トヨタがここまで変わってしまった理由: 総集編【豊田章男・スープラ・GRヤリス・そして新しい社長へ…】【ゆっくり解説】

今日は常に挑戦することを否定され続け 成果を出しても否定され続けられた男が 日本一の企業の社長になるまでの変態 ストーリーを解説するぜえ日本一のトヨタ 社長も変態なのかなんて言ったって ポケットマネ10万円から始めた事業が 最終的にはF1と並ぶ最高峰のモーター スポーツである世界ラリー戦手権に参加し てしまうことになってしまうからな変態の 匂いがプンプンしますねふふふそれじゃあ 今回はそんな変態おじである現トヨタ自動 車社長と夫について解説するぜ2009年 トヨタ自動車の社長が交代することになっ た原因としては2008年のリーマン ショックだしかしトヨタはこのリーマン ショックOKまあアメリカは大変だろう けどなんだかんだトヨタだし兵し花保 分かりやすい慢心ねしかしその慢心によっ てトヨタは予測をはかはるか下回る大赤を 計上してしまうグラフで見るとやばいわね 結果としては総量機以来の赤字となり赤字 の額は4610 そういったトヨタの経営判断のミスや危機 管理の甘さゆえに新しい社長にチェンジ することになったんだそこで抜擢されたの が豊田一族の音像師豊田明夫となるわけだ 目つきが今と全然違うわねと言っても当時 の役員たちは豊だけの息子に赤字の責任 押し付けちゃおうといった捨て駒としての 社長交代でもあった秋落ちかわいそう すぎる当時のマスコミも14年ぶりの豊 だけへ体性奉還世間知らずの豊だけの息子 が社長になった という秋夫が社長になることを批判する メディアも少なくはなかった特に当時は 赤服や千場き長などといった家族経営用の 食品偽装事件が世間的にブームだったこと もありメディアからの批判の的でもあった 千場長の女将のさやきカーナビ発売派よ しかし秋夫はそんな逆境の中であっても トヨタは車ではなくお金を作る会社になっ てしまっているだからたくさん車を作って 褒められるのではなくいい車を作って褒め られる会社にするんだとトヨタ市の時代に 社内外に単価を切ったんだ批判的な メディアとは裏腹に昔から秋を知っている 社員は高評価するく秋夫社長あれはトヨタ の突然変異ですよと笑いながら話すその 変態ではなく変異しっぷりがトヨタの 立て直しと今やスポーツカーの ラインナップが一番多い国産メーカーに 成長させたのねふふふそうだぜこの変異 ぷりのルーツは秋夫の幼少期にある 1956年の名古屋に生まれた秋夫年時代 は毎日隣の家に勝手に入り込んで自転車を

乗り回したり親父の小一郎の車に泥を塗っ て遊んでいたりしたという他にやること あるだろそんな幼少期の秋夫社長の夢は タクシードライバー父親の専属の運転手の 働く姿を見て憧れていたというしかし学校 に上がると超ぼっちゃまである秋夫少年は 悩むことになる常にトだけの息子という レッテルを貼られトヨタの息子だぞ特別 扱いしろトヨタの息子だからって調子に 乗るんなよこう言っただというせを授かっ てしまったという運命により大人からは 特別扱いされ同年代にはいじめられたり 煙たがられた誰も自分自身を見てくれない 豊田という名前ではなく僕自身を見て 欲しかったが豊田という名前がどこに行っ てもついてくるこういった豊田の性を持つ 秋夫は大人になっても人との距離感につい て長年苦しむことになるそんな感じで小 中高と心の葛藤を抱えながらも1975年 には慶王大学法学部進学愛知県から東京へ 状況ね秋夫の大学生活は北慶部に所属し 北形中心の体育会な文化の中で過ごすこと になる北慶部に入った大学1年生の秋夫は 荷物運びやお着から始まり先輩には顎で 使われ他の部員と同じくしかれる中でこの 初めて平等な立ち1での大学生活の中で 自身のアイデンティテが確立していったと いう当時の友人は語るああ秋ねあいつ知的 そうな顔してるけど案外族にまみれていて 下世話な話も好きだったりするのよそんな 秋の大学生生活は属性にまみれエリート ながらも比較的一般人的な生活を化してい た絶対大学生でせの喜び知っただろう ちなみに秋夫は1980年のオリンピック 候補選手になるほどホッケの腕を上げてい たんだそんなところでも喜びを知りあがっ て大学卒業後はアメリカのバブソン大学の 経営大学院へ進学しMBA経営学収支を 取得する卒業後はアメリカに残り投資銀行 ABベッカー高に新卒で入社する慶大学 から海外からのそのまま現地の会社に就職 するのはさすがだわねちなみに父親からは トヨタに入社しろとかは一言も言われ なかったんだそんなことよりも初任級で 中古のカローラ1600GTを買っちゃっ たんだぜ羊の川をかぶった狼であfrr ぴよぴよえからフルハッピーマテリアル号 だこれとトヨタには入らなかったがいい 青春カライフを送っていたというあお君も 変態側の人間だったかそんなアメリカに 就職した秋を見た父親小一郎はまあお前 みたいなやつをに持ちたいトヨタ社員 なんていねえからトヨタにはいない方が いいなと言われたというその後秋夫は 1984年27歳の時に帰国ある会社の

試験を受け転職することを決めるそれが トヨタ自動車であったちゃっかり面接受け てて草周りと同じように面接を受け内定を 獲得した秋夫ではあったが残念ながらここ はトだけが創業したトヨタだ当たり前だ けど入社した時の周囲の反応は普通じゃ なかったよ年上の上司でも俺には敬語を 使うしお顔使う同僚もいたまさにトヨタに 入った俺はお客様って感じだったよ中には 入社した秋夫と仲良くすると媚びを売っ てると思われるし気安く話すと今後の出世 に響くんじゃないかという同僚も多く孤立 した状態だったまさに小学生の頃に戻った 感じだわね父の言う通り俺を部下に持ち たい上司なんていなかったんだトヨタには 俺がいない方がいいんじゃないかと長年 真剣に悩んだよそんなモヤモヤした気持ち でありつつも秋夫はせっかくヨタに入った のだだから現場である工場から仕事を始め たいという本人希望をあっての工場へ配属 となる今日から配属されたとよ田明夫さん です工場をご案内お願いいたしますと案内 人が秋夫の上司に言うすると何がご案内し だこいつは新入社員だろとぶち切れたその ぶち切れたのはトヨタを改善しまくってき た林ナパさんであった林さんはトヨタ生産 方式の海の親大野対一に指示し車内を改善 をしまくってきた伝説のトヨタの エンジニアだそんな林さんはきょとんとし た秋を見ていうおいお前叱られたことは あるかありませんくそれは不幸なことだな 俺が幸せになるほど叱ってやるから覚悟し とけえそんな侵入社員の秋は遠慮なくしら れ鍛え上げられていった例えばある日秋夫 が担当する製造ラインで品が足りなくなっ てしまった生産ラインで部品がなくなると いうことは製造が止まってしまうという ことつまりラインを停止してしまうとその 間工場が稼働せず人件費の損失はもちろん 後ろの工程のスケジュールのずれが発生し てしまう大問題となる少し止まるくらい いいと思っちゃうけど本当にやばいことな のねそうだぜそこで担当の秋夫は上司で あるはさんに相談しに行くあのもう夜の8 時だぞなんだよ早く帰れよ工場の部品が 足りなくてラインが止まってしまうかも しれませんそんな時になんとかするのが お前の仕事だろ自分でなんとかしろ分かり ました秋夫は上司の林さんに突き放されて しまったそんな秋はどうしようせや俺が 部品メーカーの工場から部品を取ってくれ ばええんやと1人で主上しかいない夜の 部品メーカーの工場に行き勝手に部品を 持ってきてしまう真夜中の夜の部品 メーカーそのことを他の社員から聞いた

上司の林さんはその無鉄砲ぶりにびっくり し叱ることになるがとだお前勝手に取引先 に入って何やってんだすすみませんふふ まあいいよよだやり方はむちゃくちゃだけ けど度胸の座ったやつじゃねえかと評価し たそんな感じで秋夫は現場の荒波に飲まれ ながらも少しずつ仕事を覚えて成長して いくその後1980年代後半には財務部 永同さらにその後は生産調査部動どの部署 でも厳しく叱られながら鍛え上げられて いく色々な部署に行き多くのことを学んだ が1番大切なのは現場ということが分かっ たつまり現地元物の大切さだ見てないのに いい加減なことを言ってはいけない必ず 現場に自分の目で確認しろと言われ続けた んだその現地元物の大切さゆえに秋夫は 時々やばいことをしていたやばいこと 例えば1991年秋夫が係り長となり部下 を持った時の話だその部下は1991年に 移動してきた友山刺激という男だったある 日秋夫と友山は工場に入ってくるトラック の積載量の効率が悪いことについて調査を することになったそこで秋夫は友山を愛紗 のソアに乗せ秋夫は仕入れ先から出発した とトラックを追跡し たく友山見ておけよ赤信号になりトラック が止まった瞬間秋夫はいきなり友山さんに 言う友山お前は車を運転して前のトラック について来いと言った後秋夫はトラックに 駆け寄りドアをコンコンと叩きそのまま 女子席に乗ってしまったグランドセフト オートかなちょっと失礼ひトラックの運転 手は夫の謎の行動力に恐れをなしたそこで 夫は運転手さんい聞きたいことがあるん ですとまるで少年のような秋の言動には トラックの運転手も友山さんもびっくり だったしかし水知らずのトラック運転手が 運転してる横で話を聞き1枚のメモを友山 さんの元に持って くる田さんさすがにそれはむちゃくちゃ ですよなあに現場のそのものを見るのが 一番手取り早いし正確だろトラックの問題 は机の上じゃ分からないトラックに乗って トラックのドライバーさんに聞かないとね この時とさんはエリートの秋イナム鉄砲 ぶりにびっくりしたがこのすぐに現場へ 行き話を聞くという秋夫の存在はいい意味 で友山さんに刺激を与え た当時の俺は転職を考えていて逃げていた 平凡なサラリーマンの俺にはいい意味で非 常識な豊田係り長には衝撃だっったよ豊田 さんはネっからの現場により総会前門なん だよな豊田さんに会ってから人生変わり すぎて怪が抜けてきたよそんな友山さんは 秋夫から秋夫秘伝の育毛剤とその手書きの

使用方法目もを渡され秋夫の毛根ではなく 秋夫の右腕となり秋夫は社長友山さんは副 社長となっていくんだもう今と副社長の座 を価交換しないで友山さんの毛根小室後の 1996年トヨタ自動車内部に業務改善 支援室が立ち上げられリーダーには秋夫が 抜擢された栄養部の内部に設置された業務 改善室だが栄養部の他の社員としては トヨタ生産方式だかジャストインタイムだ か知らんが物を作るのと売るのとでは全く 違うそのうち失敗するからあいつとは 関わらない方がいいと経され完全に招かれ ざる客だった秋夫の右腕として連れてこ られた友山さんも秋夫に突っ込む豊田さん 70人のさぐれアウトローチームで何を するんですか簡単だよ現場の改善をして車 を持っとおるどこで戦うかは俺が決めて 責任は全て俺が取る将軍のお前はどう戦う か決めて欲しいんだと友山さんは秋夫と共 に90年代をランニングイザズすることに なるそして1990年秋ガをつけたのは パソコンとIT産業だったITを中古車 販売に応用すれば儲かるんじゃねという 発想だそこで考えたんだ今までは中古車を 下取りしてから整備して販売まで最低40 回以上かかっていたしかし中古車を 買い取ったらすぐにインターネットに写真 をアップしてディーラー間で共有すること で整備を待たずして相談に持っていける そうすることで在庫を持つ時間が少なく なり販売サイクルが効率化されるさらに ディーラーとしてもリスクが減り結果とし て利益や核競争にも優位となるつまり ネットを使った中古車の管理システムを 作れば違法補ってわけだ今では普通だけど 当時は活き的だったんだろうねうむ当時は まだ中古雑誌を販売している出版車も手を つけていなく市場としてはブルー オーシャンでもあったわけだしかし確信的 なシステムであるがゆえに会社としては そんな写真だけを見てお客が中古車を買う わけない だろドラ息子とその若い部下たちが インターネッとかいう謎のものを使って変 なことを言い出したぞ という反発の声が多かった大企業の頑固 社員の登場ね彼らがインターネットという 新しい技術が理解できないこともあった けどそれよりも若い人材のチームに予算を つけたくないのが昔のトヨタなんだそう いうことで丸山一物金は全くない状態だが どうすればこのシステムを完成できる だろうかそこで丸山さんは新しいパソコン を買えばできますと答えたいくらあれば できるんだ10万ですそうかそれなら俺の

ポケットマネーでも帰る買いに行くぞへと 丸山さんと夫と他のメンバーのみんなで町 にパソコンパーツを買いに行くことに なるパーツを一通り買った後は丸山さんの 自宅の2階で秋を含めてみんなでパソコン を組み立てた田さんパソコンを組み立てる 時は静電機を絶対起こしてはいけません つまり全裸が基本ですよ えという話があったかどうかは知らないが みんなで友山さんの質の一にて作りが 始まった組み立てたパソコンに Windowsをインストールし電源を 入れる うおふふひとまず一歩全身だなこういった 業務改善室の初期はまさにガレージで起用 するシリコンバレーのIT企業のようなド くさいやり方だったがオにとってはこの 一歩は忘れられない出来事だったというオ もベンチャー精神を経験した社長だったの ねその後そのパソコンを使い1996年秋 にはという中古画像システムを完成させる とはいえ画像で車が売れるわけがない だろうと車内の目はまだまだ冷ややかだっ たちなみにトヨタカロ川店に試験導入され た成果としては中古車1台売るのに平均 40日かかっていたところを1台30日で 売れるよう改善できることになったさらに 中古車の売上は1.7倍も上がってしまっ たすすげえディーラーに足を運んで頼んだ 会があった数値も順調だし次はこの発展 途上のシステムをアップデートし全国展開 だと秋夫はこの成功を元に全国の ディーラーへの導入を提案するが役員たち からはトヨタがITといったお遊びをする なんてバカバカしいこんなものにとよたと いう名称は絶対使うんじゃないぞとより 強い反発をされたさらにこのシステムは トヨタブランドを名乗ることが許されず トヨタ飛行式として運用するしかなかっ たトヨタの名前が使えないか友山どうする うん名前ですかいい名前にしたいですね そうだこの画像システムはまさに画像の 動物園画像と図合わせてガズなんてどう でしょうか英語でガズかいいなよし決まり だ早速それで行こうそうトヨタブランドを 名乗ることを許されず作られたのが現在の grrブランドやガズーレーシングの大元 となる中古車検索システムのガズーとなる わけだ何それ熱いそしてこのガズー自体は より成果を上げていくことになるがそれで もまだまだ車内の反発は強くガズはドラ ムスコアをのビーだなというITを理解 できない役員や社員からの陰口は耐え なかった秋夫丸山さんはこのガズの創業機 はトヨタ在籍史上1番辛い時期と答えて

いる車内の反対はもちろんいじめ嫌がらせ というトヨタの悪いところがガズに直撃し たんだでもトヨタからの指定はまだまだ 女性だこの後ガズも俺もトヨタから見捨て られ絶望すべき事態が立て続けるくるんだ よなそんな秋夫はトヨタに出た悔を打たれ トヨタ役員からの本格的な潰しが始まると 今日は切りがいいので続きは後編で話す ぜ前回はトヨダ夫が10万円のパソコン から中古車検索システムを作り上げた話 までを解説したなうんうんトヨタ本社から はいじめられつつも右腕の友山さんと共に ガ事業を立ち上げたのだわよねそうだぜ トヨタの名前を使うことを許されなかっ たり役員からは相当コケにされたちなみに この動画は後編となるので前編を見てない 人は前編から見ることをお勧めするぜその 後立ち上げたガズ事業についてはシステム を回収し続け事業はさらに拡大することに なる例えば1990年末にはAmazon よりも早くウブ通販事業を始めたり音楽 ゲームカーナビの更新ができる端末E タワーを各コンビニと定型して事業を拡大 していくおいこのキャラ絶対なんかの キャラのパクりだろやめとけやめとけと 順調だったガズ事業部は2000年には 正式に会社貸しトヨタ自動車株式会社の 顧客向けITを推進するガズメディア サービス株式会社を設立秋夫は社長友山 さんは副社長となったガズが古き豊田から の脱却として色々な新しい分野に進出する ことを見て役員はまだやっているのか そんなよくわからんものはリスクが高 すぎるトヨタには不要だ外でやれと まだまだトヨタブランドの利用は決して 許されることはなかっただからこそ俺たち はガズの旗の元アンチトヨタとして常に古 豊田と戦った常に古田のあり方について 問い戦い続けたんだ俺たちはに厄介な社員 だったと思うが今後トヨタが生き残るには こういう挑戦をし続けるしかないんだこの ガズはまさに今の秋夫社長の原点と言って もいいほどねそうなんだトヨタのお荷物 扱いされながらも秋夫は着実に数字を上げ 続けていくそして22年ガズ事業も安定期 に入り秋親友山さんらが放送しなくても ある程度自装的に経営が回る状態となった この時の秋がズなどを初めとした情報事業 の成功によりトヨタ自動車の乗務取締り役 まで登りていたしかしガズの成功は完全に は認められないままで登り詰めていたこと もあり専務クラスまで登り詰めていたにも 関わらずトヨタ本社での居心地は悪く居 場所がないと感じていたガズのベンチャー 感と本社の大企感のギャップもすごそうだ

しねとは言っても役員である秋夫は 2002年技術部門の改善を任せられ技術 部門に足を入れることになるしかしトヨタ の開発部門は白い巨と呼ばれるほど組織の 壁が熱く座割の部門でもあったまた面倒 くさい仕事をけられてるな落ちそんな強烈 な縦割の技術部門では秋夫のいい車を作り たいという思いはどこにも伝わらず最終的 に行きついたのはテストドライブの現場で あったすみませんみんなさんトヨタの車を もっといい車にするにはどうしたらいい でしょうかその現場に質問をしたあおに 対してテストドライバーのナルセさんが 答えるあおさん運転のことが分からない ペペに車のことをアーダこだ言われるのが 一番嫌なんだどこか行けと容赦ない言葉を 秋夫に向けたちなみにナルセさんは秋夫 よりも14歳上のトヨタのトップガンで ありマスタードライバーだぜトヨタ車内の 神テストドライバーってところねあおさん 俺らは車を評価するということに対して 命がけでやっているんだそのことだけは 分かって欲しいだからけし顔で現場にチチ を入れて欲しくないんだすみませんくくく でも君は車内の高度運転技術の資格を持っ ているそうだねうもしお前に覚悟がある なら俺が運転を教えてやる現場を改善する ならまずは現場を知らないとなぜ是非弟子 にしてくださいこれが秋落ちの本格的な ドラテク取得の一歩になるわけねそうなん だ秋夫は趣味であったゴルフをやめ秋時間 の全てをドライビングテクニック工場の ために時間に当てたちなみに秋夫が毎度 乗っていたのはトヨタスープラその スープラに乗りナルセさんの厳しい指導の 元何度も何度も練習を続けたナルセさんの 指導とこのスープラがなければ俺の ドライビングスキルは毛が生えた程度で 終わっていたかもしれないそしてナルセ さんの教えは今のトヨタの車に直結して いるそういうこともあって秋夫はナルセ さんと共にこのテストドライブに命がけで 取り組んでいたしかしその必死さゆえに ガソリンが鍵になるまでテストコースから 帰ってこない秋夫を見てなせさんはおおい 秋夫のスープラのガソリンは半分抜いて おけよと半ば本気で言ったというスープラ るで草しかしそう言った努力の末現場との 石卒のハードルが下がり同じ現場の目線で 会話できるようになったといううんうん 現場を経験しないとそういう会話できない もんねさらにその運転技術を認められ ナルセさんにドイツのニュルブルクリンク キタコースのレースに招待されるその レースで秋夫は中古のスープラで参戦し他

のドイツカーにもまれながらいつか スープラを復活させてこのニルでドイツ者 を任してやるんだと固く心に誓ったさらに 経験を積んだ秋夫は2007年にはナルセ さんにニュルブルクリンク24時間レース に誘われるがそれを見た役員たちはレース なんて危険なことはやめなさい立場をえ なさいと秋夫のやり方に対しては不満を 持っていたそのためニュルブルクリンク 24時間レースにはこっそりゲリラ的に 参戦田夫の名前で参加するとさらに怒られ てしまうため51歳の夫君は僕森田夫って 誰ですかとあの蔵をもじた蔵という名を 使い隠れみのにすることでこなき終えた 役員がババで草さらにトヨタ本社からは 3000名についてはトヨタブランドを 名乗ることは許されずまた名前を使うのを 許されてないのも大いエゲって感じね しょうがないので秋夫が携わっていた ガズーからガズレーシングと名乗ることに したんだおおこれが今のGRブランドの 原点ってことねふふそうなんだ秋夫は常に トヨタに拒絶されがずと共に歩んできたん だちなみにこの時のトヨタはスポーツカー をすでに作っていなかったため参戦車両は 中古のアルテッサを使ったそんな中古の アルテッツではあるものの秋レース現場で 少し浮かれてしまいナルセさんに何浮かれ てるんだこのアホとここでも容赦なく勝さ れたというこいつおじさんになっても 怒鳴られてて草しかし秋夫はこのチームを とても尊敬しヌクモリティを感じていた ふふガズレーシングこそが普通の人間とし て平等に扱ってくれる場所だったんだ1つ の目標を追いかけるサーキットやピットに 肩書きなんて関係ないんだずっと探してい た自分の居場所がナルセさん引きいるガズ レーシングだったのねそんな受かれ だけど真面目な秋はレースドライとして ニュルブルクリンク24時間レースで無事 感想秋夫のレースに対する姿勢として普段 の仕事以外の時間は全てナルセさんの チームとの時間に費やしなせさんから レーシングマインドを受け継いだんだ ナルセさんあっての今の秋落ちとトヨタと トヨタ者なのねその後秋夫は前半の冒頭で 話した通り社長になるが他の役員が秋夫を 社長にするには理由があった表向きの理由 としてはリーマンショックでの赤字であっ たが豊だ出身の秋声社長交代した後に正式 に赤字決算とさせこれをけじめとして責任 を取り辞めさせることでリーマンショック 中の他の役員たちの経営判断ミスをチャラ にしようとしていた捨て駒として社長にさ せられたわけねそうだぜ秋夫本人も後に

あの時の社長就任劇ではまさに捨て駒だっ た会社からは祝いの言葉も協力的な姿勢も 全く感じられませんでしたからねまあ確か にとだけの音像士のせいにすればアホ息子 がやらかしたというストーリーにもできる しねスバルの廃気音もびっくりの中の ドドロさだよなそしてさらにふは続く 捨て駒の秋夫が社長になり初めての株主 総会が始まる朝悲しい報告が入っ たあの鬼に運転技術を教えてくれたなる さんの部下からの電話だった田さんなせ さんがナルセさんがレクサスLFAの テスト車両にて走行中事故によりなくなっ てしまいました捨て駒社長とはいえこれ からいい車をなるさんとやっと作れると いう時だったさんとスープラを復活さと いう夢はえてしまったしかしステゴマ社長 に対して不運はまだ続く2011年東北大 震災が発生取引先620車のうち237社 拠点数で言うと659拠点をが被災をした さらにその被災した拠点で作っていた 500品目は作に手を打たないとトヨタの 製造ラインはすぐ停止となってしまう致命 的な状態となっていたしかも被災した拠点 はもちろんトヨタで働いてる人たちの仕事 もなくなってしまうということだそんな 日本にとってもトヨタにとっても不運の中 秋夫は復旧改善するため動き出す秋夫が目 をつけた一例としてはルネサス エレクトロニクス株式会社というトヨタを 含めた色々なメーカーの反動体を作ってい た茨城の工場だ工場内は瓦礫の山復旧まで 半年はかかるというレベルであったさらに ルネサスはトヨタを含めた核自動車 メーカーの支援を断ったルネサスさん我々 トヨタも復旧をサポートしますいえ大丈夫 です情報が外部に漏れることをを避けたい のです何より反動体のことを知らない自動 車メーカーのサポートは不要ですよと ルネサスは全自動車メーカーの支援を断っ たそこで秋夫は当時の日本自動車工業会の 会長である日産の滋ゆさんへ協力の電話を かけルネサスの大株主である日たちに話を 通して欲しいとお願いをした震災後で大変 とはいえいち早く復旧しないと車メーカー モルネサンも仕事がなくて日本が潰れ ちゃうからねそのアオガネサを説得した 結果最終的には日産以外にも本田伝送 そしてキャノンさらに経済産用省を 巻き込み日本メーカーソでで復旧を進める ことを決めさせた秋夫ちが現場で改善して いた頃のような行動力ねそして秋夫はこの 復旧作業のリーダーは秋夫の入社仕立ての 時の上司でもあった林ナパさんにすること を即時に決めたあの入社しての秋夫を定長

に扱う周囲にぶち切れてた人だわねふふ そうだぜ実は林さんは1995年の阪神 淡路大震災の復旧で大活した1人でもある ことを秋夫はよく知っており抜擢したんだ 現地の工場の人たちよりもラインを守る ために危険な作業をガンガンするトヨタ チームはやべえ集団と言われたが阪神大 震災での復旧作業では2ヶ月かかるところ を重で完了させた最強のチームでもあった んだ林さんチームやべえそれなら東北大 震災の復旧作業も 頼もしいはさん責任は全て社長の私が取り ます現場に全てお任せしますヨタ本社の 判断は待たなくていいです現場で決速断し てくださいと秋夫はとにかく現場に権限を 異常し林さんのチームをバックアップした トヨタの看板方式を使った改善と現地現物 即自即断そして現場にいるタメーカーとの 連携これによりボロボロだったルネサス 工場は半年かかる予定だったところを1 ヶ月で生産再開させ半年後の10月には 生産レベルを震災前まで戻すことができた すげえ世界からは奇跡の回復なんて言われ ていたがただ現場を信用し改善を継続的に やった林さんと現場の作用員の力によって 生み出されれた努力の結果であるんだ海外 からは1年は日本の物づくりは立ち直れ ないと言われただが我々は災害直後の3月 末にはハイブリッド車の生産を再開し4月 中旬からは低量ではあるものの全校上を再 稼働させたんだぜむしろ東北の復旧を通じ て日本の物づくりの現場力を感じたよ そんな感じで秋夫が社長就任してから3年 捨て駒にしては2が重すぎる苦難ばかりで あった東北大震災前には大規模のリコール が発 その原因としてはアメリカで1台の レクサス者のフロアマットがアクセルに 引っかかり暴走士家族4人が死亡その後 アメリカではアクセルが床から戻らない 意図しない急加速が発生といった現象が 多発した日本バッシングの一種みたいだわ ね実際リーマンショックの影響により アメリカのクライスラーやGMが経営破綻 その中でトヨタは少しずつ経営を立て直し ているのを見てアメリカでは面白くない 感情があったとも言われているもちろん アメリカのメディアは日本企業である トヨタを徹底的に批判をしたそもそも トヨタはアメリカではGMを抜いてはいけ ないアメリカでトラノーを踏んではいけ ないそれがトヨタ車内のルールでもあった がリーマンショックで勝手にGMが潰れて しまったからなと役員が言うくらい アメリカでは売り過ぎには気を使うという

ふんトヨタの車を持っている人は運転す べきじゃないな危ないぞと当時の運輸教官 の例ラフードさんが発言するくらい アメリカでのバッシングはひどかった後で 発言は撤回されたがな他にも豊田を批判 するための実験結果を南入の井大学の教授 が公開をしていたが後に捏造かつ金を もらって批判していたことが分かった トヨタバッシングすることでお金が もらえる世界になっていたのねその中で 秋夫はアメリカの校長会に呼び出しを 食らう社長を辞任しろという会社内部から の声や逮捕しろという声がアメリカ国内 からあったが全ての責任は私にある反は 甘んじて受けるし謝罪はするしかし嘘つき やごまかしという声に対しては徹底的に 戦う俺が辞任することになってもトヨタを 嘘つき呼ばわりには絶対させないそんな 決意を持ち当日の秋夫は自分で考えた英語 の目もを片手に校長会でこう話をした私は 国にも会社にも見捨てられたしかし私は誰 よりも車を愛し誰よりもトヨタを愛してい ますトヨタの伝統と誇にかけてこの問題 からは逃げたりはしないトヨタの車には 全て私の名前が入っておりますトヨタの車 が傷つくということは私が傷つくことと 同じなのです任を追って私が絶え間ない 全力の改善をしていき信用を回復していき ますと全力のスピーチをしたその後質疑 応答で秋夫は相当詰められたが秋夫は誠意 を持って過去のトヨタの生産と言っても いいほど犠牲者への追悼そして謝罪を何度 も自身の声で伝えたトヨタの過去現在未来 全てを代表して秋夫が謝ってるように見え た父親である小一郎はこの時の秋夫の姿を 見てそう答えた校長会後ヘトヘトになって いた秋夫を待っていたのははアメリカの サプライヤーたちであったサプライヤー たちを見た秋夫は何を言われようと しっかり対応しようともう一時を引きしめ たが秋夫Cを我々はトヨタを100%応援 する校長会見見たぜトヨタのサプライヤー であることを誇りに思うよと待っていたの は温かい声と拍手だったそんな温かい人々 に明夫は俺は1人ではなかったと緊張の糸 がほぐれたのか泣いてしまった泣いちゃっ たその翌日に秋レクサスの現場にひっそり と訪れ犠牲者を止ったしっかり現地を 訪れるのは秋らしい現地現物主義のやり方 だったそういったアメリカでの大キボリ コールと東北大震災を経験した秋尾川が 向け周囲には捨て駒社長と呼ぶものはい なくなっていたんだより現地現物を進め 現場に判断を任せられるところを任せて いく現場を理解するトップダウンそして

現場が上層部のビジョンを理解するボトム アップを徹底していくのであるトヨタは 大丈夫という根拠のない安心感が今まで ヨタ社内にはあったその謎の安心感が職場 をダメにして社員が改善に対しての無関心 さを生んでいるトヨタらしさとは改革なの だ決して安定ではなく常に無駄を排除し 改善していくことなんだこれからは本来 あるべき豊たらしさを取り戻すと秋は決め 本当のトヨタらしさを取り戻すべくたみ 切っているトヨタ社内の改革を進めていく これが遺児と言われる遊園ねうむじ明夫は ファンから愛されるトヨタになるべくこう いった施策も進めていくまずは201年に は今はきナルセさんと一緒に作ったトヨタ 発のスーパーカーレスLFAを発売その2 年後の2012年にはトヨタとしては5年 ぶりのスポーツカートヨタ86を発表 かつてのトヨタは売れないスポーツカーを 足していった大数市場主義のせいで売れる 車作りばかりをしてしまったから昔の トヨタにはスポーツカーは不要とされてい たんだ確かに2000年代のトヨタは スポーツカーがほぼなかったしトヨタ アンチの人も多かったんじゃないかしらだ からこそスポーツカーを復活させるトヨタ がスポーツカーをビジネスにできなかっ たら他にどこのメーカーがビジネスに できるんだいいスポーツカーを量産できる かどうかは自動車メーカーの物づくりの力 の1つのバロメーターなんだぜさらに秋夫 はさらなるトヨタ車の改善を進めるために 大胆な試作を打つトヨタ車をもっと壊す ようなことをすればもっと丈夫でいい車が できるはずだだから過酷なモーター スポーツに参戦してトヨタ車を壊しまくっ ちゃおうという発想からF1と並ぶトップ クラスのモータースポーツ世界ラリー選手 権に参戦スバルの2008年撤退から日本 メーカーはWRCカテゴリでの参戦はどこ もしていなかったが10年ぶりに日本 メーカーがWRCに復帰したのがトヨタ だった早くスバルでも三菱どこでもいい から復活してくれと思ってたらトヨタが 復帰していてびっっくりした記憶があるわ そもそもWRCという競技はジャンプして 泥にまみれたり崖から落ちたりドリフトし ながらアイスバーンをフルアクセルで走る 競技だだからこそ車が壊れるそれこそが 壊れないトヨタ者としての仕上げとしては ぴったりなんだそんなWRCで鍛えられ 車内の品質基準を撤廃し徹底的に壊すこと で作られたのが2020年発売のトヨタ grrヤリスであったこれはナルセさんが 言うところの道が車を作るという言葉通り

コンピューターだけのテストではなく過酷 な道を走り道で車を作り上げていっ たこのようにアオリーダーとしスポーツ カーをはめとする熱い車作りをする会社に トヨタは変わってしまったんだ本当近年の トヨタは変わったわよねうんこれも全ては 遺児である秋夫の行動力による結果でも あったこれは秋夫が作りトヨタに否定され 続けてきたガズを原点とするトヨタの スポーツカーブランドガズーレーシングの キャッチコピーを見ると今後のトヨタの 目指す場所がよくわかるトヨタよトヨタの 作ったその壁を壊せいい車とは何か終わり のない答への挑戦を続ける車を退屈にした 全てのものにさよならだと過去のトヨタと 決別する道を選んだ秋夫はトヨタという 日本一の企業の息子ではあったが人生は 決してオザレールではなかったむしろ トヨタという会社から否定され嫌がらせも 受けてきた誰からも応援されない悔しさ何 をやってもまともに見てくれない悔しさ そして生産中止になったスープラで練習を してる悔しさしかし秋は食らいつき潰され ても何度も立ち上がり挑戦をし続けた 2019年にはナルセさんとの約束であっ たスープラを復活させニュルブルクリンク 24時間レースに新車のスープラで参戦 する夢も叶えたその諦めず挑戦を続ける スタイルこそがトだけの証でもありトヨタ という会社のあるべき姿なのであるそんな 挑戦し続けるトヨタなら2035年の 大きな壁でもあるカーボンニュートラルを 乗り越えきっとテスラさえも抜き再び世界 一期の自動車メーカーに帰りざいてくれる だろう改善それこそがトヨタらしくそして トヨタにとっての幸せの形なのですだから もっといい車を作ろう よまだまだトヨダという人物を解説するに は時間が足りないが今日はここまでちだ 企業であるトヨタ自動車が過去を捨て未来 に挑戦する姿を見ると日本の物作りは まだまだ終わっていないと思うわ他にも 解説して欲しい人物や車があれば是非 コメントでリクエストして欲しいぜそれで は今日はここまでサラダ バー今日はトヨタのツカ新型スープラの 開発ストーリーを解説するぜで出た日本人 がよく使うパスワード11位がjzA90 スープラだからねきっと愛知県民の9割が スープラを所有していて愛知県民しか知ら ない地下サーキットで04しているん でしょ愛知県民は美人が多いけど他県に 取られないように愛知に美人はいないって ほら吹いてるのと同じだよ日本一大人の ホテルが多い件も愛知だからねハピホテ

会員目愛知に移住しますいきなり冒頭から 何言ってるのかよよくわからなくて草ま まあ今日はトヨタがBMWと共同開発した 新型スープラという異質かつ変態な車を 解説するぜみんなは最新のトヨタの共同 開発等を含めた開発手法に対してどう思っ ているかコメントで教えてほしいぜ愛知 県民は美人が多いのかどうなのか真実を 教えてねそれでは茶番劇はほどほどにして 開発ストーリーを始めるぜ新型スープラの 開発の発端は2012年から始まる 2012年はトヨタ86スバルBRZが 発表された年ということもありトヨタは 海外のジャーナリスト向けの86市場会を スペインにて開催していた86開発の チーフエンジニアであったただ徹夜さんも そのイベントに参加しており86最高 でしょトヨタっぽくないでしょひひと86 の変態差をヨーロッパにアピールしていた ところたださんの元に一本の電話が入る もしもしただですおたい電話の相手は トヨタ自動車の会長である内山田たさんで あったちょっと急で悪のだが明日から ドイツに行ってくれえ86の市場会 イベント中なのですがいやいいんだ言って くれドイツミヘにBMWの人がいると思う からそこでBMWと一緒に車を作れるか 探ってきてくれあとこのことは絶対誰にも 知られるなよはあまあ分かりましたなぜ ここでBMWだったかと言うと2012年 トヨタ自動車とBMWは環境技術での定型 を拡大すると正式発表したこれはEVや 研究内容の定型などをタとBMWで一緒に 進めていこうという内容でありその手始め としてBMWに話をしに行くことになった わけだそして翌日たださんはこっそり86 の市場会を抜け出してドイツに行くのだが あれチーフただチーフがいないぞうわどこ 行ったやっぱり86BRZにターボを つつけるべきだったんじゃないとスペイン 86市場会は大騒動となったがたださんは そんなことも知らずにドイツミュンヘンに ついたたださんが実際にBMWの事業戦略 の担当者に会い話をしてみると社BMWの 直列6機当エンジンはいいですよねまさに しクスシルクの布で股間をするくらいの 気持ちよさがありますむむなかなか分かっ ておりますねと話はなかなか盛り上がった たださんはこのBMWとの出会いからてか BMWには直エンジンがあるしこれを使え ばスープラを復活できるんじゃ ねテンション上がってきたとなかなかいい 感じにメーカーの車につの話がんだ ドラゴンボールの戦闘シーンかなたださん はホテルに戻りまあBMWの人は変な人で

はなかったし本社には容は不可能ではなさ そうと報告だけしておくかよしと軽い 気持ちで本社にレポートを送ったそうする とすぐにおいただははいお前がチーフ リーダーとなってBMWと一緒に新型 スープラを作れええこうしてたださんは スープラの開発リーダーとして明される ことになったこのスープラを作る件は BMW側にもすでに共有されておりBMW がメインの開発を担いトヨタは企画 デザインを担うという担当分けで進め られることになる86BRZではスバルに 開発をお願いしたけど今度はBMWに開発 をお願いするという形なのねちなみに秋夫 社長は言うなぜトヨタが1からスープラを 作らないのかだってそれは簡単だよ スポーツカーという日な市場では大な開発 費を簡単にペなんかでき だからこそ2つのメーカーで金を出し合っ て分業して開発すれば1回分の開発費用で 2車種作れるそれならスポーツカーを ビジネスとして成立できるんだというのが トヨタが考える日な市場でスポーツカーを 生き残る術であったというのは本音でも あり建前でぶっちゃけ直6エンジンの スポーツカーがすぐ欲しいでもトヨタには 直6エンジンがないそして作るにしても 時間がないそれに2020年になる前に 新しいスポーツカーを出さなければ騒音 規制やら排気ガスの問題からつまらない車 となってしまうでもひとまず規制が出る前 に発売してしまえば継続者として後から何 とでもできるからな ううという本音もあったんだどんだけ スポーツカー作りたいねんそんな感じで 2012年から早速BMWとの競技が 始まるわけだとはいえスバルと一緒に作っ た86BRZの開発の経験からたださんと してはメーカーの壁はあるにしても共同 開発のコを掴んではいるのでそんなに 難しくはないだろうと考えていたそこで 当時のBMWの開発担当役員であった ヘルベルトデスさんからこんな質問が来る トヨタさんはどんな車が作りたいんですか ふふよくぞ聞いてくれましたせっかく トヨタとBMWが組んでスポーツカーを 開発するのだからポルシェにも負けない 最強の変態ピュアスポーツを一緒に作り たいの ですポルシって何すかえミスターただ俺 たちは走りの性能でポルシェに勝とう なんて思ったことなんって1度もないん ですよもちろん乗り心地でメルセデス ベンツに勝とうとも思ったこともない そんなポルシェが欲しいならポルシェを

買えばいいBMWの社員でも走りを求める やつはポルシェを買っているBMWに ポルシェもはいらないんですよとBMW側 からもう反発を暗いトヨタは出鼻をくじか れてしまったまあミスターただ君たちは どんな車が欲しいのかもうちょっと明確に してからまた来てくれ我々が車を作るんだ からリクエストだけ言ってくれればいいと BMWとのはBMWとの壁を感じる形で 終わってしまったしかし今回開発を任され たたださん引きいるガズーレーシング カンパニーとしては新型のスポーツカーの ビジョンは明確ではあり必ずその通りに 作りたいという強い意思を持っていた ガズーレーシングカンパニーのビジョンは レースで使えるいい車を作るということだ つまりはとにかくピュアなスポーツカーが 作りたいんだまさにピュアに走りを追求し たトヨタの看板になるようなモデルを作り たいんだとたださんは考えたたださんは もう一度BMWへ訪れBMWさんやっぱり 俺たちはピュアスポーツカーが欲しいんだ 俺たちとよたgrrは走りを求めなければ ならないとにかく走りにこだわりたいふむ ふむピュアスポーツカーは確かにいいでも 車はパッションだけでは作れないのですよ もし儲からない車でいいのであれば環境に 配慮したハイテクスポーツカーを作るべき だそっちの方がブランドイメージに寄与 するしBMWもそういう方向性なら参戦だ 例えばi8の光景となるような車を作り ませんか違うんです俺らが作りたいのは ピュアスポーツカーなんですよ直6 エンジンを使ったスポーツカーなんです ハイブリッドといった重いスポーツカー なんていらないんですよはあトヨタって古 臭いデザインばっか作るメーカーだと思っ たけど車作りも90年代から止まってるの かまさにトヨタとBMWは文化が違いすぎ て話が全く伝わらなかったそんな走り屋 みたいな車なんてまさにオールド ファッションな車だよはあとBMWと トヨタの会話は収支合わないまま1年経っ てしまった車好きの日本人が求める車は BMW的には古臭い車というイメージなの かしかしそんなすれ違いばかりの交渉開始 から2年経った時大きな変化が訪れる共業 の担当者であったヘルベルトデスさんが トヨタさん僕はフォルクスワーゲン グループに行きますさよならとBMWを やめフォルクスワーゲンへ行くことになっ たちなみに役職はフォルクスワーゲンの 最高経営責任者だぜヘルベルト優秀すぎ わろたそしてトヨタとの共用について 引き継ぎされたのはBMWの開発担当者の

クラウスフローリッチさんであったドイツ という国はチームのリーダーが変わると 部下も一斉に変わるという文化でよくも 悪くも今回のトヨタとBMWの共業は 振り出しに戻ることになった全人のデス さんは確実に利益を追い求めるデータ派で フローリックさんはその正反対の直感も 使ってビジネスをする感覚派でもあった そしてたださんがフローリックさんの開発 チームに再度トヨタの作りたい車を説明 するということで私たちが作りたいのは ピュアスポーツカーなんですようんうん君 たちの熱意はとても伝わったそこまで言う のであればビジネスとしても成立はしそう だしBMWとしてもスポーツカーを作ろう と思うあありがとうございますと物分かり がいい性格でもあったやったこれでドイツ 性のジャパニーズスポーツカーが作れる 興奮してきた ぜしかしBMWから驚きの発言がされるで もでも僕たちスポーツカーを作ったこと ないんだよねてへ えBMWにもMシリーズという高性能 スポーツカーモデルはあるけどあれはM社 が改造した車であってBMWが設計して 作った車じゃないんだよねはるか昔に BMWM1というスポーツカーを作った こともあるけど携わったことのある人 なんてもう車内にいないからノーハウが ないんだBMWというとスポーティーな イメージがあるからこれは驚きねで具体的 にどんなパッケージのスポーツカーが 欲しいのだそれはヒヒポルシェのようなど 変態スポーツカーですたださんまた ポルシェポルシ言ってて草金持ち YouTuberかなトヨタ側が毎回毎回 スポーツカースポーツカーポルシポルシェ スプラスプラプラちんちんというので最終 的にはBMW側もその熱意に押されてわ 分かりましたトヨタさんがそこまで言うの であれば作りましょうとBMWを納得させ た全てはGRブランドの走りへのこだわり という維持の結果でもあったトヨタの熱が BMWのこだわりを上回った瞬間というか トヨタが変態すぎてBMWが付き合わされ てる感あって笑うそういうことでやっと 開発が始まることになりトヨタとBMWは どんな車にするか2で検討していくしかし BMW側はトヨタに対してはまだまだ警戒 心マックスでこれ以上はノーハウ入出を 防ぐためお話できませんトヨタさんは リクエストだけ言ってくれればいいです からねとBMWはトヨタとの深い コミュニケーションを拒絶したえちょっと それじゃあ俺たちの作りたいなんか作れ

ないんじゃと今日はキがいいのでここまで にして続きは後編で話をするぜえ続きが気 になるというかBMW君トヨタのことを 面倒くさいや扱いしてて草まこれもトヨタ が何としてもスープラを作り上げる維持の 女性でしかないんだ後編ではトヨタ開発者 の変態様しましでこのスープラの開発 ストーリーを解説する ぜ前回は新型スープラの開発の女性まで話 をしたトヨタがピュアスポーツカーを作り たいとBMWを説得したんだよねそうだぜ ちなみにこの動画は後半なので前半も よろしくだぜしかしピュアスポーツカーを 作りたいトヨタとは裏腹にBMWは スポーツカーを50年近く作っていなかっ たんだ車内にもうノーハウもないっていう 話だったわよねそうだぜさらにそもそも トヨタに対してノウハウを渡したくないと いうこともあってトヨタはBMWから余計 なコミュニケーションを拒絶されてしまっ たんだよなこれから車を作るってのに リクエストだけって言われたんだよねこれ 以上はノーハウ留出を防ぐためお話しでき ませんとトヨタはBMWと対当に話すこと ができなかったんだしかしスープラ開発 リーダーのたださんはそんなことは気にせ ずまあまあまあままトヨタだとさ他者と 共同開発する時はこうやって開発するん ですよ特にスポーツカーを開発するのに 大切なのは10年後20年後でも愛される ような車を作らないといけないのですよ まあスポーツカーを作るノハがないBMW さんには難しい話かもしれませんがトヨタ は全然ノハを教えますよお互いの技術力を カメル共同開発ですからねとガンガン BMWのエンジニアにトヨタの開発の話を した86BRZの開発の時もトヨタは エンジン技術をスバルに提供したしねそう するとBMWはふんそんなこと知ってるわ いでもBMWだとこうやるけどなとBMW 側も最初はトヨタを見下しているようで あったがBMWはトヨタと話をすればする ほどこいつらなかなか分かっているじゃ ないかとトヨタへ少しずつ信頼を置いて いったトヨタ君一癖ある変態メーカーの 扱いがうまくなってきてて草草お前のこと だぞスバル 君そんな感じでお互いの距離が近づきつつ トヨタとBMWでどんな車を作るか話が まとまってきたポルシェを目指すのであれ ばやっぱミッドシップエンジンだろうそう だよという感じで両者はミッドシップ駆動 で開発することに決めていくそこでただ さんは秋夫社長に新型スープラはミッド シップで決まったと報告をすることになる

が トヨタ社長新型スープラはミッドシップ エンジンに決まりそうです話を聞いた秋夫 社長が言うミッドシップとかやばすぎて ハーハーするぜでもさトヨタにミッド シップはまだ早いんだよトヨタ86で やっとトヨタのスポーツカーが浸透してき た段階だそこでいきなりミッドシップだ 価格は1000万だというハードルの高い 車は一般的なユーザーほどついていけなく なるスポーツカーが衰退したのは車離れや 時代の変化だけではない我々がスポーツ カーを作らなかったからこうなったんだだ からこそユーザーのことを考えようと秋夫 社長はたださんにアドバイスをした確かに 86の次にミッドシップはいきなり ステップアップしすぎる単純に86を パワーアップし大きくしたやっぱりキス プラのようなステックを持つFRを作る べきなのかもしれないそのようなたださん の考えに対してBMWはふん別にいいぜ 好きにしなとトヨタの企画に対しては口を 出さなかったそしてトヨタとBMWが 決めるそれではトヨタのリクエスト通り FRのスポーツカーを作ろう プラットフォームはZのものを使い我々 BMWはZを作るOKですスープラは スポーツカーを目指すそのためオープン カーにはしないので競合はしないはずです とBMWとの合意が進んでいったそして スープラは86からのステップアップとし て86で車を振り回せるようになった人 たちに乗ってもらいたいだからこそタイム を削るための2シーター高成のオートまで 行くマニュアルトランスミッションが必要 となれば後から作ればいいだけの話だしね まずは規制前に発売しちゃいたいとさらに トヨタ川は規制前の発売をBMWに対して 必達目標としてお願いしていたまその方が お互い都合いいしいいよ次にトヨタと BMWで具体的にどんなスペックにするか BMWにシリーズクーペを使って検討用の 試作者を作ることになるコードネームは フルランナー車を曲がりやすくするためホ をぶった切ってホイールベースを切り詰め たり背が高いのも走りに影響があるとしを 切り詰めたりもしたぶった切って くっつける試作者はもはや車作りあるある だわねひひとにかくワイドボディで ホイールベースを縮めてくれガンガン 曲がる車こそ正義だおお任せろそんな BMWの完用さというなの海外標準企画を 見たたださんはこれ会社だからしょうが ないという言い訳で車を作れば面倒な トヨタルールを超えたやばいものが作れる

んじゃねとBMWの車作りを目の前にして トヨタらしくないトヨタ車を作れることに 気づいていく会社に新しい風を吹かせるに は外の風を持ってくるのが一番早いやつだ わねうむそんなこんなでとたBMWともに 考えた具体的なスペックが決まり本格的に 開発が始まることになるここまで聞くと やっぱりトヨタは丸投げではなくちゃんと トヨタも企画として参加しているというの が分かるわねしかしここからが大変だった まずは設計するBMWからはまずうちさデ ザインってのはどんなのにしたいのか決め て欲しいんだ分かりましたデザイナーと 話し合ってみます違う違う1でデザインと いうのは詳細な設計図面もくれってことだ よ開発とも話をしてくれえでもまだ車の デザインも決まっていないんですよいい からトヨタのオリジナル部分にする予定の デザインも図面もくれそれを見て共通設計 するだよデザインも作っていないのに こんな詳細な図面を作るんですかドイツ BMWのやり方と日本トヨタのやり方は 全く違ったトヨタのやり方は試作者を作っ て完成度を少しずつ高めて試作者者ベース で図面を作り最後に肩を生産するしかし BMWはこの段階で詳細な図面を作りそこ から精度の高い施作者を作る初期段階から 生産のことを考え繰り返し設計と施策を 繰り返していくでもいきなり図面なんて 絶対後から修正が入って面倒なことになり ますよ特にトヨタはそういうのを嫌うん ですとたださんはトヨタらしいやり方の方 が効率的だと思ったがBMWのやり方とし ては確かに現場で思考錯誤せずいきなり 図面を書くのは必ず修正されることにも なるし非行率かもしれないでも最初から 生産のことを考えていかないと最後に工場 で作った時に何か違うとなることが多い つまりこのやり方は開発終盤で致命的な 手戻りが起きずに精度の高い市販者が 作れるメリットがあるんだトヨタさん市販 者を作るんだつまり生産のことも最初から 頭に入れないとねさらにBMWはトヨタに 自論を論ずるスポーツカーでも何でも車に 大切なのはまずはパッケージングなんだよ もし後から座席が欲しいとなればその パッケージングに無理やり突っ込めばええ ねんななるほどそれがBMWの作り方か そしてBMWは初期の図面からかなり エネルギーを使ってトヨタにどんな車を 作りたいのか問いまくった初期設計から しっかり作っていくそれがBMWの作り方 でもあった車のため初期設計から最後の爪 までとことん設計それがBMWの思想でも あり文化でもあるんだドイツ人らしい

つつめな設計ねそして少しの時間が経ち BMWからたださんに連絡が来る とりあえずスープラの原型ができたで乗り に来いよそしてそのスープラを試乗しに 行く とななんだこれちょちょちょちょっと カラフルハッピーマテリアル号じゃない ですかささすがBMWというか1発目で こんな完成度の高い車を出してくるとは しっかり走りの方向性もスープラとZが 住み分けされているすげえいいじゃん早速 とよ田社長にも乗ってもらおうそうという ことで本社にスープラを送り秋夫社長に 試乗してもらうことになるおこれが新型 かうぴよぴよえううわカラフルハッピー いやこれ車との対話できていないぞ車と 人間の一体感がないスポーツカーなんて 意味がないしかしセッティングを詰めれば 解消ができる秋落ちはちゃんとマスター ドライバーの資格を持っているから言っ てることに信用があるわよねそしたら私の 師匠のなるさんの弟子にてテスト ドライバーになってもらおう出たナルセ さんは秋落ちをマスタードライバーに 育て上げたりレクサスLFAなどの スーパーカーのテストドライバーを担当し た最強のトヨタテストドライバーよねそう なんだぜそんなナルセさんの最後の弟子の 1人であったトヨタモーターヨーロッパの テストドライバールヒーダーネスを スープラ開発チームに入させたそしてただ さんはBMWに言うこのテストドライバー のダーネスにはテストドライバーとしての 全権限を授ける彼がこうしたいと言ったら BMWさんにはその通りにしてもらいたい 現場に権限をちゃんと渡せるチームはいい チームよねそしてここからはBMWとは 全く別のチームに分れ最後の仕上げの開発 が始まるトヨタチームはたださんを含めた 8人ほどでBMW本社の近くにスタジオを 借りて開発を進めることにしたなおBMW 側も開発スペースが取れなくて本社から 40分かかるところで開発していたBMW 本社を中間にして結局お互い遠くなってて 草とはいえ完全にBMWとは別れたださん がZに乗ったのは完成後となるくらい分量 となったそんな中何度もテストドライブを 重ねるとうんBMWに用意してもらった 改造キットではいまいだなスタビライザー は再設計タイヤの角度であるキャンバーも もっとつけたいということでBMWに再 設計のお願いをするがZと共有の部分も あるのでそもそもの設計をしさいないです ねそれなのですがお願いお願いお願いお 願いお願いえあまあまあやりますよさらに

はうんこのBMWのエンジンはもっといい 音で奏でたいねえねえBMWさんあはい マフラーは規制ギリギリの音で攻められる ように販売地域によって形状変えようぜ BMWさんのマフラーは静かだからワン オフで作ったんだぜうっよ最高あのさ他に も何個オリジナルのパーツ作ってるんです かさすがにそこまでする必要はないでしょ まあまあ乗ってみて ください全くトヨタの注文はオースうっよ 最高BMWにもこれ使わせてとカラフル ハッピーな開発を進めていったBMWが だんだん変態とよに毒されてきてて草あと さ燃費のことは会社から何も言われてない のでエンジンのセッティングは過激にする ぜついでにアクセルオフしたらパンパン なるようにもしちゃっ たそもそもスープラの販売台数はトヨタ 全体の割合から見ると極端に少ないため メーカー平均年期規制に影響がないと本社 は判断し現場に自由なセッティングをさせ たなおBMWはえうちは燃費重視にしろっ て上から言われたんですけどもうとたち ずるすぎパンパンパイパンってなるし ずるいとBMWはトヨタの過激 セッティングを見て羨ましがったという そんなスープラはBMWZOOとは兄弟者 であるものの育ての親が違うような車とし て出来上がったむしろトヨタから リクエストしまくったり勝手に設計して やったぜ勝手に改造する変態集団なんだよ なそして生産に関してはBMWでもヨタで もなくオートストリアのマグナスタイヤに 生産委託することにした マグナシュタイヤー自体は自動車メーカー ではないがメルセデスBMWを初め多くの メーカーの住宅生産をしているこれは今回 のZOとスープラはそもそも爆売れする ようなモデルではないしかもZとスープラ はBMWとトヨタUが混ざった車であり BMWやトヨタの工場で専用ラインを敷く のはコスパが悪いんだマグナシュタイヤー はBMWとしても過去に取引実績があるの で信用できるトヨタも過去に86の プロトタイプを開発する時は マグナシュタイヤーと共同作業したことも あり腕の良さは分かっているそんな形で BMWが基本設計をした車をトヨタが わがまま土変態ドスケベチューニングし そんな土変体ドスケベな車を受け入れる ことができるのはオートストリアの マグナシュタイヤーであったわけだ マグナシュタイヤーはエッチな車の生産が 得意ってことなわけねうむそして新型 スープラ新ためGRスープラは2019年

5月に発表されることになる新型社発表会 にてgrrスープラと共に登場した秋夫 社長はこういう今日は最も親しい友人を皆 さんにご紹介できることを光栄に思います 私の心の中でずっと忘れることなくい続け た車そして私を変えてくれた車一昔海外 レースに参戦した時私たちは中古の飾り気 のないスープラでトヨタのロゴを使うこと を許されずガズレーシングとして参戦した 周りは新車の美しいスーパーカーだらけ そんな状況を見て絶対このスープラを復活 させてレースに出るんだと私の師匠と誓い ました今日はその約束を果たしに来ました ミュートヨタスープラ新型スープラは全て の車ファンが楽しめることができる車に 仕上げましたそしてトヨタはこのスープラ を最後のスポーツカーにしないこれは トヨタのスポーツカーの最終ではない物語 の賞の始まりなのですと観客をせた販売後 は納期がいつになるか分からないほど注文 が殺しアメリカの販売データではbmwz をよりスープラの販売台数が上回ることに もなったその後はピュアスポーツの名を元 に数々のレースに出場このスープラに対し ては秋夫社長の趣味の車だという人もいる かもしれないスポーツカーなんて儲から ないエコでもない意味のない車だそう思う 人が一般的かもしれないしかし当時のガズ レーシングカンパニーの社長でありかつて 秋社長とガズを作った友山さんは言う確か にスポーツカーは儲からないと思われる方 が多いかもしれませんでも何か熱く心と めくものがあるんだ儲からなければ儲かる ようになるまで売れなければ買って もらえるようになるまで歯を食い縛って 改善を 積み重ねるそれがトヨタ本来の姿なんだ このスープラの存在に対しては賛否論ある だろうただそんな熱く心ときめくものを 作りたいという思いを持つメーカーが日本 のトップ企業でありさらには世界トップの 自動車メーカーでもあることが誇らしい ぜ大きなトヨタからお客様を大事にする トヨタへトヨタの車作りのDNAを 取り戻すこれがトヨタの物作りなん だ2007年7月トヨタは最後のスポーツ カーであるmrssの生産を終了した スポーツカーは儲からないそれが当時の トヨタの答えだったしかし2022年この 新時代にトヨタが力を入れたのは過去に 淘汰されたスポーツカーだったそのトヨタ のスポーツカー軍の中で一際遺を放ってい たのが2020年発売のGRヤリスであっ たそしてトヨタはこのGRヤリスの開発で 今後のトヨタの全ての困難な道を解決する

ノハを手に入れれることになる今日は そんなトヨタの未来の鍵を握るトヨタ開発 のスポーツカーgrrヤリスを解説する [音楽] ぜ語は2008年から始まる当時トヨタの 社長に就任した手の田明夫は当時のトヨタ の経営や車作りを見ていてこう感じていた なぜトヨタはスポーツカーを作らないんだ そもそも若者の車離れやスポーツカーの 人気の低迷の原因は我々メーカーじゃない か売れる車作りばかりをしていていい 車作りをしてこなかったからそういう車が 売れなくなったんだ本気でやればいい スポーツカーも儲かるスポーツカーも作る ことができる俺たちはそんな中途半端な トヨタを壊しいい車作りをしていきそれで もしっかり儲けを出すメーカーになるんだ 絶対トヨタのスポーツカーを復活させる スポーツカーでも儲け世界の車ファンに ずっと愛される車を作るんだそんな秋夫が 社長になってからのトヨタは2010年に は秋夫としては念願のスポーツカー第1弾 であるレクサス最高峰のスーパーカー LFAを販売した次に2012年には スバルと共同開発をした86BRZを販売 秋夫は宣言した通り少しずつスポーツカー でも儲かるビジネス基盤を作って しかし86を作ったトヨタに対して一部の モータージャーナリストやユーザーからの 声は冷ややかであった86はトヨタが金の 力を使ってスバルに作らせたスポーツカー スバルの技術を盗み自分たちはいいところ 取り初戦儲け主義のトヨタにはスポーツ カーを作ることなんてできないそもそも そんな技術もないだろという批判も少なく はなかったこれを聞いたははあ分かって ないなまずうちさ世界の技術者が集まる トヨタだぜスポーツカーを作る気になれば 作ることなんてすぐできる問題はスポーツ カーでも利益を出せるかなんだよスポーツ カーでも利益を出し継続的に販売できる ことが大切なんだだからこそ者で協力 し合ってまずは継続的に販売するという 体制を築いたんだ実際初代86BRZは9 年間継続的に販売し累計販売も全世界 20万台以上売り上げた今や86は老若 男女に様々なシーンで愛される車にもなっ ているしね本当すごいわよということで スポーツカーで儲かる基盤を作り上げた わけだそして次こそは俺たちの手で俺たち が作りたい車を作るんだそしてここから GRヤリスの物語が始まるってわけだ ちなみに今日解説するGRヤリスは1.6 Lターボの4輪駆動のコンパクトスポーツ カーだ車があまり分からない人には女子

大生に今一番受ける車って言えば伝わるわ ねうむ車ファンからしてみればハイパワー 4wdスポーツカーをこんな時代にあの トヨタが出したという驚き そして新しいトヨタの一歩はこのGR ヤリスが握ることになるんだなんか スポーツカー1台の話なのに壮大な物語が 始まりそうねふふふgrrヤリスこそが 今後のトヨタのあり方と言っても過言じゃ ないんだぜそんなGRヤリスの物語は 2012年から始まるん [音楽] だ秋夫はムラムラしていた多忙のため毎年 恒例のニュルブルクリンク24時間レース にドライバーとして参戦できずにムムして いたんだはははレースしたいよそんなムム していた秋夫はトヨタ自動車の展示 ショールームで行われるラリーカー イベントに参加することになった秋夫は ゲストとしてラリーカーの助手席に乗る ことになるわけだ がラリーカーってカフハッピーマテリアル 号や秋夫は初のラリーカーに乗り大興奮で あったそこでそのラリーカーを用意した 国内プロラリードライバーである勝彦選手 足立さや選手から声がかかっ た秋夫さんラリー競技を一緒にやりません かえ近いうちに愛知県の新庄でラリーの 大会をやるのです本社の86やビッツを 使ったTRDラリーチャレンジも同時に 開催するので是非秋夫社長にも来て欲しい のですレース経験のある秋夫社長であれば 十分楽しめるはずですもちろん参加させて くださいそして秋夫は2012年11月 新庄ラリーに参戦することになると言って も田秋をとして参加するのは会社的に問題 があるので自動車会社勤務のがモゾとして 参戦したそしてこのラリー大会への参加が 夫にとって大きなターニングポイントと なるうおお行動でモータースポーツをする ラリーはサーキットとは違ってめっちゃ 滑る 危ねえジャンプし たキラリーめっちゃ応援して [拍手] くれるふうなんとか感想したぜ秋夫は 持ち前のドライビングテクニックでなんと か感想しラリーを楽しんだ てかさコース脇のギャラリーが見てる中 前回で見道路を走るのはは会館やしかも 走り終わった後にライバルと会話するのも また楽しいと秋夫はラリー沼に使って しまったあとラリーに参戦するにはもう1 つ意味があるこれは森としてではなく トヨタの社長であるとだ秋としての考えだ

ラリーというのは村や町が一体となって やるイベントで県外からもお客さんが来て くれたりサーキットのレースとは違う村や 間違となって行動でレースをするイベント だそして今回はトヨタの社長という色物が 参加したということでラリーに興味がない 人たちもわざわざ訪れてくれたさらには 地元の村長市長県知事地元の国会議員まで 渡し目的で来る始末だクこれは使える だろうサーキットとは違うこの話題性の強 さラリーというものはモータースポーツを 広める手段としては最適なのではない だろうかと秋夫はモータースポーツ好きの モゾとしての観点だけではなくトヨタの 社長という観点から見てもラリーの良さに 気づいてしまったんだ確かにラリーって 市販者ベースでやる行動を使ったモーター スポーツだしなんか身近なものに感じるわ ねそこからのアオはラリー沼にズブズブ 入っていくことになる翌月の2012年の 12月には秋尾伝説のラリスであるトミ今 記念に北海道で会い表情走行仕様の86に 乗ってもらいドライビングスキルを教えて もらったぴよぴよえ最強のWRC チャンピオンでもあるとまキッチの横乗り 最高 まねんさん今日はありがとうどういたよで もミスターき君は車が本当に好きなんだね そうだよ今度さトヨタとさこの86を4化 してうぴよぴよしたくないうぴよぴよえ うんじゃ作りたい うといった感じに秋夫と年はこの北海道の トレーニングで行統合しコンセプトカーを 作ることになった仲良くなりすぎわろた そこで年とトヨタが共同で86を改造し まくった車というのがGR86クロス高輪 道の86を4駆に魔改造したラリー仕様の マシンだぴよぴよえカラフルハッピー マテリアル号だこれ時代は4wdとさらに 秋夫はラリーへどっぷりはまっていった さらに秋夫は欧州にあるトヨタのモーター スポーツ拠点で勇の社員で作られていた ラリーカーのことを知りトヨタ車内の貴重 なラリーノハを継承させなければねえねえ 本者がサポートするから開発を進めて 2014年のWRCにテスト的にスポット 参戦してみようよ さらに秋夫は2014年にWRCの番組に 解説役として出たり実際にWRCへ視察に 行って参戦しているラリードライバーとも コミュニケーションを取っていたりもした そして数々のラリーの現場を見て秋夫は 思ったモータースポーツ特にラリーこそが トヨタを変える手段の1つになるのでは ないかとラリー競技の現場を見た秋夫は

ラリー競技を経てトヨタを変えることを 決心していくそして2015年1月30日 秋夫はメディア人を呼びこ宣言する 18年前かつてトヨタはWRCに参戦して いました私自身世界各国色々な道を走り 感じたのは道が人を鍛え人が車を作る フィンランド滞在中には多くの人にトヨタ はいつWRCに戻るんだという声もいだき ましたかつてトヨタがWRCに参戦してい たことそのことがまだ多くの方々の記憶に 残っているということに驚きと感謝を感じ ましたこの記憶が消えないうちにここにヨ は戻らなければならないラリーはお客様が 使う市販者をベースにした車を使い細路 泥道節道などあらゆる道を走り争います つまり人と車を鍛えるのには最適なのです もっといい車を作るためそして多くの方々 に笑顔になっていただくため私どもは18 年ぶりにWRCの道へ再び戻らさせて いただきますと世界最高峰のラリー戦試験 であるWRCへ2017年の参戦を目標に 全世界に単価を切っていったそしてWRC の裏側でもう1つ大掛かりなプロジェクト が進行していたそれが作ることなんてでき ないと言われたトヨタの自前開発の スポーツカープロジェクトであった過酷な WRCから得られた経験を市販者に 落とし込むというプロジェクトでもあった しかし20世紀後半にはレースから市販者 へフィードバックすることは莫大なレース 資金の割には得られる技術は少ないと言わ れることも多くなっていたしかし秋夫は今 だからこそレース活動の恩恵に着目してい たレースという界では全員が同じ目標に 向かってお互いを信用し短いサイクルで 改善を進めなければならないレースから得 られるものは技術力だけではないんだ高い 目標に向かってチーム一眼となって 作り上げるその一眼となって何かを 成し遂げるというノウハウが我々には必要 なんだ企画開発生産調達栄養など色々な人 が組織を影響し協力してこそチーム一眼だ 今までのトヨタの古いやり方ではない 新しいトヨタのやり方の答えをWRCと ジエスポーツから求めるんだとトヨタを 変えるきっかけを作るのがこの自前 スポーツカーを作る意味でもあったレース マシンから市販者へ落とし込むそして 新しいやり方でいい車作りをするんだ トヨタにスポーツカーなんて無理と言われ たそのおを返上する時だ市販者として本当 に勝てる車を作り20年30年楽しまれる 車を作るんだという強いビジョンを持ち 新たなトヨタのスポーツカーを作ることに 決めたそして新しいスポーツカーの企画

担当はGRを統括しているトヨタ直系の grrカンパニーが行うことになるのだが 次作るのは4wdのスポーツカーか4wd のスポーツカーなんて90年代のセリカ GT4が最後なんだよな車内に作った人 なんてほぼ残ってないしノウハウも残って いないそしたらWRCの技術は継承しつつ 4駆は諦めて全輪駆動にしませんかそれや ということに決めたが秋はすかさずいや だめだWRCと同じ4駆であることに意味 があるんだトヨタが自ら作るスポーツカー なんだ妥協は許されないと秋夫から妥協が なく勝てる車として作るようお願いされた トヨタの栄養部からもえ売れづらい スポーツカーとかは嫌だよと言われたが レースから作り上げた妥協のない自前の スポーツカーを新しいやり方で作り上げる ことができればトヨタが変われるんだと WRC直系の4wdスポーツカーを作る 意味を各部署に解いたそしてトヨタの 新しいスポーツカーの開発担当は同じ grrカンパニーの開発部門が担当する ことになり2016年の年末に斎藤直彦 さんを開発施として抜擢した斎藤さんは トヨタのコンパクトカー部門会社である トヨタコンパクトカーカンパニーにて ノーマルのヤリスを開発していた経緯も あったこともあり抜てされたちなみに斎藤 さんはチンドae86を所有していたりと なかなかの車オタでもあるんだそして開発 のチーフエンジニアは豊田秋男と森澤が 担当エンジニアはトヨタ内部の車オタを 起用することにしたちなみに明夫がチーフ エンジニアに就任したのはトヨタが描く ビジョンを直接開発に反映することや スポーツカーという目立つものの開発を 邪魔する社員からエンジニアたちを守る 手段でもあったこれからのトヨタの理想の 一歩を小さいチームで実現するという感じ なんだねとはいえ斎藤さんを含めトヨタ 社員が4駆のスポーツカーを作るのは20 年ぶりしかも当時の開発担当者は全員退職 済企画時の調査通り全くトヨタにノハは なかったそこで秋夫は斎藤さんに レーシングカーから学び市販者を作るんだ レースというのはものすごく短い時間で PDCAが繰り返されるつまりレースの ようにチーム一眼となって短い期間で改善 を繰り返す開発をするんだつまりトヨタに もアジャイルを取り入れるんだちなみに アジャイルとはソフトウェアやウェブ サービスを作る時によく使われる開発手法 だトヨタは伝統的な日本の大企業であり 残念な意味としての大企業の代表格でも あった例えば車を作る際は部署ごとにやる

ことを区上から下へ流れるように開発をし ていたさらには部品1つの試験をするにも 大先輩方々の顔色を伺ったレビューを通し やっと試験という流れだ大企業らしい面倒 くさいあれねアジャイルはそういった縦割 の工程をなくし一本化することや小さく 分けたリリースと振り返りを反復していく ことが特徴なんだチーム同士で信頼し協力 し各々が仕事の垣根を超える働き方で相場 効果を狙うんだそして書面通りに作るので はなく問題の本質を解決をするためへの 開発をするアジャイルというのは フットワークが軽く臨機応変に本当に求め られる成果物を作るような開発手法なのね うむまあ超簡単な説明なので語弊はある だろうけどな職業としてアジャイルコチが あるくらい奥深い開発手法なんだそして このアジャイルこそがジャパニーズ トラディショナルカンパニーなトヨタを 内側からぶち壊すということもこの新しい スポーツカーであるgrrヤリスの目標で もあったんだこの古いトヨタを壊す精神は 秋夫がはか昔に立ち上げたガズという サービスから来ているガズーの期限は中古 車画像システムだった当時の先輩方々には インターネットというものがご理解でき ないようでガズのシステムはも反対にあっ たその後ガズーレーシング活動初期も トヨタの名を使うことが禁止されたりと 古きトヨタからは散々な目に合わされた しかしガズーは諦めず挑戦し続け成功を 納めたガズの根底にはトヨタが作った トヨタの壁をトヨタ自身が崩すという変革 への挑戦があるんだと秋夫はgrrヤリス チームにGRの意味を解い そして斎藤さん引きいる開発チームは開発 に手をつけていくひとまずはビッツを ベースにスポーツカーの試作者を作って いった全輪駆道で動くビッツを4駆に魔 改造しエンジンや重量も目標の数値になる ようにチューニングをしたふうこれで試作 者は完成だひとまず来週に秋夫社長やプロ ドライバーを呼ぶ市場評価会に間に合った ぜということで斎藤さん引きいる開発 チームは1回目の試乗会を開くことにした なお今回の開発ではプロレースドライバー をテストドライバーに迎え入れるという トヨタとしては異例な評価方法を採用した かつ車を第1戦で操るのはプロレーサーだ もんねそんなところにおおこれが新型 スポーツカーの試作者かとワクワク ドキドキな秋がやってき たよっしゃ行く ぜおこれは力フルハッピーマテリアル号 じゃない

うわ0や試乗者にたプロレーサーたもこれ はあかんやつ や車の御が全然できないと試作者は国表さ れてしまったん だ車がどこに飛んでいくかわからないです ね車との対話というものが全く成立してい ないよそういうことで斎藤さチームは今回 の試作者に対して何が悪かったか振り返り をし改善を進めていくPDCを回して改善 だちなみにその間秋夫は自身の4駆走行 レベルを上げるためのWRXを購入し練習 をしていたさらにはその車でトヨタのCM を取っていた理解が追いついていない里 たける好きそして開発メンバー全員で試作 者を改善しすぐ市場会を開くことになる さすがアジャイル短いスパンでレビュー まで持っていくのいい第2回市場会当日 今日もよろしくお願いいたします今日で2 回目だ期待でワクワだ [音楽] なおこれは改善されてねえと改善したにも 関わらずまたもや評価としてはいまいな ものであったプロレーサーたちからもやば いっすこの車スピンしまくりですよね全然 良くなっていないとプロドライバーたちも 全然良くなっていないことに焦りを感じて いた問題点はちゃんと伝えているんのだが それが改善されていないエンジニア 1人1人とは話ができるしかし次の市場会 の時までに改善されていないんだ エンジニアはは技量があるのにチームが 一眼となっていないので改善がチグハグな んだよねとプロレーサーたちも秋夫も同じ ことを感じていたまじやばいので今回から 忖度なく厳しく言っていくことにし ましょうとプロドライバーたちは依頼元の トヨタに対しても忖度なく今回の問題点を 伝えたもちろん開発責任者の斎藤さんは この評価に対してとても焦っていた確かに チームが一眼となっていないそもそも初の 4駆のスポーツカーまだ2回目の試乗会 しかもやり方はいつもと違う納期に 間に合わせるために妥協もしなければなら ないそんないつものトヨタの精神がまだ チームにあるんだろう秋夫社長が言う通り トヨタを壊さなければこのプロジェクトに 未来はないと開発リーダーの斎藤さんは 自身のチームビルドに悩みに悩んだ我々は ドライバーの要求にチームとして妥協 向き合わなければならない言い訳だらけの トヨタのエンジニアは今日からやめるんだ そんな斎藤さんは開発する以前に大きく チームの空気感を変えなければならないと 考えある行動に出ると今日はキがいいので ここまでにするぜわいいところだったの

に前回はgrrヤリスの存在意義と開発 初期の試作者の話をしたgrrヤリスが トヨタを変えるきっかけになるかもしれな いっていう話だわよねそうだぜこのご時世 にわざわざトヨタ島のスポーツカーを作る には意味があったそれはレースから技術 だけではなくチーム力を学びそれらの経験 をこれからのトヨタに取り入れたいという 秋夫の考えがあってのことだった しかしgrrヤリスの試作者を作り始めた 頃は秋夫からもプロドライバーからも車も チームもダメだと伝えられてしまった そんな開発チームのリーダーである斎藤 さんはこの評価に対してとても焦っていた 原因はチームが一眼となっていないことだ そもそも初の4駆のスポーツカーまだ2回 目の試乗会しかもやり方はいつもと違う 納期に間に合わせるために妥協もしなけれ ばならないそんないつものトヨタの精神が まだチームにあるんだろう秋夫社長が言う 通りトヨタを壊さない このプロジェクトに未来はない言い訳 だらけのトヨタのエンジニアは今日から やめるん [音楽] だそんな斎藤さんはこの状況を打破する ためにも開発する以前に大きくチームの 空気感を変えなければならないと考えた そこで斎藤さんはチームにトヨタが将来 どうなりたいのかというビジョンを浸透さ せるためのコミュニケーションを始めた そんのトヨタを壊さなければならないんだ 今までのトヨタと同じ働き方ではダメなん だにヤリスの開発メンバーをトヨタの WRC開発の現場に行かせ現地の エンジニアとディスカッションさせた ちなみにWRCの開発は秋オッチと仲の いいトミー記念が引きいるトーマ記念 レーシングがメインに行うことになって いるそこにドイツにあるモータースポーツ をメインに担当するトヨタの会者が バックアップをする形を取っているそこで トヨタのGRヤリス開発チームは日本の 環境とフィンランドの環境の違いにも 気づくことになるえテストコースはチーム メンバーの実家でやる実家に表情コースが あるとかやばすぎやろト今記念レーシング のメカニックは言うフィンランドでは子供 でもブレーキに足が届いたらこうした私有 地で車に乗り始めてOKなのさ フィンランド人の彩教育すげえそんなト 記念引きいるフィンランド人が大勢在席 するスーパー欧州チームから雨や雪舗路 など路面に応じた4輪駆動システムの マネージメント方法や必要な変更部分を

学んだそんな感じでチーム内外で コミュニケーションを進めた同時にとても 早いサイクルで改善を進めチーム全体の 経験を増やすことに成功した週末までに 試作者を改善し週末に秋夫プロドライバー にテストしてもらうそこで忖度のない意見 をぶつけられまた改善をするサイクルが 始まる秋夫は斎藤さんにこういう褒められ てもな北mぐらいで終わらせて次のことを 考えるんだそれがエンジニアだろうまさに これがアジャイルな開発ってことねやって みることと評価と改善を継続的に繰り返す 古臭いやり方から新しいやり方に挑戦をし ている感じがちゃんとするわねそれとト 記念レーシングと一緒に将来WRCの ベースマシンとなるGRヤリスの細かい 仕様もつめていたちなみにWRCに参戦 する車両についてはGRヤリスが完成する までは普通のヤリスをベースにしたマシン でWRCに参戦し最強のGRヤリスができ たらそれに切り替えるという方式だぜ そもそも日本のGRヤリスチームとしては 当初は普通のヤリスのボディをベースに 車作りを進めようとしていたしかしトミ 記念レーシングと競技をすめ細かい部品群 をリストアップしできることとできない ことを詰めていったそしてそのリスト アップの結果普通のヤリスでやるにしては 全てが中途半端になってしまうそうですね これは素ボディは専用設計にして3ドアの ハッチバックにした方がいいドアの枚数を 減らすことでボディ合成は上がるしさらに レギュレーション的に空力も良くなるんだ いいですねそれと骨格周りもフロントは 普通のヤリスを採用しリアはカローラ塔で 使うGACシャーシを使いたいそしてより 大きなウィングを搭載したいがウィングの 高さ制限もあるためルーフの傾斜をつけて 欲しいと実際にト記念レーシングと 話し合うと色々な要望が出てきたてか シャーシを変えているのならもはやヤリス の川をかぶった別物じゃないかよし全部 実現できるようにやってやろうじゃないか と斎藤さ引きいるGRヤリス開発チームは GRヤリスの開発に本格着手していく斎藤 先輩やりますねそしてワチームになってき た開発チームは引き続き毎週試乗会を開催 しプロレーサーに乗ってもらっていた もちろん秋夫にもテスト走行してもらうの だがそれでは今週もテストする ぜうっぴよまだまだダメダメだけど楽しい あおさん1回走り出すとガソリンが なくなるか壊れるまで帰ってこないんよ ねはいここ壊れましたすすぐに改善します そんな感じで車を評価するだけではなく

壊すことも目的に走りまくったりもした 完璧だと思って作った部品は壊され エンジニアはよりもえるそして完璧を 求めるためにチームは一体化していく自分 が担当する部品だけではなく他人が担当 する部分にも関わっていくまさに己れを 影響するチーム何度も何度も部品を 痛めつけられ部品を壊されまくったそして エンジニアたちは悔しがりよりもえ改善 するそのサイクルを何度も繰り返した結果 全てのパーツに空音の思い出を語ることが できるほど部品を壊し改善していった さらに終盤にはチーム全員がgrrヤリス のチーフエンジニアとも言えるくらい核 メンバーが自装して開発を進めたという その後もそんなアジャイルな開発を続けて さらに続けたそして今のgrrアリスの形 になるところまで行きもう少しで完成と いうところまで行けたしかし秋親プロ ドライバーから はうんまだまだだ特にエンジンがダメだ月 が悪すぎて欲しい時にパワーが出ないんだ 崖ケプのコースを走っている時にこんな エンジンで走ったら本当危ない思いをする と厳しい評価をした このエンジンのセッティングの悪さは環境 規制だけではなく特にトヨタ車内基準を クリアできないという問題も大きくわざと レスポンスを遅くしなければならない部分 も多くあったそのためもうヨタ車内の基準 で作っていたら目標に届かねえもういい超 化セッティングにしてやるぜとgrr ヤリスのエンジン担当は勝手に車内ルール を無視してセッティングを詰めていったへ 変態集がしてきたわねそもそもそのルール も調査をしてみるとなぜ作られたのかも だったり現代の技術で解析してみると安全 マージンが多すぎたりと無駄なものが 多かったうんやっぱり車内基準はゴミまあ 怒られない程度に自由にセッティングし ちゃおう秋夫社長がリーダーなんだしなん とかなるやろなんとかなれあついでに ECUのプロテクトは外しておこうとだっ てプライベートも勝つために買う車だぜ トヨタが環境規制に合わせて作ったデータ じゃも足りない だろといった感じに極的にトヨタ車内の ルールを壊していったトヨタ時期時期の 封印解除しろと言わんばかりの セッティングで草ちなみにこのGRヤリス のエンジンはコンピューターだけの世界で 作り上げたという試作機なしの開発手法を 採用したりとローコストで高効率な怪物 エンジンを作り上げたんだノーハウが たくさんあるエンジンは車両事体とは打っ

て変わって試作なしの一発で作り上げたの ねだからこそ1.6L3機と272馬力と かいう変態スペックで作ることができたの ねそして生産調達にいも初期段階から専門 のエンジニアをチーム内に入れ初期段階 から生産のことも考えてもらった初期段階 から生産の設計に参加できるからこそ生産 コストの部分は俺たちに任せてくれしかし 開発側が目指しているのはレーシングカー レベルの精度生産時の精度は今までの トヨタにはないレベルを要求されることも あるだろうしかしもし既存のやり方で精度 が出ないのであればレーシングカーと同じ 作り方で量産すればいいなあにコストの 問題は任せておけとgrrヤリスの生産時 にはレーシングカーと同じように部品の 重量を選別して組み込んだり取り付け後も 計測をし1台1台の個体差を少なくする ようにしていったそんなわざわざコストの かかるようなやり方を採用することも多々 あったが初期段階から生産担当も設計にも 関わっていたため無駄な工程なく設計する ことができていたそして開発チーム全体と しては何度も改善を繰り返すド6歳開発を 続け2019年年末には現在のGRヤリス の形となり秋夫は全世界にGRヤリスのを 発表する私はガソリンの匂いとエンジン音 よりも好きなものはないgrrヤリスは そんな車を宅の僕の野生を引き出して くれるんだ2020年こうご期待ください と全世界に発表したしかしまだ車は完成し ていないんだよねだってまだこの車に満足 していないんだもん野生味がまだまだ足り ないんだこの車はそんな簡単に運転できる 車ではないだからこそ野生という荒々しい 反応をもっとドライバーに伝えたいんだ 400万を払ってスポーティーという名の 生活を犠牲にするような車を我々は作るん だだからこそ他の車にはない野生を追求し てこの車を作り込みたいんだと秋夫だけで はなくGRカンパニーとしてもギリギリ までセッティングを詰めるという判断をし たそんな感じで引き続きgrrヤリスは週 1の市場会と市場会からのフィードバック の反映を繰り返し完成度をさらに高めて いったそして生産開始間近か うむこれでいいだろうと森からもやっと OKサインが出た車との会話ができるよう になったなうんこれなら工場から出て20 年30年経っても現役で活躍する車になる だろうとgrrヤリスチームは森からも 最後の許可をもらった生産は愛知県豊田市 のトヨタ元町工場内に新設をしたgrr 専用ラインGRファクトリーにて行うよう にした生産方法は予定通りレースカーの

ように1台1台部品を測定し高制度で 組み立てていくGRファクトリーは単純 作業になりがちなライン生産ではないため 1人1人のスキルが求められるあえて講員 たちに責任を持って作ることが求められる 現場にしたこれは将来のトヨタが作って いく多品種少量な車を作るための挑戦でも あったそして出荷前に専用テスト ドライバーの手によって思想がされ完成と なる今までのトヨタの技術部は良くも悪く も一方通行であった開発部門が技術に自信 がありすぎるがゆえに北部門と会話ができ ない時もあったしかしレースを通じ開発 生産エンジニアはもちろんプロドライバー そしてWRCの現場にも力を借りgrr ヤリスというマシンを作り上げたトヨタに スポーツカーなんて作れないそんな スポーツカーを作ってこなかったトヨタが レースで勝つための車を作り上げたんだ しかし我々は世界最高峰のモーター スポーツでもあるWRCでも優勝を果たし そしてその現場からスポーツカーを1から 作り上げた勝てる車があって本当の意味で 車屋として全世界に認められるんだそして grrヤリスはトヨタでも勝てるスポーツ カーを作れるという証明になったと秋夫は 発売直前に述べたgrrカンパニーの社長 である友山さんは言うこのGRヤリスの コンセプトはトヨタをラリー王国にしその 座を不動にするウエポンですそして多くの お客様に操る楽しさを教えてくれる車なの ですそんなガズ創設からずっと一緒だった 2人はgrrヤリスの発表会にてgrr ヤリスに乗り満面の笑で親指を天に向けた トヨタ島へのスポーツカーであるgrr アリスを作り上げた秋夫は最後にこう 述べる道が車を作るんだ道が人を鍛え人が 車を作る自前スポーツカーまでの道は とてもとても厳しいものだった中古の スポーツカーのレースから始まったgrr は夢であった新車のトヨタ島のスポーツ カーで世界を取ることができるようになっ たんだそしてそして私は鮮明に覚えてい ますかつてWRCではトヨタと戦った三菱 とスバルがいたことトヨタもそうだったが モータースポーツ活動は会社の経済に振り 回されるしかしトヨタがモータースポーツ 活動を続ける理由はもっといい車を作り たいということなのですそして三菱さん スバルさんあなたたちがまたこのWRCと いう道に戻ってくることを期待しており ますWRCへ復帰することに関してはGR レーシングがサポートすることも可能です GRはトヨタのことだけではなくモーター スポーツのために働いているのです

ライバルたちと競い合い競争し コミュニケーションを取ることはトヨタに とっても今までないいい車を作ることに ずっとつありますと秋夫はメディアに対し て語ったガズの根底はトヨタがトヨタを 壊すという精神そのガズの名が与えられた GRヤリスはその精神を表す代表的な トヨタ作のハイパフォーマンススポーツ カーとなったカーボンニュートラルまで もう少しのこの時代地球からガソリンが 尽きる最後の一滴までこの車が伝説となっ て走り続けることを願うばかりだ ぜ さて豊田明夫社長が社長を退任し会長に なったな2023年1月26日の YouTubeライブで突然発表したのだ わよね新社長は技術畑の佐藤こじさんだっ てさみんなはこの新しい佐藤社長にトヨタ をどんな会社にして欲しいか是非コメント で教えて欲しいわでもさあおっちが カリスマ製持って今のトヨタを築き上げた から新社長については少し不安よねふふ そう思うのも無理ないよなでも今までの秋 をっち伝説は女性でしかなかったんだそれ に今回のトヨタの人事は秋王代表取締り役 社長から代表取締り役会長とした要は あおっちはまだ代表件を持っているんだ ほうそして新社長の佐藤浩司さんは代表 取締り役社長ではなく社長CEOとして 任命されたんだつまりこの佐藤さんが トヨタの経営を考え最終的にトヨタがぶれ ていない開始決定していくのが秋を引き いる取締り役会となるんだふえあまり 分かっていないけどまああおっちの完全 公認ではないってことねその通りだぜこの 代表件がまだあおっちにあるということが 今回の大きな鍵でもあるんだ詳しくは動画 の後半で解説するがあおっち伝説が今まで 序章だったと言える意味でもあるぜ結論を 言うと引き続き会長としてトヨタを支え るってことそうだな秋夫は今後の自身の 仕事内容についてこう言っているぜこれ からのトヨタ社内の仕事としては取締り役 の議長とマスタードライバーだけだから トヨタレクサスの商品にはマスター ドライバーとしての意見は言わせてもらう ぜそれともちろん新社長のサポートもする 私自身全人の内山田会長にはよくサポート してもらい兄君みたいな存在だった次は俺 がそんなサポート役にもなるんだつまり あおっちのトヨタ車内の仕事としては経営 の仕事は裏に回りマスタードライバーの 活動範囲としてだけ表に出る感じだぜ表 部隊に出てきてくれるのは嬉しいわね そもそも秋おちの退任の理由としては

内山田会長がやめるからだということだっ た一方その内山田会長が会長を辞める理由 は老害って言われる前に会長の座は誰かに 渡したいんごねということだったカラフル ハッピー有能じだこれそしてあおっちは 自身が社長をやめた理由にこを付け加える と言っても私自身そもそも会長になる気は なかった今後は社長会長以外のポジション で活動できればと考えていたが内山田会長 からのお願いで考えた末今のタイミングで 会長の座につくことにしたそれに年齢もも 66歳だ時期としてはちょうどいいのでは ないかそして私は車屋だ今のトヨタが 目指すのは車屋ではなくモビリティ カンパニーなんだだからこそ車屋であるが ゆえに車屋という枠を超えられない未来の モビリティはどうあるかという新しい賞に 入るためには私は社長としては不要なんだ と答えた引き際としてはまだ早いように 見えるけどよくよく考えるとこれが健全な 引き際だよねそしてあおっちは新社長に 求めるものとしてこうあげた新社長は トヨタの思想わが所作を身につけようと 現場で必死に努力をしてきた人だトヨタの トップはその体現者ではないとダメなんだ と述べたまた新社長にあおっちの代わりを 務まるかというについても私が育ててきた のは新社長だけではないだからこそこれ からはチームで解決をしてほしいとあおっ ちは言うあおっチルドレンが新社長以外に もまだまだいるってことね強いあおっ チルドレンあおママが産んだトヨタの経営 をある丸のことだよ マで新社長の佐藤浩司さんこじちは変態 さんなのなんか2023年1月の東京 オートサロンで秋夫に鍵Facebook の内容勝手にスクショ取られてさらされて たけどうむ佐藤こじが車好きかどうかに ついてはすでに色々な情報を見た方も多い だろうま変態度を伺えるエピソードとして は例えばこの間発表したae86の水素者 を作る時高じは中古のae86を仕事で 探していた水素者の種はae86にしよう これで先輩方の開発を学ぶんだお綺麗な ae86の中古で出るじゃんいいなこれは 確保しなきゃだめだろ個人で買ったろと ae86を衝動開してあおっちからバカで はちと言われた変態感がある男だぜ他にも イニシャルDにトヨタ車が少ないと ぶち切れてたり若頃はシビックで走りをし ていたりレクサスEVをほえおじさんだっ たりえレクサスおほえそんな感じで色々と 紳士な車好き要素はありそうだぜシビック で走り屋あたりからもじっが全裸にしか 見えなくなってきて話が入らん入らん日

そもそもこじっの出身は開発畑なんだ秋 おちは文系でゴリゴリの開発畑じゃないん だよね高じは1992年にトヨタ自動車へ 開発エンジニアとして入社した最初は カローラやプリウスの部品開発をし入社 11年目でレクサス担当に移り2016年 にはレクサスの開発主任さらには2020 年にはガズーレーシングとレクサスの社長 を県人とトヨタ1本30年で社長になった 現場で叩き上げられた人なんだぜレクサス の社長もすごいけど変態GRの社長だった のかふふこじっの詳しい解説は他の動画で する予定なので是非チャンネル登録して 待って欲しいところだがやはりガズー レーシングの社長をやっているだけ車好き 特に本人は車を作って人を笑顔にするのが 好きということで車内では様々な面白い 技術を使って様々な新しい施作を引っ張っ てきたあおさん水素エンジンカーでレース しましょうよへまだまだ水素エンジンは 実験段階じゃはい試乗者と部下の エンジニアと試作者をホイホイ作って しまいうっぴよカラフルハッピー マテリアル号だこれ水素の音がするとこじ はアオのイエスマンではなくモーター スポーツにも寄り添った技術を使った 大きな提案をできることもこじのいい ところだったその延長でみんなさんご存知 の水素エンジンae86を作ったり ユーザーに思い出の詰まった愛紗に乗り 続けて欲しいという理由から佐藤新社長は GRヘリテージパーツというなで過去の 名車の在庫切れパーツを復活させたりと 秋夫よりも技術で見せる社長というのが 伺えるぜあおっちが運転ならこじちは物造 りって感じねだからこそこじっは私は エンジニアで長く車作りに携わってきた車 を作ることが大好きだからこそ車を作り 続ける社長でありたいと思っているんだ トヨタのあり方を車という形で示していき たいそう思っているそしてこれからの車は モビリティへと大きく進化していくその中 で車の本質的な価値を守り新しい モビリティの形を提案していきたいと述べ たさらに衝動返してしまった趣味のae 86については86専門店の恋泉紹介から ae86買っちゃったトヨタの社長が ショップから中古車買っているの草でもさ ヤフオで毎日ぼっちしてるけど部品高いな こういう状況を体験するとメーカーとして は部品がないから動かない車というのを 救いたいとはいえ我々は事前事業ではない ため全部をメーカーとしてはパーツを出す ことはできないだから外装などはアフター パーツメーカーに頼りつつ絶対に純正じゃ

ないと動か部品をGRがパーツとして再 製造するぜそして86専門ショップなどと 連携して在庫を抱えすぎないよう儲けを 出しつつ車を乗る方々を幸せにするんだ あとセリカも好きだからセリカ復活させ たいんごねとあおっかまけの車好き変態感 があるんだぜ秋落ち以上のなんかを感じる んですがでも本当以前のトヨタだったら 絶対やりたくないことを積極的に進んで やっているあたりイズムを感じるわあ素A 86は最終的には土のA86豆号を妥当し たいぜなんて言ってるからなああもう手 遅れだ変態だてかあおっちもよくこんな人 見つけてきたわねそもそもあおっちから 社長をやってくれないかと伝えられた時は タの耐久レースの会場だったんだぜノリが 軽すぎでしょこじっちちょっといいはいお 願い聞いてくれるえあはいこじっちって 頑張ってるじゃんえははいだからさ社長 やって くれるだから社長やって くれるうえ冗談です君は社長室で決済を 取るのではなく現場でエンジニアや メカニックと共に仕事をすることが多かっ たねだからこそこのことを現場で言い たかったんだレース会場はうるさいから 密室である必要がないし密室だとなんだ なんだとなってキモいしねということでお 願いダーリン見て聞いてふえあありがとう ございます全力で尽くしますと社長からの お願いもなかなか変態チックだったなまあ こんな軽い社長交代の第一歩だったがこじ は自身が社長になることについてこう語る 車はチームでしか作れないだからこそ トヨタ社員37万人全員に向き合うトヨタ の最財産はトヨタに関わる人々ですそれに 向き合いいい車作りをするんだそしてその 車作りで人々を幸せにしトヨタを モビリティカンパニーにすると意気込みを 語ったちなみにトヨタがいうモビリティ カンパニーとはとても深い意味がある ようやくするとトヨタが医療を含めた色々 な会社と手をつなぎ移動するサービス全て に関わりお客さんも作り手も環境も全てを 幸せにするという意味だトヨタが幸せを 語るかという疑問ももちろんあるだろう トヨタが取引先に対して搾取しているので はないかお客さんに誠実に対応しているの かなどなど今のトヨタはそういった課題に ついてはまだあると答え地域レベルの課題 に対しても本気で取り組みを進めている そしてそういった課題全てを馬正直に解決 し幸せのさんを進めるのがこのモビリティ カンパニー宣言なんだカラフルハッピー マテリアル号じゃんあおっちらしい馬鹿

正直な課題を新社長に引き継いだのね つまりあおっちが作り上げたベースはある ものの新社長はとても難しい課題を 引き継いだわけだそしてあおっちの会長職 としての仕事についてだ秋夫は言うこれ からのトヨタ車内の仕事としては取締り役 の議長とマスタードライバーだけもちろん 経営のサポートも会長としてやっていく そして肝である会社の代表としての社外の 仕事についてだ私はトヨタの会長として 日本の自動車産業の550万人のためと 世界の自動車産業の未来のための仕事をし ていくそれととても残念な課題もある ずっと日本の自動車産業を良くするために マスコミに向かって発信していたのにどう して伝わらなかったのかとても残念だった んだよ最近のメディアを見ていると ニュースは自分たちが決めるという傲慢さ を感じずにはいられないこれじゃあ産業 だけではなく日本も終わっちゃうよ マスコミだけではない国もそうだ議もなし に走行距離に応じた税金の導入などお金の ことばかりで自分たちのこと以外を考えて いないんだだからこそ産業を改善するため に必要な会長という肩書きを授かった本気 でカーボンニュートラルを取り組み世界 37万人のトヨタ社員を守るためには日本 のみならず世界で自動車産業に関わる人の ための未来作りをする必要があるんだと 静かな怒りと共に会長としての仕事内容を 語った秋をっちの戦いはトヨタの改革から 国ア産業の改革へと変わるのねなんかすご そうねうむそうだぜカリスマ社長秋夫は トヨタの経営を公認に任せカーボン ニュートラルと本気で戦うためトヨタ自動 車会長という名の元に世界へ単価を切って いくってことなんだ気いカーボン ニュートラルと本当に戦う時が来たのかも ねそうなんだぜ誹謗中傷しかしない マスコミ何も分かっていない政府そして 自身の血肉を捧げ働く世界の自動車産業の 人々たちそんな不整合で矛盾した世界を 変えるため秋夫は動き出すだ日本からは チャンスを生み出さなければならない オールジャパンの力が必要なんだバラバラ となっている産業も官民も心を1つにして 動かなければならない今一体となって日本 の技術力を世界へ発信できなければ日本の 未来にもチャンスはないだからこそこの 危機感を持って国自動車産業に必死に 働きかけたいと思っておりますまさかの みんな大好きな秋夫社長の交代それは日本 の自動車産業だけでなく世界の自動車産業 を変えるための新しい賞に入るということ だったんだ新しい変態社長と新しい変態

会長彼らがこの腐った世界でどんな新しい 道を作り出すのか本当に楽しみだぜみんな はこの社長交代でいい未来を持てたかしら 是非感想をコメントに書いて欲しいわよで はまた次回の動画で会おう サラダバ [音楽] この旅90円で加入できるメンバーシップ を解説したぜニルちゃん専用バッチの不や ニルちゃん専用絵文字が使えるだけだが チャンネルを盛り上げてくれる人はぜひ 入ってほしいぜ課金は慎重にだわよこの際 に無駄なファンてあの課金を見直してにる ちゃんメンバーに なろう [音楽] okay

トヨタのエグい物語7動画まとめです!!うちのチャンネルは8割の人がチャンネル登録していないので登録しとくだわよ…。

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#トヨタ
#豊田章男
#grヤリス

00:00 「豊田章男」編(前編)
16:02 「豊田章男」編(後編)
35:25 トヨタとスープラ編(前編)
46:19 トヨタとスープラ編(後編)
1:00:43 トヨタとGRヤリス編(前編)
1:18:57 トヨタとGRヤリス編(後編)
1:31:57 乗るバ●と作る●カが作る新しいトヨタ
1:44:33 告知

41 Comments

  1. 35:12 現場に無理なスケジュール押し付けて疲弊させてたダイハツとは真逆の素晴らしい姿勢だと思う。
    もしも章男さんがトヨタにいなかったら今頃・・・・

  2. トヨタのモビリティの意味を突き詰めると、結局は流通ってことになるんだけど、やるなら世界一の流通企業になって欲しい。

  3. 新年一発目から、非常に内容の濃い、かつ面白い動画でした☺️
    モリゾウさんにはまず経団連から改革して欲しいです👍

  4. トヨタさん次はマツダと一緒にスープラ作りません?
    国産唯一の直6ですし。ディーゼルだからちょっといじらないといけないけど。

  5. えっ、何が変わったの?今も昔も臭〜い体臭車しか作れないダメーカーじゃん。
    あっ、変わったと言えば、燃料装置が自然発火するところか!!!

  6. 今トヨタ系列の仕事してるけど
    もう体がトヨタ系列以外の仕事が出来なくなるぐらい毒されましたw←
    86BRZが販売されて、新型が出たことでついに「中古でも安く買える‘‘長年愛される‘‘スポーツカー」を完成させた感じが凄い。
    今ではドリフトもグリップも、シャコタンにラリーに魅せる走るという‘‘走る、魅せるジャンル‘‘だったら‘‘絶対‘‘いる車になった。
    気付いたら歩くだけで街中で100%見かける車にもなった。「スポ車は珍しい」を消し飛ばした印象。
    ほんとすげぇよ。

  7. 車好きの変態社長になる前のトヨタ車には興味無かった。 章男社長になってから初めてトヨタ車買ったけど、満足してる。

  8. 20:36 「いつかスープラを復活させて、ドイツ車を負かしてやる」と固く心に誓った結果、ドイツの自動車メーカーがスープラの開発を担当する事になったのか… 色々な障壁があるとは思うけど、トヨタもしくは国産メーカーと協業で開発して欲しかった っていう思いもあるなぁ😂

  9. 日産党だけど、近年のトヨタファンが本気で羨ましくなるくらいにはマーケティングも開発もトヨタが1番力入れてると感じる

  10. いい加減ここまで大きくなったんだから外人を奴隷みたいに使うことと、道路と下請けを在庫置き場代わりに使うTPSを辞めたらよいのに。

  11. いやいや、純トヨタのスポーツカーは GRヤリスとGRカローラの二種類しかないでしょ。86やスープラも立派なスポーツカーだが他社製なんだから数に入れちゃダメでしょ。何故ならば例えば日産は自社製で Z、GT-R、スカイラインと三種類生産しているけどトヨタより少ないと言うの?しかも日産は金が無いのにやってるのに。

  12. その無駄を省く精神が、トヨタから天下りした人間の物理法則を無視した要求とそれに応えるための不正や不良に繋がった、と…
    皮肉ですね…

  13. そうか、バブル期全盛の、作れば売れたあの時代の記憶をぬぐい切れないポンコツおやじが役員なら致し方なかったのだろう。しかし、弱小新ブランドの立ち上げが今のトヨタのひとつを形作っている事は素晴らしい。

  14. 私は大の車好き。父は初代ロータリーコスモからRX-7まで乗っていた。私は1971年豊田市生まれ。だが実は大のトヨタ嫌いだった。なぜならつまらないクルマしか造らない会社が地元にあるのが嫌だった。
    でも章男ちゃんが表舞台に現れて、徐々に変わっていき…レクサスLCと出会いトヨタが大好きになった。地元では章男ちゃんってみんな呼んでる位好かれている。
    閉塞感漂ういま、時代を変えられるのは彼なのかもしれないって真剣に思う。
    心から応援したい、地元が産んだイノベーターであって欲しい。

  15. センチュリーの伝説をやって欲しい(T . T)

    昔2世代前のセンチュリーのV12エンジンの組み付け前調整が、レーシングカー級の高精度を要求した事をカーグラフィック社が取材して明らかになって以来。

    元々トヨタには高精度のレーシングカーも組み上げれる技は、こんな形で現存してたとはと驚きましたよ((((;゚Д゚)))))))

    しかも豊田章男氏が社長でも無い時代に。

    しかもこのセンチュリーシリーズの3代目までは、豊田章男氏のお父上が関わりまくってたと言う逸話もあって。

    レクサスの品質よりイカれてるのでは?と驚く事が多いから。

    一度ほじって欲しい!!

  16. 豊田商事が自動車に目を付けただけ
    自分で出来なきゃ他を利用する賢し
    いやり方、ただ付け焼き刃の鈍らに
    なる危険は・・・
    物作りは如何にお金をドブに捨てれ
    るかの覚悟で決まる🤪

  17. 私は車メーカーの No. 1企業であるトヨタが嫌いでしたが、2位メーカーや3位メーカーの魅力度が低下し続ける中、モリゾウ社長になってからのトヨタの変貌ぶりに驚いております。今ではトヨタの車が購入選択肢に入っております。カリスマ性と純真さを持つトップの存在が素晴しいです。頑張れ、トヨタ!

  18. 友山さんの毛根が一体何をしたって言うんだ・・・!
    ところで途中で友山さんだったり丸山さんだったりしてるね

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