陳述書のなかでウィン-ウィリアムズは、契約条項への同意は強要によるものだったと述べている(一方メタは、熟練した雇用弁護士が交渉に当たっており、78万ドルの支払いと引き換えに言論の自由を手放すことを十分理解していたはずだと反論する)。

    法廷提出書類ではさらに、2019年にマーク・ザッカーバーグがジョージタウン大学で言論の自由を称える演説をしたとき、あるいはメタがセクシャルハラスメントを申し立てた従業員に非公開仲裁での和解を強制しない方針を示したときに、自分を縛る合意はもはや適用されないと感じたと主張している。ただ、そう理解したことが本当に正しいのかをメタに確認しようともせず、本を執筆していることを隠し続けた。

    メタというクマを挑発する

    とはいえ、彼女の言い分にも一理ある。制約の範囲があまりに広く、専門家としての選択肢を狭めてきたのは事実だ。メタの担当者がわざわざ公の場での発言を監視しに来ることを踏まえれば、自己破産に怯えることなくテック政策一般について語れる自由くらいはあってしかるべきだろう。

    それでも、何が本の宣伝に当たるのかという線引きには、どこか都合のよさも見え隠れする。ヘイ・フェスティバルで黙って座っていたことのほうが、本に書かれたメタにとって不利な逸話を実際に繰り返すよりも、よほど挑発的に映るからだ。

    「これでは、あえてクマを挑発しているように見えるのでは?」。彼女の弁護士のひとり、コリー・ストートンにそう尋ねてみた。「ええ、でもこのクマは、何をしても噛みついてくるんです」というのが彼女の答えだった。メタがこの件を執拗に追い続けている様子を指しての言葉だ。

    世間も同じ印象を抱いている。ウィン-ウィリアムズがベストセラーを密かに世に送り出したのは無節操だったし、誓約に明白に違反しながら沈黙の見返りに受け取った78万ドルを返さなかったのは傲慢だった──それらを認めたとしても、時価総額1兆6,000億ドル(約260兆円)の巨大企業が、豊富なリソースを無職の政策専門家ひとりにけしかける光景は、それだけで十分に恥ずべきものだ。

    本のなかで傲慢でゲスな人物として描かれるメタCEOのマーク・ザッカーバーグが、ここでは個人的な思惑だけで動いているように見えてしまう(興味深いのは、メタが内部告発者フランシス・ホーゲンには同様の法的攻撃を仕掛けていないことだ。彼女が『Wall Street Journal』に提供した資料は、ゴシップ色の強い『ケアレス・ピープル』よりはるかに大きな打撃をメタに与えたにもかかわらず、だ)。

    メタは、『ケアレス・ピープル』の内容の真偽は契約紛争とは無関係だとする立場を崩さない。だが世間から見れば、世界への悪影響にほとんど無頓着な企業を描いたこの生々しい肖像こそ、この訴訟の核心にほかならない。

    だからこそメタの答弁書は同書を「虚偽」の産物と呼び、彼女を解雇した当時の幹部エリオット・シュレイジの声明文をメディアに配布しているのだろう。そのなかでシュレイジはウィン-ウィリアムズを「信頼できない語り手」と呼んでいる。実際この本は、ザッカーバーグ、シェリル・サンドバーグ、そしてグローバル渉外部門の最高責任者ジョエル・カプランを、これ以上ないほど悪しざまに描いている。

    メタは愛されるより恐れられることを選んだ

    それでもウィン-ウィリアムズには、信頼性への攻撃に対する強力な反撃材料がある──彼女を追い詰めることへのメタの度を越した執着そのものだ。

    ヘイ・フェスティバルの数週間前、彼女は英国ブック・アワードで「Freedom to Publish(出版の自由)」賞を受賞し、壇上でそれを受け取っている。司会者は、『ケアレス・ピープル』については何も語れない事情に触れたうえで、賞を分かち合ったもうひとりの受賞者──ジェフリー・エプスタインによる被害の記録を出版する前に自ら命を絶ったバージニア・ジュフリーについて語ってもらうことにした。

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