日本ではまだ知られていないアジアで最も話題なブランドを毎回1組ずつ掘り起こす連載「B-SIDE ASIA」。ブランドを立ち上げた理由、苦悩、成功にたどり着くまでに何を捨てたのか——公式には語られない裏の本音まで、アジアのブランドやカルチャーをキュレーションするNANAが聞き手となり、成功の裏側にあるまだ語られていない話を記録していく。第二回は、自身のブランド<HYEIN SEO>を立ち上げた韓国・ソウルを拠点に活動するファッションデザイナー・HYEINに話を訊いた。
NANA: まず、なぜ自分のブランドを立ち上げようとしたきっかけを教えてください。
HYEIN: 私はベルギーのアントワープに留学していました。アバンギャルド・ファッションで非常に有名な学校で、マルジェラやラフ・シモンズ、デムナ(・ヴァザリア)などを輩出しています。私は韓国でファッションの勉強を始めましたが、もっと学びたいと感じて、22歳くらいの時にアントワープに行きました。あの学校の目的は「ファッション・ディレクター」を育てることで、とにかくスパルタで卒業するのも大変なんです。周りはみんな「自分のブランドを持ちたい」という野心を持っていましたが、当時の私は……自分でも意外なんですが、すごくシャイだったんです。
NANA: そうだったんですね! そのイメージは全くなかったです。
HYEIN: はい、本当に内気な性格なんです(笑)。だから、当時は「誰かの下で働きたい」と思っていました。プラダやメゾンのようなところでデザイナーになるのが目標で、自分のブランドを持つなんて考えてもいませんでした。でも、学士3年生の時にショーがあったんです。ちょうどInstagramが始まったばかりの時期で、みんな自分の作品を投稿していました。私も自分の個人アカウントに作品を載せました。フォロワーも友達が数人いる程度のアカウントでした。
すると、ニューヨークのとあるプラットフォームのディレクターが私の作品をインスタで見つけて連絡をくれました。「ニューヨーク・ファッションウィークに自分の作品を持ってこないか」と。私はただの学生で、お金もなかったし、ニューヨークにも行ったことがなかったので、「航空券もホテル代も出してくれるなら、行かない理由はない」と思って行きました。そしたら、そのショーがかなり大きなものになって。翌日には「Style.com(当時の大手サイト)」のヘッドラインに私の作品が載ったんです。ニューヨークのファッションウィークが少しマンネリ化していた時期に、彼らが外から面白いデザイナーを呼んだことが注目されました。バージル・アブローもその場にいました。そこで世界中のバイヤーから「服を店に置きたい」というオファーが来て、まだ学生だったのに、ブランドを始めざるを得なくなったんです。それがキャリアのスタートでした。
NANA: なるほど。最初はどこかの会社に入るつもりだったのに、偶然ブランドが見つかって、ニューヨークに飛んで、そのまま自分のブランドを持つことになったんですね。
HYEIN: そうなんです。その後、修士課程を終えるまでの2年間、学校に通いながらブランドを運営していました。
NANA: その後、韓国に戻ることに決めたんですか?
HYEIN: アントワープにもう1年残りましたが、外国人としてそこに定着するのは難しかった。今はソウルを拠点にしていますが、パリで展示会をしたり、アントワープに行ったりと行き来しています。生産はソウルの方が早くて安いですしね。
