこのまんまで寝 ないでちゃんと素敵な浴衣があるんです からこれで寝ようかなあでもいいや今日は とっても綺麗な服着てるんで明日の朝も もう起きてそのまま活動できるようにこの まんまで寝たいと思えますこれこれねあの 千葉の暴走の風対策ですねおやすみなさい そうそうおさんにお会いしてねあの料金が 台がすごく安いですよねと話したんです けどもえあのなるべく皆さんにえご利用 いただきやすいようにということをねあの 考えてやっぱりやってらっしゃるという ことでしたよなんだ素泊まりだったら 5500円で止まれてしまうということ ですからねびっくりするやさでは休ませて いただきますおやすみなさいおはよう ございます今朝はもう早いので チェックアウトさせていただかなければ いけませんがこういうとこに来ると家具が すごく古いものがありますよねこれはいつ もなのかな建物より古古いんじゃないか炭 が並べられています火鉢です今日はね あったかいので炭に木は入れてないそうな んですけども実はあの暖かくない日にはね 入れるんだそうですよこの部屋もそうなの かなあの表玄関のところにそういうのある んだそうです昔のものに関心を持った私に 将さんがマッチをくれましたあのみんなが 昔部屋でタバを吸っていた時代ですよね

日韓連仮名電々校舎して旅館松屋時刻は今 7時です勝浦の1番の名所車両侵入禁止に して勝浦朝一の時間です今日はね風がのの かなりありましてかなり寒い朝を迎えて おりまして平日の朝でお客さん人通りも 少ないということでお店は少なめなんです がとはいえ出ていますおでんを出してくれ てるお店がありましてこの寒い時からね 作ってくれると観光客も食べやすくて ありがたいです出汁はこれカツオだし おでんこれカツオとそれからサバ節もある だそうですね昭和30年代ぐらいからサバ が上がるようになったと昨日教わりました けどなるほどねそれで今でも営業されてる ありがたいことですねしかも値段も結構安 安いですねありがとうございますで他にも ですねちょっとここに一時置かせて いただきますけれども日本3大朝市と言い ましてえ宮川朝市と勝浦の朝市そして和島 の朝市とあったんですが和島の朝市は壊滅 状態にこの間の災害でなってしまったので 義元金を勝浦も送ろうと活動しているそう です全国朝一サミット競技会っていうのが あるんですねこれもね朝一ストリートでは ないんですけども朝7時より営業朝定食 勝浦炭麺これ朝7時から炭麺食べられるの か浦淡々面でも売り出しますからねどうも ありがとうございました今回はねお店4つ 今のところ出てましてこの後もう少し出る かもしれませんが大体朝の7時から7時半 とかそれぐらいから始まるそう ですぎっちりと家が並ぶ狭い道道の幅が 足りなくて歩道が作れない感じの 折れ曲がったギリギリ2車線かみたいな 車道は昔の時代から反映していた街でよく 見られますよね歩きながら温かいおでんを 食べるという異常していると何度かね後ろ からおはようございます声をかけられ ながら追い抜かれるんですね武道大学の 学生さんたちが朝から走り込みでかきある 感じですじゃあJR勝浦駅に来ました今日 の工程の始まりです意外にお客さんが 少なくて良かったあすごいこの電車木行き なんですか今それが普通になったんですね 木ずって暴走半島の反対ですよこれから阿 鴨川を経由して半島の反対まで走り抜ける んです ねめですよねこれあそこに入があって外の 波が入り入らてないようなところには大が ぎっちりと貴重な土地だということです そこに集まってるんですね険しい崖を 切り抜きながら時折り海を景色が見えるの が内房線の南部の景色の特徴です列車次に 羽原駅に着きます上原は大正時代ぐらい からもう本当にお客さんがいっぱい来てい

たということでじゃベストウチに開発 しようか涼しいところでいいじゃないか 計画あったみたいですね通常日本近海は冬 に水温が大きく低下しますからそういう 南方の魚カラフル魚は見られないんです けれども夏の時期だけはこの辺でのみ見 られるんですねあとはキ半島とかね伊豆 諸島とかに行くとそういう魚見られます けど冬になると流れ着いた魚はみんな死ん でしまいますここがその宇原駅ですねこの 山の向こうぐらいに美しい入江がありまし て懐中展望灯あるんですけれどもこれ僕も だいぶ前から何回か行ったことあるんです がこの辺は南方から流れてくる黒潮の関係 で一部温度が高いところがありましてサゴ の生息駅のほぼ北元となっていると思い ます他にも魚がたくさん見られるんです けれどもま魚はどの時期に行っても色々 いると思いますが特に夏から秋にかけては 南方の黒潮に乗って流れてくる熱帯魚とか を見ることができるのが特徴ですだ結構ね 景色がカラフルになるかと思いますこの 辺りはね駅ごと街ごと入り江ごとに それぞれの歴史があってでまた全く違った 景観を楽しめますんで本土だったらもう ここに3白ぐらいしてね1つ1つのこう 入り江をこう見て回ってもいいぐらいなん ですよ昨日も通りましたけどね怒る港と かきますき江戸時代はその名の通り仙台犯 のお米を輸送する船が大量にここの海に 押し寄せてとんでもない賑いだったそう ですよ今でもね夏の時期になると海水玉客 がとんでもない勢いで押し寄せまして東京 方面からの切符を正しく買っていなかっ たりするということもあるみたいで運賃の 生産が必要になり臨時生産所の窓口が2つ も設けられています東京でも生産所窓口が 2つなんて構造はないですよねなかなか ないよ立派なマンションもあってなんだ かんだ今も繁栄を見せてくれているのは ですじゃこっからが問題の昨日歩いた区間 ですねおお すごいいい案内版があるじゃないですか このすぐ向こうが昨日通った汚染転がし ですまあちょっとあの恐ろしい球道を歩く のはやめておいて汚染転がしとあは望とか に行ったら面白いんじゃないかと思います ねがのとで見たもうなんか崩れて落して 死んでしまうんじゃないかみたいな道だっ たんですね大昔は一瞬だけ大沢の収録が 沢沿いにあるのを見てまたもう一度 トンネルに入りますこのトンネルの 外側で今度入ったこのトンネルを抜ければ もう小湊の駅に着いてしまうわけですね 昨日このトンネルのない方の崖沿いの道で

上から岩が落ちてきて死ぬかと思っました がもうそんなことたは無縁で列車は走り ます 暴走南部で1番の央駅ですね阿鴨川に着き ましたあれ列車番号が変わったな3126 Mになったさっき違う番号だったと思ます けどあそっかここからね外房線から内房線 に入りますので乗ってきた列車は勝浦から の下り列車として何してきたんですがここ から先は内房線に入りまして内房線になる と上り列車になるんですね日本特有の文化 で上り列車下り列車というのがありますが これは天皇陛下がいらっしゃる法学ま昔で あれば京都今であれば東京へ向かうことを 登る状況とかね上陸とか言いますけれども まそういう風な言い方をする文化ですなん ですがちょっとねこれ考えてみると おかしいんですね半南かさと呼ぶのに対し て半島の北部が下さですこれ昔京都にして もね半島南部の方が京都から遠いはずなの にんでこっちがかさなのか昔はリクロが 充実してなかった多分船で行ってたん でしょうねそうするとかさの方が京都に 近かったからだからこっちが上なんだと 思い ます こん ついに暴走半島の反対側内房側にやってき ました内房線の使駅は館山駅ですお城が ある城下町今特急っていうのは休み日以外 は配信になっちゃったんですけどね昔は 特急もいっぱい走ってました今その代わり 便利な高速バスがバン来ますよまも なく 黄色はの黄色ですよねまだ寒い1月上旬 ですが既に線にもいくつか咲いてるところ がありましたちょ写真ちゃんと映したかっ たんですけど失敗しまし たここでもう1駅だけ乗って次の船方駅で 降りてみ ます山もいいんですけどねま今回は車使わ ないで電車に乗っての旅行になってます からそうると行きやすい名所としてはここ じゃないですか館山駅の1向お隣に中方の 崖観音大福士ですねもうすでに見えてい ますあの崖にへばりつくようにして立って いるお道が名称JR船方駅もいいと思い ます よこの駅防戦化されました前からだったか なこれ今線路がこっちにあるじゃないです かこれ昔はねこっちにもあったと思うん ですよねこの線路を今撤去してえ列車1本 分だけにしたみたいですこれこれ前の プラットフォームですね でここ階段があって前は確か古線橋があっ

たと思うんですよねでなんかそれでこう 渡ってきたようなそそう古線境がなくなり ましたね本当昔ながらの駅って感じの ところでね大きな駅前 広場良かったこの中中駅の外観自体は昔と 変わってないですよこの放浪の看板がいい です ねなんかいますね君たちはどう生きる かあいつなんかこんなとこに来やがって見 てるなトンビトンビですね暴走半島を見る とよくいる鳥だと思いますトンビvs詐欺 あ詐欺が逃げまし たこれだ久々にやってきましたよすごいよ ね羽田行きの飛行機が真上を通る大福寺 どうしてこのような警官になったのかと いうことなんですがこの険しい走の岩肌に 会場安全を祈る仏が刻ているとのことで 大変古く貴重なものですがそこにお参り するための王道だということ です崖の下に立地するこの場所ですで台風 もよく通るところですからね災害の影響も よく受けてきていたようで建物は何度も 繰り返し直されたり作り直されたりしてき ましたが昭和初期ぐらいからは完全に今の 状態でやってるそうです伝え聞くところに よればこの壁面に観音像を掘り抜きたのは 日本市の授業で必ず教わる行気さんだと いうことですだから奈良時代のものなん です ねさすがにすごいリッチだフグで削れたの か崖が張り出してくるような凄まじいリチ になっていますまそもそも奈良時代にこの 崖の上に上がって仏を掘ることができたと いうのがすごいこっちがその崖の王道です けれどもいやよく見たらねこれ以外にも 使われてないルートがあるんですよね えこれを時にはそのお寺の関係の方が登っ てくるんですかねなるほど昔の人たちは こうやって崖の上に用事登って拝んでいた に違いありませんで結構他にも掘り抜きた 岩屋がこれ手作業で掘ったんでしょうね昔 の人が奥も結構深いみたいです ね高台の王道から見下ろす立山湾の景色も 見事としか言えません がしかしまずは観音様にご挨拶履き物を 脱いで上がらせていただき ます張り紙がしてありますねお寺での参拝 はは静かに手を合わせて合唱しご本尊様に 記念しましょう多分神社と間違えてこう2 例2拍手とかやる方がいるんでしょうねま それぐらい広く関心を集めているという ことでもあるでしょうあこれがね1300 年ぐらい前からここにあるという崖の観音 11面観音ですねもお顔の部分はちょっと だいぶ古びているので分かりにくくなって

います姿勢を低くしてこちらから見上げる のが正しい味方というかまそのようにさせ ていただきますとよく見えるということ ですね参拝を終えて振り返る崖下の景色は 本当に見たことのないような美しさです よここみんな来るべきだと思いますけどね まあの大勢の方がいらっしゃると思います が今日は幸い空いている日なんでね平日に 行きましたこの辺り東京湾の一番南の海域 となっておりましてちょうど今東京湾外 から世界を回ってやってきたタンカー みたいな船が近づいていますま外国から 公開してね横浜から千葉かどっか入って いくんでしょうでえ東京は比較的内海で 穏やかな海ですが今日はちょっと風がある ようで白みが立っています若干波が高め ですしかしその東京湾から内側に入りまし たこの辺り館山の湾内はとても波静かで ありまして全然白みが立つ様子もありませ んこのように天気が多少悪くともこの辺り の海はいつもないでいてベターとまるで湖 のような景色がり反射するような穏やかさ であるので鏡ヶ浦と呼ばれているそうです そういうところはも使いやすく良い港な わけですよねで実際に今でも経済を担う船 たちがここにたくさん集まり怒りを下ろし て白地病気というのかなあの怒りを下ろし 待機する場所としてよく使われています あの風に別にこれ動いてるわけではなくて あそこで待機してるんですね怒りも下へ 届くぐらいの適度な推進だということなん でしょうよくね東京湾航路を生きしてると この館山のところにたくさん怒り下ろして 止まってる船を見ることができます よままたじゃあそろそろいい頃合いかなと なったら千葉校か横浜校か川崎校か東京ま 分かんないですけどどっかこう向かうん でしょう見下ろすとこうですからね本当に 崖の上に立ってるんだなとよく分かります この間のこの隙間なんかから下を覗きみる 体験もいいかもしれません平成28年にも 修理が行われておりましてそれもつがなく 終わったそうですその後ひどい台風があっ てね2019年ですか令和元年に大変な 台風がありましたが多分何も被害がないと いうことはなかったと思いますけれども ただここ本体自体には大きな障害はなかっ たみたいです千葉県には日型の東京湾に 大波の寄せてくる外房に波静かで船の 集まってくるまた違う役割を果たす内房と 色々な海がありますよね今日この後は調子 に行きます調子もまた違う感じのところ ですよね でこの鏡が裏の手前のここですね縫うよう にして昔の道が曲がりくねりそこを

するする進んでいく自動車の眺めがまた いいと思い ますじゃ降りて次んところ行きますかあ あとあちらに伊豆島が見えます ねえあれあれ伊豆島ですよ大島ですよね いや大島が見えますよと自信持って言い ましたけどあまりにもでも近く見えるので ちょっとびっくりするぐらいです そうですよね三原山の加工部分のところと かまで見えてますなんか昔のあの船で物と か輸送してた時代にはあんまり一発で長 距離公開とかできないんであそこにあると すごく大島はいい立地だったわけですよね あまたバスが狭い道を縫うように行くのも いいと思いますまちょずっと見てると時間 が延々と過ぎてしまうわ降りながら進む 景色も最高です館山の昔の漁師さんたちは この崖観音に見守られて安心して勤めに出 ていたのだと思いますまで今も変わらない ですよね バスも来ておりまして周辺の他の場所を見 に行くにもいいですま平日の午前中なんか 本数が多めです1時間に1本来てくれてる んですねバスの何がいいかってね窓が 大きいから景色もよく見えますし普通の車 より目線も高いじゃないですかでも本当 景色を楽しむのにいいんですよこれ ちょっとだけ移動しました2kmぐらい ですねここにはまた千葉を代表する絶景 ポイントがあるらしいとうに来たんです けどうえこんなに景色いいんですかこれ ですよ そしてその手前に見える少しだけ波を かぶっている桟橋岡本桟橋ですまさか 富士山までこんなに綺麗に見えるとは思わ なかったですねえ特に夕日の時間帯が有名 で向こうの方に夕日が沈んでえシルエット になってる富士山とこの桟橋の独特の光景 をインスタ映えとかですかね写真に撮り たいという人が多いそうです よあこんなによく整備された綺麗な砂浜な んですねこ青いネットがありますけど多分 ねこれ砂がこう飛んできちゃうんでそれで 住宅地の方に行くと大変なことになります からそれを防ぐためのものなんだろうと 思います波が寄せています今日はあの ちょっと波が風がありますんでね波が高め です打ち棒は波静かでて話をさっきしたん ですけどまこの辺もちょちょっと来てます ねこれは漁船が出航するにはなかなか 難しい波なんじゃないですか ね本当に素晴らしい景色なんでもこれを見 てあ写真撮って面白いなで終わって帰って もま十分かなと思うんですけれどもこれ何 なのかのもぜひ考えてから行きたいところ

ですよね手前の部分はコンクリートで打ち 固められてるですがこれかなり古い コンクリートだと思います多分大正時代と か昭初期とかそれぐらいなんじゃないかな と思いますがまこの辺り全部海岸砂浜に なっておりまして砂浜だとですねま漁業が この辺り大変盛んだと思いますがこれでは 漁業やりにくいですよね昔この辺の方が みんな漁師さんだったんだと思うんですが その人たちがここにこ自分の家とかからこ 船をこうきてでこの砂のところからこう海 へ力づくでこう押し出してそれでこう出航 するってこをやってたんじゃないかと思い ますまつまりこの辺りがみんな砂浜なので 船でこの辺りにこう上陸しようとしても あの雪がってのはないんですよね多分ね 向こうの端っこの方に漁船を渓流する施設 がこうありますよねこうな計するような こう出っ張りがありますであの出っ張りの ところだったらば船を横づけしやすいんだ と思うんですね大昔の漁業をやるために 沖合いの水が深いところまで人が歩ける ようにしていった突出た桟橋ですで内房は こんな感じでやっぱ砂浜のどうやって克服 するかということで作られたこの手の桟橋 が大変多いそうです現在ではもうこれは 漁業の目的で使われることはないでしょう なぜならばここ富浦ですけれども南暴走市 富浦には富浦進行立派な大きな漁船も 入れるようなよく整備された富浦進行が ありましてさらにそれよりも前おそらく 昭和340年代とかだったのではないかな と想像しますがあちらにもですねえ急行が ありましてこの大岩の裏側にこの岩を防波 堤として裏側にえ急漁港があるそうなん ですけれどもああそこもやっぱちょっと 使ってるみたいですよね船が上げられたり してるのが見えますということでまずこれ ら優れた施設がもうすでにありますから おそらくこれ使うことはないでしょうね これちょっと行きたかったんですけれども うーいややめといた方がいいねこれ向こう の方まで行ったら突然波が高くなってね なんかれちゃうという可能性もあるかも しれませんし安全で楽しい千葉をお伝え するのが150年目のこの企画の本誌だと 思いますと言いながら昨日の汚染転がしの ところは何なんだよって感じですけどでも これ勉強が必ずしも足りているとは言い がい僕の独自の仮説ですがこの館山とかね この富浦この辺りはまある程度こう ちょっと行けば水深がちゃんと深くなるん ですよだからこういうのを桟橋とかを作れ ばあの船をつつけることができる程度も 水深の浅さなんですねそれに対して昨日見

た船橋とかはもうずっともう東朝本当の 東朝で多分ちょっとやそっと桟橋とかを 作っても無理なんじゃないかな雪眼とかい 色々な姿の海を持っている内房ならではの 景観だと思いますここ以外にもねこういう 風な場所が確か何箇所かあったはずですね あの大体どれもインスタスポットみたいに なってあの人気を白してるんで是非ね チェックしてみてくださいあとねかさ泡に 入ってからやっぱよく見るんですけどこれ 井戸の昔の戸ですよねでこれ行動にあるん で撮影してるんですけどそれだけじゃなく てなんか個人宅の敷地のこういう中とかに もいっぱいあるんですよ人地の中を まじまじ映すの良くないと思って今まで 紹介してなかったんですけど住宅地にも 結構面白いものありますよここは年間民宿 片さんだそうですが年間民宿とは何なのか これ分かりますこれね夏の時期にやっぱ ものすごくお客さんが来るので夏の時期 だけうちは民宿をやりますていうところ 結構あったらしいんですね戦前ぐらいまで だと思うんですけども夏遊びに来てね普通 にそこら辺の人の家があの民家が民宿とし て夏の間だけ営業してるんで人のちにお金 払って止まるみたいな文化もあったそう です よ桟橋から10分ぐらいですね歩きますと 道の駅があるんですがこの道の駅富浦 ビュアクラブここはただの道の駅じゃない ですよま道の駅全国どこも素晴らしいとこ 揃いですけどここは日本で1番素晴らしい 道の駅ですねみたいな賞を受賞したことも ある場所ですビュアも周辺のハウスなどで 作ってるんですが今はではありません しかしなの花ですねこれもまだねシーズン からすると少し早いぐらいなんですけれど すごい急にあったかい気持ちになってき まし た1月の上旬ま中旬に入るぐらいの頃です がすでにこんなになの花畑がまだまだナハ のシーズンは2月3月ぐらいが1番の ベストだというのでもっとこの規模もこれ から奥の方とかまだね咲いてないみたい ですから大きくなっていくものと思い ますでここれは田んぼですよね多分多分ね これ田んぼだと思うんですよ普段はお米 作ってるんじゃないかななんですけどお米 育つ時期色々ありますからね温かい時期 じゃないと育ちませんこの寒い時期にはお 米育てられないのでおそらく菜の花栽培の 発症ってのはそういうところにあるん でしょうつまりなの花はまつぼみを食べる こともできるしお花は切りに切り花にして ね干渉用として売ることができますしま

結構使い道があるし温かくてあのこの冬の あまり作物の育たない時期でも暴走の気候 を生かしてまうまくちょうどここで生育 できるということで観能機の埋め合わせを するのに最適な植物なんじゃないですか 特に暴走でいっぱい使われてるんじゃない かなと僕は思っています周りもよく整備さ れていて道のここここ道の駅じゃなくて 多分この地元の農家の方がされてるんだと 思うんですけどこの道の駅の方にもお花畑 が作られおそらく地元の名産品とかも色々 食べられるでしょうお金払って入するよう な品のなの花を中心としたお花畑も作られ ていますまだ1月です よ冬はこれからが厳しくなる時期だという のにもう春先取りの気分でやってるんです からねやっぱちょっと温かいみたいですね 道の駅の中綺麗に並べられたビア製品は 全部地元のビアだそうですでこれねやっぱ そのあちこち観光地に行って僕も感じる ことなんですが観光地に行って売っている ものが地元さんみたいになってんだけど 必ずしも地元でではなくてま実はね中国 からの輸入品を販売してるとかよくある話 なんですがここは地元さんのBQ品CQ品 のこま形とかがねちょっとこう不揃いな やつなのかもしれないそういうビアを 仕入れてですねでこのすぐ横のとこにある 工場で加工してで年間を通じて保存できる ようなシロップ漬けとかにして提供して いるそうですで大粒のビュアなのが特徴だ そうですねこれこれ買って帰りたいですね これいうねやっぱ誠実な商売をされてる方 のところばっかり今回はあちこち行ってる なという気がします幸せな旅行体験ですよ あこれ食べていきたかったなオリジナル ビアカレーなんてもあるんですかえビア ジュースビアジュースフロートバナナ ジュースビワの チハ焼きビアカレー パンご家族旅行なんかにもぴったり イチゴ狩り農園とかもありますこれそうな んですけれどもまず入口のところにある このいつのなのかなみたいなうがまず気に なっちゃうですこれこれう薄ですよね嘘 多分八上にしてるんだと思うんですね暴走 の暖かさを生かしています30分間食べ 放題い狩り30分間食べ放題1月2月料金 が若干異なります1月が1番高いんですね 今が1番いい時期だということです ね中へ入ればイゴの美味しそうな香りがし ますが実は私アレルギーで食べることが できませんだから見るだけなんですけれど も温暖な南暴走海上にベニほっぺ恋緑って のもあんのかで土地乙女雨乙女はいはい

品種が多いですねなんか色々あるじゃない ですかというのがここの売りなんだそう です内の間を見ると蜂がブブ飛んでますあ 蜂を業者さんから仕入れてねでお互いに 自分の手助けをさせるというのがイゴ栽培 の基本じゃないです かここ東京駅や千葉駅あとは新宿からも 来るかな高速バスの発着場にもなってい ましてバス待ちの間に本物の地物の製品 これはねカレーパン焼きカレーパンなん ですが注文をしてから焼いていただく熱々 カレーパンでございますおす柔らかいな 結構しっかり味がしますいいものを使って くれてる割にはやっぱ値段は安いと思うん ですよねそうそう感じます よビワのせカップケーキ 2880円上に乗ってるので全部かと思っ たらこれ下にも中にもかなりたくさん入っ てますよでごえもものすごくいいですしね なんかシャキシャキっていう感じでもあの っぽぽいなんて言んですか例のあの良い神 応えなんですがこれ中にもたくさんビュア が入ってますよとか売り文句のところに 書いておいたらもっと売れるんじゃないか と思うんですけどね別に今がビュアの シーズンではないということを忘れさせる ぐらいおいしかったですよさて今ねバス 待ちをしていたんですけれどもここからは 高速バスでの移動になりますこれも1回 乗ってみたかったんですよね実は千葉の 高速バス事事はものすごく良くてあれはね 千葉行きのバスですあんまり境またがない で走るのはあんまり僕見ない印象なんです けど県内完結の路線バスもあるんですね もちろん東京行きのバスもいっぱいあり ますあれはね反対方向のバスでした僕の 乗る便はこっちでしたね南総里号千葉千葉 駅行き [音楽] [音楽] ですは南東里号 都行津田駅 [音楽] 経由 [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] til バスお客さんいっぱい乗ってましたね千葉 駅に着きました大体昼間走ってる高速バ スってガラガラなんですけど千葉の高速 バスは活躍ぶりがすごいですよいやでも できることならやっぱ進行方向の左側海側

のバスの席に座りたかったなあの点をつく ような工業地体の煙突群を見ていただくと 千葉県の迫力より伝えできたかなと思うん ですけどねでもこのJR千葉行前の様子も すごいすよもうちょ電車来たわもうこの辺 電車 だらけ県民が千葉銀行とビッグカメラの間 を抜けてこのメインストリートにみんな 入っていく様子も見えますスペースに余裕 があるん結構ね千葉駅周辺は品があると 思うんですよね僕東京都在住なわけです けど東京からやってきてわすごい都会的な 景色だその感激する場所ってまなくない わけじゃないですかいい経験でですよで これが千葉駅のコンコースにこう上がって いく階段ねでこれが千葉年モノレールです かま昨日も乗りましたけど も線路がここに4本も並んでるのこれね上 からブラル方式のモノレールという時点で ものすごく珍しい乗り物なんですが日本に もちょっとこういうのはあるんですけど あっても線路1本ですよね4本です か世界に来たみたいだに電車が入ります 危険でしたら黄色い展示ブロックの内側に 下がってお待ちくださいこんな大都会を 空中散歩する体験とかなかなかできないん でね1区間だけでももう1回乗ってみ ましょう横浜にもエアキャビンてあの ロープウアあロープウあるねあれもすごく いいですけどあれは1000円ぐらいする じゃないですかこれ199NHです から あこれねあのミニ4駆みたいなやつでこう ホームとかに当たっても大丈夫なように 作ったん だご乗車ありがとうございますまもなく 千葉に到着いたします台方面ご利用のお客 様2番線にお乗り換えですこの電車は4番 線到着千行です千葉駅にて4分ほど停車 いたし ますまでお急ぎのお客様到着ホーム正面3 番線の電車が先の発車となりますこの ぶら下がり式のモノレールがこんなに 動き回る光景は日本ではここだけですよ駅 の規模もすごいですしねなんかねそんな こと言ってたらちょうど韓国人の観光客の 方がここに来てでなんここ韓国語でねおお みたいな感じのこと言ってるんでなんかこ 写真撮ったりしてこれに乗り込んでました よこれ見に来たんじゃないですか韓国には 多分この乗り物はないと思うんですよね さての千葉駅ですがま昨日は秋葉原を出発 して西船橋船橋で千葉からそがぐるっと 回ってまず外房の辺りがせめて勝浦とこの 辺りを見た後後これ通り抜けてですねで

立山船富浦この辺りを見た後高速こ ビューっと左手に工業地帯を見ながら千葉 へ戻ってきましたしかし暴走はまだまだ 広いです次に向かう方面は調子方面しかし いきなり調子まで行くのではなくちょいも 色々ありますからまずは桜に寄ってみたい と思いますこれね千葉方面によくお出かけ になる方よく聞く名前だと思うんですが僕 も行ったことはないんですが実はすごい 場所らしいですいやでも本当千葉駅は改札 の中もすごいですよこれリニュアル工事 じゃなくて前あった建物を壊して作り直し たんだそうですが昔の千葉駅僕も知ってる し視聴者の方もね知ってる方多いと思うん ですけどまるでデパートの中に駅がある ような感じ東京でもこんな場所はないです よ本屋さんやか屋さん無印品無印品ぐらい までは分かりますけど病院まであります からねインフエンザワクチンも摂取でき ますシティデンタクリに歯医者さレントゲ 写真も撮れるみたいですな昔の千葉駅って ちょっとなんかやばそうな感じだったじゃ ないですかちっちゃい時に来た時にあんま 長いしたくない場所居心地が悪かったの 覚えてるんですけどいやとんでもない空間 になりましたよね僕の人生の中で5つの 衝撃的な出来事をもしあげるとしたらその うちの1つに千葉駅の改築が入ると思い ますそんな千葉駅コーナーに昔ながらのお 店が入ってます建物作りは全部当が万陽県 ですね千葉の駅弁屋さんです結構ねこう あちこち地方の駅に行くとその地域の駅弁 屋さんがあるんですが関東でこの地方食が めちゃくちゃ強く感じられるこんな東京に 近い駅弁屋さんやここ万葉券だと思います ねこれを購入しました万葉軒のとか弁当 です千葉の味駅弁さに一応聞きました やっぱ万葉軒さんって言ったらこれですよ ね売店の方やっぱりそうですねおっしゃっ てましたね電車に乗って食べましょう6両 編成特急も 普通列でいな番車が到着しておりますご注 くださいちょっと普通電車が意外に混んで て車内で駅弁を取ったり映したりすると 良くなさそうだったんで特急に行きます ちょっと贅沢ですけどねこの電車もうすぐ 引退するということで鉄道マニアの人が ホームで写真撮ってるのも見られましたあ 十分空いてますねちょっと古い感じですよ ねこっから 取り出すちっちゃい時はこれ特急に乗せて もらって千葉に連れてってもらってそれは 楽しかったですね夏の時期になると海水浴 のお客さんでもう指定席も満員でね 懐かしい思い出です最近は海水浴のお客

さんは減ったみたい特急券さっきちゃんと 買ったんですけどね検察の時にポケット からパッと出すことができなくてどこへ しまったか忘れちゃったんでもうすぐさ ついちゃいますからもたもたしてると まずいてですいませんもう1枚お願いし ますもうすぐね特急券買っちゃいましただ からちょっと2枚買っててこうお金無駄に してるんですけど大丈夫です前の特急券も ちょっと後ほど発見次第の適当に処理でき ますまとりあえずこれがそのとか弁当この の肉がねこれ非常に薄いんですよハム みたいなやつなんですねもう相当昔の とんかつ弁当の味が変わってないん でしょうねま昔だったらこういうとかって 結構あったんだと思うんですけども今時は 帰って見られないですからあの昔のこう 雰囲気をそのまま感じ取れる駅弁だという ことこれ器もこビニールのやつに入ってる んですけどもいいですよこれ是非あの千葉 の思い出にもう4回を通過しました ねこれが食べてみるとなかなかやっぱ おいしいんですよねちゃんちゃん 美味しいわずか10分で桜駅に着きました この弁当は今ちょっと調べたんですけど 昭和40年代ぐらいから売ってるらしい ですねだからま50年ぐらいですか味は 当時から一緒らしいですいい資源に 生まれ変わってくれるかなあ燃えるゴミか 今日はガーラ湯沢スキー場がお休みになっ たりするぐらいの風が関東地方辺りに吹い ているそうで 駅を出て少し行った公園に機関車が保存さ れてるこれ見に行ってみることにしました まこういう風にね昔活躍した蒸気機関車を 保存して置いてる公園っていっぱいあるん ですがこれがどう使われてきたのかって いうのが重要でしてこれね書いてあります え東京都勝鹿区の新小岩から千葉県千葉市 蘇そしてここ桜までの間を生きしていた ことが多かったみたいですで横にさと書い てありますがこれさに昔こう蒸気機関車の 車両基地あったんですねま今もちょっと ありますけどちょうどこうやって現在地を 見てみるとえただあります千葉県北部はま 大体下なわけですけれどもその下のど 真ん中ぐらいに位置しているということが 分かりますでこっから調子にも行けるし 千葉市街の方にも行けるしまいろんな ところでこうは便利がいいわけですねまだ からああいう蒸気機関車の車両基地なんか も置いたようですがつまりここ桜は交通の 幼少だということですで今回千葉県の沿岸 地帯色々見てみてどこへ行っても東京に 行く大型線の姿を見たと思うんですけどま

要は東京とか昔の江戸とかに重要路なん ですよね千葉の周りは全部でそのどこも 重要な地帯のところに出やすいど真ん中に あるさは結構やっぱり重要地帯だった らしいですその立の良さが今のさの観光 資源に結びついてるんですがそこまで行く 道がすごい急ですねこの上のところに昔さ を収めたお侍さんたちの武屋敷とかが並ん でお侍は高いところに住みますからねそう ですね上がってきたら書いてありました ここは旧町ですしばらくは普通の住宅街な んですがあるぐらいののところから秋田の 角立てみたいな感じになってきまして江戸 時代の雰囲気を今に伝える武屋敷が並んで いるところに入りますさには日本遺産とし て登録されたいくつもの古い建物があるん ですけどもまずこのさの街を収めていたの は堀田家でしたでこの堀田というお侍さん のお家はすごい暗いが高くてもう超出世し ましてえ徳川将軍家の右腕のあの老樹とか 太郎とかそういう仕事を任されるほどま つまりこの土地がそれだけね大事な土地だ ということなんですけれどもそういう人 たちなんですがここにですね3つお屋敷が 並んでいてで先ほどこの武屋敷の管理者の 方から教えてくださったんですけれども これが一番身分の高い方のお家でまこれが ま今で言うと部長のお家これが課長のお家 まあっちは係町とかなのかなまみたいな 感じでランク付けされていたようですで その係町のお家だけなんか屋根がねこれ かや吹きじゃないじゃないかと他のやつは カヤ吹きなのになん係町のが屋根の材質が いいんじゃないかって気がするんですけど あのあのお家はえ屋根をあの新しくした そうですね多分明治以降にも武屋敷として 使わなくなった後いつの時代か更新して かぶきではなくなったという元は全部 かぶきだったみたいですねでしかもこ パンフレットに書いてあったんですけど この武屋敷ってのは元々ね大体は社宅だっ たらしいんですねつまりもう半の方が全部 所有してでそこに住まう人たちはみんな それを借りて済ましてもらうというのが 気温だったみたいですまそれであれば直の こと部長の家がなんか課長よりしょぼかっ たりとかした大問題ですからねえ厳格に 管理していたのよく分かります お座敷を見てみましょうもう調度品も 明らかに豪華ですねあこれあの撮影普通で あればあの中に入ってね撮影することは できないんですけれども特別に許可を いただいて撮らしていただいておりますこ 所員のスペースが広いわホテルのスイート ルームや旅館の特別客室などを思わせる

ような上質ユトリアルスペースに見えます これツノですよねあのこのねなんかあのお 客さんとかが入ってくるところに入る前に まちょっと一旦ここでこう準備したりとか なんかお付きの人が控えたりとかするよう な場所ではないかと思いますでこっちがこ ご自身の務とかする場所なのかなこれ トイレです ねもうなんかスーツチャンネルトイレ マニアみたいな感じでこうよく言われるん ですけどこれだけは江戸時代のものじゃ ないんじゃ江戸時代いや江戸時代うわから んま当然今は使えないですけどあでも なんか使えるような感じになってこれ昔の 豪華な便器ですねじゃあ次は課長の家に 入ってみ ましょうここから上がってご覧ください靴 を脱いでね冬のに入ると足が冷えるわけな んですけれども割と最近までこれらのお家 は旧家臣の方がずっと受け継いで使ってた そうですよ明治維新以降もですからこれら が今の時代までちゃんと受け継がれてきた ということなんです ねこっちが課長さんのお客さんをもてなし たりするのにも使うと思いますお座敷です がまこっちもこっちで広いんでねゆとり ある設計に見えますしなんか部長の方と どっちがランクが上かって1目では分かり にくいんですけどつのがないですよね さっきあのお月の人がみたいなそういう 感じの場所は見当たりませんねああと台所 が明らかに違いますわこれその課長さんが 昔使っていたというお家の方の台所です けどま十分に広いようには見えますけどね なんですけど部長さ卓の台所は明らかに 豪華ですよもうなんか置いてあるものも樽 とかね備蓄品の量がすごそうですし スペースもどだけでこれだけ広代でかど やらもうスペースがちょ広すぎて全部 わからんわ台所も板張りになってるだけ じゃなくて畳が敷いてありますしねじゃあ 次に1番この中では身分の低い人のお家へ 上がってみましょうあまずの上がるところ の1段が大きいですかすいませんちょっと 前向きで失礼しますここよいしょとこうこ こうやって上がる感じになりますもんねで ま当然継ぐの間がなく個人マリとした さっきまでのお広いなみたいなホテルの スイートルームみたいに比べるとまあの ホテルのあまダブルルームぐらいな感覚 ですかわかんないですこ普通のねえ6畳マ だなって感じのスペースになっていて台所 を見たいですねこれかさっきまでのまた あの壮大な台所と比べると割とちっちゃい ようですがあここかあドマは結構広い

みたいなんですけどもでもこれこれだけか 他他にはねちょっと何もそのここ台所 っぽいものは見当たらないんですよね やっぱこれ明らかにこう角が低い感じし ますよねさきと比べるとまと言っても普通 の人の台所のスペと比べれば十分広いわけ ですがランクの違い分かりやすいところ どこですかおきしたらですねこれやっぱ 分かりやすいんじゃないですかねこれ土壁 なんですね心がこの部長さんみたいなこの 一番ランクの高いお家だけは上から塗って いる白壁であると言われるまで気づか なかったですねアタ験というやつだあと 普段閉まってるんですが特別に1番いいお 家のトイレを拝見させていただけるそう ですいやさっきも見たじゃないかってこと なんですけどあなるほどありますねあの客 用のお手洗いまトイレとそれからこっちの 用のトイレットがそれぞれ分けられている というのが1番身分の高いお家の特徴だ そうですあ大便と小便こう分かれてる みたいそそういうもんだったのかなトイレ の話とかしてたら自分もねトイレ行きたく なってきたんですけどあちょこれが本当の 今の客用のトイレですねありがとうござい ますこのように古いものが多く残されて いるさなんですがこれね駅からちょっと 離れたところに旧ほったている建物あり ますこれがさっきの武屋敷の侍たちが使え ていた殿様ほったさんのお家なんですけど もだこれ殿様の家なんですよなんですが殿 様なんですがあの明治になってから背反 地形で免職になった後家族としてえやられ ていた時の明治初期の建物ですね江戸時代 のものではありませんがま逆にその明治に なって大名じゃなくなった後の旧大名系の 家が残ってるても貴重なんで時間が ちょっとあえば行きたかったんですけどね 千葉はねもう立派すぎてちょどれにしよう かなさ買ったわ千葉立派すぎてもう3日で は全部回りきれないということですね じゃあね武屋敷のある高台も降りて駅へ 戻ろうかなというところこれ日坂っての坂 があるんですねこれはなんか2018年の なんか僕あんまり詳しくないですけど LINEのあのメッセージアプリのね LINEのなんかガイドでえここが人気 ランキング1位になったことがあるとそれ すごいですねでえっとこれ江戸時代の地図 なんですけど江戸時代の時にもこの道は ここにこう細くえ同じようにあったそう ですで雰囲気は当初おそらくあまり変わっ ていないと思われるようでし て 確かにいいところですねすごい高さの竹が

ほえ今日はちょっと風が強いのでくが築が あるかもしれないからね気をつけないと いけないんですけれどもここはなんで こんな観光名所になってるのかちょっとね 僕も察しがつくんですがあの Instagramってあの若者たちがえ 特に使うのかなま最近はねあのおじさんと かも使ってる人も多いということなんです けども自分のやってる行いをこうなんか おしゃれな写真にとって共有するSNS みたいあるんですよねでそれねもう スマートフォン時代みんな写真をこう縦に 撮るじゃないですかで縦に写真をこう取る とこれいい感じになるもう確かになります よねでこれをこうInstagramで え撮った写真をです ねこんなこんなこんな感じでいいのかな これなんか共有するといい感じのこう写真 共有ができるということでなんか縦写真 向けの名所だっっていうのがあると思い ますね冬でも竹は青いから綺麗ですよ ねこんな感じだ ねうお強い風が来たちょっと竹の鳴る音が カランコロン と短い滞在でしたが駅へ戻ってくると こんなお礼の言葉も書いてくれていました ありがとうございましたまたお越お待ちし ておりますさらしそう今回ね行くことは できなかったんですけれどもまたのお越し の機会がここになるでしょうね国立歴史 民族博それ日本にもちょっとしかないです よね上野公園となとあ京都と九州とあの 東北のやつも国立だったか な東京京都ならぐらいにしかそういう博物 館がなかった時代からここ桜の町の歴史の 深さをもじて民族博物館を作ったんだそう ですよだからあれも結構すごい博物感なん ですよねましかし今回は千葉を広く見て 回るということが目的なので 日本全体の歴史を紹介する博物館に行く よりは千葉そのものは触れた方がいいかな と今回深くは紹介しないつもりです次の 目的地は千葉県の港の町で特に有名な調子 東京に住んでるとよく名前を聞く総武線と いう電車がありますがその総武線の終点が 調子ですね運行の拠点ということで桜駅の 横に車両基地がありますまこれが今の時代 の武屋敷って感じですかその交通の幼少の 証明ですよしま内陸部の佐八又を過ぎて このちょっとね緑色の気腹のあるような 区間を向けて三海寄りの方でけをしてい ますで多分なんですけどここの辺にこう 広大な九十栗浜とかね平ありますが多分 この辺昔これ海だったパターンだと思うん ですよね多分この辺りは全部その巨大な

砂浜で多砂が体積した砂なんですよそんな 砂エリアが近づきますと列車はナルト駅に 着き ます 千葉県の農産品は基本的にお米だと思うん ですがただ冬の時期は先ほど名の花に見た ようにお米を栽培することは無理ですそこ で列車が間もなく到着するここサムナルト ここにはたくさんのビニールハウスがあり ますがこれ多分全部イゴなんじゃないです かねナルトはイゴの名産地として知られて いますでこれちょっとね調べても分から なかったんですがなんでナルトが一文名産 地なのかというとおそらく砂で砂チって 栽培できる植物にいる限りがあったりする ことが多いんですがイゴは砂地でも育て られてる印象なんですよね静岡とか行った 時も九山の砂場でイゴとか栽培してますし お米が作れない時期に元々は始まったと いうことらしいんですが今はイチゴが名物 としてナルトのイチゴ狩りも知られてい ます美味しく食べようサムの農産 物まちょっと詳しい経緯は僕も分からない 奥混じりになっちゃうんですけどさっき 行った富浦のビアクラブの道の駅もイゴ 狩りやってましたあそこも土地は砂ででょ ねその土地の立地と地質と名物の農産品は 何であるかというの色組み合わせて理解 するとね結構観光が楽しくなるなというの ここ1年ぐらいの僕の気づきです海その ものは見えませんがおそらくその海が近い ということ由来の砂でして空がよく見え ますがなんか空の上に大きいものがいます ねUFかなUFじゃないですねここは成田 が近いですから千葉は日本一の大きな港の 千葉もあれば羽田よりだいぶ大きく飛行機 がやってくる成田空港もあってそこには 羽田空港には入らないような大きな飛行機 もやってきて東京にはないようなものが いっぱい千葉にはありますね我々東京の 人間も気づけば自分たちの生活は千葉より 千葉頼みなのだということを実感させて もらえるいい景色になりまし たでかい ないや本当どんどんいろんな飛行機が外国 から飛んできますからね最近も景気も良く なりましたこれ香から来てやつかなあそれ で砂チって農業やるのものすごく大変 らしいんですけどじゃどうやってやってる のかっていうことなんですがあそこにね なんかちょっとも考え用水の設備みたいの ありますよね江戸時代ぐらいから計画され てま頑張って作りえ戦争中から戦終わる ぐらいにかけて完成したオト用水っていう のがありまして向こうになんか丘とかが

ありますけどあの丘とか木とかが茂てる ところのはかもっとうんと向こう側の ところに流れてる側から水を引いて今この 辺りは潤されているんだそうですねそんな 中でも戦前の時代特に農業で苦労していた のが列車が今から着く朝日だそうです水が なかったりスナッチであったり結構難しい ことが多かったいい作物はないかと色々 研究されまして落下性がここで導入されて きたのだそうです今ではすっかり朝日の 土地の事情も良くなってもう落下生作る 業者この辺であまり多くないらしいんです けれどもなんか色々ね電気つけたりして こう夜も生産力を高めるための工夫とかし てますよねここ朝日は千葉県内で1番の 農業生産高を誇ると言います東京や千葉 市内などに近いという利点を生かしてここ で作った農産品をすぐに輸送してしまう 近郊農業ここに極まれるという感じの景色 ですね朝日の列車の旅は有がいいかもしれ ませんね近郊農業の放つ明りを楽しむこと ができ ますちなみに有名な落下生はじゃどうなっ たのかというとここ朝日ではなくさっき 通過した八がやはり全国1位の生産となっ ていますしかも落下生は全国の8割が千葉 県さんらしいですあすごいね旭市の公式 サイトを見てるんですが水筒野菜果実牡蠣 地産水産物まで揃い農業産出学全国6位米 は県下第2位キウリは全国で第2位で トマトは県内1位春菊は全国1位で石島は 千葉県内1位で飯岡メロンこれ飯岡メロン としての県内1位なのかなメロン県内1位 なでしょう多分ね内の梨の産地僕イゴは 成東かと思ってたんですけど朝日が県内1 位であとはこうね鑑賞のお花ペチア全国 豚肉は2位で砂ですからねこういうのもい ますよねヒラメは県内で2位で岩はあそう ですか全国1位の岩丸干千葉一周という ことで千葉県に目を絞ってあちこち回って みると気づくことがありますね外房の黒潮 に東京湾の引にで今度は川の流れによる 農作物のですか千葉は首都圏の偉大な食料 供給基地なんですねもうこれからは北海道 になぞらえて東の大地と呼ばなければいけ ないな終点の調子駅に着きました調子の 名物はまた色々ありますがまずは醤油です よね関東の食文化はこの千葉県の醤油に よって気づかれているのですね明日また そういうの見に行きます色々調子と野田も 行きます関東地方斎藤たの調子は特に犬坊 崎で知られる港町で観光のための施設も いくらでもあります温泉が湧いていますね 今日はこの辺に止まります犬坊崎に止まる んですねその犬坊まで行くのは調子電鉄線

なんですがJRの券売機にこれ乗車券変え ちゃうんですねえ 350円JR九州発足記念のオレンジ カードで買える かあ変えますねまたはカードを入れて ください調子電鉄はすごい赤字で経営にも 苦労しているということで有名な鉄道会社 でもうJRの駅からそのまま調子電鉄の駅 が繋がってるという感じなんですがまその 経に苦労してる調子電鉄応援しに行きたい というお客さんで盛り上がっています あそこになんか昔風車があったらしいん ですけどその風車が壊れてしまってもう 直せないのでそのまんまあの風車の台座の 後だけが残ってるらしいですね電動で回転 していたらしいですよ昔は全国の鉄道会社 から寄せ集めた中古の旧型車両を使って 運転してるんですけれどもこれは比較的 新しいうん新型のやつですねこれ ね新型つても多分450年は使ってると 思うんですけど普通ではありえない長さ です床下からものすごい昔の電車の モーターの音が聞こえてきますがこの新型 車両を製造されたのは今から61年前の 1963年だそうですこれが新しい部類だ と言うんですがとんでもないですよその割 には綺麗に使ってる感じしますけど ね少子伝説あんまり速度も出さないのでね ゆっくり走っていてもあの痛みが比較的 少ないと思い ますま全てが同こしてるとは思うけどな それでも途中の笠黒駅で僕の号車お客さん みんな降りたんですがこのレベルで古い 電車だとあんまりいろんな危機がついて ないからってこなんですかねほとんど他の 走行音もしなくて静か静か全然音がしませ ん僕のこのブツブツ喋ってる声向こうの号 車まで聞こえてないと思うんですけどね昔 の電車ですよこドアもそうだ な今首都の電車って大体こにドアじゃない ですかこれもう片側にこうガララ行くだけ ですは元々は京線で使ってたんですねだ から新宿駅とかに50年ぐらい前に行けば こういう電車が走っていたと思い ます大昔はこういう地方鉄道みたいなその ローカルな路線バスみたいな感覚で使う 鉄道が結構あったみたいなんですよも今そ みんななくなっていったと思いますけど 貴重ですよこの雰囲気をそのまま残して 走ってるのはお客さんも昔はいっぱいいた でしょ今いなくなったにまだ走ってます 会社はこれで黒字なんだからすごいですよ ねこの大赤な調子電鉄を応援したいと観光 客が昼間いっぱいやってきてみんなこの 濡れ煎餅をお土産にたくさん買っていくん

です ね市民に2人に1人がUFを見たことが あるA380の見間違いなんじゃないかな さ降りましょう降り口は一番前 ですドアがいっぱいあるから全部開くと 思っちゃいけませんワンマンですからねえ 乗車券は1番前の運転手さんにお渡しし ます 床下から来るゴトゴトゴトゴトて音とねあ このものすごく頼りない1本ブランと上 からぶら下がっている電線がいいです よこれこの木の電柱で固定されてる電車の ねこの電車線電線あるじゃないですかこれ から電車電気を取って走るんですけど普通 はねこれもうちょっとこうしっかりこう 色々あの針があったりするんですが非常に 簡易的なんですねあんまり観じゃないよう な時間に来ましたので今員さんもいなけれ ばここにあのお土産屋さんがあっていつも お客さんいるんですけれどもそれお土産屋 さんもやってませんがあれ確かね僕もいる んですよね僕別にマスクが売りの YouTuberではないんですけどこの この時のご時世のこともあってなすごい マスクっぽい感じの写真になっております スーツさんなのかマスクさんなのかわかん ないね関東斎藤端の犬坊崎まではちょっと だけ歩きますま10分ぐらいかなもう日没 後に来たもんでねまたなんか肝試しみたい な貢献になっちゃってますけどいやでも夜 にここへやってくるのいいですね日本にも 色々重要な東台がありますが犬坊崎灯台は 明治時代も最初の頃からずっと活躍して いる超特永久の最上級レベルの重要な灯台 でそれが夜に東台を活躍するものですから ねこの辺りを生気する重要船舶に明りを 提供している光景を見ることができます いいじゃないですかあ向こうから人が歩い てきたちょ僕はブツブツ歩いてる心配に なるだろなえ井崎ホテルさんあっちでした ね三先もよく見える素晴らしい警官の ところだそうですちょあんまり遅くなると 悪い から駅から近かったですねホテルここ調子 も解散物がとてもよく取れるところだそう ですがですから夕食付きプランにしてい ますあんまり遅くなったらホテルの方に 悪いですからねこんな暗くなってすでに遅 すぎるじゃないかまちょっと遅いか6時 過ぎって感じなんですけれども調子はね 多分エトロフ島とかその南鳥島とかそう いうところを覗いて多分今日本で1番早く 日が沈むんじゃないかなだ暗くなるのが っていうのもありますちょっと6時過ぎて しまったんですが今回は特別にウェルカム

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ま1番ショートカットなわけですよだから ここはもうみんな通る重要ポイントなん ですがところが海流が複雑にあの親しと 黒潮がぶつかるようなところで犬坊を置き 外房を置き衝突階段が多発する海の南緒 です今も南緒です会場保安長から警戒が 出されています父さん漁場と小鮮路が工作 しているからきちんと見張りをして無事で 帰ってねもう僕のいる井崎周辺はこんなに 事故がいっぱい起こってますよミック眼で は何にも分からないような真っ暗闇の中を 船乗りの人たちはこういう東台とかを見て 位置を確認しながら大昔から安全公開して 物を夜中でも運ぶことができていたんです ねそのはか遠くまで明りを届けるレンズは やっぱりこっち側に来ないと見えませんね これ何km届くのかな多分450kmは 届くんじゃじゃないかと思います よ1分間に1回転するモーターが備えつけ られているというこの強く遠くにりを届け られるレンズは一等レンズと言いまして この西上投球の一等レンズは全国にある 東台の中でもわずか5箇所にしか減損し ない非常に強いものとなっていますそして 東日本で一等レンズの輝きを見られるのは ここ犬坊崎灯台だけなんですねあとは 西日本の関門海峡とかねえ日日本海とかに 一等レンズあるそうですぐるっと闇を 照らすこの東大の明るさが動画に映って いるかな映ってるといいんですけどねもう ちょっとね天気が悪ければ空気中の水分が 多くて多分東台の明りが遠くまで届いて いるのが見えると思うんですが天気が良く 関東地方の冬のこの時期は肉眼ではね東大 の明りがはか遠くを照らしているのが 見えるんですけれどもこの映像に映って いるかは不透明ですちょっと後で加工し まくって頑張りますここにあの辺なんかが 分かりやすいんじゃないかな今こう東大な 明りがねこうあ来てる来てる来てます来て ますこうこうこうこう ここう見えましたでしょうかあの大体東台 ってあの人々があの行かないような三先の ものすごい端っことかにあるのでま夜に 灯台が光ってるのを見に行くのって めちゃめちゃ大変なんですよねその中で おそらく犬崎東台は日本で1番見に行き やい一等東台あのファーストクラスって いう風にね言ってもいいかもしれない最 上位の明るい東台だと思いますね東台は夜 に使うものですからねできれば夜に行った 方がいいと思いますよじゃあちょうど夕飯 だここがお夕飯会場ねこれ浜遊と読むんだ そうですよ夕食会場ななんか完全個室 みたいな感じになってますすごいですね

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ですところがですね長子市観光協会の ホームページによりますと調子の大き合い は水深200mの大陸棚が広がりつまり急 に水深が深くなるからいい魚が深いとこの 魚がいるたんですねそうした背景のも調子 漁港は全国屈の水上げを誇っていますでえ 心校に水上げされ全てのマグロは冷凍では なく生マグロという大きな特徴があります ということですからま江戸時代からね冷凍 の技術とかが確立していない頃からきっと 調子のマグロは今と同じようにうまかった でしょうあとこれを紹介しなきゃだめです ねイワシのつみれです調子は江戸時じ イワシがものすごくたくさん取れた多分今 もいっぱい取れるんじゃないかと思います がこのイワシを肥料にして畑に巻いて豊か な農産品に変えていったんですね本当料 はすすごく儲かったらしいですよ昔あと 地味にこういう風にお杖に入ってる海藻と か美味しいんですよねやっこれもいいいい やつなんだなそれ取れるでしょうねお魚 だけではなく肉料理もありますでこのね 豚肉これはやっぱりの生産高ものすごく 高いという朝日の豚肉だそうです ようわななんだまた例によってこのごりが やたら美味しいんですけどこれももしかし てその特殊な醤油とかをこう混ぜたやつな のかなまま豚肉も美味しいんですけどこ 玉ねぎとかねここれシとるかこれ何つけて も美味しいやつだと思うんだよないや すごく良かったなごちそうさでしたお食事 会場も全部こう靴を脱いで過ごせるんです ねちなみにこのホテルの中に電動アシスト 自転車が止めてありますがこれ借りて漕い でいくことができますしかもここに返さ なくても良くてここから調子駅まで行って 乗り捨てとかねでかなり自由自在にできる 便利さ太平洋自転車とこんなも整備され てるの結構充実してるんですよやっぱ東京 から近い観光の人もいっぱい来ますからあ あ何このホテルから東大への近道があるの それは知らなかったああそこの裏口から 行けばよかったんだえちょうど東台のとこ に来た何かいるんですね大きな船がアカ2 かなあれは太平洋フェリーですね北海道の 苫小牧から39時間もかけてえ名古屋まで 行くフェリーですあのここら辺がこちょ 犬坊崎ねま当然ね船が一番近くのところを 通過してた方が近いですから色々見られる わけですねでもとっても良い漁場でもある のではもう近くを通過するしもう漁船は いっぱい通過するしで危ないということな んですね私たち観光客は気楽だもんです けどお部屋戻ったら布団敷いてくれてまし たこれね思ったより布団の部屋大きかった

ですあこんなにその後温泉も行きまして 温泉は大変大人気でお客さんいたんで撮影 はしてないんですがもうありとあらゆる賞 をそうなめ景色はものすごくいいし厳選 かけ流しのお湯もいいしということですね ま大変いいところでございますちょっと僕 僕がねまだ夜で寒かったのでえロテブロに はまだ行ってないんですけれどもこれ タオルを渡してくれてですね受け付け付き のいいお風呂になってます日帰り入浴も できる人気のところだそうですねじゃあ まだ10時回って少しぐらいなんです けれども明日朝早したいんでねもう寝とき ましょう井崎明日の日の出の時刻は6時 47分冬の時期はこれが日本で1番早い 日の出になります北海道のノサップみより こっちの方が早いそうですね一応 Googleで検索すると犬坊崎の日の出 は6時45分ということなんですが ノサップの方は6時46分でしてま ギリギリ今ね犬坊の方がまだ日本で1番 早いということになりますま本当はね もっと早いとかありますよさすがの犬坊崎 もさすがにエトロフ島には及ばず日本時間 だとえ6時43分エトロフ島ということで ねギリギリエトロフ島には2分を呼ばない んですがここ犬坊は冬の時期には地軸の 傾きの関係でもうかなり東の方の根室より ですねえこっちの方が早く朝日を見られる ということになっています富士山の方が もっと早いのかもしれないですけどあの 普通の人が行ける場所では1番早く日の光 が刺してくるんですねおはようございます 日の出時刻になりました おお完璧に晴れ渡った冬の関東らしい 素晴らしい景色そして僕は今から1分前に アラームをセットして目を冷ましました楽 でいいですねいや本当はねえ20分ぐらい 前にアラムをセットしてこの東台の元まで また歩いてってみようと思ったんですよで もよく考えたらあれこのホテル景色 めちゃめちゃいいところに立って温泉の 景色の良さで賞を受賞したりするほどなの だから自分の部屋から見りゃいいじゃんと 思ってね実際その通りですよこれが今の 時期日本で1番早い日の出となるのですね 私たちが通常見に行ける場所としては多分 数日後から日本で1番早い日の出は ノサップみさになるんじゃないですかね もうそろそろそういうシーズンだと思い ますじゃあ今日も最終日この長子起点にし て千葉県の最後の面を紹介したいと思い ますいや最後ってかま本当ね千葉県には いいところ色々あるんですけどもまこの 工程で紹介できるテーマとしては今回から

見ていく常川の旅が最後になるでしょう3 日間じゃ全然千葉1周は足りなかった なその前にまず向こうにですねもう1つ なんかこう三崎みたいに出っ張ったところ が見えているんですがあそこにお家が ぎっちり並んでるじゃないですか あそこは江戸時代からの歴史があります 戸川漁港でございましてあそこに上がった お魚もきっと私のに昨日入っただろうと 思います がここもねここまで来たら絶対見に行く べき場所でございますじゃあ朝からそれ見 に行こうと思ったんですけど高速バスが ここに来るんですかこのホテルの前にえあ 東京行き結構本数がありますね千葉の高速 バス事情はいいですよJRも大変だ絶妙に 立派な作りになっている犬坊 駅調子電鉄今はねもう会社は皆さん経営を 変わられて頑張ってるんですが今の2台前 の社長かながえ調子電鉄名義の借金をあの 勝手に横領したりとかですねあとこれそれ はまちょっと法的にあの政府なのかもしれ ないですけどその2台前の社長は建設会社 元々やらしいんですが自分のやってる 建設会社にこの調子電鉄のねこの駅舎を こう全部が発注してこリニューアル工事 みたいなしてたらしいですだから結構どの 駅も調子伝説の駅舎はそれなりに昔手を かけたんだなっていう印象の構造になって ますこれでねあと1息乗れば調子電鉄の 終点とかはですよさっき窓から見えました トの漁港を見に行きます調子はキャベツの 生産が盛ですあのこれを餃子にして売っ たりとかしてね調子電鉄も儲けていると いう話なんですが儲けていると言っても高 が知れてると思うんですけどまた昨日と 同じ車両大丈夫ですこの後はね違うタイプ の車両に乗れると思い ますいやでも本当昔の電車ですよ昔の京線 だから ねお客さんいないんじゃないですか朝この 方向に乗る人いない でしょ乗り込む時運転手さんにおはよう ございます挨拶したら運転手さんも挨拶し てくれましたこれねこういうなんか リクライニングシートがあるんですよ子鉄 今年歴史101年目になるそうですけども の長い歴の中で初めてのリクライニング シートらしいですにごましあいい景色 じゃん日本一早い朝日が差し込んでくる 周りは キャベツ畑千葉県ってなんか本当にありと あらゆる産業が全部一揃いになってるって 感じですねレジャー業も何でもあるどころ かレジャー業の頂点の東京ディズニー

ランドも千葉だし移動手段だって旅器A 380から調子電鉄まで全て揃ってますよ 調子の名物は朝日が電車に生えていいです ねこの都川駅はこれ大正時代に釣った時の そのまんまの駅舎なんだと思いますがま 立派な大量端ですよここ戸川のいいところ は駅を降りたらすぐ目の前に太平洋があり ますがその漁港のところからちょっと行け ばもう漁場になっているというリチの良さ らしいですねだからそれほど魚を取りに 行くまでに船に乗って移動しなくていい らしい です江戸時代に和歌山県からここへ漂流し てきて拾い上げられて助けられた人が礼に ここを素晴らしい港にしたいと開発をして から戸川先見と呼ばれるほどの古い街並が ぎっちりと今でもつってい ます建物はね結構新しくしてるところも 多いと思うんですがその下のこの石が すごいねこれは結構なやつでしょうこの 年代によって少しずつ上高さを増している ようですこの辺はコンクリートですけど この下の石材は相当前じゃないです かあとなんかどのおもみんな同じような形 してるように見えますねえすぐそこに防波 堤に囲まれた漁港がありますけれども昔は そこら辺の近くの海でイが大量に取れ まくりその取れたイワシをここら辺で水産 加工業者がいっぱい並んであの金尾と呼ん でいたと思います金のこやしえ畑に巻く絶 にいい肥料に加工してそれを売りまくって いたのだということですねえこういうね 木造2階建て平屋建てみたいな建物こう いっぱい並んでいて街中がこう5番の前に 至るところにあるというのが特徴ですね これいつのやつか な大正時代よりは新しそうですねま1番 新しくて昭和30年代とかだと思いますが この石垣とかは相当古るそうですよねそれ のこう上からコンクリートとかを塗り たくったりとかしてえ維持加工してるよう ですけれども要は元々多分ただのねこう急 斜面ま崖とはいかないまでもかなり急斜面 だったところだと思うですがそれをこう みんなで鳴らしてこう人が住めるようにし てそれぐらい価値の高い土地だったという ことですよねいい漁港ができたからロジに こんなものがあこれ昔こうゴラゴラゴロて こういうのを引っ張って魚の上に上げたん ですねこれはものすごく古いものってわけ じゃないのかなその戸川の漁港まで調子 電鉄が伸びてるわけじゃないからこれで 調子電鉄の駅まで運んで物を売りに行って いたという時もあったでしょう多分その昔 の時代戸川漁港で取れた魚を東京とかね

千葉市街とかに売りに行く必要があるんで そのためにも鉄道で大量に早く輸送する 必要があったからそれ調子電鉄が作られた という経緯だと思いますけど ねじゃあ30分ほど街中を散策してもう1 回電車に乗って帰ろうと思いますがこれが ねさっき乗ったのとは違う電車なんですよ うわしかも当たりじゃないです か この電車もうすぐ新型車両が入って引退 するということなので乗れるのは貴重です よ車内を一部レトロ町に回送した 1962年生だったかな昭和37年です からそうですよね大昔の電車ですいやこれ に乗りたかったんですよ久々に見たなあの 昔の電車っていえばこういう風な見た目を してるのが多かったんですよねいや昔の 電車って言ってもあれですよもう僕が 生まれる前どころかま僕の両親が生まれる より前とかに作ってたよな電車じゃない ですかこれ調子電鉄の竹本社長もお好き らしいんですけれどもいわゆる電車今 みたいな電車という概念が登場したのが 1950年代に東海道線に80系で湘南 電車っていうのができましてそれが大体今 の電車の思なんですがその当時風の デザインですよまこれはね京王線で使って たやつですあの東海道線ではありませんが 前と後ろで顔が違うんです 僕はやっぱさっきの顔が好きだなと思でも こっちもいいですよなも大阪の南海電車 から50年ぐらい使い倒したあの新品の 車両がやってくるとかいう話なのでそう するとこれはもう使わなくなるみたいです ご利用いただきましてありがとうござい ますこの電車は登り調子行きワンマン電車 です運転台の2枚ガラスがいいわけですよ ねもすぐついちゃいます間しか乗らない からねは降りるに前ののところで乗務員 さんの前で支払うことになっています ちゃんとに両替しておかないと 180円今ネットで見たんですけどこの 電車は今年度中ですからあと23ヶ月の間 には引退するらしい です動いてんの見れて良かったですよ まさかこれに乗れると はこれね朝のこの時間はちょっとチャンス なんですよ 沿線の景色の売りの区間緑のトンネル区間 を抜けていきますこれ緑のトンネルとして 作ろうとして開発したわけじゃなくてこう たまたまこういういい感じになったのを緑 のトンネルとして売ってるんだと思いです けど確かにいい雰囲気 ですでこれねなんで朝の時間はチャンスな

のかと言とま朝早い時間帯だけえ電車が こう30分間隔っていうかねこう1時間2 本ぐらい走る時があるんですが通常はもう 1個の車両こうずっと走らせてるんです けど朝だけはお客さんが多いんで本則を 増やすためにこ電車2個投入するんですよ だ今回2種類乗れたじゃないですか行と 帰りで時間をずらすと違う車両が来るん ですねじゃあホテルで朝ご飯を食べてから 行きましょうねこういうところがあるの か結婚式場なんかにお使いになるわけです ねあの普通の座席もあるんですけど せっかくなんで円卓を使って朝食いただく ことにしました焼き魚の種類が多いすねさ サバは分かりますけどイワシがやっぱ イワシを食べなきゃいけませんねであと カンパチがあると貴重だね醤油を美味しく いただけるようなメニューが揃っています あイカもあります ね味噌汁もありましたがアラ汁でしたいや なんか感動的に美味しいなこれえいや実は ですねちょっとこの時間の関係この後ね 予定があのかなり詰まってるのでもこれ だけ食べてババッと行っちゃおうと思って 実は朝これしか今日食べない予定本当は もっ色々あるんですけどねも十分に満足 できましたね多分調理自体のレベルが高い んだろうな物もいいし美味しい魚が大量に 集まる日本一のところですからそりは 美味しい魚を調理する技術も日本一レベル になるでしょうねじゃあ最終日も出発だ 調子の街はねものすごく広いというわけで はないので自転車でサイクリングがてら 回ることができます調子旅館ホテル組合 出発えこれはですね500円わずか 500円でお借りすることができました あの時間によって変わるんですけれども ここからま現在地はね犬坊先ホテルじゃ ないですかこっから調子駅まで行くと駅で 乗り捨てことができますあと調子電鉄も 一部区間自転車で乗り込むことができる らしいですでこれで2時間借りて乗り捨て で500円安いすねこれ使わない手はない ですよしかも自転車もめちゃくちゃいい やつだこれ整備もよくされてるしねえ車も 少なくよく整備された道で通り道の景色も 最高ですよんですかこれえ昨日行った犬崎 犬崎台ねまだちょっと朝の営業時間が 始まってないかなで中を見ることはでき ないんですがあの前これ行ったことあり まして中は螺旋階段になっていますで明治 時代初期に超重要な灯台だということで 作られたのがまだ今でももうそれこそ 150年とかですよねずっと前のものを 使い続けているすごいところで昨日みだね

レンズとかも間近で見学することができ ますレンズの台座部分とかもね見学する ことができるのでこれも絶対行った方が いいです今回はねもうこの間行った ばっかりなんでえ行くのはやめることにし ました右手につる平らな海岸は 金ヶ浜 沖合い海の南子慎重に高行 する荷物を運ぶ船たちの姿を見て私も安全 に自転車は漕いで行かなければという 気持ちにさせてくれますねいや本当に多い ですよあ結構なんか近くにもいるなあれは 多分長子高から出てきたやつかなお揺れに 揺れています太平洋のこの辺り揺れるん ですよね僕たまになんか太洋のコー乗っ てるとうわやっぱここは揺れるなみ感じる ことあります ね自動車運搬線かなあん中でわなんか自動 車運搬線もめっちゃ入れてますねアメリカ 帰りとかもしくはアメリカに日本の車を 持っていくやつだと思いますいや景色これ 本当にいいですよちょ今回ね自転車に固定 してあの景色を流しながら取るような機材 を持ってこなかったんでごめんなさい ちょっと走行中の映像あまりしっかり取れ ていないんですが歩きながらね撮ってます けど も岩がいっぱい並んでいい景色この辺とか に島とか有名なあの島があるそうなんです がただねこういう風に地味に眼地帯が並ん でいたりとかするので実はま今はともかく 江戸時代とかこの調子は主要な港ではあり ましたが入行するのがとても危険を伴う 作業で大変だったらしいです要はあのこの 目に見えないね水面下に隠れてる岩とかも あってそれに激突して船がぶっ壊れて沈没 してしまったりとか大勢の方が古くから なくなる危険海域だったそうですよ危険 ばっかりだ なそんな長子の勢について学ぶためにあれ 行ったら面白いと思うんすよねポート タワーがありましてこれを目指してね自転 車を漕いでいますイボから行くんだったら 自転車で行くのがやっぱベストだと思い ますね完璧に使いやすいようにしてくれて いますこれは何です か イケス多分昔養殖をしていた時代の大昔の イケスだったんじゃないかなああいうのも 何かに元々は使てたのかもしんないです ね着きました多分朝1番乗りでしょう今回 の千葉の旅ま僕はどこへのも全部楽しみに してましたが特に楽しみだったのはね やっぱ汚染転がしの球道区間とあとこの ポートタワーに登ることですねまだ開いて

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ちょうどこの辺がこう広くなっていて入口 は狭くこ波をそまさに今こう入ってきた 外洋の波をこうブロックしてくれる防波堤 の役割を果たしてくれながら入り口は狭い にも関わらず中は広いということで港とし ても大変使いやすかったそうですねそして ここから海へ出ればもうこの北の方から 流れてくる栄養成分豊富な北の親しと南の 方からの温かいクシがぶつかってまそれ だけでも栄養成分豊富ないい海になってる ようですけどさらにここからですねもう はるか群馬県方面から山の栄養をたくさん 持ってきた常川がどんどんここに注ぐと いうことで魚の生育条件としてあの ものすごくいいらしいですということで 取れましたお魚がここにあります調子漁港 さっきもね戸川漁港を見に行きましたが 調子にもまた巨大に漁港がありましてえ ここにですね水産加工業者がずらりで 向こうにもずらりでさらにまだ見てません けれどもえっとこっちにですねまこれ今僕 こっちの方からね犬坊崎の方から来たん ですが こっちにも笠神黒は光もう1個行光があっ たりとかですねで犬崎東台も見えますね 東台の向こうにはまた今ちらっと見えてる かなあの向こうの方に東川の漁港がある わけですけどももう何でもござれですよま 本当どこ見てもねものすごい公案設備の 充実ぶりでえどれも素晴らしいんですが やっぱり1番はこれじゃないでしょうか 陸に海に栄養を運び田畑を潤してきた オートネとこの辺りでは呼ばれております 常川の流れをこれを水して千葉県を語る ことはできないと思いますでなぜこれが 重要なのかまだ他にもありましてこの常川 を辿っていくとこれずっと遡るとね関宿と いう埼玉県の方行けるんですがでそこから 今度もう1回何かしてくるとこれ江戸川に なるんですけどそれでね東京湾のちょ ディズニーランドとかの辺りまで行けるん ですねすなわち太平洋各地から集まってき た船の荷物がこの調子の加工から常川に 入りますとこの川を遡ったり下ったりして 最終的にはディズニーランドの辺りを経て ま東京都心あたりまでですね全部これ船で 行くことができるんですねま今の時代こっ から船で東京まで行けるかわかんないん ですがまさに千葉県が生まれた当時はここ から調子から東京まで船で移動するそう いう船がねあの蒸気線が運行されてたそう です今の時代は千葉と東京を結ぶといえば あそこにいるトラックとかねまあとは貨物 列車とかだと思いますがま鉄道もなければ 当然自動車もないというような時代にま

東京からの高速道路がここまで来てたよう なもんですけどこれものすごく便利なこと だったのでえ千葉県が発足した当初最大の 人口を誇る町はここ調子市だったそうです よだから交通の便は昔からとんでもなく 良かったらしいんですがただ唯一の問題が もうこの辺りの潮流と船が多いことで岩礁 が多いことでここもねまた推進がどうなっ てるかとかを見ながらこから川に入って いくということがそ江戸時代当時 ものすごく難しいことで危険を伴っていた そうですで川に入ろうとしたあそこにこれ やっぱ岩場とかがあるわけじゃないですか あの岩にぶつかってしまったらお釈迦に なるかもしれませんということでえあの 安全性としてはあまりえ素晴らしくはない という状態であったのでじゃあと江戸時代 の初め頃にですねまうはるかあの仙台とか ね盛岡とかそっちの方からこう船でえ太平 洋の方向ぐるっと全部調子をスキップして いってしまってでその後昨日あの山とか見 ましたけれどあの伊豆大島とかね伊豆半島 とかそっちの経由してえ東京湾に入って くると東回りルートというのが構築された そうでありますそれもやっぱりね千葉県の 周りを回ってくる重要航路であることは 変わりないのですが江戸時代に作られた 暴走の外側を回ってくる東回り海雲は今で も大活躍していますあれ多分苫小牧に行く やつだと思いますけどまさに東回りルート でやってますね千葉の大同脈の1つですだ からもう千葉県の外周は全部重要地帯 だらけということですよ東回り海雲のこ 重要地帯で東京湾のこの辺にこうも重要な こう漁業日型江戸前の生産地帯でえ常川も これもまた江戸へ向かっていく高速道路で こうやってこうやってここう行くわけです よねこれ千葉君の形してるわけですけど これいろんな使い方があるんですね千葉県 には最終日の本日は今朝の9時ぐらいです けれどもこの常川の大動脈ルートを使って ま結構ね千葉っていうとここの辺の観光が 多くなる印象なんですがちょっと千葉の こうこの辺がねまた結構すごくいいのでえ ここを見て私たち東京都民から千葉の皆 さんへの150年仲間として活躍して くださっていることよの感謝の意を伝えて この動画を終わりにしたいと思います今日 1日後ありますよろしくお願いします そしてこの辺りが我が国の無線電子発の地 だそう です横浜を立って東回りルートに入って シアトルへ行ったという日本優先の船かな それのこう無線通信をここういうのあ今で もありますよね高いタワーを両側から支え

て他にもこっから連絡通路を直結でシー フードレストランとかに直結してますんで ぜひちょっとまだ僕朝ご飯食べたばっかり なんで今行きませんけどそして市街中心部 や調子駅の方面向けて整備されてこの自転 車の案内ルートに沿って進んでたんです けどそしたらねなんかあるものが落ちてる のを見つけたんですよこれですあ落とし てったんですねこれが調子かその後もただ 適当に川の加工部に沿って進んでたんです けどもままずね道にめちゃくちゃ魚が落ち ててもうみんな潰れてるんでね見た目が 良くないから映せなかったんですけども街 は魚だらけだしこれなんか置場があります けどこれはレンガじゃないですかもう明治 初期のやつだと思いますその頃からこ ずらっと魚関係のものは並んでたんですね と思ったらこれこれはな何ですか特に観光 案内とかされてないみたいなんですけどあ でこんなまた船の横通り抜けるこういう 特殊な設備があるあるんですねいやなんか すごいとこだねこれ特に観光案内なんか 乗ってんのかもしれないですけど僕は ちょっと名所とかそういう風な解説も 見当たらないですねこれも明治が対象の時 のやつだと思いますよお魚の倉庫ですよね 魚が落ちてないか探してるんじゃないです かもうそこら中に落ちてますからほら なんか多いですよあっちに魚があるかも しれないぞ川の内側にもう1段階防波堤を つけてさらに川にしていますだからより波 が穏やかな一番奥まったところに調子漁港 があるんですねここのすさはよく分かり ましたあの大昔明治時代ぐらいの頃って 本当川の加工のところに港作るのが定番 だったらしいんですがその当時の様子を よくとめてるのは僕が知ってる限りと新潟 港と長子校かなそれすごいですよもうこの クラスの漁港になると調子の人たちだけ じゃなくて多分はるか遠くの漁船が いっぱい入ってきてるんでしょうねも港を 埋め賑いです また例によって調子市街はめちゃめちゃ でかいわけなんですけれどもま自転車で あればススですね進んできますと調子電鉄 の踏切りがありますこの奥にね調子電鉄の 本社あれが本社だったかなえ調子電鉄の 本社も併設の中野町駅とかがあるんです けれどもその裏にね大きなタンクの工場は ありましてここからねなんか独特の香り これ醤油を作っている香りです調子に来た ならばこれは外すことができない醤油工場 山醤油調子工場でございますここで完全 予約性で見学をさせてもらうことができ ます会社のマークの右上にジと書いてあり

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群馬県小麦とかま栃木県なのかなあのここ ら辺でやっぱ取れたそうですねあの群馬も 結構多かったと思うんですけどでそこら辺 も全部常川とかねあのここら辺の水運を 使って調子に集めるのは簡単なよくできた 物理毛だったんですね常川水運江戸川の 流域で取れますま塩大豆小麦などを全部 帰り開いた樽に入れまた調子へ持って帰っ てくるという往復ともに荷物がある完璧な 運用だったらしいですここにはまだ千葉県 が発足して間もい頃の調子の醤油作りの 様子が描かれています山田醤油の工場は 当時は常川のすぐ近くにあったんですね今 はおそらく漁港とかあのスペースに全部 変えられている場所だと思いますが昔は川 こそがこの千葉県下地方の超重要インフラ で他にはない利便性があったわけですから ま川の近くに工場がでも明治の中頃には 鉄道網がこの辺りまで伸びてきてま やっぱり水運より鉄道の便利を生かしたい よねということで現在の山田醤油はまさに 鉄道のすぐ横調子電鉄中野町駅と一体と なって作られているんですね中長駅から ほんのちょっと行けばま歩いても行ける ぐらいの距離にJR調子駅もあります そして鉄道輸送よりも自動車輸送の方が より経済的だということになり現在鉄道は 衰退しまして代わりにさっき見たような 自動車が頻繁に工場の中を生かっていると いうことだそうですえ見学はまだ色々 できるんですが一旦ちょっとここで外へね 出てみますと江戸時代雰囲気で色々演出し てくれているんですが江戸時代もしくは 明治時代の初期という感じですよね演出を してくれているのですが1か所ねうわこれ は気になるものがありますこの上の上屋 ですね屋根ですこれはね僕の経験ではこう いう風な屋根付きの場所があると大体その 下は鉄道が昔は通すたんですここに線路が 引いてあったはずなんなんですよでここに 貨車が入ってきてで今は見学場所として 整備されてるここですがおそらくは元々 その製品醤油とかを置いていた多分倉庫 だったんだろうなと思いますでこっから こう向こうを見ると今向こうはねえ おそらく団体のバスドライバーさんの 休憩所としてこれ建物が1個作られてい ますがそうですねこっから何か意味ありげ に上に上げられたパイプ多分この下を貨車 が通れるように上に上げてるんだと思うん ですねでここに行くとねもうすぐあの調子 電鉄の線路JRの線路に合流するようにな ますこれはここに昔貨車が来てたんですよ ね山澤昌雄さんにお聞きしましたら やっぱりそうらしいですだからこの見学

施設自体がま昔こんな感じだったっていう ことですよねその歴史的な場所をそのまま 見学施設として使わせていただいています あそもそもどうして醤油を調子で作るよう になったのかということなんですがここに 紀州岩と書いてあります和歌山県ですね これ金半島ですでえやっぱり技術の進歩 元々は関西方面の方が優秀だったらしいん ですけれども特に発行技術とかそうですよ ねこれ和歌山県でこういう風な醤油像をし ていたらしいんですがこの黒シは日本の 南側を時速5kmぐらいで北向きに結構 早い速度で流れていてまこれによって たくさんのお魚が調子漁港にもたらされて 全国1位となっていますですがそれだけで はなく和歌山方面から適当に船に乗って 漕ぎ出すとま大体長子方面に連れてこ られるらしいんですねベルトコンベアです よつまり調子は豊かな魚だけではなく関西 の進ん技術も黒潮によって手に入れてきた ということらしいですであと山醤油の 先ほど言ったこのジというマークですけれ もま実はねライバル会社のすぐ近くにある 日田醤油さんも同じマークをつけている ようなんですがこれどういう意味なのか なって僕そこまで知らなかた考えたこと なかったんですけどえ1864年あの当時 爆発に物価がね海外っとの取引の関係で とんでもなく上昇してたという時期があり ましたけどもその時にまどんどん物品の 値段はもう割引きしなさいというに幕府 から命令が出ていただそうですでも山醤油 は高級品だからまこれ品質がいいので根を 下げるに及ばず高いまんまでいいですよお 住みつきのマークだったんですねそれ ぐらいの高級品だったそうですその高級品 の醤油を頂いて帰りましょうここで醤油 ソフトクリームを出してもらいますコロナ の時期は販売していなかった時もあった らしいんですがま今ね販売再開しつつある ということでプレ販売たまたま今日売って みましたラッキーです最初は変わった味だ なと思って食べ始めたんですけどワッフル との組み合わせがいいですねこれと一緒に 食べるようになると最高ですま日本人特に 関東人は何でも醤油つけてうまいうまいと 言って食べてしまうと思いますからねその 価値観はここが作っていったんですね 新しい私たちの価値観は今日もここから 殺しされてますよあの最近のお醤油ねもう 鮮度を保持するこういうのポタポタポタと 垂らすやつが多くなってきたと思うんです けどもうそれは普通ですよねどこ言っても これね山醤油発生らしいです割と最近です よねここ10年ちょっとぐらいの商品だと

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みようと思います調子から東京方面には 路線が2つ出ています芝行きとありますが 24分発は成田線で44分発は総武本線 ですサ回り妖怪市場回りどちらにし ましょうか案内されていますえ昨日も乗り ました特急潮最後が通るのは近道の総武 本線ですなですが歴史的なあの川の道沿い の方に進むのはですねこれ成田線ですね これから佐原成田と回って桜でまた総武線 と合流する鉄道になります長線橋風よけの ためかなこれ壁が高いんですけれども 向こうを見れば山醤油の煙突が反対を見れ ば日田醤油の煙が登ってるのが見え ます電車のルート色々ありますんでね千葉 行きが2つあってもどっちの千葉行きか 間違えて乗らないようにしましょう成田線 の千葉行き です調子駅もこうがいっぱいあるんですよ ね昔醤油やお魚を満載して貨物列車がき でしょこれから進んでいく成田線は全部 普通列車で使っている車両は昔東京の京浜 東北線で使っていたやつですでもこんな 感じで荷物を置けるようになったりとかね いい感じで改造してくれてますね好きな 電車です ねさあ田油の工場がこれも昔は貨物列車が いっぱい出入りしていたんです ね 続きます ます前にここで見学してお土産のお商業を もらいました広大な農地を見ながら左手 東京千葉へ直行する総武本線と分かれます これから進んでいく成田線は佐原成田を 経由してこの後孫子柏と出まして次の目的 地は野田ですこれがね常川水運と役割を 受け継いでるようなものじゃないですかね 遠征今の時期になっているのはキャベツが 多いようですが広大な農地千葉の力を感じ ますあそうそうこの辺一体も米どころ別に お米の名産地として売ってはいないみたい ですけど醤油だけじゃなくてせの原料に なって米も芝でいっぱい作られてますよ この辺は最近はやってないのかなでもやっ てる田んぼいっぱいあると思います水に 恵まれた沿線には笹川小川など川と名前が つくような土地が多いような気がします ここからは常川そのものは見えないかな この向こうにあるんですよね向こうにまた ずらっと並んでるコンビナートがあります があれは鹿島臨海工業地域ですねおそらく 京葉工業地域のあの千葉のライバルとなる ところだと思います太平洋に面した立の いいところですまさきねもうちょっと手前 のところでトガが見えてる区間もありまし た水の豊富なところですから沿線は本当に

延々と田んぼが続きますま1個手前の川駅 でも駅の裏手のところにお米屋さんがある のを見たんですが多分昔はこのお米屋さん の正面に鉄道が引いてあってここで作った お米を鉄道を使って東京へ輸送していたん でしょうそして鉄道ができる前は常川を 使って東京江戸へ輸送していたん でしょうさて列車は次に佐原に着きます この佐原は千葉県が誕生した明治時代の 初め頃調子市千葉市などについで3番目に 人口の多かった重要拠点でしたちょうど 千葉県誕生150年のポスターも貼って ありますがあもうこれ行ったところ ばっかりじゃないですかこれ昨日行きまし たねビワクラブこれ左はねもう建物は存在 しないんですけれども昭和30年代まで あったのかなというすごいリプな旧千葉 県庁昨日今の県庁は横から見ましたでこの ど真ん中一番上目立つところにありますの が佐原の街並ですJR佐原駅に地図が貼っ てありますこれはあの駅の向きに合わせて ありましてえこの左側が調子です今ね こっちからこうきてサについたところなん ですけれどもここに江戸時代までの物流の 大道常川ありましてでこの辺りのブシが 集積する地点としてこの常川から分れた 小野川沿いに沢にはたくさんの商売をする 人たちが住んでいましたでそれが ものすごく儲かりまして 千葉の繁栄ぶりをここに示す景色が今にも 残っています重要伝統的建造物の保存地区 ねそして今でも川沿いに水運時代の建物や 明治時代の建物が多く残っているという ことなんですねでこういう古い建物が残っ てるの本当に貴重なことでまず日本あの 戦争で巻くまして空襲がねものすごく たくさんありましたから今あそこにあれ 成田に行くやつなのかな飛行機飛んでます けれどもあの空襲はどこから痩せたのか グアムとかから痩せたみたいなやですが今 でもね成田空港からグアムに行こうとして 飛行機に乗ると多分この上の方通ると思い ますあのこの辺りそんな感じでえ関東ま 東京周辺を空襲した飛行機が帰る時にこの 上を飛んでてなんか爆弾が余ってたので 結構落としていったらしいんですねだから 街の規模に対して空襲の被害がかなり 激しかったらしいんですがサは幸いなこと に大規模な空襲を受けることがあまり なかったようですだから戦前や明治時代 江戸時代の建物を今でも見ることができ ますこういう有線もありまして道の駅から ね川を通ってこの中へ入ってくる体験をし たりとかまあとはこの水路を生したりね やろうと思えばこっから茨城県の方とか

までずっとこう水路を使っていくことが できるんじゃないですかねというぐらい やっぱ常川があるぐらいなんでこの辺りは 昔から水の便がものすごく良かったそう ですねで良かったんですけれども明治時代 になりますと鉄道ができまして水運がすた れるというのが一般的な歴史の流れですま ところがですね鉄道も全てをカバーする ことはできなかったんですがこの辺には網 の目のようにいろんな路があったのでだ から自動車交通が発展する昭和340年代 ぐらいまでですかねまではねおそらくなん だかんだ街の基本的な経済はこんな感じ だったと思います よ佐原は関東有数の商業の町だということ でこれも多分もっと銀行だったんじゃない かなも商店も古い建物がずらり並んでまし て街全体が商店街みたいな感じになって ますしかも結構頑張って営業してるところ が多いと思います ああと時間があれば食べていきたかった ですねウナギが触らの名物ですよねもう こういう風に海から近い川にはウナギが魚 ぼってきますしウナギのタレといえば結局 は醤油文化ですから調子から届いてるもの ですよここ触らでも作ってたんじゃないか な醤油はいっぱいあったらしいですよ名物 ですえ平成の初めぐらいまではデパートも あったんですよそのデパートはずっと閉店 した後廃墟みたいな感じになって残ってた んですけれどもついにですねこんな新しい 綺麗なのになったんだ今新しい建物が立ち まして千葉銀行も入りましてこれ人が どんどんそ今ねサが1番観光客少ない時期 なんじゃないですかもうお正月も開けてね 成人式も終わっても全部1番暇な時期なん でちょっとなんか街中換算してるように 見えるんですけどあの1番チャンスの時期 に僕が撮影しているということなんですね もうゴールデンウィークに来た時とかもう ものすごい人でしたよ時代の変化と共に 関東代表する商業の港でもうありと あらゆる企業が林立し高層ビルが並んで みたいなそういう感じではなくなったかも しれませんけれども昔の雰囲気を皆がよく とめてくださったので原は千葉を代表する 観光名所として今地位をどんどん高めて あります駅も綺麗になりましたねルート インこれこんな和風のルートインなかった ですねこれ今回は広く千葉を見ていくこと が目的なのでわずか30分の滞在でしたが 1日楽しめる場所 ですこの原駅の裏手のとに市の道 千葉の道調車が立ってるようなんですがま これ今はね合道調車とか駐車場とかになっ

てるんですけれども昔の地図を見るとこ ですね昔これ裏全部船場だったんですね 明治になって鉄道が開通したらばこの辺り の広い川広い部屋豊かな実りを全部このサ 駅の裏手のところに船で持ってきて集めて この成田線で東京や千葉へを送っていたと いうことだそうです だから今でもこれこう広いんですね駐車場 とかが残っていますこれも関東の歴史の1 つを紡いだ場所です よ走っていると小規模の川を何回も渡っ たり横切ったりしますこの辺りは水と呼ば れていましてそこにもすぐ川が並行します し足大陽に並ぶこの便利な川を船で移動し てサ駅を目指しサ駅からは貨物列車へ 積み替えていたということらしい です 成田駅に着きましたもうこの成田線と すごい路線でしてここ成田からですねま 成田空港に行く路線もあれば銚子に行く 成田線もあれば千葉駅方面に行く成田線も あれば上野駅方向に行く成田線もあると いうことですねまどれも全部成田あれも 成田線とは出てるんですが全部行き先が 違う成田線なんですね成田線と言われた だけではどこへ行くのか全然わからないと いう凄まじい場所になっていますまこんな 交通大ターミナルとなってる成田ですが 明治時代に最初も千葉県ができたぐらいの 頃はですねもこの辺は常川の水運が便利 ですから鉄道はいらないでしょみたいな 考えがあの主流とされてたそうですね日進 戦争きにやっぱ鉄道作った方がいいかも しれないな作るようになりまして1970 年代には日本一の大空港を作ることになり ましてもう機バンバン発着今は電車がい 機会もうどの電車もなんかすごい長く繋げ たりとかですねすごい貢献になっています でなんと言っても成田さん新商時が有名で 新正そのものもま今の時期初詣とかで 賑わってると思いますしそれからその周り 門のところにも昔の建物がいっぱいあって また名物のうなぎの死があってですねこれ も美味しいんですけれどもそれ僕もねあの 今までたくさん行きまし紹介しまし た 次は武佐です この時間はアビコで乗り換えでした死のお 蕎麦屋さんがあるんで食べていきましょう ね関東風のおそばをちょっと列車の時間も あるので梅雨を少なめでお願いしてね冷め やすいようにお願いしてしまったんです けれども梅雨の色が濃いですよね関東のお そばは濃いです関西に行くとまそばって あんまりないですけど関西は色が薄いです

よね米川の水油によって生み出された千葉 の醤油文化の多大な影響を受けているわけ ですよ ね乗車ありがとうございます柏駅で降り ました乗り換えのために来ただけですが柏 はすごい大都会です駅前もデパートやら 色々ありますけれども千葉県内の鉄道上行 客数1位の西船橋2位の船橋に続いてここ 柏が3位となっていますまちょうど現在地 こんな感じですねえ千葉君で例え言います かま千葉君で例えるこのま目の前あたり ですかねさっきまでねあの耳の先端に 当たります調子に降りましたもうほぼチの 輪郭もえぐるっと一周できているかと思い ますまご存知の通り千葉県の形を元に千葉 君が作られてるわけですけれどもこれ千葉 君のね顔の部分の輪郭のまこの少子から 入って埼玉こ県境ぐるっと鼻を描くように して東京湾に注ぐこの常川水運のルートが 千葉県の形になったんですね柏駅の利用者 が多いのはいろんな鉄道が乗り入れている からなんですがま東武野田線がその中の1 つですでこの野田線に今から乗るんです けどこの野田線の柏駅はこで行き止まりに なっていますで行き止まりになっているん ですが別にこの駅は終点の駅ではありませ ん途中駅なんですねご覧のと例えば路線図 で見ていただくと思いきり中間の駅なん ですがいかにもそれにしては終点の駅 みたいな雰囲気で営業していますこれなぜ かというとま柏よりもこの右側の船橋方面 と柏よりもこの左側の野田方面で元々は別 の鉄道でしたで柏から野田までの間は千葉 営鉄道だったんですね 運ん皆さんおしの通りこれ醤油運搬のため なんですね醤油鉄道でございます結構古い 車両来ましたねえ多分 1970年代ぐらいのま40年か50年 ぐらい使っている電車だと思いますこの字 なくなる結構貴重があんじゃないですかね 東部野良線の8000ね千葉は古い電車 しか走ってないんじゃないかみ子伝説を なんか50年60年使ってる電車奇跡的な ことなんですよでえ今着きましたがここで 明りを消して白い前哨灯から赤い美島に 交換すると思いますまちょっとせっかくな んで付き合ってご覧になって ください変わりましたねこれ進行方向 切り替えスイッチバックです大宮に止まり ます次は流山大森山大森に止まり ます さて目的地の野田駅に着きましたここは川 水軍の恵みを受けて目の前に光マの醤油 工場がありますここの3台醤油製造が全部 千葉県にあるんですね醤油作ってる匂いが

すごい強いかなと思ったらこの東武線のね 古い電車の匂いがすごい強かったですね あの電車ブレーキをかけると匂いがするで いい匂いですけど野駅って最近新しくなっ たんですね前はね地上の駅だったと思い ますよでここのキコマンの工場で作った 醤油をそのまま鉄道に積み替えていたはず ですから今まさに新しい鉄道を作ってる ところそうですねまともかく駅の周りこの 高い高架の駅から見ると全部醤油工場じゃ ないですか前はすごく立派な駅舎があった らしいんですが今仮の駅舎になってまして これがですねまた今新しいのも出来上がっ てるところですこれも立派ですねここが 調子と並ぶ醤油の聖地野田のキコマの工場 ですね本拠地です あ左のタンクがもちろん目にですこれは すごい迫力だと思いますがそれだけじゃ なくてこの昔の事務所の建屋ですね今も そのまま使ってるのかなこれも相当前の やつじゃないですかというね昔の建物が目 の前でかっこよく並んでいる光景から 入り口からして機体がかかりますあとこの 入り口の真横なんですがあ今はねもう千葉 県営鉄道も東武線でえ醤油を運ぶという こともなくであそこにそのトラックが出荷 していくような場所があるみたいですけど も何今周りがこれすごいことになってます ね野田駅あの駅も新しくしてるんですけど それだけじゃなくてその周りにもねまこの 辺にも将来またあの色々立てるんだそう ですねこう商業用地とか野の歴史が分かる ものとかでかなり多分立派なものが色々 並ぶんだと思いますがま今まさにそれやっ ているところなので駅までええなんか駅前 にこれお家なのかなお家が数間経っていて あとは正工場だけものすごく大きな街なん ですけれどもなかなか他では見られない 独特の光景になっていますであのトラック が入っていくところとか元々その千葉県営 鉄道とか東武鉄道とかの貨物列車が入っ てるところだったらしいんですねでここは なんか輸送拠点だったらしいんですがま 多分鉄道が使わなくなったりとかしたこと とも関係するんだと思うんですけどこれ 土地があの一部有給化してこういう風に サチになったりしてるところもあるらしい ですま一時的なものでしょう本当に全部 醤油工場で埋めれてましてまさにこの鉄道 も醤油のために作られたのだなという感じ がします駅前地全部醤油工場うわうわ すごいなんかすごく強烈に醤油の香りが するトラックが通過しました通常の10倍 ぐらい醤油の香りがするんじゃないかなま あんなに遠くまで行ったのにまだ

ものすごくずっと醤油の香りがしなた少し 時間が経ったらあの醤油の香りのする トラックまた出てきましたもうあれが通過 してからね風ちょっと吹いてるんですけど 2分間ぐらいはこの辺りがずっと醤油の 匂いに包まれてましたよそしてここも非常 に人気で完全予約性なんですけれどもキコ ま物知り醤油感として中を見学できるよう になっておりましてま解説を受けて中が どんな作ってるかに見学させていただい たりとかですねあとは醤油カフェがある そう作り立ての醤油をいただいたりとか することができるそうですここ以外にも 一般に見学解放とはされていない醤油工場 がまだ野田にはありますまでも外からでも 色々すごいものは見られますけどねここな お城みたいなのあるじゃないですかこれ 1939年から使われているもので区内町 にめするための専用の醤油を作っていた五 グだそうですで今でもその目的で使われて いるそうですだからあのお城みたいな屋根 の建物で作った醤油を天皇陛下ものみに なってるってことだと思うんですがなか 天皇陛下って京都の人みたいな印象だった んですけどあやっぱりもう関東の口に 馴染んでるってことなんですねなんか東京 は日本の首都だみたいなちょ実感を持たせ てくれる光景でしたえこの野田駅前の醤油 工場の群れなんですがもものすごい規模 ですけれどもただねここはちょっと川から 離れてるんですね元々は川の水運の利便性 が非常に高かったからここに醤油場群が できてるはずなんですがまそれにしたは川 から2kmほど離れてるとじゃあその水運 の拠点となっていた川の近くになんかない のかなと思って見てみるとねこれあるん ですよこれキコマンフードテックとかここ にこう工場がここ行ってみましょうここが 千葉県の1つの本会ですよ駅からちょっと タクシーに乗って川沿連れてきてもらい ましたまこれね左手方向にも色々あるん ですけどちょっとまだこれは見ないで よいしょ土手の上によじ登りますと目の前 に江戸川が流れておりますえこの江戸川は 常川水油のルートを構成するわけですけど もこの右手方向に行くと沢調子方面で左手 に行けばまディズニーランドとかがある 東京湾方面ということになりますがこの 川沿いに醤油工場がずらっと並んでいるの です今はねもう地対策でこういう風に土手 がいっぱい作られていますしもう船で原 材料を運ぶということはありませんが昔は 全部この川から材料を運ぶことができたん ですねえこの1箇所だけではないようです よここもそれからここは一部木が入って

ますがしかしここにも工場があってさらに 向こうまでこの辺り一体はずっときこマの 醤油工場が並んでいるのだそうですいや ごめんなさいもしかしたら今醤油じゃない ものも作ってるんでね違うものかもしれ ませんが並び揃うキコマンの工場以外にも 土手沿いに目立つものがありますこれです ねこれは増田さんの旧増田住宅と書かれて いるんですが近代化産業遺産登録計分化剤 として指定されているものなんですがまず これレガの兵があるんですがこれは昔この 江戸川が氾濫してしまった時水位が上がっ た時に中に水が入ってこないようにする ための壁として作ったようですま今は こんなに立派な土手がありますが昔は大変 だったんですねえそしてこの江戸川が東京 と朝子との間を連絡する大動脈であったに ここが東屋さんとして野田の町で荷物を 下ろしていたんだそうですね水運時代の 建物ってもうほとんど残っていない中で今 でも川に面して残っている貴重な建物です が内部は生活の場となっているそうなので 外から短時間のお邪魔にならない程度に とめましょうですごいのはねここに工場軍 が並んでるだけではなくもこういう風な 東屋さんが他にも川沿いに残っていると いうことですねあのさっきの僕が降りまし た土手はこの上でもう今は全く川と近く ないように見えますが昔この辺りはそう いう大豆とかね塩とかここの醤油を売っ たりとかするト屋さんの集まりだったん でしょうでその当時の建物が残っています ただここもまた例によって現代でもこう 使用されてるというすごいところですので ま隙間からちみする程度であればね国の 登録有文化財なわけですからあの問題は ないと思いますがこの奥に見えている建物 と手前のこの建物ありがそうです ね野田の川から続く江戸川の際にはこう いったト屋さんとかもいろんな醤油の業者 さんとかがずらっと並んでいてその業者 さんたちがみんなで寄り集まって作ったの が今のキコマになるのだそうですあと土手 は高いところにありますからね中を見学 できるのがいいです隙間からこれ多分お 醤油の現在料のえこれ大豆とかだと思うん ですけどこれ大豆ですよねが今届いている 光景が見られます昔は調子の港から川に 入ってここからやはり大豆が入っていっっ たということですね醤油作りを通じて千葉 県経済連盟機のまどのような基礎体力で あったか明治の初め頃千葉が最初にできた 時はどういう風にして千葉の人たちはお金 を稼いでいたのかっていうのを勉強できる 街が野田ですね野田で会ってます野田です

かイントネーションちょっとこれ不安なん ですよさっき調べてるんですけどわから ないあタクシーの方に聞いてみようあの 教えていただいたんですけどすいません僕 ずっとね野田って野田はあの大阪の方です ねえ野田が正しいようですすいませんでし た野田駅に戻ってきてなんかさっきよりも 生産ラインが変わったのか醤油の匂いが だいぶ強くなりましたねさっき着いた時は しなかったんですけどタイミングによって も匂いが変わるみたいです野田にはまだ もう1箇所見たかった場所があります野田 市駅からちょっと戻りますと二駅お隣です ね運河という駅があります運河なんか オタル運河みたいないい景色あるんじゃ ないかみたい想像になりますけどもそう いうのはないんです が 運河に着きましたこういうなんか普通な 感じのところなんですよね普通な感じなん ですがすごいものありますよこれですね いや知ってる人にとってはこれはすごい 光景だと思いますよこちらはト運河と言い ます向こうが東京方面でこちら側が銚子 方面ですいくら常川水運が便利だと言って も調子から入って関宿まで延々と北上し そこから鋭角に降れてようやく東京湾を 目指すというこの遠回りにあるルートは ちょっと面倒くいですよねということで なんとかならないのか明治の初めぐらいに ト運河というのを作ってしまいましたこの 部分を日本で初めての西洋式大規模な運河 として作ってしまったのですまそれを意識 したものではないと思うんですけど ちょうどねこの千葉君の鼻先のこの黒い 部分みたいな感じで千葉県の左上のとがっ た部分をすっと短縮これによって東京湾 から太平洋までは一気に近くなってしまっ たというト運ですしかししか現在は結局 鉄道の方が便利じゃないかさらに鉄道より 自動車の方が便利だねということでまアニ ですね使われてはおりませんがしかし明治 の初め頃に人々が一生懸命これを掘り抜き て1890年ぐらいに完成したそうです けれどもこんなに立派なものを作りました あ特にあの辺とかをズームしてみるといや これ明治の初めの土木技術が何もないよう な時代に作るのは大変だっただろうと想像 できます昔はもっと水量が多かったみたい ですねでこの運河がなかった時代に東京子 館が蒸気線ウィリみたいな外輪戦で18 時間かかっていたようなんですが多分 ちょっとデータないんですけど僕の見立て だと18時間が134時間ぐらいに短縮さ れたんじゃないかなと思いますこういう

景色はねアメリカとかあのイギリスとか ヨーロッパとかに行って僕結構鉄道からね 景色ずっと観察しててこういう景色 いっぱいあったんですけど日本で見たら僕 これが初めてですほとんどないんじゃない かなヨーロッパ諸国とかアメリカとかと 違って日本は西洋式運河と鉄道が両方とも 明治時代になってから伝来しました運河が 先にできて鉄道が後からでき るっていうのは大体のパターンだったん ですがま結局鉄道が作れるんだったら鉄道 でいいよね運が別に作んなくてもいいん じゃないかみたいな感じですね日本では あんまりこういう運河というのは流行ら なかったんですねあの樽運河みたいな港の 運河ってのはありますけどこういう内陸を 思いっきりつきる運がっての他に大規模な もの僕は知りませんそういった事情 差し置いてもこの内陸の地にこんな深い谷 を掘り抜きてしまうぐらいに千葉の水運は 東京からなくてはならないものだとして 求められていたということなんですね例に よっていつものような長編だったと思うん ですが千葉県150年をお祝いする動画 最後の方までご覧いただきありがとう ございましたあとはこのト運がそして 江戸川の流れ水温の道に沿うようにして ゴールの地前浜を目指してみたいと思い ます [音楽] ご乗車お疲れ様でしたまもなく終点下橋 終点下橋に到着いたしますお出口右側です JR総武 線 [音楽] [音楽] 1 [音楽] [音楽] H [音楽] 千葉県の旅もついに終わりですねここが 生誕の駅舞浜ですここから列車によって あと少しだけ進みますとあそこに大きな 鉄橋がかかっているのが見えますがあの橋 を渡って常川水分の三筋すなわち江戸川と 東京湾の府に達しこれで千葉県から東京都 へ入っていくことになります水運とか海の ルートとか様々な資源をもらったりとか 私たち東京に住む人間は千葉県の色々な ものに古からお世話になってきたのだと いうことを感じていますがよく考えれば このディズニーランドも千葉県最大の観光 地で私たちとには毎度千葉県にお邪魔して ディズニーランドテーマパークを楽しん

だりとかしているんですね千葉県今回回っ てみて思いましたけど全てを持っている道 府県のうちの1つだと思います お客様のご協力をお願いいたし [音楽] [音楽] ます この先電車が揺りますのでご注意 [音楽] ください [音楽] 動画最後までお楽しみいただきありがとう ございましたいや知識としてはね知って ましたけど調子で常川の加工を見て常川と 一緒に並行する鉄道に乗って野田駅前です 強い醤油の香りを嗅いでそれを記憶にとめ たまま東京で行マの醤でねもちろん山醤油 もすご良かったですけどもそれで食べた あのお醤油の あ東京の文化ってのは千葉から来たのかま いろんなところから来たいろんな文化が あると思いますが千葉から相当多くの恵み を私たち東京富は受け取ってきたのだなと いうことをえ改めて感じられる旅行になり ましたこの輝く東京の夜景も東京がただ 1人で作り上げてきたものなのではなくて これを形成するのに芝県が果たしてきたの 貢献ぶりも相当なものがあるわけです本日 は私が住む東京都の東の大切なパートナー 千葉県さんの発足150年をお祝いする 動画を作らせていただきました千葉の皆 さんいつも誠にありがとうございます 150年おめでとうございます

2023年は千葉県誕生150周年です。
千葉県の観光情報は
県の公式観光サイト「ちば観光ナビ」をご参照ください。
https://jpn01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fmaruchiba.jp%2Findex.html&data=05%7C02%7Cs_yamamoto190%40jtb.com%7C470c7497c1954f7d911808dc2d49d4f8%7Ccea04946421d42f9854101db3469d389%7C0%7C0%7C638435042632078401%7CUnknown%7CTWFpbGZsb3d8eyJWIjoiMC4wLjAwMDAiLCJQIjoiV2luMzIiLCJBTiI6Ik1haWwiLCJXVCI6Mn0%3D%7C0%7C%7C%7C&sdata=S6JMiHtvxqn%2B2m18NanRrC%2BqRWquTUy7WH%2B3lIJLDpE%3D&reserved=0

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0:00:00 千葉県へ出発
0:01:16 船橋の干潟へ
0:12:09 日本最大の港・千葉港
0:21:28 外房の要衝・小湊
0:28:15 目もくらむ断崖の旧道
0:44:55 文化財の旅館・松の家
1:04:44 2日目・勝浦から出発
1:13:46 崖観音と桟橋から海を望む
1:26:36 道の駅でびわ製品のご紹介
1:32:26 大都会・千葉駅
1:37:40 歴史的な要衝・佐倉
1:55:13 岬のホテルに宿泊
2:11:53 3日目・銚子電鉄と外川の街並み
2:22:33 日本一の漁港・銚子
2:36:13 銚子の醤油産業
2:45:08 関東最大の水運ルートをたどる
3:11:41 東京へ

スーツ旅行チャンネルでは旅行記、ホテル、旅館のレビューなどを掲載しています。皆さんの楽しい旅行の参考になればと思っております。
交通に特化したチャンネルはこちら
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私が知らなくても全国には行くべき場所、体験すべきことや商品がたくさんあると思いますので、ぜひPR手段として検討してください。
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公式アプリ「スーツ旅行」をリリースいたしました。駅にチェックインすると、その駅にまつわるスーツの豆知識が読めます。旅のお供に最適ですのでぜひインストールしてください。

■ Androidアプリ
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※情報の正確性について
多くの動画に複数の誤った情報が盛り込まれています。そして大抵、視聴者から訂正いただいています。こちらではそのような有益な情報が判別しやすいようハートマークをつけています。

#スーツ旅行
#旅行

33 Comments

  1. 千葉県外房、目もくらむ断崖絶壁の旧道!
    スーツさんの「うあーうぁー」が伝わって来ました!
    千葉県の魅力!広くて奥が深くて素晴らしいでした。
    スーツさん御苦労様でした。

  2. 私は関西人ですが、フル視聴して千葉県に対する認識を深くしました。これからスーパーなどで「千葉県産」表示を見ると購入優先順位が上がると思います。スーツ氏に案件を委託した行政各位の英断はみごとです。

  3. 富浦の民宿かたなしさんには子供達が小さい頃(20年くらい前)に毎年夏場にお世話になりました。未だに健在なのを見てとても嬉しく思います。
    それにしてもあの桟橋、インスタ映えの名所になっていたのですね。びっくりしました。

  4. 長男が年長さんのとき、犬吠埼へ初日の出を見せに行ったことを思い出しました😊
    本人はまったく覚えていないだろうなぁ😂

  5. 千葉県民です。しかし、こんなに知らないことがあるとは…!と終始驚いてました。
    外房線の景色をドライブで楽しむことはありましたが、スーツさんの知識を聞いて見方が変わる思いです。スーツさんの感想は常にその地域の地理や歴史、文化に関心を持っていて、同じ景色を観てもこんなに見えかたが違うものか、と自分の地域の捉え方を改めたいなあと感じるほどでした。
    今は千葉から離れておりますが、1週間くらいかけて千葉の旅をしたいです。
    PS:銚子には銚子半島さんまマラソンの復帰を願いたい・・・参加費上がってもいいから・・・!

  6. ‘旅行チャンネルで千葉県の特集をしてくださり、地元の船橋市にも立ち寄ってくれて心より大感謝です。スーツさん本当にありがとうございます。

  7. 元千葉県民です。 ほぼ知っている場所でしたが、スーツさんの解説を聞いていると千葉県民であったことを誇りに思いました。 また、有名な観光地を巡るだけではなく、それぞれにおいてテーマを持って訪問されているところも素晴らしいですね。

  8. 非常に見応えがありました。2日に分けて観終わりました。都内在住ですが最寄り駅のすぐお隣が千葉なのでとても親近感が湧きました。昔から仕事に遊びによく千葉を利用させて頂いている身として改めて勉強になりました。ありがとうございました!

  9. 玉前神社大好きです
    今度はぜひ
    はだしの道に挑戦して欲しいです
    玉砂利を3周します

    千葉最高ですね〜
    おせんころがし
    気になってました
    ありがとうございます

  10. 長い動画でしたがとても構成が素晴らしいと思いました。いかに千葉が関東の食に貢献したか、また最後に江戸前らしい赤酢の羽田市場にキッコーマンというのもまた良かったです。
    この動画を千葉県の小学校の授業に使って欲しいくらいです。

  11. 本州の中で熊がいない唯一の県です。 黄色のクマさんは浦安にいますけどw
    私は房総で生まれて現在は茨城県との境に住んでます。 千葉から離れたのは家を建てるまでの
    5年間東京です。 だから千葉県愛は凄いです。 スーツさんありがとうございます💖

  12. 千葉に来てくれてありがとうございます。
    外房の夏だけ民宿ですが、私の祖父母がやっていて、たぶん平成2年ぐらいまでやっていたと思います。
    全盛期は部屋が埋まって、お客さんも家族も廊下に寝ました😁

  13. 解説を聞いてるとはぁ〜なるほどなと思わせてもらう部分がたくさんでとても為になります。スーツさんの思うスタイルでこれからも頑張ってください!

  14. 三番瀬はソレこそプライドが高い船橋漁師が全力で埋め立て事業時にヤクザの漁業権買収から守ったもんらしい。船橋の漁師はルーツは佃島の漁師で魚の将軍献上の為に新たな漁場を求めたのが船橋沖の三番瀬だそうよ

  15. 千葉県からの案件に尽力をありがあとう!すっごく千葉県を評価する言葉や語調の強さに上手いなぁとしびれました。
    なるほど~と千葉を見直し、千葉のはたしている役割など感心し、勉強になりました。

    チーバ君の目周辺の住民としてレアな「おせんころがし」を扱ってくれ感激。
    去年行ったひよどり坂がここで観れるなんて、嬉しい。

    見方考え方視点をスーツさん風にすればすべてが興味深く魅力的で飽きることがない。
    内容の濃い充実した丁寧なコンテンツに感激し千葉を旅したくなりました。

  16. 上京してまだ1年、既に地元が恋しかったのでスーツさんの動画で見れて感激、、!!!
    ありがとう千葉県、ありがとうスーツさん

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