【カラー化】太平洋戦争2年前の映画のワンシーン「東京の女性」1939年 Women of Tokyo

メーカーさんしばらくご不自由でしょうが このうちから離れてていただけませんか私 にこのうちから出て行けとしちゃうのいつ までもこんなふうだと第一体に触りますわ たしたちも折を見て母さんところ行きます 母さんがいつもなし崩しに親切になさる から父さん買って気ママに振る舞うんです それがいいんだそして 父さんひとりぼっちにして思いっきり困ら せてやるといいんだそしたらお父さんだっ て目が覚めると思うねぇ [音楽] よいしょ [音楽] 楽しいな [音楽] 働くことがそんなに楽しいことだと思っ てんのこうやってると 嫌なお父さんの顔見ないで済むだけでも気 がせいぜい [音楽] あ しまったどうしたの今朝取り回してくるの 忘れちゃっただって姉さんがあんまり探す もんだからつい母さんがいる時のような つもりで飛び出してきちゃったの 泥棒入ってないかな 困った子ね早く酒井さんに電話して頼ん でらっしゃる [音楽] 可愛いわねあんたより好きだ ご挨拶ねいくつ ジューク ねあんたにはどっか怖い感じがあるわ 近づきがたい犬みたいなものがあるけど 水代ちゃんの美しさもっとざっくばらんよ 親しみやすい美しさだわ [音楽] 製造の本題 [音楽] 活性炭素の利用方法 [拍手]

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※ 民主的で男女平等、明るい社会は、
戦後に初めてGHQからもたらされたというより、
日本人の心の中に、実は、戦前から、潜在的な気持ちや望み、流れがあったのかも知れません。

※当時この映画を見る客層は、「軍国主義」になる前の日本(大衆文化の大正デモクラシーの時代)を知っている大人達です。

※作品中では、古風な着物と現代的なファッションや言葉遣いが混在しています。
昔の映画、独特のセリフの言い回しはありますが、言葉や単語は、現代とあまり変わりません。

※江波和子さんの娘、江波杏子(きょうこ)さんは、2018年10月27日に、亡くなりました。

※戦前は、書き言葉と、話し言葉が多少異なります。
・書き言葉は格式ばっています。
・一方、話し言葉は、幕末、明治生まれの人でも、今の人とあまり変わりません。

例えば、尾崎行雄、田中義一、高橋是清などは江戸時代生まれですが、残された映像で話している内容は今の人でも十分理解できます。

こぼれ話①
【戦前の日本における人工石油(人造石油)の話】
1:55 に 男性2人が人工石油の話しをしています。

1935年、日本の石油確保に危機を抱いていた三井高修(たかなが)は、ドイツのフィッシャー・トロプッシュ法による人工石油の特許と工場建設の全権を取得して、人工石油の開発に取り組みました。

当然、軍艦を動かすために、石油を大量に必要とする日本海軍も、この研究に大いに注目していました。

1937年(昭和12年)の支那事変後、日本は1940年(昭和15年)に人工石油の合成に成功しました。
→この情報は、アメリカにもすぐに伝わり、当時の国際的な状況下で非常に重要とされました。

日本政府は、その後、人工石油の生産を推進し、
北海道の滝川市、満州の吉林省、福岡県の大牟田市など計18ヶ所に人造石油工場が建設されました。

当時の人工石油は、簡単にいえば、石炭を蒸し焼きにしてガス(一酸化炭素)を発生させ、そのガスに水素を加え、
コバルト触媒を通すことで、液体の石油に変えていました。
そのため、人工石油の工場は、原料である石炭がたくさん取れる産炭地が選ばれました。

しかし、太平洋戦争が始まり、初期の軍事作戦の成功により、①南方の石油拠点を占領したこと、②まだ人工石油は生産効率が低かったこと、③コバルト触媒が手に入りにくかったことから、人工石油の研究は、一時的にその推進を停止してしまいました。

こぼれ話②
【近代日本の女性の職業の変遷の話】

1920年代(大正時代、特に関東大震災の後)に日本は産業の合理化が進み、また、
第三次産業(サービス業)の拡大、欧米文化の影響を受けて、
都市では多様な職種で女性の活躍が見られるようになりました。

彼女たちは「職業婦人」や「オフィスガール」と呼ばれました。

当初は、都会で働く女性の主な職業は、教師、タイピスト、事務員、店員、看護婦、電話交換手、女給などがありました。

昭和に入ると、女性の職業はさらに広がり、バスガール、デパートガール、丸ビルガール、円タクガール、ガソリンガールといった新しい呼称が流行しました。
その一方で一部の女性は、教師や医者、弁護士、学者といった専門職にも進出しました。

この時代の日本の女性は、伝統とモダンが交錯する中で、新しい役割とチャンスを探求し続けました。
彼女たちの挑戦と努力は、現代の日本社会における働く女性の礎となっています。

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25 Comments

  1. 「お父さんの顔を見ないでせいせいするもの」とか立ち振る舞い見て、若い子の考えや雰囲気はいつの時代も変わらないって感じがして微笑ましく思いました。

  2. 確かに「映画は現実とは違う」だが。
    ”大正デモクラシー”の続きと考えれば、違和感は無い。
    左翼やマスコミの方が間違っている。
    戦争中を除けば、日本の文化・歴史はつながっている。

  3. 漫画みたいな振る舞いだな、漫画って現実と乖離してると思ったけど、戦前の日本の味わいがここに残されてるんだな、だから欧米の価値観がすっかり根付いた今では変に見えるけど、元々日本古来の要素が盛り込まれてるから未だに本能的に使われ、漫画特有の描写が受け継がれ続けてるんだろうな

  4. 戦争でぶっ壊されなければ、他国が絶対に追い付けないポジションまで日本は進化していただろう。
    それが気に入らないから、奴等に完膚なきまでに叩きのめされたのでしょう。
    戦前昭和や大正をもっと知りたい。

  5. 逆に戦争を挟んだ数年間が異常だったのかということなんですが、「戦前」と一括りにするのがいかに危険かよくわかりますね。もし米国との戦争がなかったら、日本がどんなに美しい国でいられたか思いを馳せずにはいられません。

  6. 戦争しなかったら日本はどんな国になっていたのかとかは言わない
    何故ならば明治からの政策は欧米目指しての富国強兵で、戦争抜きにしての発展を想定してないから。武力で幕府を倒し、国家予算の半分を軍事費としていた新国家の末路はこれしかない。

  7. 昭和30年代かと思ったら10年代とはね。勿体無いことをしたよなあ。中国なんかに手を出したばっかりに元に戻るまで20年近くの歳月と膨大な命が失われた。

  8. 戦前・戦時中を窮乏の時代と思っている人が多いですが、実際には戦争は経済を拡大させます。軍需生産に相当の国費を投入していたのですから当然で、昭和10年代はかなりの経済成長期でした。また、当時の日本は植民地をあちこちに持っており、アジアでは比類のない一大帝国を築いていました。もちろん、別の方々がコメントされているように貧富の差も大きく、欧州や米国には大きく水をあけられてはいましたが、朝鮮での工業生産も軌道に乗り、台湾からは安価な一次産品がたくさん移入できていましたし、膨大な軍事費は国内を相当潤していたため、一種のバブル景気に近い状況だったはずです。「パーマネントはやめましょう」という標語があったのは逆説的に、すでに東京ではパーマをかけるのが一般的だったことを示しています。経済が戦前の水準に回復するのは戦後昭和30年です。

  9. 戦前の日本は、都市と地方の農村漁村では貧富の差、インフラ整備の差が現代の比ではないくらいとてつもないものがあり、これはごく一部の超富裕層の生活をさらに理想化したものでしょう

    だからこそ226事件が起きたわけで

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