あべのハルカス美術館(大阪市)で、「アンドリュー・ワイエス展」が10月3日から12月6日まで開催されます。20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。戦後アメリカ美術の前衛的な動向からは距離を置き、身近な人々や風景を精緻な写実表現によって描き続けました。ワイエスが描いたのは、故郷ペンシルヴェニア州と、夏を過ごしたメイン州という限られた土地の風景や、そこで暮らす人々でした。しかし、彼の作品は単なる写実ではありません。目の前の情景を丹念に描きながら、そこに刻まれた時間や記憶、そして画家自身の精神世界を映し出しています。

    本展では、ワイエス作品に繰り返し登場する窓や扉などのモティーフに着目し、「境界」という視点からその創作の軌跡を紹介します。生と死、内面と外界など、隔たりながらもつながる世界を通してワイエスが見つめ続けたものとは何だったのでしょうか。日本初公開作品15点を含む約100点から、その視線の先に迫ります。

    アンドリュー・ワイエス展

    会場:あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16F)

    会期:2026年10月3日(土)~12月6日(日)

    開館時間:火~金/ 10:00~20:00、月土日祝/ 10:00~18:00
    ※入館は閉館30分前まで

    休館日:10月5日(月)

    観覧料:一般2,200円、⼤高⽣1,800円、中小生500円

    詳しくは公式サイトへ

    5章構成でたどる、アンドリュー・ワイエスの精神世界

    本展は全5章を通じて、「境界」という視点からワイエスの精神世界をひも解きます。

    第1章 ワイエスという画家

    ワイエスは、アメリカ美術の中で位置づけるのが難しい独自の絵画世界を作ってきた画家です。同時代の前衛的な芸術動向から距離を置き、生まれ故郷のペンシルヴェニア州と夏の家のあるメイン州という、少年時代から行き来した二つの地域の身近な人々と風景を描き続けました。自分が美術史上どう位置づけられるかというような意識など持たずに描かれたワイエスの作品は、彼自身を投影する私小説のようなものでした。しかし、単なる私小説に終わらず、それぞれの作品の中に普遍的なものを感じさせるところにワイエスの作品の本質があると言えます。

    《自画像》 1945年 テンペラ、パネル ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク National Academy of Design, New York, USA/Bridgeman Images. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    第2章 光と影

    ワイエスは光と影を巧みに使用して描きますが、それは「生と死」という人が逃れられない命題と向き合った結果として、画面構成に表れたものでもありました。ワイエスが生と死を強く意識したきっかけは、1945年に踏切事故で父と幼い甥のふたりを亡くしたことでした。さらにその5年後には、肺疾患の手術中に一時的に心臓が止まるという経験をしており、死をより身近なものとして意識するようになります。しかしワイエスは生と死を対立したものではなくつながっているものと捉えており、彼の作品の根底には、「世の無常」という日本人にはなじみのある哲学が流れるようになっていきます。

    《洗濯物》 1961年 水彩、紙 カマー美術館、ジャクソンビル Gift of an Anonymous Donor, Cummer Museum of Art & Gardens, Jacksonville, Florida, USA ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《粉挽き場》 1962年 テンペラ、パネル フィラデルフィア美術館 Philadelphia Museum of Art: Gift of the Honorable Walter H. Annenberg and Leonore Annenberg and the Annenberg Foundation, 2007-13-3 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    第3章 ニューイングランドの家:オルソン

    ワイエスは30年間に亘ってメイン州のオルソン・ハウスとそこに住むクリスティーナとアルヴァロのオルソン姉弟を描き続けます。進行性の病気によって脚が不自由でありながらも気高い独立心を持つ姉クリスティーナと、彼女を支えるために好きな海での漁を辞め、農作業に従事した忍耐強い弟アルヴァロ。二人の人間性にワイエスは強く惹かれました。また、メイン州が最初期に入植された土地であり、オルソン姉弟の父もまた移民だった点も見逃せません。ワイエスは姉弟の生活から、最初にこの地に入植し、アメリカの土台を作った人々の姿を思い浮かべていたのかもしれません。

    《クリスティーナ・オルソン》1947年 テンペラ、パネル マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《オルソンの家》 1966年 水彩、紙 丸沼芸術の森 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《オルソン家の終焉》 1969年 テンペラ、パネル クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    第4章 まなざしのひろがり

    ワイエスは、クリスティーナ・オルソンや隣人のカール・カーナーなど、同じ対象を描き続けたことが知られています。クリスティーナやカールの没後には、ヘルガ・テストーフがモデルとなりましたが、その後はより幅広いモティーフに気を留めて描くようになります。そして自宅の周囲を散策し、自分の心に「カチッ」とスイッチが入る瞬間を探し続けました。そうして選び取られた瞬間の景色や情景に通底しているのは、生の営みとそれに連続する死の影ともいえるもので、単に明るい平明な再現描写にとどまらない、人が生きることに感じる生の終わりをも描き込もうとしているようです。

    《乗船の一行》 1982年 テンペラ、パネル フィルブルック美術館、タルサ Philbrook Museum of Art, Tulsa, Oklahoma. Bequest of Marylouise Cowan, 2010.9.11. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《花びら》 1991年 水彩、紙 ボストン美術館 Museum of Fine Arts, Boston, Bequest of Sandra Sheppard Rodgers ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《灯台》 1983年 テンペラ、パネル ユニマットグループ ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    第5章 境界あるいは窓

    ワイエスが描いてきた対象は、自分が良く見知っている人や近隣の風景でしたが、単にそれを記録するのではなく、自らの心に響いたある瞬間を描きました。そうして生まれた作品の根底に流れているのは彼の抱いていた世の無常=死生観でした。直接的に死を扱った作品は多くありませんが、生と死を隔てる「境界」として、窓やドア、水路に張った氷が作品にあらわれます。しかし、それらの境界の向こう側とこちら側は、単純に生と死を対立させて表現しているのではありません。ワイエスにとって境界は、生と死をつなぐもの、連続するものの象徴として位置づけられています。

    《ゼラニウム》 1960年 ドライブラッシュ・水彩、紙 ファーンズワース美術館、ロックランド Collection of the Farnsworth Art Museum, Rockland, Maine, Bequest of Betsy James Wyeth Trust,2021.1.1 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    《薄氷》 1969年 テンペラ、パネル 株式会社三井住友銀行 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
    関連イベントで、画家の表現世界をさらに深く知る

    会期中には、展覧会をより楽しむための関連イベントも開催されます。講演会や、ワイエスの絵画と、日本酒の酒造りにおけるテロワール(土地の個性)をクロスオーバーさせる個性的な企画、そしてとくに注目したいのが、ワイエスが愛用したテンペラ技法を体験できるワークショップです。卵黄に顔料と水を混ぜて絵具をつくるテンペラは、油絵とは異なる乾いた質感や繊細な色調をもたらすことでも知られており、ワイエスの静謐な作品世界とも深く結びついています。実際にテンペラ絵具を作り、それを用いて描くことで、新たな視点からワイエスの絵画を感じることができるでしょう。

    身近な人々や風景を描きながら、その奥にある記憶や時間、人の営みまでを映し出したアンドリュー・ワイエス。本展が提示する「境界」という視点を手がかりに、写実表現の奥に広がる画家の精神世界に触れてみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)
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