【第1章】朝はあけたり~決死の密航 奄美日本復帰を伝えた男たち~[MBC開局70周年特別番組ラジオドラマ]
南の海に浮かぶ私たちの島は今から77年 前日本から切り離されアメリカの鎖に繋が れまし た臨時ニュスを申し上げます1941年の 冬 アメリカをはめとするたくさんの国を相手 に日本は戦争を始めまし たやがて敵の軍隊は本土に向けて南の島に 攻めてきまし たそれを防ぐために私たちの島奄美群島に はたくさんの基地が置かれまし た真っな空を黒い戦闘機が 降り注ぐ鉄の玉と爆弾が人を殺し家を壊し 牛 焼き奄美の小さな町や村は灰色の野原に なりまし た1945年8月15日3年8ヶ月続いた 国の戦争は終わりましたでもそれから わずか半年後196年2月2日ニュースを 申し上げます日本の行政権に関する 覚え書きとしてGHQ連合国軍最高司令官 総司令部は本日次のように発表いたしまし た北井30度以島を含む鹿児島県大島軍を 日本から切り離し連合国の直接治にく誰の もでもない の知らない誰かが線を引いて島のみんなは 日本人ではなくなりまし たその線をなぜ超えてはいけないのか理由 は分かりませんただ見えない鎖に繋がれて 島は降りに入れられまし たでも自由と平和を願うみんの歌声は片も 耐えること なくのようなその小さな祈りはやがて 大きなうりとなって世界へ広がっていき ましたそして1953年の夏来日した アメリカのダレス国務長官は私たちに約束 をしまし たアメリカ政府はア島に関する平和条約第 3条に基づく権利を放棄し小のに対する 日本の試験を復活させることを望んで いるそのダレ生命から4ヶ月後8年間 およそ2900日続いた奄美の孤独な戦は 終わりみんな日本人に戻りましたその日 1953年12月25日鎖を解かれた奄美 の思いを苦労をして全国に伝えた2人の 放送マンがいまし [音楽] たMBC対局70周年ラジオ ドラマ朝は明けたり決しの密行奄美日本 復帰を伝えた男 たち第1 [音楽] し [音楽] JCFラジオ
南日本放送 ラジオ南日本として本放送を開始したのは その年の10月10日奄美群島が日本に 復帰するわずか2ヶ月前のことでし た私は当時報道局長という立場でしたが解 してしばらくはもう局長だろうが誰だろう がみんな1日中走り回っていましてね ニュース稿を吉野の送信所へバイクで運ん でアナウンサーがその場で読んで放送し たりとにかく何もかもがバタバタで寝る暇 もないほど忙しかったことをよく覚えてい [音楽] ますあの頃僕らは息要用としていました 新しい時代の新しいラジオを作るために なんだってやって やろう制作現場はそんな若い活気に溢れて いまし た僕があの2人アナウンス部の制と技術 課長の古川光夫を天文館に誘ったのは対局 直後のあの目の回るような忙しさが ようやく落ち着いた11月の半ば頃だった と思い [音楽] ます 立ち上がっ遠慮しないでどんど行こういや 報道局長のりならエなんてしませんがね古 君 局長先に話してくれませんか何を仕事の話 があるんでしょうおかしいじゃないですか アナウンサーと技術課長がのみに誘われる なんて持ち場が違うんですから僕ら仕事 以外ではほとんど話したことないですよ ねえ古川さんそういえばそうですねいやね お前さんたちはうちの曲で12を争を 大酒飲みだと聞いたもんでねこは調子とし て一体どのくらい飲むのかあれ言いにく そうだな古川さん何か思い当たることあり ますないです 局長うんまあじゃあ言うけどねどうだ2人 で全国放送やる全国放送今度は朝左手を 取りました朝朝上手投げ よし強い ね大遠くないないや局長全国放送って何 あるんですかんそうか朝の故郷 か天美ですか美もうすぐ日本に復帰するん ですよねあその奄美に君たち2人で 乗り込んで復帰当日の喜びの表情を全国に 生中継するていうのはどうだやりますやら せてください前もってにって現地の声を 取材したいですね録音定方船便で送れば 復帰前後で特集も組めますいい ねでいつ復帰するんですかそれが日米官の 交渉が揉めてるらしくてねでも12月中だ という見方が強いダレス国務長官が吉田 総理に行ってたらしいからね奄美の復帰は
日本にとっていいクリスマスプレゼントに なるだろうってねうまいこと言うなじゃあ 早速明日から準備に入りますうんただ1つ 問題があるんだと言いますと奄美は今 アメリカだから渡にはパスポートがいるん だ な持ってないよねもちろんです僕もですだ よな今から申請しても取れるまで半年は かかるらしいんだよいやそれ報道だっって ことでなんとかならないんですかだって 奄美の日本復帰は大ニュースですよねそれ がに話持っててもなんともならそんな全国 放送のチャンスなのにだろうそこで相談な んだけど ねここは思い切ってやる か何をですか2人とも耳かせほら は めこみこ声がでかい よ当時パスポートなしで奄美に渡ることは 思い罪でした見つかったら軍法会議にかけ られて悪くすればアメリカ本土に送られる そんな噂もありましたはい暑いの15と 15で2号お待ちど 様その後岩橋と古川は手順で焼酎をついで ただ黙って飲んでいまし た2人ともい報道局長である私もまだ2つ の現実を計りにかけて迷っていまし た地元の放送局として奄美の日本復帰を 全国に伝えなければならないという責任と これから自分たちが犯そうとしてる地味の 重さ とその日2人からは返事はありませんでし たまあこっちも腹を決めて読む命令だやれ と言えば良かったんですが2人とも家庭 持ちで小さな子供がいましてね 結局2人に決断を委ねまし [音楽] たほらほらラジオも終わるよそろそろ寝 なさいおやすみおやすみなさいおやすみ なさい夫古が岩橋あさと一緒に正式な 手続きを取らないまま甘みに渡ると言い 出した時妻の私も3人の小さな息子たちも それは大反対しました闇の商売や就職や 進学のために甘みの人が本土に密こすると いう話は聞いたことがありましたでも こっちから密こする なんてそれにもし夫がアメリカ軍に捕まっ たらあの子たちは一体どうなるんだろうと 心配 でどれだけ大事な仕事か知りませんけど 会社のためにそこまでしなきゃいけないん ですか会社のためじゃないじゃあどうして お前にはわから ん1度こうと決めたら女房や子供の言う ことを聞くような人じゃありませんから
それ以上は何も言いませんでしたけど ねじゃ行って くる3人ともいい子にしてるんだぞ何日に か行ってくるの心配する な行っ [音楽] てらっしゃい お母さんそんなに心配しなくても大丈夫だ よそうねさご飯食べよ僕手伝うよ僕 も小さくてもやっぱり男の子なんです ね父親がもしこのまま帰ってこなくなっ たら自分たちがしっかりしなきゃと思った ん でしょう3人ともその日からうちのことを こまごまと手伝ってくれました よ12月10日の夕方夫と岩橋さんは 鹿児島港発なこ行きの豊島丸に乗り込み ました船が出る2時間も前にこっそり 潜り込んでカパにあった救命ボトの中で 隠れていたんですって普段子供たちに こそこそするないつも生生堂々と胸を晴れ と言っている古川がどんな顔をして息を 潜めていたのかと思うとおかしくっ て出行して時間 あまり2人は突きあかりのも救命ボート から抜け出て船の底の荷物室に忍び込んだ そう です古川さんも金行は抜けましたかね こんなに船が揺れるということは 多分じゃあ一安心ですねしかしこんな姿 女房子供には見せられませんね真っ暗な とこで荷物に紛れて隠れるなんて全くです 古さんお子さんは小学校の息子が3人あ そうですかうちは2人ですがりほとも娘 でしてね上は高一下は正です出かけにちび に泣かれて困りました甘美なんかに行か ないで兵さんに捕まらないでってうちも です随分反対されましたでもなぜ全国放送 ですからねそれもの本吹きとなればネタと しては大きいですよえアメリカの軍下に 置かれて8年嬉しいでしょう ね激しい住民運動の末に祖国復帰を 勝ち取ったんですからねいや僕はね奄美の 人たちのこういうなんて言うんでしょうか ね爆発するような喜びをね全ての国民に岩 岩声あすいませんいやもっとも奄美の方が アメリカの豊富な物資でいい暮らしをし てるから日本には帰りたくないんじゃない かなんて嫌味なことを言う人もいますけど ね行ってみなきゃわかんない なそうだ僕ね島の人と一緒に飲もうと思っ て芋焼酎土産に持ってきたんですよ向こう は砂糖キビの焼酎だそうですね ええ古川は当時36歳 戦争前満州にいた頃から無線の仕事に
携わってきた叩き上げの技術や一方の岩橋 さんは1つ年上の37歳元NHKの アナウンサーで標準後の指導も兼ねて MBCに引き抜かれた優秀な方でした 田舎育ちの古川は東京生まれでダンディ 内橋さんを初めのうちは苦手に感じよ です僕は技術屋ですから復帰当日の生放送 を成功させることで頭がいっぱい ですあ中継は電話回線使うんですよねはい でも本土と甘みをつぐ回線は1本しかあり ませんそれも短波を使って通信するので 時間によってかなり不安定になるそうです 電気も本並の電圧があるかどうか向こうに 送ってあるペックスは使えないかもしれ ませんでもデスは持ってきてるんですよね 現地の取材はそれで音取りましょうよそう 待って電池を多めに持ってきましたが 真面目だな古川さんはなるようになります よ僕らには甘みの復帰を全国に伝える責任 があります運を天に任せるようなことは できませ ん誰か来ましたなんか聞こえる な あれ逃げましょうここ誰かいる逃げるって ここ船です よあんたらそこで何してん の本当なら鹿児島校に強制相関しなきゃ いかんのですがもう船は島に近づいて ますなぜで局にますから船長さんなんとか 見逃してもらうわけにはいけませんか いやああの罪を犯してることは分かって おりますでも奄美の日本復帰を日本全国に 伝えたいんですそれは僕らにしかできない ことなんですよお願いし ます私も奄美の人間でしてね日本に復帰 できるち聞いた時はもう飛び上がって喜び ましたよそうですかでしたらでも ねまだ奄美はアメリカなんですよ ね今日あなた方に弁を図ったことが米軍に 知れたら私は捕まって明日から女房と子供 が5人生きていけなくなり ます身のがすっことはその覚悟をしなくて はならないいちこと です子供のこと言われちゃ辛いな僕らも 鹿児島に子供を残してきてます からそうです か到着まであと15時間ほど ですくれぐれもこの部屋を出ないよう にそうして狭い室に閉じ込められた2人は どちらから言い出したのか岩橋さんが土産 に持ってきた焼酎を米軍に没収されるのは 木に食わないとその夜のうちに2人で一生 便を開けてしまったそう です軍法会議にかけられるかもしれないっ ていうのに気が太いっていうかなんて言
か ちょっと放送局の人起きてもう着いたんす か今他のお客さん降りてる からじゃあ古さん大人しくおに着きますか 何言ってんの2人とも早くに荷物持って船 用意してあるからえほら行くよどういう こと でしょうさあ早く はい船長この人らまだ寝てました大した 度胸じゃ ねえ船長僕らはこれ から親戚に漁師がおりましてね事情を話し たら船を出してくれましたにも見つから ない海岸まで連れてってくれるってえ じゃあ見逃してもらえるんですかくれぐれ も米軍に見つからないようにお子さんの ために も はいありがとうござい ます霊を言うのはこっちの方 です私たちが日本人に戻る日のことを しっかり全国に伝えてください わかりました生受継絶対成功させ ます
◆第1章
MBC開局70周年ラジオドラマ「朝はあけたり~決死の密航 奄美日本復帰を伝えた男たち」 第1章
==ストーリー=================
1953年12月25日。
海を越え、奄美復帰を命がけで全国に伝えた
ふたりの放送人がいた━
70年前の1953年12月25日、米軍の統治下にあった奄美群島が日本に返還された。
多くの島民が一丸となって行った署名や断食などの復帰運動の末、ついに日本復帰が果たされたのだ。
鹿児島市の「ラジオ南日本」が開局したのは、その年の10月10日。
8年間の米軍統治から解放される島民の喜びの声を「いち早く伝えたい」と2人の放送局員が立ち上がる。
しかし、正式な渡航許可は間に合わず、奄美大島に渡る手段は密航しかなかった━
当時の証言や、MBC資料室に残る当時の音声とともに、
使命感を持って報道にあたった2人の局員をめぐる情熱のドラマ。
==出演者=============
岩橋健正…恵 俊彰
古川満雄…迫田 孝也
有馬局長…久世 恭弘
古川志津…松本 雪乃
岩橋ゆかり…大森 陽
泊博正…とめ 貴志
北島 餃子
吉直 潤太
野口 あおい
宇都 駿将
児玉 俊和
TOMOYA
堂満 太一
桐原 叶多
竪山 実花
向井 千紘
岩﨑 弘志
上野 知子
岡田 祐介
城光寺 剛
豊平 有香
古川 廣生
中村栄子事務所
語り…元 ちとせ
==スタッフ=============
脚本…飯田 健三郎
演出…竪山 博之
テーマ曲…松本 圭使
サウンドプロデューサー…種子田 博邦
音楽協力…持橋 知行
録音…かしわプロダクション
取材協力…あまみエフエム・奄美市・花井 恒三
協力…永井 洋仁・西田 安輝子
企画…切通 啓一郎・平川 智宣
ディレクター…後藤 剛
プロデューサー…岡田 祐介
総括…丸山 健太郎
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