広島県立美術館(広島市中区)で、「没後30年 菅井汲」が10月2日から開催されます。
20世紀、国際的に最も高く評価された日本人画家の一人、菅井汲(1919~1996年)。本展では、その画業を初期から晩年まで特集します。木枠から外して保管されていた「日本初公開」の作品も加え、菅井作品の変遷をご覧いただける初めての機会となるでしょう。
菅井の愛車である1973年式のポルシェ・カレラRSもあわせて展示され、彼が命がけで掴もうとしていた表現に迫ります。
没後30年 菅井汲
会場:広島県立美術館(広島県広島市中区上幟町2-22)
会期:2026年10月2日(金)~12月6日(日)
開館時間:9:00~17:00(金曜日は19:00まで開館)
※入場は閉館の30分前まで ※10/2は10:00開場
休館日:会期中無休
料金:一般 1,500円/高・大学生 1,000円/小・中学生 700円
※学生券をご購入・ご入場の際は、学生証を要提示
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳及び戦傷病者手帳の所持者と介助者(1名まで)の当日料金は半額。手帳を要提示
※会期中、本展チケットのご提示(半券可)により、100円で縮景園に入園可能
アクセス:JR広島駅から徒歩約12分/広島電鉄(路面電車)白島線「縮景園前」電停下車すぐ
詳細は、広島県立美術館公式サイトまで。
展覧会構成
プロローグ:デザイナー菅井汲 1941年~1952年
菅井は1937年、18歳の時に阪神急行電鉄株式会社(通称阪急電鉄)に就職し、事業宣伝課でポスターなどを制作するようになります。当初は本名の菅井貞三で作品を発表していましたが、1941年から汲のペンネームを使うようになりました。戦時下だけに、作品の表現にはさまざまな制約があったことがうかがえ、画面に踊る文字も時代の雰囲気を反映したものとなっています。しかし、そうした制約の中で作られたポスターは、戦時色が色濃くなってくる1942年になっても力強さを失っていません。のちに制約の中でこそ自由な表現ができると語る菅井の考え方は、この頃の体験にその原点があるのではないかと想像されます。
戦後になると、デザインの仕事にも明るく力強い作風を取り戻します。ポスターを比較すると、海外の新しい美術情報が入手しやすくなり、菅井自身もさまざまな表現を試みている様子が作品を通して見て取れます。その後、デザイン業界を離れ、独自の道を歩む菅井ですが、画業初期をデザイナーとして過ごしたことは、菅井の表現にとって生涯にわたる財産となったようです。
第1章:自分自身の表現を求めて 1952年~1967年
菅井が真剣に美術に取り組もうと考えたのは、無断欠勤を繰り返していた阪急電鉄を辞めた時でした。こんなことをしていてはいけない、絵を必死でやろうと決意したのだといいます。ちょうどそのころ、戦争のあいだ触れることのできなかった海外の美術情報を入手できるようになりました。
当時、具象に取り組んでいた菅井は、自分の仕事に自信を持てなかったといいます。そんな時、雑誌でジャクソン・ポロックやカルダーのモビールを見て衝撃を受け、自分で思うように描いてみると、それまで苦しみながらひと月かかっていた仕事が半日でできました。菅井はその出来に満足しましたが、評判はよくありませんでした。
日本の団体展や画壇の評価に疑問を持った菅井は、やがてフランスに留学します。パリに着いて間もなく、菅井の作品は絵肌の調子が豊かで詩的な世界が感じられると評価され、水墨画や書など東洋を意識した表現を追求していきます。こうした作品で識者の目を引くようになり、1954年には名門と呼ばれたクラヴァン画廊で初個展を開き、人気作家の仲間入りを果たしました。
鬼 1958年 東京都現代美術館
第2章:未来の美術を求めて 1967年~1982年
菅井は「美術ではないところまで逸脱したい」と語り、いわば未来の美術を追い求めました。それを実現するには、知恵を絞り、技術を尽くして挑む必要があります。資源の集中とでもいうように、画面はますます単純化され、カラフルで力強いものとなっていきました。
そんな夢に取り組んでいた1967年、交通事故を起こした菅井は、一命はとりとめたものの、人の手を借りなければ制作できない状態になってしまいます。そこで菅井は、お気に入りの形を基本ユニットとして、それらを組み合わせて作画するスタイルを推し進めました。組み合わせても強く、個別でも強い形を工夫し、事故の翌年には第34回ヴェネツィア・ビエンナーレに10点もの大作を出品しました。さらに翌1969年には、東京国立近代美術館の新館に大壁画《フェスティヴァル・ド・トウキョウ》を設置するなど、新たなスタイルで発表を続けました。
その後も、タイトルを「太陽」に限定したシリーズや、同じキューブを出発点としたと思われる「フェスティヴァル」のシリーズなどに取り組み、表現に制約を設け、その制限の中でイメージを変化させることで、菅井らしい強い個性を発揮していきました。
準備完了 1968年 広島県立美術館
第3章:表現の揺らぎ 1980年代初頭~1990年代初頭
10年以上も平滑な画面に徹していた菅井ですが、1980年代に入ると、荒々しいタッチで絵の具を盛りつける表現が見られるようになります。未来の美術を模索し、絵肌に注力することを切り捨てた菅井でしたが、60歳を超えた頃から、自分が生きている間に自分自身の手で未来の美術を生み出すという目標にはたどり着けないのではないかと不安を覚えるようになりました。それならいっそ、今まで我慢してきた絵の具で描くという行為を楽しみたいと考えるようになります。加えて、「S」のシリーズへの熱中が、その気持ちを加速させました。
「S」の形は、もともとはカーブが連続する道路のイメージから抽出した図形で、Sのようにも見えることから、菅井のイニシャルにちなんで「S」と呼ぶようになりました。このシリーズでは、同じ大きさのキャンバス(250×132cm)に寸分たがわぬS形が描かれています。一方、描画には絵の具のタッチがはっきりと認められる荒々しい表現や、掠れるような絵の具使い、あるいはそれまで菅井が使ってこなかった色調の組み合わせを用いました。さらに、複数枚を一組とする作品にも取り組むなど、自ら課した制約の中で多様な展開を見せました。
S.23 S.24 S.25 S.26 1991年 広島県立美術館
第4章:マチエールを排して 1990年代初頭~1996年
無駄を省いた表現の追求へと回帰した「カドミウム・レッド」のシリーズは大変力強く、晩年の菅井を代表する作品となりました。しかし、菅井はこの表現にも留まることなく、《タンブール》のように画面から響きを感じるような表現を試み、あるいは《Sサークル》のように同心円によって動きを感じさせる作品へと、新たな表現を探り続けました。
残念ながら菅井は1996年、これらの作品を最後に他界しました。果たして、彼の手は未来の美術に届いたのでしょうか。それは菅井にしか分からないことですが、もしも手が届かなかったとしても、菅井に後悔はなかったはずです。なぜなら、菅井はいつも未来を向いていたからです。
テレビ番組で菅井にインタビューしたアナウンサーは、「次に取り組むとしたら何をしたいか」と尋ねた際、菅井が「今一番したいことに全力で取り組んでいるのだから、したいことというのはない」と答えたという思い出を伝えています。まさに菅井らしいエピソードではないでしょうか。
Rouge de Cadmium 31.32 (カドミウム・レッド 31.32) 1993年 広島県立美術館
エピローグ:菅井汲という人
さまざまな作品と多くの伝説を残した菅井汲ですが、実際にはどのような人だったのでしょうか。「毎日同じ食事をとっていた」「無類のスピード狂だった」など、エピソードばかりが独り歩きし、制作の背景にある彼の人物像が見えにくくなっているようにも感じられます。
この章では、彼の残したさまざまな資料を通して、菅井汲という人の素顔を探ります。例えば、菅井は描き終わった作品に興味がないことを明言しています。すると、筆のオブジェや絵の具のチューブを使ったオブジェの存在はどのように捉えればよいのでしょうか。言葉通りなら、使い古した筆やチューブは、ただのゴミとして処分されるはずです。
ところが菅井は、オブジェをはじめ、他人から見ればガラクタともいえる小物やおもちゃなどを手近に置いて楽しみ、過去に乗ったポルシェのナンバープレートや鍵なども大切に保管していました。そこには、収集癖のある普通のおじさんといった一面も感じられます。
ここではこのように、菅井が最後まで手元に残したさまざまな資料の一部をご紹介します。そこからはきっと、これまで語られてきた菅井汲とは異なる「菅井さん」の姿が見えてくるのではないでしょうか。そして、その人柄こそが、あの力強い作品を生み出してきた背景にあるのかもしれません。
無題(絵の具の塔) 1960年頃 広島県立美術館
戦前から戦後、そして激動の昭和から平成へと駆け抜け、常に「未来の美術」を見据えながら独自の道を切り拓き続けた孤高の芸術家、菅井汲。デザイナーとしてキャリアをスタートさせ、フランスへと渡り、独自のビジュアルユニットによる作画から、晩年の絵の具の物質性をそぎ落とした鮮烈な表現へと、めまぐるしく、しかし確固たる意志を持ってその作風を変貌させていきました。本展では、一見すると合理的で冷徹にすら思えるほど力強いグラフィックの裏側に隠された、彼の人間味あふれる素顔や、驚くべき創作への情熱を物語る貴重な資料の数々も一堂に紹介されます。時に孤独と闘い、時に限界に抗いながら、ただひたすらに前を向き続けた菅井汲の表現の全貌を、心ゆくまで堪能してみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)
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