家族のプライベートを振り返るのに俳優を立てる、脚本を使う、という方法は実はめずらしくありません。カナダのサラ・ポーリーが撮った『物語る私たち』という映画史に残るすばらしい成果があるし、最近でも『ディック・ジョンソンは死んだ』とか。日本でも河瀬直美監督『につつまれて』がプライベート史をおいかけるプロセス自体を映画にしているし、小田香『ノイズが言うには』なんて本作と全く同じ趣向を(もっとずっとしたたかに)利用している。
本作はどうかというと、まずサウンドの使い方は、この監督がデビュー作から示していた才能が明らかですね。コロナ禍を報じるテレビ番組をのぞきこむ老婆の背中、しだいに暗くなってゆく室内で脚本を離れて老母の記憶を語り出す女優、等々、立派なショットはいくつもあります。そこは重々評価されてよいと思います。
んが、せっかくわざわざ三脚を立ててカメラを構えているのに、なんだか相手が遠いんですよね。遠いし薄いし淡いのです。1本だけならそれが素敵だとも言いようがあるかもしれませんが、いまの日本の卒業制作だの自主製作だのってみんなこんな感じなのです。個人的には、どうしてそうなってしまうのかの方に興味があります。どうして相手に近づきたくないのか。プライベートに秘めておくんじゃなくて映画を撮る、それを公開する、という決断をした以上は、相手に踏み込まないと何も始まらないだろうと私は思うんだけど。
すでに結構蓄積がある〈半フィクション半ドキュメンタリーの家族映画〉史、日本の若手の映画づくり状況、そのふたつをよく知らない人がはじめて見たら素敵ねえと思うかも、というのが正直なところ。その感想自体に水を差すつもりは全然ありません。でもそのふたつを知ったうえで見ると、さすがに中堅らしいきらりと光る部分がなくはないが、基本的にちょっと辟易するような「いつもの画面」、としか言いようがなかったです。残念ながら。
