運命とは何か?
きっとそれに答えはないだろうと思う。しかし、映画『SUPER HAPPY FOREVER』(五十嵐耕平監督、2024年。以下、本作)は、「運命とは何か?」を考えるよすがになるだろう。
2023年8月19日、伊豆にある海辺のリゾートホテルを訪れた幼馴染の佐野(佐野弘樹)と宮田(宮田佳典)。まもなく閉館をするこのホテルでは、アン(ホアン・ヌ・クイン)をはじめとしたベトナム人の従業員たちが、ひと足早く退職日を迎えようとしている。佐野は、5年前にここで出会い恋に落ちた妻・凪(山本奈衣瑠)を最近亡くしたばかりだった。妻との思い出に固執し自暴自棄になる姿を見かねて、宮田は友人として助言をするものの、あるセミナーに傾倒している宮田の言葉は佐野には届かない。2人は少ない言葉を交わしながら、閉店した思い出のレストランや遊覧船を巡り、かつて失くした赤い帽子を探し始める。
本作公式サイト「Story」
(俳優名は引用者が追記)
劇中で凪は突然死だったと説明される。朝、起きてこなかったのだと。
前半30分は唐突に凪を亡くした佐野が痛々しい(というか、個人的には映画館を出たくなるくらいムカつく)ほどの自暴自棄が描かれる。
彼が『赤い帽子』を、もうほとんど狂ったかのように探し続けるのは何故か?
彼女は「彼方」で『赤い帽子』を見つけたのかもしれない、だから『赤い帽子』を探せば彼女を取り戻せるのではないか、と思ったのかもしれない。
或いは、あの時『赤い帽子』が見つかっていれば、彼女は(自分との『幸せじゃなかった(と彼自身が自責している)』人生を送らず)死なずに済んだかもしれない、と思ったのかもしれない。
しかし、いずれにしても「この運命」は変えられない、と彼は知っている(だから彼は恐らく『赤い帽子』は見つからないと100%確信している)。
今、『「この運命」は変えられない』と書いたが、それはどういうことか?
本作中盤以降、凪の視点から二人の出会いが語られる(単純に佐野の回想ではないところが本作の肝だが、それは後述する)。
出会いのきっかけ、再会のきっかけ、同じ苗字、味の好み、そして翌日の思わぬ再会……
凪の「あの日」は「偶然」と「必然」に満ち満ちている。
私は以前の拙稿で映画『偶然と想像』(濱口竜介監督、2020年)の感想を書いた際、九鬼周造の『偶然性の問題』(1935年)について書かれた田中久文著『日本の哲学をよむ 「無」の思想の系譜』(ちくま学芸文庫、2015)を引用した。
「必然-偶然者」という絶対者は、彼(九鬼)によれば「運命」として人間に立ち現れるという。偶然としか思えないもののなかに、単なる偶然を超えた何らかの必然的なものを感じとったとき、人は「運命」というものを考える。
『日本の哲学をよむ 「無」の思想の系譜』
その引用文から、私はこう書き継いだ。
「偶然」とは、「今ここにいるのは、あの時、こんな事が起こったからだ」と過去を振り返った時に想起されると書いたが、つまりそれは、その「偶然」が振り返った時に「必然であった」と得心することを意味する。そして「必然であった」と得心した時、人はそれら「偶然」を辿ってきた現在を「運命」と意味づける。
つまり、現在から『過去を振り返った時に想起される』ものである以上、たとえ今『赤い帽子』が見つかったとしても「運命」は変わらない(と彼は知っている)。
さらに、本稿執筆時点での濱口監督の最新作『急に具合が悪くなる』(2026年)の原作本である同名書籍(磯野真穂・宮野真生子共著、晶文社、2019年)で、哲学者である(そして本当に『急に具合が悪くな』ってしまった)宮野氏は九鬼の『偶然性の問題』について、こう指摘した。
私たちの生きる現実とは、この一瞬にたまたまさまざまな原因が重なり合って、「いま」が生まれ、新しい予想もしていなかった未来が展開してゆく、そんなふうに成り立っているのではないでしょうか。わからない未来に向かって「いま」を生み出すもの、それが偶然なのだ、だから偶然は「現実の生産点」だと九鬼は言っています。
『急に具合が悪くなる』
『たとえ今『赤い帽子』が見つかったとしても「運命」は変わらない』と確信できるのは、本作には「運命」を決定づける(た)『現実の生産点』が、はっきりと刻まれているからだ。
私は、本作初見時の感想文にこう書いた。
本作が描きたかったのは喪失と再生ではなく、「恋に落ちる」ということだ。(略)
コンビニの駐車場でカップラーメンを交換する二人は、確かに「恋に落ち」ている。(略)
これまで数多の映画が「出会って恋に落ちる二人」を描いてきたが、これほどまでに「出会った二人が好きどうしになるのに言葉はいらない」ということを真正面から描き切った作品は、それほど多くないのではないか。
今回スクリーンでこのシーンを再見して改めて思った。
最初のひと口をすすった後、凪は佐野と見つめ合って『ねぇ!美味しい!』と微笑む。
そして、次のひと口をすする前に改めて『えっ、美味しい!!』と言うが、発せられた言葉はラーメンの味を意味していないことがはっきりわかる。好きな人と一緒に食べているから『美味しい』のだ(これを書きながら、このシーンをビデオで何度も見返しているが、見るごとに『えっ、美味しい!!』が「好き」を意味していることの確信が深まる)。
かように本作は「運命」を描いているが、それがフィクションとして成立しているのは、構成の見事さにある。
たとえば最終盤、朝散歩していて帽子を失くしたことに気づいた凪が帽子を探して佐野との約束をすっぽかしてしまった後、帽子も見つからず海辺のT字路で一人信号待ちをしているシーン。
フォーカスはスクリーン左側に向かおうとしていている凪に当たっていて、背景の海はぼやけている。
そのぼやけた背景に海岸から道路に上がってきた男性の姿が現れる。
ぼやけていても佐野だと観客が確信できる(巧い)その人物は、一度スクリーン右側にフレームアウトした後、恐らく青信号だった(左側に向かおうとしていた凪が信号待ちをしているということは、奥から手前に向かう方の信号は青)横断歩道を渡ってきたのだろう、腕だけが右側からフレームインし、凪の肩を叩く(巧い)。
凪は帽子を失くしたことを打ち明け、謝る。
事情を知った佐野は嫌われたわけじゃなかったことを素直に喜び、一緒に帽子を探そうと提案する。同意した凪が佐野と向かったのは、最初に行こうとした左側ではなく、佐野がやってきたスクリーン奥だった。
つまり、凪が行こうとしていた方角を変えたその瞬間こそが『現実の生産点』であった。
だから、たとえ今『赤い帽子』が見つかったとしても「運命」は変わらない(と彼は知っている)。
しかし、というか「だから」、『現実の生産点』であるからこそ、「今この時」こそ『SUPER HAPPY FOREVER』だと確信できる唯一の瞬間なのではないだろうか。
その想いは、凪の『カップラーメンでこんな幸せになれるんだったら、永遠にずっとメチャクチャ幸せでいられる』という言葉に通じている。
と、ここまで書いてきて、ひとつ疑問点が残る。
「運命」が『過去を振り返った時に想起される』のであれば、凪のような突然死を含め「死」は「運命」なのか?
本作に答えは描かれていない。というか、五十嵐監督自身が本作で探しているのは『赤い帽子』ではなく、そのことなのかもしれない。
五十嵐監督は本作パンフレットのインタビューにこう答えている。
コロナ禍から1年を過ぎた頃に高校時代からの友人を亡くしました。(略)ある朝突然亡くなってしまった。当然ショックで、そのことの受け入れ難さというか、彼の死について何をどのように考えたらいいのかもよくわからないといった感覚がありました。そういった事も考えながら、物語を形成していきました。
「運命」が『過去を振り返った時に想起される』のであれば、本作は誰の「運命」を描いているのか?
本作はとても不思議な構造になっていて、先に書いたとおり、単純に佐野の回想ではないし、かといって(死者である)凪の回想でもない(もちろん、アンのでもない)。
本作パンフレットで映画評論家の須藤健太郎氏が、こう指摘している。
赤い帽子は、宮田の指輪のような、幸福の象徴ではない。この帽子の役割をいうなら、それは視点の代理ということになろう。佐野から凪へと手渡された赤い帽子が(略)視点はひとつところに定まらず、自由に移行していく。
あの『赤い帽子』は本当に古着屋の商品だったのか、そもそも物語は確定させていない(店主と思われる人の反応が曖昧なところが物語の巧さ)。
もしかしたら凪のような誰かが失くしたもので、もしかしたら今でも佐野のような誰かが探しているかもしれない。
そして、その『赤い帽子』は……
ある人物がフレームアウトして誰もいなくなった桟橋と、そのすぐ後にやって来るエンドロールで流れる「Beyond the Sea」は、たとえ「運命」が『過去を振り返った時に想起される』ものであっても、それは『SUPER HAPPY FOREVER』への希望に満ちていることを教えてくれる。
メモ
映画『SUPER HAPPY FOREVER』
2026年8月14日。@新宿武蔵野館(公開2周年記念 アンコール上映、舞台挨拶あり)
「運命」が『過去を振り返った時に想起される』ということを本作が証明している。
本作、2024年9月27日に公開された時点では、まさか1周年どころか2周年記念のアンコール上映が実現されるなど、予想もできなかったことだ。
もともと、知り合いだった佐野氏(表題写真中央)と宮田氏(同右から2人目)が、面識のない五十嵐監督(同左端)に作品制作の依頼メールを出したところからスタートした本作だが、「運命的」なのは凪役の山本さん(同左から2人目)と、アン役のクインさん(同右端)との出会いだったのではないか。
両者とも物語の人物とは思えない(クインさんは俳優ですらない)ほどハマっていて、特に山本さんは凪そのものだった。
事情で1周年記念上映の舞台挨拶に参加出来なかった彼女は、2周年記念の今回、何度も満席の観客にお礼を言い、最後の挨拶では感極まって涙ぐんだ。
舞台挨拶は上映前に行われたが、その後の上映を観て私は、凪にさっきの山本さんの姿を重ねたが、きっとそういう人は他にもいたのではないかと思う。
こうやって1周年、2周年と記念アンコール上映が行われる本作こそが、”FOREVER”に”SUPER HAPPY”なのだ。
本文で書いた、コンビニでの『えっ、美味しい!!』のセリフはもちろん、それ以外のシーンも全てが凪そのもので、だから山本奈衣留さんファンは必見の作品だ。
23時に上映が終わり、自宅の最寄り駅に着いたときにはもう日付が変わろうとしていたが、凪の『えっ、美味しい!!』のセリフが忘れられず、いけないと知りつつコンビニでカップラーメンを買ってしまった。
深夜に食べるカップラーメンの(禁断の)美味さたるや…
