「住んだの1週間」娘夫婦の新築住宅を津波が襲う 娘は臨月…父が涙「どこへ帰れば」【もっと知りたい!】【グッド!モーニング】(2024年1月11日)

41人の安否不明者がいる和島市朝一通り では大雨警報が出る中大規模捜索が行われ まし た石川県内の死者数は206人52人の がかっていませ んしている鈴の商町という地区です現在 大雨警報が発表されていますえこの地区も 甚大な被害です電柱や街灯はこのように 大きく傾き河原屋根の住宅でしょうか ひっくり返るような形になってい ます震度6強を観測した鈴壊した住宅も 未だつかずの状態 ですえ潰れてしまった家が折り重なるよう にして崩れていましてここから先は車は 愚かえ人手さえもなかなか通行することが 難しい状況になってい ます地震直後津波に襲われた町 はここは自家地区という場所です地震に 加えて津波の大きな被害を受けました周辺 は津波で押し流されたと見られる火道具 などが多くのっていますえそしてああちら にはですね車が津波によって押し流された んでしょうか岩に乗り上げるような形に なってい ますこれは高台から津波の瞬間を捉えた 映像 です あらあらあめやであるな来た来たあらああ うの中まで来たありゃ猫猫あらまた来るわ ありゃほらおらちゃ来てしもたあ来たな また来るわあほらほらうわあわあ中 ちゃちゃもうほで勘弁してくれ逃げろ撮影 したのはこの家に住むさ変な言い方よりも ね室機が室外機が埋まるいう室外機があれ ですよそこまで上がってきたてことねここ は川ですこのままだからだーと全部流れて いく 勝っている2匹の猫は無事だったと言い ますが玄関先に は津波の跡が残ってますねそうそうそう かなり足元膝上くらいまで津波が上がって きたことが分かります ね地震発生当初船さんは津波が来るとは 思っていませんでし たてなかった僕の場合は電話で3mの津波 来るよで聞いて始めてうてだってずっと海 見とっ たこそれでも万一に備えて高台に避難した ところ本当に津波が来たの ですご自宅がこうどんどん津波に飲み込ま れる様子を上からご覧になってたわけです よねまあまあそうですねやっぱり痛よはね 心あてまあまあそのもあるけどねいや しゃあない ちゅあこの辺りからえ津波の爪跡がそうね

見られるようになってきましたビニール ハウスに車が突っ込むような形になってい ます野半島の最先端にある鈴神社内子商大 を務める辻かさんは津波が収まってから家 に戻ろうとしましたが車うん膝ま膝まで 浸りながらあ津波にうんうん道のまうまで 帰ってきたあでも膝まで津波に使って 怖かったですね怖かったですよ下に何ある は分からんしねいつもこうやって歩いとる 道なんですけどこそれが膝であると次そこ に何があるか全然わからんさに歩きにくい し怖いしうんここのうの 宅にん 地区は壊滅的な被害が出まし たもうつすっててみんなほとんどの人が 潰す潰す潰すて言ってますよこれみんなこ 人も潰す潰す てこの辺り住んでる方も皆さん顔も知って てうん避難所にいますああ良かったここ 家族みんな避難所で今生活して ます当初この地域の避難所には100人が 身を寄せました避難所だけでは足りない ため近くのビニールハウスでも寝泊まりし たと言います幸いにも自家地区で犠牲者は いませんでしたにっ 廊津波は辻さんの娘夫婦が新築したばかり の家を襲いまし た新築して12月の とか杉に明け渡しになってそれから 引っ越しして賞味住んだがとかもありませ ん1週間ぐらい です辻さの娘夫婦は大工の夫1歳半の子供 との3人家族です新居は大工の娘向こが 自ら12月に立てたばかりでし た津波後娘夫婦は ま婦がここ生きてかって中からちょっと 必要な重要なもん2人し泣きながら こ探見ると本当にかわいそう や娘夫婦は鈴の中心に住んでいましたが辻 さんのすめでこの土地に新教を構え楽しい 生活を送るはずでし た 娘さんおこさんとは何かお話されましたか かける言が ない頑張れよしか言われんもん 俺 うんことこまで俺聞かれんおい保険どなっ たどなとたとか今後どうすとほん聞かれん 俺頑張れよしか言われんや うん もうも諦めとるけど もどうしてやればいいの俺の責任やなここ へ来いていた俺が悪い な現在妊娠中の娘は銀月のため金沢市の 病院に入院してい

ますのこで出産して帰ってくるうちも ない俺の実家も入れん どこへ帰ればいいな まさか避難場所へ連れていけんやろ まあまあ人にも迷惑 かかし自分らの小さい子のさに泣いたり ついたりするとみんなにも目をもかかるし どうしようかなって本当にまほの金金の ことでは保がも悩んでますよ本当に うん教員小学校では高齢者を中心に現在も 200人以上が避難生活を送ってい ますプライベートがない生活が10日も 続き精神状態はもはや限界寸前 です寝てるタイミングが1番ストレス多い のかなと個人的には思ってて小頭が9時半 なんですけどそれ1個やっぱ出歩いてたり するとちょっと寝させてくれようとか思っ たりとか夜中にちょっと寝言で喋っちゃう おじいちゃんおばあちゃんとかが いらっしゃっててやっぱり最初はクスクス 笑ってたりしてたんですけどみんななんか ボケたこと言ってるなと かそんな中子供たちのある取り組みが癒し の1つとなってい ますこちらでは子供たちが避難所新聞と いうものを作っていましてをしている方が 少しでも笑顔になるようにと活動を行って いるということ です避難所に身を寄せる小中学生の子供 たちが作った壁 新聞出された炊き出しの人気メニューの アンケート結果 やエコノミークラス商工群の予防のための 体操をイラストで紹介してい ますで子供たがおはようございますとか 今日のご飯は何とかですみたいなのを結構 やってくれててそういうのがあるとみんな 結構笑顔になったりとかしててすっっごい あったかい気持ちになります ね被災地へ様々な支援が進む中SNSに 投稿されたある支援の様子が注目されまし た圧倒的感謝の紹介震災発生から25時間 後に長崎から石川ののまで 来れる震災発生の翌日和島市門前町で撮影 されたこの映像映っていたのは長崎 ナンバーで支援にあたる車両 ですとりあえずスピードとここに来てくれ たっていうのに驚きました消防とか レスキューとか救急車とか全部和島の方 向かって走ってくんですよね素通りされ てるんかなっていう感じがあってお医者さ んっていうんでますごくなんか安心感も ありましたし来てくれた時にちょっと物資 も置いてってくれたんですよ水とか ちょっとした食料とかそれでめちゃくちゃ

助かったなっていうのもありまし て長崎の泉川病院が独自に結成した災害 医療派遣チームは地震発生のの2時間半後 に地元を 出発翌日から3日間和島市の市街地から およそ20km離れた門前町で支援活動に 当たりまし たチームを率い活動にあたった医師 は道がかなりやられてましたんであのま 我々が目的とした和島市内に行こうと思っ たんですけども到達できずですね門前と町 にはですねあの我々到着したら大体時 ぐらいでえそこからえ医療活動をしており ます対を半分に分けて避難所を回るチーム とその被災現場に行って災された方をです ね見つけ出すというですね2つのチームに 分けまし た避難所での医療活動の他に委長らは自賛 した機材を使って崩れた建物内で安否不明 者を捜索する活動も行いました 8歳から72時間か現場到着から48時間 という風に大体決めてます活動時間帯は ですね1番最初に行く医療支援チームって ほとんどないんですよねま我々としては そこにどうにかたどりついてま48時間 もしくは72時間支援をしよう と連日安否不明者の捜索活動が進められる 中石川県のこれまでの死者は206人その うち8人が災害関連士であることが分かり まし たこちらの避難所では昨夜86歳の男性が 心配停止の状態で発見されその後病院に 搬送されましたが死亡が確認されまし た終わりの見えない避難生活一体いつまで 続くのか不安は募るばかり です

 能登半島地震の死者が206人に上っています。この中の8人が、災害関連死であることが分かりました。

■高台から“津波”を捉えた映像「やっぱり痛いわね、心」

 41人の安否不明者がいる輪島市。朝市通りでは、大雨警報が出るなか、大規模捜索が行われました。

消防隊員
「声掛けあって活動してください」

 石川県内の死者数は206人、52人の安否が分かっていません。

 震度6強を観測した珠洲市。倒壊した住宅もいまだ、手つかずの状態です。

 地震直後、津波に襲われた街には、津波で押し流されたと見られる家財道具などが多く残っています。そして、車が津波によって押し流されたのでしょうか、岩に乗り上げるような形になっています。

 高台から津波の瞬間を捉えた映像です。撮影したのは、この家に住む舟木茂則さん(68)です。

舟木さん
「室外機が、室外機が埋まるという、室外機があれです。そこまで上がってきたんですよ。ここは川です。このままだからダーッと、全部流れてきました」

 飼っている2匹のネコは無事だったといいますが、玄関先には津波の跡が残ってます。ひざ上ぐらいまで津波が上がってきたことが分かります。

 地震発生当初、舟木さんは津波が来るとは思っていませんでした。

舟木さん
「全然信じてなかった。僕の場合は、電話で3メートルの津波が来るよと聞いて、初めてウソーッて。だってずっと、海を見ていたもん」

 それでも、万一に備えて高台に避難したところ、本当に津波が来たのです。

舟木さん
「(Q.自宅がどんどん津波に飲み込まれる様子を上からご覧になってたわけですよね?)そうですね。やっぱり痛いわね、心。あぁと言って諦めもあるけどね。しょうがない」

■新築の家を襲う津波「正味、住んだのは10日もありません」

 能登半島の最先端にある須須神社。氏子総代を務める辻一さん(68)は、津波がおさまってから家に戻ろうとしましたが…。

辻さん
「ひざまでつかりながら、家まで帰ってきた」
「(Q.ひざまで津波につかって、怖かったですね?)怖かったです。下に何があるか分からないし、いつもこうやって歩いてる道なんですけど、それがひざまであると、そこに何があるか全然分からないから、歩きにくいし、怖いし」

 住宅に突っ込んだ津波で押し流された車。寺家地区は、壊滅的な被害が出ました。

辻さん
「もう(家を)潰す。皆、ほとんどの人が潰す!潰す!と聞いてますよ。皆、この人も(家を)潰す!」
「(Q.この辺りに住んでる方も、顔も知ってて?)避難所にいます。家族皆、避難所で今生活してます」

 発生当初、この地域の避難所には100人が身を寄せました。避難所だけでは足りないため、近くのビニールハウスでも寝泊まりしたといいます。幸いにも、寺家地区で犠牲者はいませんでした。

 津波は、辻さんの娘夫婦が新築したばかりの家を襲いました。

辻さん
「新築して、12月の10日すぎに明け渡しになって。それから引っ越しして、正味、住んだのは10日もありません。1週間くらい」

 辻さんの娘夫婦は大工の夫、1歳半の子どもとの3人家族です。新居は大工の娘婿が、自ら12月に建てたばかりでした。津波の後、娘夫婦は…。

辻さん
「夫婦がここへ来たがって、だからちょっと必要な重要なもん。2人して泣きながら探している姿を見ると、本当にかわいそう」

 娘夫婦は珠洲市の中心に住んでいましたが、辻さんのすすめでこの土地に新居を構え、楽しい生活を送るはずでした。

辻さん
「(Q.娘さん、お婿さんに何か話されましたか?)かける言葉がない。頑張れよしか言われんもん、俺。細かいことまで聞けない。保険どうなったとか、今後どうするとか聞けない。頑張れよしか言えない。娘夫婦もあきらめてるけども、どうしてやればいいのかな。俺の責任だな。ここへ来いって言った」

 現在、妊娠中の娘は臨月のため、金沢市の病院に入院しています。

辻さん
「そこで出産して、帰ってくる家もない。俺の実家も入れん。どこへ帰ればいいの。まさか避難場所に連れていけないだろ、まあまあ人にも迷惑掛かるし、自分らの小さい子が親に泣いたり、おむつ換えたりすると、皆にも迷惑掛かるし、どうしようかなと本当に今、近々のことで悩んでますよ」

■プライベートがない生活…子どもたちの“ある取り組み”が癒しに

 珠洲市の正院小学校では、高齢者を中心に現在も200人以上が避難生活送っています。プライベートがない生活が10日も続き、精神状態はもはや限界寸前です。

避難所で生活する大学生 安宅佑亮さん
「寝ているタイミングが一番ストレスが多いと個人的には思っていて。消灯が午後9時半なんですけど、それ以降出歩いてたりすると、ちょっと寝させてくれよとか思ったり。夜中に寝言でしゃべっちゃうおじいちんおばあちゃんとかがいらして、最初はクスクス笑ってたりしてたんですけど、(今は)皆『ボケたこと言ってるな』とか」

 そんななか、子どもたちの“ある取り組み”が、癒しのひとつとなっています。

 避難所に身を寄せる小中学生の子どもたちが作った「壁新聞」。出された炊き出しの人気メニューのアンケート結果や、エコノミークラス症候群の予防のための体操をイラストで紹介しています。

安宅さん
「放送で子どもたちがおはようざいますとか、きょうのご飯は何とかですみたいなのをやってくれてて。皆笑顔になったりとか、すっごい温かい気持ちになります」

■“ある支援”に注目「震災発生から25時間後に長崎から」

 被災地へ様々な支援が進むなか、SNSに投稿された“ある支援”の様子が注目されました。

SNSへの投稿
「圧倒的感謝の紹介。震災発生から25時間後に長崎から石川の能登まで来れる?」

 震災発生の翌日2日、石川県輪島市門前町で撮影された映像。映っていたのは“長崎ナンバーで支援にあたる車両”です。

門前町で被災した男性
「とりあえずスピードと、ここに来てくれたっていうのに驚きました。消防とかレスキューとか救急車とか、全部輪島(市街地)に向かって走っていくので。素通りされているという感じがあった。お医者さんっていうので、すごく安心感もありましたし、来てくれた時にちょっと物資も置いていってくれた。水とか、ちょっとした食食料とか。めちゃくちゃ助かったなぁっていうのがありました」

 長崎の泉川病院が独自に結成した災害医療派遣チームは、地震発生の2時間半後に地元を出発。翌日から3日間、輪島市の市街地からおよそ20キロ離れた、門前町で支援活動にあたりました。

 チームを率い、支援活動にあたった医師は、次のように話します。

泉川病院 泉川卓也院長
「道がかなりやられてまして、目的としては市街地に行こうと思ったんですけど到達できなかった。門前町に到着したのが2日の13時ぐらい。そこから医療活動しております。隊を半分に分けて避難所を回るチームと、被災者を見つけ出す2つのチームに分けました」

 避難所での医療活動のほかに、院長らは持参した機材を使って、崩れた建物内で安否不明者を捜索する活動も行いました。

泉川院長
「発災から72時間か、現場到着から48時間と決めています活動時間を。一番最初に行く医療療支援チームって、ほとんどないんですよ。我々としては、そこにどうにかたどり着いて支援をしよう」

■石川県、死者は206人…そのうち8人が「災害関連死」

 連日、安否不明者の捜索活動が進められるなか、石川県のこれまでの死者は206人。そのうち8人が「災害関連死」であることが分かりました。

 能登町の避難所では10日夜、86歳の男性が心肺停止の状態で発見されました。その後、病院に緊急搬送されましたが、死亡が確認されました。

 終わりの見えない避難生活。一体いつまで続くのか、不安は募るばかりです。

(「グッド!モーニング」2024年1月11日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

41 Comments

  1. 宮城県仙台市に去年3月まで12年間住んでた者ですが、命があるだけ幸運だと思うことが大事だと思います。命以外は時間が解決してくれますので何とかなります。ポジティブに考えれば大丈夫です。

  2. 東日本大震災であれだけ多くの家が流されたのを知っているはずなのに、何故海のすぐそばに新築の家を建てるのだろうか?

  3. この様な事を発信するのは?
    ですが前にも確か被害が有ったような今後海沿いの建築はお辞めに成った方がと思えます
    少なくとも海抜何のメ ートル迄の規制をとうちは浜岡原発が有りかなりの被害が有りましたが今は海沿い3~ 4メー トルの壁が海沿い長く続いています。

  4. あれだけ前兆現象が起きていて
    専門家やマスゴミも各社が
    報じていたなか,そんな巨大地震が来るリスク最大の地に
    新築で住宅建設なんてするのだろうかと疑ってしまう。
    臨月で金沢の病院に入院しているのならば
    そのまま金沢市民になって安い住宅費の市営住宅にでも
    入居させてもらって生活再建するのが妥当だと思いますね。
    わざわざ被災地に帰住する必要はないでしょう・・

  5. もっと報道されるべき
    東日本大震災のときにあれだけ海沿いの家に住む危険性が報じられたのに、未だに令和にも海沿いに新居を建てる人がいる
    と、言いたいけど「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とも言われるし、報じられても意味ないかもな

  6. 泉川病院の取り組みに感謝。発災から2時間後に長崎を出発、なんと車の移動で翌日13時には輪島の現地で活動って凄すぎます。もしヘリで移動してたらもっと早く活動できたと思います。

  7. 海大好きだし海のすぐ側のホテルとか泊まるの好きだけど家は絶対海の近くはダメと決めてる。好きだけどリスクを考えて我慢してる。お父さん慣れ親しんでたから大丈夫だと思ったんだろうし、選択はリスクを考えてなかったと思うけど、自分を責めてる姿を見るの辛いな。

  8. 起こってしまった事は仕方がない。
    今後の教訓として沿岸部だけでなく、洪水や土砂災害などハザードマップを見て家を建てる場所を検討していくことが被害を防ぐことにつながる。

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