星のフラメンコなどの、ヒット曲やテレビ時代劇

江戸を斬る、などで人気を博し、歌手で俳優として活躍された西郷輝彦さん。

歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれていました。

2022年2月20日に訃報が報道され世間を悲しみの渦に巻き込みました。

そんな西郷輝彦さんの遺産や元妻の辺見マリさんとの離婚理由

また最後の妻の正体や晩年の様子について紹介します。

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6件のコメント

  1. 資産について確証も無しに憶測が過ぎるのでは。税務署も目を光らしているのだから。元妻との結婚話も。故西郷輝彦さんは身長が高く、男らしいキリッとした顔立ちで、声は甘く優しく、よく気遣いをされるという好青年だったので、近づいて来る女性も結構あって用心していたはず。若い頃には自身の地方公演に1万人以上のファンが殺到し、警備の方がお亡くなりなってしまうというとんでもない事件が発生したり、都内のレコード店でファンが殺到し店から出られず、屋上から屋根伝いに逃げたりとか、ステージでは歌いながら観客席のファンの方の差し出した手を握って握手したところ、引っ張られて放してもらえず、ステージから落ちる危険があったので力ずくで手を引き離したりとか。近づいてくる女性には付かず離れずで十分用心していたはず。自身の曲、1969年発売の「静かに静かに」の作詞家故安井かずみさんは若い女性の純粋な気持ちを詠った優れた歌詞を多く残された素敵な女性作詞家でパーティ好きで有名な方だったが、そのパーティにも元妻の女性(安井かずみさんがその2枚目のシングルの作詞家で大ヒットとなった歌をつくった)などが来ていても、西郷さんは出席しなかった。が、1970年、多忙を極めて病に罹り、緊急入院。病に伏せっていて、病院のベッドからは逃げられず。当時は付き添い看護が許されていたので、ずっと身の回りの世話を付きっ切りで看護したのが元妻の女性だった。男は病で倒れた際に、女性に優しく世話をされると弱い。そこを突かれたわけである。通り一遍で語るのではなく、もう少し掘り下げて調べてから、語るべきでは。

  2. 私が芸能人で西郷輝彦さんが昭和39年東京オリンピックが開催された年にデビューした時確か中学2年生の入学式の支度をしている時テレビから、いつでも、いつでも君だけをと素敵な歌声が聴こえてきました。観ると顔がキリッとした少年が唄っていました。母親が思わず長男に似ていると言いました。後日レコードを、さっそく購入それから西郷輝彦さんを夢中😌💓♥️❤️になる始まりでした‼️西郷輝彦さんが昨年2月にお亡くなりになる芸能界で58年間長きに渡りご活躍する間応援してきました。私の長男は義理の兄貴で離れて暮らして居たのでたまに会った時兄貴に西郷輝彦さんに似ているねて言ったら兄貴は、俺の方が年上だから、向こうが、俺に似たんだょと笑っていました。西郷輝彦さんが、芸能界でご活躍された58年間の間には、何十回も、お会いして優しく接して頂き沢山の青春の想い出をプレゼントして頂きました。昭和45年の真夏のあらしのキャンペーンで西郷さんと新潟の古町のレコード店を、一緒に回ったり私の長女が生後半年の時、西郷さんに抱かれて泣き出してしまい西郷さんが困ったお顔をされたり、時には西郷さんと二人きりでお話ししたり、決して他の芸能人にない優しくして頂き西郷輝彦さんには、感謝の気持ちで一杯です。西郷さんがお亡くなりになった今も悲しみから立ち直れない日々です。西郷さんの歌を聴いたりビデオで時代劇を観たりすると悲しみが一層深くなり涙が込み上げて来ます。西郷輝彦さんは芸能界で58年間ご活躍され色々な面で大成され色々人には言えぬ悩みも有ったと思いますが芸能道を駆け抜けて行きました今は、もうすぐ命日になりますがご冥福を御祈り致します。西郷輝彦さんどうか安らかに・・・・・お休み下さい。お疲れ様でした。私に夢と希望を与えて下さり有り難う御座いました。感謝感謝です‼️

  3. 西郷輝彦 さん 橋幸夫 舟木一夫 わたしが学生の頃 ブラウン管テレビから流れる歌を 口ずさみ 💐逢って視たいなあ想い西郷輝彦さんの歳になって ご三家でお逢いしたのは橋幸夫さんだけ でも歌は西郷輝彦 橋幸夫さんが好き、元妻は舟木一夫さん 今 悲劇の主人公言われた私 🎤2008から歌手もどきをしてる🎵西郷さんの無念は解る気がします❗

    追伸 幸夫さんは引退 引き継ぎの「橋幸夫」を3人募集して 自分の歌を歌いつないでもらうみたいです。

  4. 西郷さんは歌手だけでなく「江戸を斬る」などで役者としても大成功してますね。トーク番組である時代劇(大河?)について語っていました。それまで西郷さんは主役で起用されることが多かったのですが、主役ではなく主要な脇役。かなり戸惑ったそうです。大先輩の勝新太郎さんから「お客は主役だけでなくその周辺の脇役の表情をみて泣く人もいるのだ。主役がセリフを言っている時の脇役の表情はとても重要なんだよ」の言葉に納得し救われたそうです。御三家は仲が良かった訳でもなく、西郷さんが一番後輩で年下、橋さんが舟木さんと西郷さんに先輩風を吹かせてくるので当時はとても嫌だったと語ってました。

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