8月8日よりNetflixでアニメ映画『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』が配信中だ。

     結論から申し上げれば、本作は賛否両論を呼ぶ特徴がある一方、「原案」である手塚治虫の『リボンの騎士』が持つ精神性を「2026年の今こそ必要なヒーロー映画」に落とし込んだことが、掛け値なしに素晴らしいと思える作品だった。

    ストレートな「ヒーロー譚」になっている

     まず、本作はアニメ映画『超かぐや姫!』のツインエンジンと、星野源のMV「異世界混合大舞踏会(feat.おばけ)」のOUTLINEが製作を手がけており、アニメーションのクオリティーがとても高い。人気イラストレーターの望月けい原案のキャラクターそれぞれがコロコロと表情を変えていて愛らしく、スピーディーかつダイナミックなアクションがたっぷり用意されている。

     また、冒頭から絶望的な心境が描かれており、さらに獰猛な野獣に襲われるなど序盤はややダウナーで少し怖い印象もあるが、それ以降はコミカルで楽しいシーンも多い。何より物語の流れはシンプルでわかりやすく、後述するように「スーパー戦隊」や「プリキュア」に通ずるストレートな「ヒーロー譚」としてのアツい展開も用意されている。

     そのため、まずはアニメとしての出来栄えと、老若男女が楽しめるエンターテインメントを期待してみていいはずだ。

    大胆な「IF」こそを支持したい

     一方で、本作の物語の立ち上がりは、「原案」の『リボンの騎士』とは一致していない。というよりも、「もしも『リボンの騎士』がこうだったら?」という「IF」を、大胆に描いているといっていい。

     昨今では「原作に忠実」であることが映像化作品の大きな評価軸になりやすく、実際にこの『THE RIBBON HERO』でも「原作そのままの絵柄や設定で『リボンの騎士』を今アニメ映画化してほしかった」という趣旨の意見も見かける。

     しかし、この『THE RIBBON HERO』は原案の根幹に関わる部分を大きくアレンジしている、なんなら文字通りに「破壊している」とさえ言えるため、『リボンの騎士』のファンから否定的な声があがるのも致し方ないだろう。

     しかし、この『THE RIBBON HERO』の不安を覚えるほどの物語の立ち上がり、設定の大きな変更には間違いなく意義があり、それは大きな「挑戦」でもあり、原案への多大なリスペクトにもつながっていたと思うのだ。

     その理由を、本編の内容に触れつつ、たっぷりと解説しよう。なお、エンドロール後にも重要なシーンがあるため、最後まで見届けてほしい。

    ※以下より、『THE RIBBON HERO』の決定的なネタバレを避けつつ、一部内容に触れています。

    「すべてを失う」「戦う理由すらなくなる」ことから始まる物語

     原案の『リボンの騎士』の主人公であるサファイアは「女の子でありながら男の子の心も持って生まれた」「王位継承のために王子として振る舞う」「女の子として隣国の王子に恋焦がれる」という複雑な特徴を持つキャラクターだ。ジェンダーやアイデンティティで葛藤する心理は、1950年代に生まれた作品とは思えないほどに先進的であるし、2026年の今に語り直す意義もあっただろう。

     また、『リボンの騎士』のサファイアには、王国のために戦う明確な理由があり、それは男装をする理由にも密接につながっている。たとえば、アニメ版の第1話のラストで、サファイアは「この国には、悪いたくらみやしきたりが多すぎます。それがなくなるまで、ぼくは男の子ですよ、お母様」とはっきりと宣言していたりもするのだ。

     しかしながら、今回の『THE RIBBON HERO』の物語は、災厄である“ネルガル”に王国“シルバーランド”が滅ぼされ、王女のサファイアが放浪の果てに“ゴールドランド”に辿り着く、というところから始まる。

     しかも、サファイアは母親から、災厄に立ち向かう、いや、戦うことさえも明確に否定されている。王国が滅ぼされるばかりか、戦う理由すらなくしてしまったサファイアは、必然的に誰かの目をごまかすために男装する理由もなくなっている。

     そして、『リボンの騎士』では「ぼく」という男の子の一人称を使う様も印象的だったサファイアは、今回の『THE RIBBON HERO』では一貫して女の子の「あたし」または「私」の一人称であり、男の子のふりをすることはない。『リボンの騎士』の重要な要素を「捨てた」ように思えることに、落胆する人はいるだろう。

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