岡田准一のラジオの母(?)に学ぶ若者の応援術【プロデューサー・笹生八穂子】/身近なことへの疑問がトレーニング【建築家・西澤徹夫】2/2#96

あの今の時代を象徴する言葉として ピボットということがありますねあの バスケットボールで軸足を中心に くるくるっと回転するえ今な本当に時代が どんどん激減してるんでピボットし続け ないと存続できないそういう意味において は不安定つまりピボットし続ける企業がえ 持続可能である安定であるってこと事実だ と思うんですねもちろんあのどっかね経済 システムの中で日ニチというかな1つの ことを作り続けるっていうそういうあり方 もあるんですがそれでさえまいろんな競争 相手が出てきてどうなるかわからないって ことでえ唯一のま継続することは変化で あるという時代だと思うんですねそういう 意味においてはま1人1人の生き方 クリエイティブな行き方においてもま生成 AIが出てきたりグローバル化が起こっ たりするんでえ我々1人1人も クリエイターとしてピボットし続けるそう いう不判定なことを受け入れることことに よって1人1人のクリエイティブが安定に なっていくというそういう時代なんだと いうことをやっぱり見据えてえある種の 覚悟を決める必要があるのかなと思い ます [音楽] シシコネクション [音楽] ティイジイマジネ大学with ディカバリーはクリエーター育成のための 実験プログラムですクリエイターとその 愉快な仲間たちとイマジネ大学講義の部 構成でお届けします今日はどんな方々に 会えるのかワクワクしますさスタート [音楽] ですこの番組は エイブルJTの提供でお送りし [音楽] ます [音楽] 結構住宅地ですよねここ今地下で撮影して るって聞いてこんな広い空間があるなって いうのは単純に驚きましたけどねはいえ 建築家の西沢オ [音楽] です [音楽] え建築家になりたい決めということでお 話しし [音楽] ます自分も学んできて教える時にもをこう 構築的に考えるとかまもっと遡ればこう 自分の身の回りに対してなぜなんだとか どうしてなんだとかっていう疑問を持ち

つつじゃあどうしたらいいだろうかって いうことてなんか物を作ることまで遡れる と思うんですよねそれは別に部屋をどうし たいいとか建物どうしたとかっていうこと だけじゃなくていろんなシステムの問題と かえ環境の問題とかえどうやったらこう 改善できるかとかより面白くできるかとか より楽しくできるかとかっていうことを 考えるっていうのはすごく建築化教育では ベースになっているとは思うので少なく ともま僕自身はなんかそういう広い視野で 物を見たり考えたりま特に疑問を持つって いうようなトレーニングっていうのは すごく有効なんじゃないかなっていう風に は思います ね大学た時はなんか学問として学びに来て いるっていう感じがやっぱ最初に前提とし てあるからなんかそういうやっぱ1回自分 の中に肩を入れてみたいなことはまあるか もしれないですよねでもま結局はそれが うんしばらくやってるとだんだんその型が 身体化されていったらそれをどうやって 外していくかってこともまた分かるわけで なんかそういう風にして本当は自由に なれるんだとは思うんですけど ねコンペはあのみんなそうでしょうけど こう勝率って本当10%行くとかね行か ないとかなんですよねでもまやめられない のやっぱりこう案を作るっていうことの 面白さ本当はそそう最後までちゃんと建物 作れればいいんですけどその案を作ってる 時の色々考えたことでそれがま評価され たりされなかったことていうのは必ずその 後になんか繋がると信じてていうか信じ ざるは得ないっていうか信じてないとやっ てられないっていうかでまコンペ自体は それだけ取り出すとすごく純粋なアイデア の競技みんながこう本当はどういうことを 考えてんのかとか現実でこう色々妥協し なきゃいけないこと1回取っ払ってみんな 自由に案を出すからこう一緒に戦ってても あそういう考え方で来るのかっていうのは 楽しいですよね経営的には苦しいですけど ね [音楽] うん僕自身はいい建物もちろん作りたい ですけどこれがいいと思ってもみんなが いいと思うわけじゃないのでかっこいい 建物作りましたとか素晴らしい年ができき ましたって言っても結局そこを上手に使い こなす発想が育ってなければそれ受け取る だけで消費するだけになっちゃうから結局 そんな安全な年にならないような気もする しどっちかっていうとまそのいろんないい ところも悪いところもあるけどそれをどう

やってこう波乗りしていくかっていうか そういうことの意識をみんな持つようなだ からそういう方が全然いいような気します けどねだから必ずしも何か実態となるもの を作るってことがティブじゃなくてもっと 読み替えて自分に引き寄せてっていうこと を考えるっていうこと自体がま根底に必要 かなっていう気がしますよ [音楽] [音楽] ね [音楽] もさんがまだテレビとか出られる前私の ラジオの番組にゲスト [音楽] で くえかあとそのゆかいな なかまクリエイターとその愉快な仲間 たちえ今週のゲストはコンサルティング プロデューサーの佐尾やこさんです よろしくお願いいたしますよろし願いし ますよろしくお願いしますねさあお2人も もう長くさPさおピーという私はいつも 言ってるんですが大変世になっておりまし てねねもさんがまだテレビとかに出られる 前に実は私のラジオの番組にあのゲストで あお越しいただいたので私すごい先見の名 があったんだなとそうですよねえどういっ たお繋がりが友達のジュエリーデザイナー の人の展覧会があった時にその会場で先生 が来ていただいてで私その時テレビの高成 台本書いてたのでうちのスタッフの人が あの社長社長すごい世界的に有名な農科学 者の人がいらっしゃってますでひ白千子 さん白子さんってあの白次郎の孫の方が いらしてそのだねそうたまたまうちの スタッフが麦さんをすごい知っててファン で世の中の人まだあんまよく知らなかった 頃だったんですけどあつ誰みたいなねでも それでそこで目にかかって面白いと思って 私の番組新しい番組が始まった時にゲスト で来ていただきましたそれはねあの岡田 純一さんの番組だったってことですごいね でもねあれ2回目かシプ回目ですチャープ の時呼んでいただいたんですようんあそう なんですねじゃあもう最初期にすごいです ね目つけられちゃった方なんだだ から佐尾八子さんはテレビラジオの構成 作家として様々な番組作りをしてきました 同時にコンサルティングプロデュースと 活動の幅を広げJWAVEのラジオ番組 岡田順一ナビゲーターのグローイング リードでは18年プロデューサーを務めて います2011年イタリアミラノサローネ 訪問を期に国内外でのデザインイベントに

関わりミラノサローネ出店や201年東京 ミッドタウンでサローネイン六本木を始め ます現在は東京から岐阜に主軸を移し国内 外に岐阜の魅力を発信地方活性化をテーマ に新たなプロジェクトに取り組み中ですで も確かにだから18年ってことはあれ 2005年開始2005年は僕まだあの テレビとかには見つけられてないわ僕未だ に覚えてるのがその時佐尾Pのあのに行っ てそこで岡田順一にウをウのなんか スポーツうん はいへえそういう出会いうんこれまでこう どんな番組に携わってこられたんですかと 実際にはもう放送作家をやってたのって いうのはもう178年20年ぐらい前が 1番ピークなんです けど今もやってるのだとテレビタックルと か奇跡体験アンビリーバボとかおどちらも 出させていただいたことが花マーケットと かうんそういうテレビの番組を書きながら ラジオの番組も書くていう形でで女の人の ってあんまりいなかったんですよ私を含め て本当に10にいなかったんじゃないか なっていうぐらいの時代だったからすごい あの大事にされたしでもあのテレビって ものすごくスタッフが多いんですよねでも それはそれですっごいいろんな勉強になっ たんだけどラジオはやっぱりスタッフが 少ない分だけ密だし学べることもいいしで 細作家になる前の2年間ぐらぐらはリサー チっていう仕事もしたんですねでそれが やっぱり自分のものすごく体力になったな とだからそれが楽しかったですね今はあの インターネットでカタカタやうとパッと出 てくるけど当時はインターネットがない から自分たちで新聞記事とか雑誌の生地と かを深く掘り下げてって探すっていうこと がものすごい大事なことだっえじゃ大文庫 とかそうですもう年ってたのね大文庫昼は 大文庫行って図書館が閉まると当時あった 六うんの青山ブックセンターに行って あそこは夜中までやってたからそこで色々 資料を探すみたいほどねいやだからそう いう本当創世器っていうかねからやって たってことへえいやでもそういう時期を こう知ってらっしゃる佐々尾さんから見て 今のテレビってどういう風にご覧になって ますか今のテレビの作る現場にはほとんど いないので今のテレビはどういうのか はっきり言ってよくわからないけれど 私たちのいい時期から比べたら大変だろう なと思いますうんどういうところがうん今 そこの真ん中にいますけどいやいやいや やっぱりインターネットで パパパパッパパーと調べれない代わりに

その専門家の人に会いに行ったりする会い に行ったりしてお話してるとそれ以外の ことも色々発見できたりあと人脈が どんどんどんどん増えていくうんうんそう か帰ってだから今人脈が広がれにくいのか なうんだから知ってるっていうことお互い 知り合うっていうことは全然違うそうです ねうんだからいろんなすごい先生方とか さっきの話じゃないですけど最初なんで 知り合ったんでしたっけと思うぐらいもう 遠い過去だけど今でも教えてくださる先生 がいっぱいいたりと今岡田の番組でも キャスティングをやってるの私以外にも スタッフが一生懸命やってくれてるんです が私のキャスティングに関しては私が 面白いと思った人にまず私が会ううんで あってお話すると番組に出てもらうけど その先もやっぱり関係が続いていくのでど て作るんですかとか言うけどそこの手を めどくがらないっていうか確そうです人に 合ってくださいっていうことを恐れないっ ていうのはうんラジオのいいとこかなと 思いますうんちなみに佐尾さんにとって プロデュースっていうの は私プロデューサーっていうのは何でも こうスムースに進んでる時には別にいなく てもいいんだけど何か困ったとか何か目標 に向かう時にここのハードルをなんとか 超えたいうんに奥の手を出したりみんなに 頑張れ頑張れ頑張れて言って目標を ちゃんと見極めて進もうっていうところの ま応援談であり私的に言うとお母さん みたいなものかなと思いますうん冒頭から お話に出てる岡田さんもそういった繋がり だったんですか岡田さんはまラジオの仕事 をやっていて局長聞いたんですよどこまで 喋っていいですかて聞いたら佐尾さんの 好きなよに喋っていいですって言われたん ですがまでも24歳で1番悩む時期の時に あったわけですよねでもその時点で彼は もう芸能界入って10年経ってるんです 10年経ってるけどもう24歳でこれから どういう風に生来ていくのかって言った時 にま話し合いてになった感じかな今まさに 私も24歳でちょうど10年たったぐらい なんです よすごいちょっと今日のお話興味あるん ですけどまだから岡田君はそのいろんな ことやりたいこんなことやりたいあんな ことやりたいって思いがいっぱいある けれども彼はできないできないできないて すごくうんたんですよねやっぱり超れっこ のアイドルだったしできないできないでき ないって言われた時にかく24歳って言っ たらねこれから宇宙飛行士になりたいと

思ったら慣れるかもしれないぐらいの年齢 なのに自分でできないっていうのをやめた 方がいいよていうことを言いましたうん じゃあできるようにするにはどうしたら いいのって言われたからそれはそれを教え てくれる人とか手伝ってくれる人に教えて ください手伝ってくださいって頼めばて いうこと言ったら教えてくださいって言わ れたのでそのおさんに何かこう思ってる ことがあるんじゃないかなっていうのを 見抜いたのはなんどういうまあなんか最初 だから本当に話さない人だったんですよね ラジオだけどで台本があれば一懸も喋る けどくともっと自分の言葉で聞いていいん ですよっていうことを自分の興味のある ことを聞いていいんだよっていうことを 言ったら変なこと言ったらちょっとバカだ と思われたりすると嫌じゃないですかい それは24歳の子が何を言ってもここに来 たゲストの人がそんなこと言た1人もうん いないから大丈夫ですて言って2回目に来 てくれたらも先生なんですけどねえところ でちょっとで聞きたくなっちゃったんです けどあのこちらの方トラウデン直美さんて いう方なんですがトラと申しプロデュース するとしてはどういうのがいいと思います そんなね簡単じゃないですよね プロデュースねそうですまそんなにまず私 がいつもやるのはとにかくじゃあなみさん からいろんな話をやっぱりたくさん聞く やりたいことやりたくないこと何が楽しい とかちっちゃい時のこととうんうんうんぐ ないってるのにやりたいがで見えてくると 思うんですよねだ何やりたいですかて一言 で聞いてこれやりたいですっていうことは 全てじゃないと思ってるんでだから時間が 必要ですよね感じかそうですねだとしたら もうもさんとは長いお付き合いじゃない ですかそう必要があるかどうかは置いとい てさんはこの自由度がいいですよねこ自由 のが1番のプロデュースだと思ううんで 本当に困った時にはちゃんと助けるし紐を 消しに行くけれどもそれまでは本当好きな ことをやればいいっていうのが プロデュースていうかうんすごいうんいや こんな頼もしいプロデューサーさんがい たらのびのびできますよね本当その代り 面白くないことやったらお尻蹴っ飛ばすか もしれないマジかよお母さんだ本当にマジ かよ谷さんと正面デザイナーの岡さんが 盛り上がって来年ミラの行こうぜみになっ て [音楽] あの建築家さんだったりデザイン ファッションとか人脈が多いっていうのは

建築が好きだったんですよね一時建築物が 好きなんじゃなくて若手の建築家がすごい 好きだったへえま建築家とかいろんな人と 知り合ってでミラノサローネに行って 素晴らしいと思って初めは見に行ったん ですよねここに見に来るんじゃなくて出 たいとか思ってで知り合った若手の クリエーターと一緒に翌年無にも展示を 出したりとかしてたんですよ うこの番組でもねあの大変お世話にやって た谷尻さんともうんうんそうですあのもう 11年前ですけどたまたまそれも谷尻さん とあの正面デザイナーの岡さんがえ同じ タイミングで収録に岡田の番組にうちの 番組に2人が来たんですで2人が来て それぞれの収録を見て笑っててせっかく来 たからじゃご飯にうんこうやってご飯食べ に行ってみんなちょっと飲んだら 盛り上がって来年ミラのに行こうぜみたい になっ て何も考えずに出展することだけ決め たっていうでそれから出展するなら何に しようかっていうような逆引きとお金は どうしようかっていうのそれが プロデューサーの仕事なんだねそうですで 東芝さんにお金出してくれませんかてお 願いに行きながらまお金集めて自分たちも お金作って行きましたそれが表紙になった んですね雑誌のあのオランダの雑誌があっ てすごいこれですねそうでこれ大物の ツタヤでフレーム見つけてミラーの特集だ からあ買おうと思ってよく見たら自分の 作品が表紙になってたすごいでもこれは 本当谷尻さんとあのサポーズの吉田アさん 特に吉田あちゃんがあの提案してくれて アクリルをこの水盤の中の水につつけると それが明るくあの光り始めるっていう非常 に不思議なインスタレーションだったです なんかショタイムて大谷小編みたいなね いやでもちょっと嬉しいのは エンターテイメントからデザインの業界に こう入ってったスライドしてった私が ショータイムって言われるとなんかすごい 嬉しかったうん確かにいいやすごいねす ですピックアップがねそして2019年も ミラノサローネそうですね12年の頃は まだプロデューサーって言ってもラジオ しかやってなかったんだけどその後 いろんなものをやったことによって クリエーターの人とのこう本当人脈が増え てで特にサローネロポンをやるようにな はいでいろんなクリエーターの人がミラノ に行きたいんだけどもサローネに行きたい んだけどどうすればいいかっていうのでご 相談いただいてそれが第日本印刷さん

DNPさんで行きましたこれはねアトマっ ていうあの2人男性と女性のユニットの 2人がアクリルに江戸コモの柄を掘ってで それをあの照明を当てるとで片っぽは こっちはあのトタ啓介さんがあのこういう ゼブラ柄の電子ペーパーっていうその髪の よ素材なんだけれどもこう色を切り分け られるっていう2つの素材をこう プレゼンテーションするというのでやった んですね全く違うものを1つの会場を真に 切って同時にやるってすごい斬新だったん ですけどどうなることかと思ったら ものすごく評判良くてすごいなんかこれが ちょうどなかコロナになる前の前の年です でDNPさん初めて出展だったんですけど 最後最終日もう時間終わってるのに人の列 が途切れなくてあの閉めなきゃいけない から謝って歩いたってぐらい人が来てくれ たっていうすごい幸せな展示でしたはい こういった素晴らしいものがあるのに日本 でこうなかなかたくさん紹介されない歯さ みたいなものそうものすごくそれは もったいないしで海外で評価されてるのに どうして日本に帰ってきてそれをしてくれ ないのかなっていうのがすごい悲しくてで 2013年にミラノで1番活躍してたのが 粘土だったのでサロネンロポうんって ちょっとふざけた名前をつけながら ミッドタウンさんの協力であの展示させて もらうインスタレーションを作り始めたん ですよねやっぱこれだけ大きい インスタレーションなかなか見るのって ないのですごいたくさんの人が見に来て くれて幸せなあの10年を送りましたはい うんうん本当はね東京もおっしゃる通り デザインとかそういうものの中心都市に なるポテンシャルはあるんですよねあると 思いますでそれを出してピックアップして いかなきゃいけなくて私がミラうん1番 素敵だなと思ったのはデザインとかアート の関係者じゃない企業の関係者じゃない人 も街の人がもう幼稚園の子たちまで見に 来るわけですよねで見に来てすごいのはお 年寄りの方とかも見てこれはお前の作品 かっていうからまあまま私の作品と プロデュースしてますって言ったブラボ うんうんへえ素晴らしいと私はあなたの 作品大好きよって自分自身がデザインを 楽しむこう物差しをちゃんと持ってるん ですよねそういう街にこう六本木とかなる とすごくいいなうんいう風に思って2年目 に吉岡徳ちゃんのとろに頼みに行ったらお 願いに行っただけなのにもう考えててくれ たりとかいきなり吉岡徳人に行くってのが またね私のちょっとずるいんですけど知り

たくなると全部ラジオに呼ぶっていうのが ああなるほどこねさんは当時ですにトップ オブザトップだったでしょせっかく会って もらったからラジオにも出てもらってその 後展覧会にもお方連れて取材をしてうん うんああにこうペイフォワードしといて ちゃんとだからあのそう順序をねそう断れ ないように追い詰めていくのが プロデューサの技ですいやここまで佐尾 さんのプロデューサーとしてのすごさをね はいすごさを本当に掘ってきましたけども 恒例の私と視聴者の皆さんに1つ課題を いただけないでしょうかあの私の人生を 大きく決めた1つのメソドはやっぱり リサーチなんですよだか何々やりたいとか こんなことしたいと思ってできないとか 難しいって思っちゃいがちだけどあの1つ のことをとことんリサーチしてみません かっていうことですねでリサーチは調べる んじゃなくて愛ですからうん私がねみさん のことを知りたいと思ったらカタカタカ タって検索するだけじゃなくて愛を持って どんどんどんどんどんどんどんどん調べる とそれはいつか相手に届くのでうんすごく 大事な今の時代で簡単そうで意外と難しい ところですねはいちょっとチャレンジして みましょう皆さんでということでささん ありがとうございましたました クリエイティブ は私を大事に するみ大事に [音楽] するこの番組は エブルJTの提供でお送りしまし た I

MC 茂木健一郎/トラウデン直美

00:00 茂木トーク
02:29 西澤徹夫(建築家)
07:36 笹生八穂子(プロデューサー)
13:11 プロデュース術
17:03 ミラノサローネ

笹生八穂子(ササオヤホコ)
コンサルティング・プロデューサー

1980年代よりラジオ・テレビの構成作家として活動。多くの
番組を手がける。

2000年代より活動の幅を多岐に渡るメディアに広げ、
WEBポータルサイトの企画、
モバイルコンテンツ企画、書籍プロデュースなどを始め、
同時に海外とのディストリビュートも
行う。

構成作家のキャリアを生かしたストーリー作りをベースに、
女性向けテレビ通販の構成&キャス
ティング&プロデュースを数多く手がける。

2011年、イタリアミラノサローネ訪問を機に、
国内外でのデザインイベントを企画運営プロ
デュースをスタート。
ミラノサローネ、3回出展、東京ミッドタウンではSalone in Roppongiと
して
大型インスタレーションを2012年より始め、2022年秋にも開催する。

同時に様々なジャンルの企業のPRコンサルタントとして、
商品の開発、販売などをストーリー仕
立てにし、より訴求力のあるPR戦略を構築。

2019年には株式会社大日本印刷(以下、DNP)のミラノサローネ初出展の
プロデュースを行い、
国内外に大きな反響をもたらした。

多岐に渡るジャンルで活動するも、
現在もラジオ番組、J-wave「GROWING REED(ナビゲーター:
岡田准一)の
プロデューサーも務め、今年で17年めを迎える。
2020年にコロナ禍の中、岐阜に拠点の一つを置き、
県内の企業のコンサルティングを開始。
2021年11月にオフィス開設。
2022年7月に東京から岐阜に移転。

10月には10年目を迎える「Salone in Roppongi」インスタレーションを
東京ミッドタウンにて
発表。
東京から岐阜に主軸を移し、その魅力を大いに活かしたプロジェクトを計画中。
2023年春にはインバウンド(米国)からの観光客のコーディネートを手がけ、
国内外に「岐阜」を
発信をスタートする。
ジャンルにとらわれずに国内外でコンサルタント&プロデューサーとしての経験を活かし

メディアを縦断しながら新しいムーブメント&スタンダードを生み出し、
地方活性化をテーマに
新たなプロジェクトの始動を予定している。

1 Comment

  1. 岡田准一さんと建築…と言えば、元建築家で岡田さんに映画の主演もやって頂いていた宮崎吾朗さんを連想しますね…
    いつかゲストに来たら凄い。

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