【紀州徳川家/西条松平家】紀州徳川家一門 家系総解説 #紀州徳川家 #西条松平家 #べらぼう 紀州徳川家一族を分家の西条松平家含め家系解説します! 将軍を輩出する御三家「紀州徳川家」 実は名君が多く紀州徳川家を支える分流で御連枝「西条松平家」! 江戸時代約250年の紀州藩と西条藩の動きに迫ります! ⚫︎参考文献 徳川一族大全 廣済堂出版 徳川将軍家・御三家・御三卿のすべて 新人物往来社 徳川・松平一族のすべて 工藤寛正様著 ⚫︎引用 Googleマップより引用 entertainer johnny’s Jr. johnnys johnnys junior 和歌山藩 家系図 家系解説 将軍家 徳川 日本史 有馬信平 紀伊徳川家 紀州徳川家 西条松平家 西条藩
@user-vs5by3oq3k on 2025/05/25 13:16 歴史の授業では吉宗が将軍になった後の紀州家について触れられることはないですね😅基本的に吉宗のいとこの血統が藩主を相続していることが分かりました。
@正人藤原-v8x on 2025/05/25 14:42 家康の10男から始まった紀州家が、吉宗から家茂の時代まで将軍家及び、多くの大名家を「男系の血筋で支配」していたとのことが大変興味深い内容でした。また、個人的な話ですが、私の父の故郷である西条の松平家についても取り上げていただき、ありがとうございました。
@bigmarch8686 on 2025/05/25 23:12 徳川一門筆頭は尾張家じゃ?それはそうと、吉宗の紀州家相続から将軍家相続に関しては色々きな臭い話がありましたね。都合よく兄が次々と亡くなり、将軍家の継承の際にもライバルの尾張家当主が急逝して吉宗にお鉢が回って来たので都合よすぎとの話が。
@雨引の文五郎 on 2025/05/26 05:05 今回の「べらぼう」で田沼意次と一橋治済、島津重豪の会話「浄岸院さまのご意向」というのがありました。この浄岸院って八代将軍吉宗では名取裕子さん?が演じられていましたっけ。「警戒すべき外様」で苦杯を舐め続けられた島津家が「島津の世」と称されるくらいの転機になったこの「浄岸院の存在」についてもひとつ解説頂きたいです。
@雷蔵-s8m on 2025/05/26 07:01 解りやすいご説明ありがとうございます。考えれば家康自体の血筋が後々混乱を起こし吉宗の血筋が幕府の衰退の原因になったのですかね。御三卿内で暗殺とか陰謀があったのではないですか。天下に浮かばれないのは田安徳川家ですかね。
@tsuna-rice on 2025/05/26 13:50 教科書には載ってないけどなんとなく気になることを教えて頂きありがとうございます。同じように尾張や水戸もやってください。その他にも複数の松平のそれぞれの成り立ちも取り上げてほしいです。
@honda10102004 on 2025/05/26 20:02 多くの方が勘違いしていますが尾張が御三家筆頭という規定はどこにもありません尾張と紀伊は大納言家で同格水戸が一段落ちる中納言家というだけですね
@田舎の高校生-b5b on 2025/05/27 08:58 落語(紀州)の方では、七代将軍が7歳で他界した後八代将軍を誰にするか考えていて尾張大納言(尾州候)を次期将軍にしようとしてましたが(この度七代の君御七つにてご他界に相成りお後目これなく下万民武育のため任官あって然るべし)と頼まれると(余はその徳を修してその任にあらず)と言って一度断って押して頼まれたら引き受けようと尾州様が思っていたところそのまま下がって隣にいた紀州様の前に移り(この度七代の君御七つにてご他界に相成りお後目これなく下万民武育のため任官あって然るべし)と頼むと紀州様は(余はその徳修してその任にあらず)と言って尾州様と同じことを言ったかと思うと(その徳を修してその任にあらず、と言えども!)とずりをかけて(下万民のためとあらば任官致すべし!)と言って紀州候が八代将軍就任決定してしまったそうで紀州候は国に居た時分にお産婆さんの娘を孕ませて後で天一坊という騒動を起こし芝居や映画で金儲けを儲けようとした人でずりをかけるのは当たり前で紀州候に横取りをされ青菜に塩で城を下がるとまだ鍛冶屋ではまだ仕事をしているが鍛冶屋の槌の音が何度聞いても(天下取〜る!天下取〜る!)と聞こえる(余には鍛冶屋の槌の音が天下を取るより聞こえんが紀州候は利口だ城では受けあったが若年で務まらないから尾州候によろしく頼むと使者を持って頼みに来るだろうと尾州候が鍛冶屋を覗くと親方が真っ赤に焼けた銀を水の中へずぶりとつっこんで紀州〜!!というオチで噺が残っていますね
16件のコメント
歴史の授業では吉宗が将軍になった後の紀州家について触れられることはないですね😅基本的に吉宗のいとこの血統が藩主を相続していることが分かりました。
家康の10男から始まった紀州家が、吉宗から家茂の時代まで将軍家及び、多くの大名家を「男系の血筋で支配」していたとのことが大変興味深い内容でした。
また、個人的な話ですが、私の父の故郷である西条の松平家についても取り上げていただき、ありがとうございました。
15:18
父じゃなくて兄じゃない?
徳川一門筆頭は尾張家じゃ?
それはそうと、吉宗の紀州家相続から将軍家相続に関しては色々きな臭い話がありましたね。都合よく兄が次々と亡くなり、将軍家の継承の際にもライバルの尾張家当主が急逝して吉宗にお鉢が回って来たので都合よすぎとの話が。
訂正いたします。
05:06 ×筆頭 → ⚪︎一角
15:18 ×父 → ⚪︎兄
頼宣、頼房の頼は母方から付けた名なのかな?
今回の「べらぼう」で田沼意次と一橋治済、島津重豪の会話「浄岸院さまのご意向」というのがありました。この浄岸院って八代将軍吉宗では名取裕子さん?が演じられていましたっけ。「警戒すべき外様」で苦杯を舐め続けられた島津家が「島津の世」と称されるくらいの転機になったこの「浄岸院の存在」についてもひとつ解説頂きたいです。
まじで良く調べてる。
西条藩とかほぼ知られてないし御連枝なんかさらにしられていませんから勉強になりますね
解りやすいご説明ありがとうございます。考えれば家康自体の血筋が後々混乱を起こし吉宗の血筋が幕府の衰退の原因になったのですかね。御三卿内で暗殺とか陰謀があったのではないですか。天下に浮かばれないのは田安徳川家ですかね。
いつも見やすい播磨屋さん的系図をありがとうございます。
紀州系は維新まで勝ち組なのに、現代では男系も守れず絶家になりそうなのが残念すぎる。 #系図酎
頼宣公は鎌倉殿の13人の三浦義村公の子孫なんですね😮
教科書には載ってないけどなんとなく気になることを教えて頂きありがとうございます。
同じように尾張や水戸もやってください。
その他にも複数の松平のそれぞれの成り立ちも取り上げてほしいです。
本来、水戸家も紀州家の連枝やからね
ただ水戸頼房と徳川家光とが悪仲間だったので別家を建ててもらえた
紀州家は御三家筆頭ではないです。頼職.頼方は綱吉から分地されています。
多くの方が勘違いしていますが
尾張が御三家筆頭という規定はどこにもありません
尾張と紀伊は大納言家で同格
水戸が一段落ちる中納言家というだけですね
落語(紀州)の方では、七代将軍が7歳で他界した後八代将軍を誰にするか考えていて尾張大納言(尾州候)を次期将軍にしようとしてましたが(この度七代の君御七つにてご他界に相成りお後目これなく下万民武育のため任官あって然るべし)と頼まれると(余はその徳を修してその任にあらず)と言って一度断って押して頼まれたら引き受けようと尾州様が思っていたところそのまま下がって隣にいた紀州様の前に移り(この度七代の君御七つにてご他界に相成りお後目これなく下万民武育のため任官あって然るべし)と頼むと紀州様は(余はその徳修してその任にあらず)と言って尾州様と同じことを言ったかと思うと(その徳を修してその任にあらず、と言えども!)とずりをかけて(下万民のためとあらば任官致すべし!)と言って紀州候が八代将軍就任決定してしまったそうで紀州候は国に居た時分にお産婆さんの娘を孕ませて後で天一坊という騒動を起こし芝居や映画で金儲けを儲けようとした人でずりをかけるのは当たり前で紀州候に横取りをされ青菜に塩で城を下がるとまだ鍛冶屋ではまだ仕事をしているが鍛冶屋の槌の音が何度聞いても(天下取〜る!天下取〜る!)と聞こえる(余には鍛冶屋の槌の音が天下を取るより聞こえんが紀州候は利口だ城では受けあったが若年で務まらないから尾州候によろしく頼むと使者を持って頼みに来るだろうと尾州候が鍛冶屋を覗くと親方が真っ赤に焼けた銀を水の中へずぶりとつっこんで紀州〜!!というオチで噺が残っていますね