ペット・ショップ・ボーイズ(Pet Shop Boys)が来年1月、ヘッドライナーを務める5日(日)のrockin’on sonic、6日(月)に東京ガーデンシアター、9日(金)に神戸ワールド記念ホールで開催する単独公演で、世界中で絶賛されてきた「ドリームワールド:グレイテスト・ヒッツ・ライヴ」を披露する。彼らの再来日を記念して、近年の好調ぶりがよく伝わる2024年のインタビューをお届けする。
「ドリームワールド:グレイテスト・ヒッツ・ライヴ」より「It’s a sin」
いま、ペット・ショップ・ボーイズにとって最高の瞬間が訪れている。80年代を象徴する究極のシンセポップ・デュオが、代表曲「West End Girls」の40周年を迎えたタイミングで再評価の波に乗っているのだ。彼らの最新アルバム『Nonetheless』は、21世紀に入ってから最も勢いのある作品であり、キャリア史上でも屈指の名盤といえる。さらに映画『Saltburn』や『異人たち』で彼らの音楽に触れる新たなリスナーも増えている。そして極めつけは、ドレイクが許可なく「West End Girls」を引用して楽曲「All The Parties」を制作したことで、いまや今日のステータス・シンボルともいえる“ドレイクとのビーフ”まで手に入れた。
ニール・テナントとクリス・ロウは40年以上にわたって音楽的パートナー関係を続けており、互いを嫌いになったり、解散したり、マンネリに陥ったりすることもなかった。ロンドン出身のこのデュオは1980年代にブレイクし、「Rent」「Opportunities (Let’s Make Lots of Money)」「What Have I Done To Deserve This?」といったセックスやマネーを題材にした風変わりなヒット曲を次々と送り出した。おしゃべりなボーカル担当ニールと、無表情なシンセ少年クリス。その対照的なコンビネーションが魅力となり、ライザ・ミネリやダスティ・スプリングフィールドといったディーヴァたちをポップシーンへと呼び戻した。
彼らは『Please』『Actually』『Introspective』というエレクトロ・スリーズ三部作を完成させ、1993年にはカミングアウトをテーマにしたアルバム『Very』でそれを凌駕する成功を収める。この作品はクィア・ポップの金字塔として知られる。そして、カーディ・Bは生涯を通じて彼らの熱烈なファンであることを公言している。
80年代の名曲たちが再び脚光を浴びている──『Saltburn』でバリー・コーガンがカラオケで「Rent」を歌うあの名シーンを、誰が忘れられるだろう? そんな今こそ、ペット・ショップ・ボーイズにとって完璧な復活のタイミングだ。彼らの最新作『Nonetheless』は、パンデミック下で遠隔制作されたアルバムであり、「Loneliness」や「Dancing Star」といったキラーチューンを収めた強力な一枚となっている。
2人とも驚くほど会話上手だ。絶えず笑い声をあげ、軽口を交わし、理屈を語り、好きなポップスターをネタにジョークを飛ばし、そうでない相手にはケラケラと笑う──ニールとクリスはまるで英国の古典的コメディ・デュオのような乾いたユーモアの持ち主である。彼らは本誌との取材で、新作アルバムやアーティストとしての長寿の秘訣、ドレイクとの“騒動”、「チープな音楽こそ最高」だという信念について語った。また、「West End Girls」の制作秘話、オスカー・ワイルドやカーディ・Bへの愛、映画で自分たちの楽曲を耳にする喜び、ハリー・スタイルズを楽しむ理由、テイラー・スウィフトをそうでもないと思う理由、80sスリーズの美学、ジョン・ムレイニー、「アルバムは45分を超えるべきではない」という持論まで、多岐にわたる話題で盛り上がった。
「West End Girls」が永遠の名曲となった理由
ー新作アルバムの完成、おめでとうございます。どうやってそんなにも長く創作意欲を保ち続けているのでしょうか?
ニール:あまり深く考えないようにしている。意識すると消えてしまいそうだからね。でも、結局のところ僕たちがやっているのはソングライティングなんだ。それが本質であり、常に楽しみのためにやっている。必ずしもアルバムのために書くわけではない。実際、クリスは僕たちがアルバムを作っていたことにすら気づいていなかった。
クリス:ロックダウン中はやることがなくて、ただ気晴らしに曲を書いていた。それは純粋に楽しみのためだった。正直、アルバム制作を始めていたなんて全く思っていなかった。ある日ニールが、それまで作った曲を並べたプレイリストを送ってきて、「これが次のアルバムだ」と言ったときは、本当に驚いた。
ニール:クリスは曲を量産するのがうまい。僕たちはずっと、子どものような遊び心を失わずにいられた。ロックダウンの頃は、午後に散歩するか、夕食を作るか、それくらいしかやることがなかったから、曲を書くしかなかった。クリスから新しいトラックが添付されたメールが届くたびにワクワクした。
ーこの持続力を自分たちで予想していましたか? 80年代には「長く続けること」を目指すロックスターをよく茶化していましたよね。
ニール:今でも長寿を目指す姿勢は笑いの種にしている。
クリス:「長く続けようとする」という考え方そのものをね。
ニール:僕たちは長くやるために音楽をやってきたわけじゃない。ただ結果的に続いているだけなんだ。
クリス:そもそも“使い捨てのポップ”こそが、最も長く残るものだと思っている。
ニール:それは80年代からずっと言ってきたことだ。60年代の“使い捨てポップ”にも同じことが言える。重要性を意識して作られた曲ほど、時が経つと古びてしまう傾向がある。逆に、“軽く”作られたポップソングこそが人々の生活を彩り、記憶に残っていくんだ。
クリス:あのノエル・カワードの言葉、なんだっけ?
ニール:「チープな音楽のなんと力強いことか(Strange how potent cheap music is)」──彼は“チープな音楽”の本質をよくわかっていた。そして彼の曲はいまでも演奏され続けている。
ー「West End Girls」は“チープだ”と思われていたけれど、40年経った今もクラシックとして愛されていますね。
ニール:今回のアルバムを作り始めたとき、「West End Girls」からちょうど40年だということに気づいた。でもそれは偶然なんだ。あの曲はニューヨークで録音した。初期の頃は、僕たちはニューヨークのダンス・シーンの一部だと思われていたし、自分たちもどこかそう感じていた。録音はユニーク・スタジオで行って、[ディスコ・プロデューサー]ボビー・Oがプロデュースしていた。隣のスタジオではアーサー・ベイカーがプラネット・パトロールのレコーディングをしていた。あの夏、僕はアメリカ版『Smash Hits』(ニールが編集に携わっていたイギリスのポップ誌)の立ち上げのためにニューヨークにいた。マドンナにインタビューしたんだけど、彼女は毎週金曜の夜、ローラースケート場「ロキシー」でパフォーマンスをしていた。街ではブレイクダンスが流行していて、ニュージャージーにあるシュガーヒル・スタジオまで行って「One More Chance」を録音したりもした。僕たちにとって、すべての出発点はニューヨークだったんだ。
