パリの歴史的建造物には、「文字」や「紋章」がところどころに、そして密やかに残されている。
    日本であれば、こうしたモノグラムは企業のロゴであることが多い。自社ビルなどに掲げられる、企業のシンボルだ。しかしフランスの場合は、建物の石壁に直接刻んだりしていて、「過去の歴史を文字に変換して抱え込んでいる」 というイメージを持つ。
     

    パリ・カルチャー情報「パリ、建物に残るモノグラムを追う。壁面の“印”が意味するもの」

     
    そんなモノグラムがもっとも多く見られるのは、パリ中心部にある「ルーブル宮殿」の、中庭(Cour Carrée)にある歴史的建造物。ルーブル美術館の東側にあって、かつて歴代フランス王が王宮として使用していた宮殿だ。
     

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    ※宮殿の外壁に刻まれたモノグラム

     
    建物に近づいていくと、外壁に、背中合わせになった「L」の文字が見える。これは2つのLを装飾化したもので、フランス王室(ルイ-Louis)のサインなのだという。
    ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を建築した人物だが、ルーブル宮殿にも大規模な改修を加えていた。宮殿のファサードに残る「L」のモノグラムは、Louisのイニシャルだったのだ。
     

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    ※「AL」のモノグラム

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    ※「N」のモノグラム。周りにある美しい彫刻も一見の価値あり

     
    さらに中庭へ入ると、「AL」のモノグラムが現れた。こちらはルイ13世の「L」と、王妃アンヌ・ドートリッシュ(Anne d’Autriche)の「A」を組み合わせているのだそう。
    中庭の門をくぐると、今度はナポレオン1世のイニシャル「N」が刻まれている。ナポレオンは、自身のイニシャル「N」をパリのさまざまな場所に残しており、凱旋門や宮殿、橋といった建造物で今も目にすることができる。

    こうしたモノグラムから分かったことは、ルーブル宮殿は一人の王が築いた建物ではなく、歴代の支配者が何世紀にもわたって改築を重ね、そのたびに自分たちの”サイン”を刻んできた宮殿だった、という事実。
    期間にすれば、およそ300年間にもなる。敷地内を歩いているだけで、数百年分の歴史を読み解けるというのは興味深い発見だった。
     

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    ※ルーブル宮殿では街灯にも「L」の文字があった

     
    パリの建物には、文字だけでなく「紋章(エンブレム)」も多く刻まれている。日本でいう、家紋のようなエンブレムだ。
    モノグラムが個人のイニシャルだとすれば、フランスにおけるエンブレムは組織・権威のシンボル。パリの建築を眺めていると、この2つが巧みに使い分けられていることに気づく。
     

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    ※警視庁の壁に刻まれたパリ市の紋章

     
    パリでいちばん多く見かけるエンブレムといえば、 やはり、パリ市の紋章だろう。
    帆を張った船に、フランスの国花であるユリの花。 「たゆたえども沈まず」という有名な標語とともに刻まれるこの紋章は、市・区役所をはじめ美術館、広場、消防署と、本当にいろいろな場所に掲げられている。
    このモチーフは、パリの起源であるセーヌ川の水運、とくに中世の水運商人組合(Nautae Parisiaci)に由来しているのだとか。城壁のような王冠と、勝利を意味する月桂樹も必ず一緒に添えられている。
     

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    ※パリ市の給水ポイントや、

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    ※ベンチにも市のエンブレムが!

     
    途中で、それぞれのデザインが微妙に違っていることにも気づいた。各所を回ってみると、実はパリの紋章にもいくつかのバリエーションがあって、公式の紋章そのものを使っている場合と、建築装飾またはオブジェの装飾として、シンプルにアレンジしたものがあるらしい。

    ちなみにフランスの各自治体は、それぞれの歴史・土地に由来する独自の紋章を持っている。正式名は、エンブレムではなく「blason(ブラゾン)」。マルセイユ市やニース市では、このブラゾンが公式Instagramのアイコンにも採用されている。
     

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    ※ニース市のブラゾン(右), Ville de Nice Instagram

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    ※パリのコンコルド広場

     
    さて、最後に訪れたコンコルド広場でも、建築物に刻まれた「印」を発見することができた。 コンコルド広場は、シャンゼリゼ大通りやエッフェル塔を見渡せて、訪れるには清々しい場所だ。しかし、ルイ15世広場として誕生→フランス革命で処刑場になる→その後「コンコルド(和解・融和)」へ改名……と、フランスの激動の時代を目の当たりにしてきた場所でもあるのだ。
     

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    たとえば、広場にある銅像の台座には、フランス王家を象徴するユリの紋章があった。背後には美しい街灯がいくつかあって、それらには、中央に金の錨(いかり)のモチーフがあしらわれている。※これは広場に面して建つ、現在のフランス海軍省(Hôtel de la Marine)に由来している。

    つまりこれは、フランスの王権と現在の国家機関という2つの象徴が、同じ広場に共存している証だった。刻まれた時代は違うものの、ここでもフランスの歴史の深さに触れることができた。
     

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    ※ここには「公正」を表す天秤のエンブレムが

     
    フランスでは、「権力や歴史を建造物(石)に刻む文化がある」と以前から感じていたが、今回は歩いてみてその印が想像以上にあちこちに残されていたことが分かった。博物館以外の街なかでも、そんな歴史が語られていると思うとまたパリ歩きが楽しくなる。(大)
     

    自分流×帝京大学

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