パナソニック汐留美術館(東京・汐留)で、「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」が26年1月15日から開催されます。

ユートピアは、16世紀イギリスの思想家トマス・モアの小説タイトルで、「どこにもない場所」を意味します。同じくイギリスの社会思想家、ウィリアム・モリス(1834~1896年)は自著『ユートピア便り』の中で、暮らしと芸術の総合を唱え、今ここにある課題をみつめ、どこにもない理想を夢みています。その思想が紹介された20世紀の日本でも、ユートピアは暮らしをめぐる課題と理想となりました。そして20世紀を通じあらゆる場所で、美術、工芸、建築など幅広いジャンルを結ぶ共同体が模索されます。新時代の異文化体験を通して近代化しつつあった日本は、かつての日本でもなく、同時代の世界のどこにもない場所だったのです。

本展は2020年にパナソニック汐留美術館と高崎市美術館他で開催し、モダンデザインに託して新しい上質な暮らしを夢みた人々の交流をテーマとした「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展のいわば「続編」となります。

モリスに触発されゴッホやブレイクらの芸術に憧れ、人間や社会の理想を近代に求めた白樺派や民藝運動を中心とする第1章に始まり、過去と現在を探る悉皆調査や研究から未来を拓こうとしたフィールドワークや建築家にスポットをあてる第2章、芸術家コロニーの交流と夢を紹介する第3章、地域で育まれた実践の例を追う第4章、そして、どこにもない新世界の創造を模索した戦後の試みにスポットをあてる第5章でしめくくります。暮らしにまつわる過去をたずね、未来を夢みるさまざまな運動を、この展覧会では「ユートピア」と呼びます。

そして「美しさ」にまつわる芸術、装飾工芸、建築デザインにテーマを絞り、暮らしの中の「美しいユートピア」をみつめます。さらに「美しいユートピア」の歴史をたずねるだけでなく、未来への手がかりとします。美しい暮らしを求める20世紀日本のユートピアをたずね、当時の来るべき世界を振り返り、今日のユートピアを思い描く方法を探ります。作品資料約170点を全5章で構成します。

美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像

会場:パナソニック汐留美術館
(東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階)

会期:2026年1月15日(木)〜3月22日(日)

開館時間:10:00〜18:00(2/6、3/6、3/20、3/21は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで

休館日:水曜日(ただし2月11日と3月18日は開館)

観覧料:一般1,200円、 65歳以上1,100円 、大学生・高校生700円
※中学生以下:無料
※障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料

問い合わせ:TEL 050-5541-8600(ハローダイヤル)

アクセス:JR「新橋」駅より徒歩約8分/東京メトロ銀座線・都営浅草線・ゆりかもめ「新橋」駅より徒歩約6分/都営大江戸線「汐留」駅より徒歩約5分

詳細は、パナソニック汐留美術館 公式サイトまで。

展覧会の見どころ
1.場所を得て輝いた建築家たちのユートピア

美術、工芸、建築、民俗学と領域を横断しながら夢のカタチを見ていきます。建築では工部大学校(東京大学工学部の前身)旧蔵のジョン・ラスキン著書『The Seven Lamps of Architecture』(建築の七燈)から始まり、蔵田周忠の自邸図面とそこで用いられた森谷延雄がデザインした家具、詩人で建築家の立原道造が描いた芸術家コロニーのスケッチ、今和次郎の民家採集図、アントニン&ノエミ・レーモンドの群馬音楽センターの図面やデザイン画、磯崎新自身による群馬県立近代美術館を描いたシルクスクリーン、伊藤ていじや神代雄一郎とその研究室によるデザインサーヴェイの図面など、ユートピアのテーマのもと多彩な建築資料を展示します。

2.論考「生きている画家」、《立てる像下絵》、《夜の群像》に見る画家たちのユートピアへの希求

パリの芸術に憧れ、池袋モンパルナスに集って制作に励んだ画家たちはやがて1930年代以降、次第に戦争に巻き込まれていきます。その中で時局に抗い、個人の創作を追求した新人画会が結成されます。そのうち靉光、麻生三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介の絵画を展示します。松本竣介の《立てる像下絵》からは不安を抱えつつ戦争の時代に立ち向かう画家の決意が伝わってきます。鶴岡政男《夜の群像》は、夭折した松本竣介のアトリエにのこされた、松本が下塗りした板に鶴岡が描いた作品で、混沌とした戦後と矛盾に満ちた現実の中で、もがきつつも逞しく生きていく人間の生命力を示唆しています。

3.会場構成は若手建築コレクティブ GROUP

大阪・関西万博で公共スペースの設計者として注目された若手建築家20組のうちの1組、建築コレクティブ GROUP が会場構成を手がけます。展覧会で紹介されるそれぞれのユートピア、そして私たちの日常の延長のその先にあるユートピアを展望する装置としての「ユートピア観測所」をコンセプトとしました。

展覧会構成(全5章)
第1章 ユートピアへの憧れ

ジョン・ラスキン、ウィリアム・モリスの影響を受けた20世紀日本の理想主義を紹介します。20世紀初頭の大正デモクラシーに象徴される当時の日本では「民」が一つのキーワードでした。西欧美術に憧れ、自由と個性を尊重し自らのルーツを振り返った雑誌『白樺』。その白樺派同人たちの交流の中から柳宗悦が中心となり、民衆の暮らしの中の美を説いた「民藝」運動は、「民」をめぐる前後の理想主義を代表します。そのまなざしは朝鮮工芸にも向けられました。

ウィリアム・モリス著、ケルムスコット・プレス刊 『ユートピア便り』 1892年、TOPPANホールディングス株式会社 印刷博物館蔵
横堀角次郎 《静物》 1922年、群馬県立近代美術館蔵
第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク

近代化するみずからの足元をみつめた、民家や民具などをめぐるフィールドワークを紹介します。農山漁村や周辺地域、民族をたずねる交流はジャンルや国境を越えて、失われてゆく「民」を記録し、未来へつなぐ「ミュージアム」を育みました。建築家で教育者でもある今和次郎は、民家調査、考現学、生活改善と横断的な研究と実践を行い、画才を活かしてそれらを機知にとんだドローイングに仕上げました。また、財界人であり、研究者としてフィールドワークも行った渋沢敬三は私設博物館「アチックミューゼアム」を設け、史料を収集し研究者を支援しました。渋沢が計画し今和次郎も参画した国立の民族学博物館構想の図面も展示されます。

今純三 《考現学調査葉書 自宅アトリエノ窓外風景》 1931年、工学院大学学術情報センター工手の泉蔵

今純三は今和次郎の弟で、資生堂意匠部でデザイナーとして活躍した後、関東大震災で故郷・青森に帰り銅版画家の道を選ぶ。兄が提唱した現代を記録する「考現学」を青森で実践、その採集スケッチを絵はがきとして兄に送ったものです。

山本鼎 《スケッチ パイワン族 小箱の蓋(百歩蛇)》 1924年、上田市立美術館蔵

農民美術運動を推進した画家、版画家の山本鼎は、日本統治下の台湾で当時の政策により、工芸調査を行った。山間原住民の工芸を高く評価し、台湾における工芸教育に影響を与えました。

第3章 夢みる 都市と郊外のコミュニティ

関東大震災後、郊外アトリエや芸術家村が生まれます。その交友から「新人画会」が理想を戦後へつなぎました。蔵田周忠や立原道造など、建築家や詩人、芸術家による関東大震災後の郊外アトリエや芸術家コロニーへの夢を紹介します。1920年代の都市化と鉄道網の発達は郊外住宅地の発達を促しました。分離派建築会の会員であった蔵田は、モリスに倣った田園のユートピアを目指し、世田谷や杉並に文学者や芸術家たちが集って住むモダンで快適なコミュニティを設計しました。そのうち世田谷・供養塚に実現した自身の新居と、仲間の研究者たちが集って住むコミュニティを紹介します。同時期、芸術家たちが生活と制作の拠点としたアトリエ村の一つ、池袋モンパルナスでは、靉光、松本竣介、麻生三郎、寺田政明らも住人となり、その交友に始まる「新人画会」の理想は松本竣介の「生きている画家」(1941)、「全日本美術家に諮る」(1946)に表明され、のちに戦後美術の出発点とされました。

立原道造 《Lodge and Cottages》 1937年、軽井沢高原文庫蔵

夭折した建築家・立原道造は東京帝国大学の卒業設計として、浅間山麓に芸術家コロニーを構想しました。その下図です。セザンヌのサント=ヴィクトワール山への思いが重ねられ、浅間山への芸術的な憧憬が描き出されています。

松本竣介 《立てる像下絵》 1942年、神奈川県立近代美術館蔵

太平洋戦争中の大作、松本竣介《立てる像》(神奈川県立近代美術館蔵)のために入念に準備されたほぼ同寸の上半身下絵です。不安と希望の入り混じった表情からは、時局に与せず画家として生きていく決意がうかがわれます。

鶴岡政男 《夜の群像》 1949年、群馬県立近代美術館蔵

踏みつけ絡み合いながらもがき出ようとする群像に、戦後の廃墟の中から這い上がる人間の混乱と生命のエネルギーがピカソの《ゲルニカ》を想起させる画風で描き出されています。松本竣介が亡くなった後、彼のアトリエに残されていた板に鶴岡が描きました。本作の下絵も展示されます。

第4章 試みる それぞれの「郷土」で

山本鼎、宮沢賢治、竹久夢二、ブルーノ・タウト…郷土や「ドリームランド」で表現者の実践が始まります。山本鼎の農民芸術運動や宮沢賢治の活動、竹久夢二、ブルーノ・タウトの美術工芸運動は、「ドリームランド」としての「ふるさと」に、美しい暮らしをもたらす協働の実践でした。同時代、前後して官民による郷土改良や産業化が始まりました。画家の山本鼎は長野県上田に農民美術運動の拠点をつくり、農閑期の副業のために手工芸品制作を指導しました。デザイン画の制作には芸術家仲間が講師として参画し、デザインから工芸品制作、さらにイベント開催まで行う、芸術活動を通した一大事業となりました。竹久夢二は群馬県の、榛名湖畔に生活と芸術が一体となった「榛名山産業美術研究所」を計画しました。宮沢賢治は、地質学、宗教、文学、芸術と広範囲にわたる知識と実践を通し、人々に幸福をもたらすドリームランドを実現することを願いました。山本鼎の日本農民美術研究所で制作された工芸品やそのデザイン画、宮沢賢治によるドローイング、タウトデザインによる工芸品などを展示します。

ブルーノ・タウト 「ヤーンバスケット」 1934-36年、群馬県立歴史博物館蔵

ドイツの建築家タウトが本国で設計したパヴィリオンを想起させる多角形の造形。バスケットの内側は黄や緑の豊かな色彩に染められています。群馬の伝統的な手仕事である竹皮編とモダンなデザインが融合した工芸品は、銀座のフラッグショップ、ミラテスで人気を博しました。

第5章 ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ

戦後まもなく、芸術、建築による都市再生に着手した群馬県高崎の文化活動家・井上房一郎と、彼に協力した建築家レーモンド夫妻や磯崎新。井上房一郎は戦前はブルーノ・タウトと協働して高崎の工芸運動を推進し、戦後は親しく交流したアントニン&ノエミ・レーモンド夫妻と群馬音楽センターを実現しました。井上は70年大阪万博の設計に参画した気鋭の建築家、磯崎新に群馬県立近代美術館(1974年竣工)を依頼したほか、高崎哲学堂(計画案)を共に構想しました。高度経済成長期の大きく変貌する都市と社会で向かうべき方向を模索して、日本の伝統的な共同体を実測調査し図面化した60年代後半からの「デザイン・サーヴェイ」。それらの動きは芸術と民衆の力を原動力に未来への手がかりをつかもうとしたものです。立原道造の夢の名残として、彼が生前に卒業制作として計画したアーティスト・コロニーとゆかりのある大江宏の建築も紹介します。

アントニン・レーモンド 「群馬音楽センター内観透視図」 1958年、レーモンド設計事務所蔵 ©The Raymond Family

群馬音楽センター(1961年竣工)は1999年にDOCOMOMO Japan日本の近代建築20選のひとつに選出された。スパンの異なる11折の薄い折板を用いた鉄筋コンクリート折板構造が見られるホール内部のパース画です。

磯崎新 《還元シリーズ1 群馬県立近代美術館》 1983年、磯崎新アトリエ蔵 ©Estate of Arata Isozaki

還元シリーズは建築を基本のコンセプトに還元して絵画として表現したもの。キューブやヴォールトといった純粋形態によって建築を考えた磯崎新は、本美術館を一辺12メートルの立方体の集積で構成した。池の上に張り出した部分のみ22.5度の角度がつけられています。

明治大学神代研究室 「伊根亀山デザイン・サーヴェイ集落全体平面図(4枚組)」 1968年、明治大学建築アーカイブ蔵

デザイン・サーヴェイは1960年代後半から70年代半ばにかけて、多数の大学研究室他でさかんに実施された都市・建築の実測調査・図面化の手法。建築史家で明治大学教授であった神代雄一郎は、学生たちと共に瀬戸内の女木島を始めとして各地で日本的空間と地方性をテーマに調査を行った。本作は湾に沿った舟屋の実測に基づく描写が見事です。

本展は、2020年に好評を博した「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展の「続編」的な位置づけとしての展覧会。美術・工芸・建築・民俗学が交わるところに、芸術家たちが構想した様々な暮らしの理想が紹介されます。白樺派や民藝運動、郊外アトリエの構想、そしてデザイン・サーヴェイまで──20世紀日本の広がりを、ラスキンやモリスの思想と響き合わせながらたどる本展は、単なる歴史回顧にとどまらず、私たちの日常の延長にある“ユートピア”を考える契機となるでしょう。池袋モンパルナスから群馬音楽センター、軽井沢の芸術家コロニーまで、各地の“実験”と“協働”が目指した美しさのかたちを、約170点の資料と作品でじっくと巡ってみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)

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