
東日本大震災後、避難所でマイクを握る
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歌手デビューから10日後の1964年6月16日に新潟地震が起こりました。その40年後の2004年10月23日、新潟県中越地震が発生しました。その3年後の07年7月16日には中越沖地震もありました。故郷の新潟が天災に遭い大変だと、そのたびに胸が痛みました。
新潟県中越地震の2週間後、やっと被災地に向かうことができました。8つあった避難所をすべて回りました。一夜にしてすべてを失った方々一人一人に「大変でしたね」と精いっぱいの声をかけました。すると「幸ちゃん、歌ってくれないの?」という声がポツンポツンと聞こえました。「えー、歌っていいの?」と問いかけると、みんな大きくうなずいてくれます。当然、カラオケも何もありません。手持ちの拡声器で「雪椿」を歌いました。3番に♪つらくてもがまんをすれば きっと来ますよ春の日が…という歌詞が出てきます。みんな「来るね?」「来るよね」とつぶやきながら泣いていました。消灯時間なので午後9時に帰ることにしました。「私、帰るけど、また来ますね」とあいさつすると、一人が「幸ちゃん、これから寒くなるから体に気をつけてね」と逆に励ましてくれたのです。ウォンウォンと大泣きしてしまって、車に乗り込むまで振り向けませんでした。
自分自身が大変な時なのに、前向きに生きようとする大切さ、素晴らしさを教えてもらったのです。だったら、自分も何かしなければならない。売名行為だの何だのと言われても全然構わない。目の前に困っている人がいたら何でもやりたい、と決めたのです。
2011年3月11日に東日本大震災が起きました。福島にお米を持って行こうとトラックを探しました。しかし福島は放射能汚染の風評被害とトラック不足で断られました。でも私はコンサートのステージ器材や楽器、衣装の運搬用に11トントラックを持っていました。急きょ、お米や支援物資に積み替えて向かいました。壁面に私の紅白衣装などがペイントされているド派手な車です。そのトラックが避難所の前に停車すると、気付いた被災者の方が出てきて写メを撮って喜んでくれました。そこでも「歌ってちょうだい」と言われ、ジャージー姿で喜んで歌いました。華美な衣装も照明もいりません。純粋に歌が必要だったのです。歌い手で良かったと実感しました。
サインもしました。色紙どころかハンカチもありません。ボランティアのお母さんが「あった!」と探し出してきたのは、配給品の白いパンツでした。「パンツは初めてだなあ」と言いながらサインしていると、みんな泣きながら笑ってくれました。「久しぶりに笑ったなあ」という言葉に、今度は私が泣きました。サインできるのは、こういう商売をさせてもらって名前が知られているからこそ。その名前を使って人の役に立てるのならば、大いに利用してもらえばいい。そう思えるようになりました。被災者の応援に行ったことが人生のターニングポイントになりました。
◇小林 幸子(こばやし・さちこ) 本名・林幸子。1953年(昭28)12月5日生まれ、新潟市出身の72歳。作曲家・古賀政男に見いだされ、64年「ウソツキ鴎」で10歳の時に歌手デビュー。79年「おもいで酒」が200万枚突破の大ヒット。同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、紅白歌合戦に初出場。以後34回出場した。最近はニコニコ動画、SNSなどで若い世代やネットユーザーに「ラスボス」として人気を誇る。
