紫式部が書いた『源氏物語』。日本文学史を代表するこの物語は、千年以上にもわたり人々を魅了し続け、文学にとどまらず、さまざまな美術作品を生み出した。その名作の数々を集めた特別展『源氏物語 王朝のかがやき』が、2026年11月29日(日)まで京都国立博物館で開催中だ。『源氏物語』をテーマとした大規模な展覧会は、京都では約50年ぶり。紫式部が暮らし、物語の舞台となった町がにぎわいを見せている。

    ◾️特別展『源氏物語 王朝のかがやき』とは

    土佐光起《紫式部像》(江戸時代・17世紀 滋賀 石山寺蔵[前期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    土佐光起《紫式部像》(江戸時代・17世紀 滋賀 石山寺蔵[前期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    貴族文化が花開いた平安時代中期に、藤原道長の娘に仕えた女房・紫式部によって書かれた長編物語。光源氏の苦悩多き一生が、女性たちとの恋愛や、宮廷社会の栄枯盛衰の中で、深く繊細な心理そして美意識とともに格調高く綴られる。全五十四帖のうち最後の十帖は、不義の子・薫を主人公にした光源氏死後の物語「宇治十帖」。世界最古の長編小説ともいわれ、古典として読み継がれる。

    《源氏物語絵巻(盛安本)葵(部分)》(江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵[通期展示、帖替あり〈この場面は前期展示〉]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    《源氏物語絵巻(盛安本)葵(部分)》(江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵[通期展示、帖替あり〈この場面は前期展示〉]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    文学作品がなぜ展覧会のテーマになるのか。それは、読みものとしての魅力に加え、千年以上にわたり「人」によって読み、語り、飾り、遊び継がれてきたから。紫式部が書いたのは宮廷社会に生きる人々の人間模様、彼らが大切にした文化、自然。それらが文学の枠を越えて、後の人々に豊かさを与え続けた証と言える。

    文学が美術を生み、美術がまた芸術を生み出す。時代とともに形を変えながらも、人から人へと伝え続けた。その継承こそがこの特別展の見どころだ。

    ◾️「想像を超えた美しさ」塩野瑛久が体感した千年の輝き

    塩野瑛久

    塩野瑛久

    展覧会の開幕に先駆けて行われた報道発表会では、京都国立博物館館長の松本伸之氏が登壇。「紫式部が表現した“もののあはれ”が、時代を超えて多彩な芸術作品へと発展していった。前回の展覧会から51年。その間に研究が進み、新たな発見も数多くある。物語の舞台となった京都の地で、最新の研究成果とともに『源氏物語』の世界を楽しんでほしい」と本展の意義と見どころを語った。

    続いて会場には、本展の音声ガイドナビゲーターを務める俳優の塩野瑛久が登場。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』で一条天皇を好演し、藤原道長や紫式部が織りなす宮廷文化の真ん中にいた塩野が、案内役として来場者を千年の物語へと誘う。

    (左から)山内調査・国際連携室長、井並主任研究員、塩野瑛久、松本館長、トラりん

    (左から)山内調査・国際連携室長、井並主任研究員、塩野瑛久、松本館長、トラりん

    実際に展示を一足早く鑑賞した塩野は、「一条天皇として作品中で『源氏物語』に触れていましたが、今回、写本や工芸品に落とし込まれている様子を見て、いかに多くの人々に愛され、語り継がれてきたのかを改めて実感しました。現代を生きる僕が、千年前の物語にこうした形で再び巡り合えたことは本当に感慨深い」とコメント。

    中でも特に心を奪われた作品として、徳川三代将軍家光の長女・千代姫が尾張徳川家に嫁ぐ際に調えられた豪華絢爛な婚礼調度、国宝《初音の調度》を挙げ、「立体的な美術品は特に想像を超えた圧倒的な美しさでした。この精緻な輝きは、写真だけでは決して伝わらない。ぜひ会場に足を運んで、ご自身の目で確かめてほしい」と来場を呼びかけた。

    ◾️『源氏物語』は写すことで受け継がれてきた

    《源氏物語(定家本)若紫》(鎌倉時代・13世紀[通期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    《源氏物語(定家本)若紫》(鎌倉時代・13世紀[通期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    『源氏物語』は、紫式部の自筆本が現存していない。かの時代の書物は、人が書き写すことで世に広まり、読者を増やした。現存する写本の系統は大きく三種とされ、本展ではそれぞれの代表的な写本を目にすることができる。「青表紙本」系統、「河内本」系統、「別本」系統。「定家本」は、鎌倉時代の歌人で『小倉百人一首』の編者としても知られる藤原定家が監督したもので、「青表紙本」は「定家本」の本文系統にあたる。紫式部が著した原典の様態を尊重したとされ、現在出版されている『源氏物語』の底本となっている。

    本展では、現存する全5帖が史上初めて一堂に揃う。11月3日(火・祝)〜15日(日)の2週間限定の展示なのでお見逃しなく。平安時代中期から幾人もの手によって書き写されたその営みから、この物語がいかに愛された文学かを知ることができる。

    ◾️『源氏物語』が絵巻、屛風に

    《源氏物語絵巻 柏木一》(平安時代・12世紀 愛知・徳川美術館蔵[10月6日〜10月18日展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    《源氏物語絵巻 柏木一》(平安時代・12世紀 愛知・徳川美術館蔵[10月6日〜10月18日展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    『源氏物語』が誕生してから約150年後となる平安時代後期には、物語を絵画として表現した《源氏物語絵巻》が登場。“書き写される物語”から“描かれる物語”への転換だ。 

    なかでも、現存最古とされる国宝《源氏物語絵巻》は、数ある絵巻の中でも最高傑作とされ、『源氏物語』を描いた絵巻の中で唯一、国宝に指定されている。文章では表現できなかった色彩と情景が加わったことで、『源氏物語』は輝きを増す。詞書(ことばがき)を記した料紙は金銀の切箔やぼかし染めなどで装飾され、視覚的魅力によっても優雅さを誇る。華やかに描かれた美しき男女の恋愛模様は、さらに多くの『源氏物語』ファンを生み、または多くの芸術家たちを刺激することとなった。

    土佐光吉・長次郎 重要文化財《源氏物語画帖 若紫》(安土桃山時代〜江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵[通期展示、帖替あり〈この場面は前期展示〉][京都会場のみに出品]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    土佐光吉・長次郎 重要文化財《源氏物語画帖 若紫》(安土桃山時代〜江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵[通期展示、帖替あり〈この場面は前期展示〉][京都会場のみに出品]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    安土桃山時代以降になると『源氏物語』は絵巻からも飛び出し、屛風や襖絵、障壁画として空間を飾る画題に進化。多くの著名な絵師たちが各々工夫を凝らして創作にあたり、次々と傑作が生まれた。そして物語絵としての認識から、婚礼や長寿を寿ぐおめでたいモチーフとしても愛され続けることとなる。

    《源氏物語画帖 若紫》は、逃げた雀を追って縁先に出た愛らしき姫君・若紫を光源氏が見初める場面。桜咲く季節の恋心を描いたこの作品は、近世源氏絵の金字塔と称される。宮中が総力を結集して制作したとされ、繊細な描写を金や多種の絵具を用いて華やかに飾った、土佐光吉・長次郎の代表作。

    俵屋宗達 国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》(江戸時代 寛永8年(1631) 東京・静嘉堂文庫美術館蔵[前期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    俵屋宗達 国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》(江戸時代 寛永8年(1631) 東京・静嘉堂文庫美術館蔵[前期展示]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    微笑ましい恋の始まりである若紫に対し、別れた恋人と偶然に出会ってしまった、やるせない心情を描いた作品が国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》。物語を踏まえつつも、人物だけに焦点を当てることなく、舞台となる山、海、松を大胆な構成と色彩対比で魅せる。その芸術性に人々はどれだけ驚いたことだろう。物語を描いた絵巻から、室内を飾る美術品、さらに芸術作品として『源氏物語』は歩みを深めることとなる。 

    ◾️『源氏物語』をかざる物語がデザインに

    《源氏物語図貝桶および合貝》(江戸時代・17世紀) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    《源氏物語図貝桶および合貝》(江戸時代・17世紀) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    『源氏物語』は、美術品として表現されることも多くなり、次第に工芸品の装飾としてデザインされるようになる。大きな特徴は、主役であるはずの人物を描かずに、物語で使われる道具、登場する風景を描いたこと。こうした「人」のいないデザインを“留守文様”と名付け、調度品、着物の意匠などにも展開していく。

    なぜ“物語の風景”がデザインとなり得たのか。それは和歌の存在が大きい。源氏物語では、約800首の和歌が詠まれている。紫式部が書いた感情の比喩が、各時代の美術家の想像力を掻き立てたのも想像できる。 『源氏物語』は、作品を読まない人もその名を知るなど、作品そのものが文化になっていたようだ。

    ◾️『源氏物語』を舞う、演じる

    展示風景 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    展示風景 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    『源氏物語』には、貴族のたしなみであった雅楽が描かれるシーンも多い。光源氏が頭中将と共に青海波を舞ったその様子を、紫式部は「光源氏の舞う姿は輝かしく、恐ろしいまでに美しく、この世のものとは思えぬほどであった」と書いた。

    感化された足利義満は武家の芸能として舞い、武将たちはそれに倣った。豊臣秀吉は「源氏供養」を、徳川家康は大曲「野宮」をそれぞれ好んで舞い、さらには武家の儀礼や饗宴での上演が必須となった。 この幽玄の美意識は、世阿弥が掲げる能の真髄にも重なり、「葵上」「空蝉」「夕顔」など能の演目に、つまりは演劇として昇華される。自ずと能面や楽器の制作も盛んになり、後の世代では将軍家や大名家が名品を収集し、自家の文化の成熟ぶりを競い合った。

    「天下一河内」焼印 重要文化財《能面 泥眼 金春家伝来》(江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵[通期展示][京都会場のみに出品]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    「天下一河内」焼印 重要文化財《能面 泥眼 金春家伝来》(江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵[通期展示][京都会場のみに出品]) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    本展には重要文化財に指定された能面の名作が並ぶ。能には、嫉妬、執着、怨霊など、人間の心の深淵に向き合う精神性も求められるため、その作品は華やかさの対極にあることも少なくはない。白目と歯の先に金泥を塗り、人間から人間を超えた存在に変わりゆく途中の表情を表した能面《泥眼》は、恋多き光源氏との恋愛の中で嫉妬に苦しみ、生霊となってしまった哀しき女性・六条御息所を舞う際の重要な面。煌びやかな世界の裏側にある女性たちの苦しみにもぜひ目を向けてほしい。

    ◾️『源氏物語』であそぶ、もっとおもしろく

    江戸時代、出版文化の発達と共に『源氏物語』は市井の人々にも届くようになり、これまで以上に広く親しまれるようになった。1829年に刊行が始まった「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」(柳亭種彦・作、歌川国貞・画)は、『源氏物語』の翻案小説。既存の作品を原案として新たな作品を生み出すスタイルは、現代では一般的だが、当時はそのエンターテインメント性に人々は湧き、瞬く間に大ベストセラーに。“源氏ブーム”は出版界を大きく動かし、人気絵師たちは、登場人物や人気のある場面を当世の風俗に置き換えて制作に乗り出した。それが浮世絵の新たなジャンルとなり、いずれも世相を取り入れ、時事を映す娯楽へと繋がる。

    翻案が成り立つのは、原作が広く知れ渡っていること、そして制作者の原作への敬意があってこそ。江戸の庶民の間でも『源氏物語』は身近な文化の一つになっていたことがわかる。 

    ◾️『源氏物語 王朝のかがやき』の世界へ

    6曲1双 松岡映丘《宇治の宮の姫君たち(右隻) 》(大正元年 兵庫・姫路市立美術館蔵) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    6曲1双 松岡映丘《宇治の宮の姫君たち(右隻) 》(大正元年 兵庫・姫路市立美術館蔵) 特別展「源氏物語 王朝のかがやき」会場写真(京都)

    本展を締めくくるのは、近代の源氏絵を代表する大正時代の画家・松岡映丘が描いた重要文化財《宇治の宮の姫君たち》。姫君たちに背を向け、ひとり、月に目を向ける薫の姿には、映丘独自の解釈による薫の心情が乗せられた。古典として描きながらも、より深く物語に踏み込んだ、近代源氏絵の傑作だ。

     書店には現代の小説家による現代語訳『源氏物語』や『源氏物語』原作の漫画が並ぶ。紫式部を主人公とした大河ドラマ『光る君へ』(NHK)は総合視聴率の高さがニュースになった。今、この時代に誕生した作品も未来への継承の一部になることだろう。千年を経て今もなお多様な広がりをみせる『源氏物語』の歩みを、ぜひ京都で体験してほしい。

    ミュージアムショップ 青山デカーボ 源氏物語缶(アーモンドチュイール 4個入り) 2,800円(税込) ※京都会場での販売は終了しました。

    ミュージアムショップ 青山デカーボ 源氏物語缶(アーモンドチュイール 4個入り) 2,800円(税込) ※京都会場での販売は終了しました。

    取材・文=たなかなつこ 撮影=ハヤシマコ

    イベント情報

    特別展『源氏物語 王朝のかがやき』

    ◆会場:京都国立博物館 平成知新館

    ◆会期:2026年10月6日(火)~11月29日(日)

    ◆主な展示替:
    前期:10月6日(火)~11月1日(日)
    後期:11月3日(火・祝)~11月29日(日)

    ※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替を行います。

    ◆休館日:月曜日、11月24日(火)

    ※ただし、2026年11月23日(月・祝)は開館

    ◆開館時間:9:00~17:30(入館は17:00まで)
    ※金曜日は9:00~20:00(入館は19:30まで)

    ◆主催:京都国立博物館、 日本経済新聞社、 NHK京都放送局、 NHKエンタープライズ近畿

    ◆協賛:岩谷産業、 大阪商工信用金庫、 松栄堂、 SCREENホールディングス、 ダイキン工業、

     NISSHA、 三井住友信託銀行、 三井不動産、 村田機械、 桃谷順天館、 リシュモン ジャパン

    ◆特別協力:古典の日推進委員会

    ◆協力:日本航空
    ◆問い合わせ先:075-525-2473(テレホンサービス)

    ◆会場:東京国立博物館
    ◆会期:2027年1月19日(火)~3月14日(日)

    ◆展覧会公式サイト:https://genjiten.jp

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