

津田寛治主演『津田寛治に撮休はない』
演じ続ける俳優、入り交じる現実と虚構
3月28日(土)より全国順次公開となる映画『津田寛治に撮休はない』で俳優・津田寛治が演じるのは、<俳優・津田寛治>役。劇中の<俳優・津田寛治>は撮影に稽古に打ち合わせにイベントにと、息つく暇もない。そもそも“撮休”など存在していないかのように、俳優として働き続けている。そんな<俳優・津田寛治>の身の回りで不可解な出来事が起こり始める。一体、どこまでが“リアル”で、どこからが“虚構”なのか。これはコメディなのか、スリラーなのか。観る側もいつしか、その狭間で揺れ動くことになるはず。
<俳優・津田寛治>役を演じた、俳優・津田寛治に話を聞いた。
写真:徳田洋平 スタイリング:三原千春 ヘアスタイリング&メイクアップ:馬場エミリ 取材・文:佐藤ちほ
衣装協力:ヨーガンレール TEL03-3820-8805
あの頃のように物語に入り込む
──映画『津田寛治に撮休はない』は萱野孝幸監督の持ち込み企画だったとか。それまで萱野監督とは面識がなく、ある日突然、<俳優・津田寛治>を主人公にした映画の企画が持ち込まれたということですよね?
津田 そうなんです。それまで萱野監督とは話したことがなかったんです。別府で映画のイベントに出たんですが、そこに萱野さんが来てくださって、この映画の企画書をポンといただいた。すごく驚きましたし、なんだか非日常的でした。一つひとつ段階を踏んで映画を作っていくという、日常的な感覚ではなかった。別府という、秘境のような雰囲気のある土地にいたのも大きかったかもしれないです。企画書には僕が俳優・津田寛治の役を演じると書いてあり、正直最初は“それって映画として成立するのかな…?”と思いました。
──その後、萱野監督が手がけた脚本を読んだ際にはどんなことを思いましたか。
津田 <俳優・津田寛治>役を演じるということなので、当然、脚本執筆のために取材を受けるんだろうなと思っていたんです。普段の生活のこととか聞かれるんだろうなと。それが取材を受けることはないまま、またポンと台本が届けられた。読んでまたびっくりしましたね。物語の中の<俳優・津田寛治>は実際の僕と違うところもありますが、同時に、リアルな自分が描かれていると感じられるところもある。何より話がものすごく面白くて、引き込まれるものだった。これは出たい、と思いました。脚本を読んだ時もまた、映画ってこんなふうに形があらわになることもあるんだなと思いましたね。非現実的で幻想的な体験でした。
──俳優歴30年以上、ありとあらゆる作品に参加してこられた津田さんでも、初めて経験する映画の立ち上がり方だったわけですか。
津田 初めての経験でした。小津安二郎さんの有名な言葉に『映画に文法はない』というものがあって。あれだけルーティンを撮ろうとした方が根本に持っていたのは、この言葉だったというのが面白いですよね。つまり、映画というのは正解、不正解のない世界なんです。だから映画の立ち上がり方にもいろいろあり、僕もいろんなパターンを見てきましたけど、今回のは突出した感じがありました。あともうひとつ、ホンに描かれていることが当時の自分が大事にしたいと思っていたものにたまたまヒットしたんです。
──例えば、どんなことが?
津田 50代になったあたりから、自分がテクニカルに芝居をしてしまっていたと思うようになって。引き出しと言われるものから上手に出し入れしながら演じていたというか…、悪い言い方をすれば、小芝居的なものを無意識でしてしまっていたんじゃないかと。このまま進んでいっては先が見える、俳優として終わってしまうと思っていました。自分が理想とする芝居はこうじゃなかったはずだと。どうしたらもともと自分がしたかった芝居ができるようになるのかと模索する中で、まずは“芝居をする”という感覚を捨てるところからだなと思うようになったんです。そこに存分にチャレンジできるホンだと思いました。
──“芝居をする”という感覚を捨てるというのは、客観視する自分を捨て、役そのものになって入り込む、ということですか。
津田 まさにそこです。客観視するのがいちばんヤバいと思っていて。僕も長年やってきて、周りの共演者やスタッフさんたちがやりやすいように、というところを無意識に優先するようになってきたんだろうと思います。「さすがキャリアのある俳優さんだな」と思われるようなあり方というか…。そうじゃないんだと。もっともっと役になりきって、もっともっと役としての主観でいないといけない。その結果、無様に見えたとしても、スタッフさんに迷惑をかけてしまったとしても、俳優はそうあるべきなんだろうなと。
──それは初期衝動に近いものがあるのでは?
津田 そう、原点回帰でしたね。俳優になりたての頃、引き出しなんてものはなかったあの頃の自分が必死にやろうとしていたこと。それは“物語の中に入る、自分が本当にその役の気持ちになる”ということだけだったんです。60歳になった今となっては、俳優が本当にやるべきはそれだけだと思うんです。
──本作の現場においても、どの瞬間も<俳優・津田寛治>役として主観に立っていようと。
津田 なるべくそこに持っていこうとしていました。この映画には劇中劇もあり、そこは萱野監督としては違う見せ方をしたいと思われていたので、ずっと<俳優・津田寛治>役として主観でいるというのは難しい瞬間もありました。ただ、そんな時にも萱野監督としっかり話し合って。お互いの間を取る、という感じになることもありました。
──萱野監督はどんな演出をされるのでしょうか。
津田 萱野監督はとてもクレバーでロジカルです。かと言って冷たい感じではなく、常に俳優さんたちに寄り添ってくれる感じがありました。それは、対僕というより、ほかの俳優さんたちと向き合っている時に見えたことで。絶対にあきらめないというか、この人はここまででいいかと妥協したりはしない。最後までとことん付き合って、「ここはこうしてみましょうか?」とか、「いったん全部忘れて、こうしてみましょう」とか言いながら、俳優さんたちを上から見るのではなく同じ目線に立ち、一緒に悩みながら突き詰めていっていた。だから、テイク数はすごく多かったんです。でも、仕上がったものを見るとやっぱり違うんですよ。萱野監督が一生懸命付き合った俳優さんほど輝いて見えた。萱野監督の姿勢は有意義なものだったと、完成した映画を観て思いました。
──萱野監督は編集力も目を見張るものがあります。
津田 すごいですよね。映画の冒頭に、<俳優・津田寛治>が同じインタビューを受けているように見せながら、どんどん場所を変えていくシーンがあります。あれはなかなかお目にかかれない繋ぎ方だと思いました。あと、<俳優・津田寛治>の乱闘シーンで衣裳がどんどん変わっていくところとか、長回しするシーンの選択にも相当なシネフィル感が出ていた。とにかく映画をたくさん観ていないと、あのセンス、感覚は出てこないと思うんです。そう言えば、萱野監督に言われて観た映画もいくつかあって。例えば、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』(2012)と、『インヒアレント・ヴァイス』(2014)。どちらでもホアキン・フェニックスが暴れまくっています(笑)。<俳優・津田寛治>が暴れるシーンは、「ホアキンっぽくいてほしい」と萱野監督に言われました。完成した映画を観た時、確かにそれらの映画のテイストと通じるものがあったなと思いましたね。萱野監督はこういうものを撮りたい人なんだなと再確認しました。


