素材について考えるなら、化学や繊維の専門家と話さなければいけない。AIを使うなら、技術者と会話しなければなりません。わからないことだらけでも、異なる専門性をもつ人たちを巻き込みながら進む。デザイナーの仕事の領域も、責任も、どんどん広がっているのだと思います。
松島 本書では、そうした移行を生み出す方法を「トランジションデザイン」として論じ、「自律化」「多元化」「非人間化」という3つの方向性を示していましたよね。
宮前さんのお話にも、ひとりの人間がすべてを担うのではなく、異なる主体を巻き込んでいくという話がありました。では例えば、サプライチェーンの自律的オートメーションについて、川崎さんはどう捉えていますか?
川崎 この本では、「自動化」や「オートメーション」という言葉についた手垢を、一度落としたいと思ったんです。 自動化と聞くと、すぐに「人間の仕事を奪うのか」という話になってしまいます。でも、自動化には「よい自動化」と「悪い自動化」があると思っていて。ぼくが考えるよい自動化は、「生命的な自動化」です。
トーマス・D.シーリーが書いた『ミツバチの会議:なぜ常に最良の意思決定ができるのか』に詳しいですが、 例えば蜂の巣では、誰かが中央から細かく指示しなくても、それぞれの蜂が役割を担い、全体として巣が機能しています。外敵に反応する蜂もいれば、外へ食料を探しに行く蜂もいる。自然界には、単一の管理者がすべてを制御しなくても、複数の主体が関係し合いながら全体として動く仕組みがありますよね。つまり自動化を、人間を排除する機械的なものとしてだけではなく、生命が本来もつ生成的な働きとして捉え直したいと思ったんです。
松島 生成AIの「生成」という言葉はいま、デジタル技術について使われることが多いですが、自然そのものも絶えず何かを生成している。そこをもう一度つなぎ直す試みとして、「自律化」を捉えているわけですね。ではもうひとつ、「非人間化」はどのような意味で使っている言葉なのでしょうか?
川崎 宮前さんの話にもつながりますが、複雑な問題に向き合うとき、人間の脳が理解できる情報量や、身体が知覚できる範囲そのものが制約になることがあると思うんですね。気候変動やサプライチェーンのような問題は、あまりに多くの要素が絡み合っています。そうなると、人間自身がボトルネックになって、問題解決を制限してしまう可能性がある。
だから、それこそAIのような、人間ではない知能や主体に頼ることを、もっと許容したほうが複雑な問題に対処できるのではないか、と。「人間的であることが絶対的にいい」という価値観をいったん解きほぐすために、「非人間化」という言葉を使っているんです。
例えば、ロボットを人間に似せることも、人間の暮らしに即した設計にすぎないのかもしれません。ロボット自身の能力を最大限に引き出す身体やインターフェイスは、まったく別のかたちをしていてもいい。本のなかでは、人間が無意識に抱く恐怖心を減らすためにロボットの姿かたちを無理やり人間に似せることを「人間化」と呼んで批判しています。ロボット自身の能力を最大限に引き出す身体やインターフェイスは、人とはまったく別のかたちをしていてもいい。
ですから、「Plurality(プルラリティ)」を提唱するオードリー・タンとグレン・ワイル、グーグルのブレイス・アグエラ・イ・アルカスや、日本からは鈴木健さんなども賛同する「リバースアライメント」という考えにぼくは賛成です。そこでは、AIを人間の価値観に合わせるのではなく、社会や制度、規範側を意図的に再設計し、適応させる可能性が議論されています。人間を基準にすることで閉ざされてきた創造性を、人間以外の主体の側へ開いていくことが重要だと思っています。
