蒙恬(志尊淳)

     飄々とした美青年で、力任せに突撃するのではなく、戦場を広く見渡し、部隊を滑らかに動かす知略と機動力を武器とする。本作でも、熱血漢の信、誇り高い王賁とは異なる柔らかな物腰と冷静な判断力が、志尊のイメージにぴったりである。

     その真価が現れるのが、楚の天才弓兵・白麗(三山凌輝)との攻防だ。原作の函谷関初日、白麗は遠距離から秦将・鱗坊を射抜き、騰軍に大きな損害と動揺を与える。

     蒙恬は正面から矢を受け続けるのではなく、楽華隊の速度を生かして白麗のもとへ迫り、自由な狙撃を封じようとする。

     映画版でも「遠距離から戦場を支配する白麗」と「接近して自由を奪おうとする蒙恬」という構図を明確に再現している。

     志尊は、原作における蒙恬の細身で中性的な容姿、余裕を感じさせる微笑、剣を振るう際の軽やかさを高い水準で体現した。

    …と、原作の合従軍戦序盤を描いた本作における蒙恬は再現度が高い! と締めたいところなのだが、ここからは、志尊淳は何も悪くないが、惜しいポイントを挙げたい。

     そもそも原作における蒙恬の初登場は、映画版では省略された、本作と前作の間に位置する「山陽攻略編」である。

     信の飛信隊、蒙恬の楽華隊、王賁の玉鳳隊が同じ戦場に集い、蒙恬は名家の出身でありながら身分を鼻にかけず、信へ気さくに接する。

     三隊で魏軍に属する廉頗四天王・輪虎の軍に挑むなか、蒙恬は信と王賁が輪虎へ迫るための作戦を立案し、三人は友人にして好敵手という関係を築いていく。

     本作では、その積み重ねが描かれていないため、蒙恬と信の間柄が伝わりにくい。初対面や三隊の共闘を短い回想として入れてもよかったのではないか。

     そうすれば、単なる華やかなニューカマーではなく、信と同じ夢を追ってきた盟友であることが、さらに鮮明になったはずだ。

    ZAKKY

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