昭和41年(1966年)の開場以来、伝統芸能の上演だけでなく、演劇・芸能関連の資料の収集と活用に努めてきた国立劇場。美術的に優れた名品から歴史的に貴重な資料まで、多岐にわたる所蔵資料から、担当者が「これを見て!」という一押しを紹介するのが、毎月末日に公開する美術展ナビ×国立劇場コラボ連載【芸能資料定期便】です。
美しい娘の顔から恐ろしい形相になる「ガブ」
今回は、文楽をはじめとする人形浄瑠璃に欠かせない「かしら」から、「ガブ」のかしらをご紹介します。
そもそも人形浄瑠璃とは、語り手である太夫と三味線弾き、そして人形遣いの三者が一体となって表現する舞台芸術で、江戸時代から続く、日本を代表する伝統芸能の一つです。
「かしら」とは漢字で「首」とも表記する通り、その人形浄瑠璃で遣つかう人形の、頭部のことです。かしらにはさまざまな種類があり、男役か女役か、子ども役か老人役かなどでおよそ80種類に分類できます。身分や階級、役柄に応じて髪型や顔色を塗り替えて、いくつもの役で使われるのが基本です。
では、「ガブ」とはどんなかしらなのか、さっそく見てみましょう。

こちらが今回ご紹介する「ガブ」のかしらです。このかしらの大きさは頭頂部から首まで約12センチ、幅約7.5センチです。
顔を見ると、伏せ気味の黒目がちな大きな目に引きつけられます。口は何かいいかけるように少し開いていて、幼さと謎めいた雰囲気があります。全体として、かわいらしさもある美人といった印象を受けます。

近寄って見てみると、虹彩が銀色で塗られているのがわかります。白い歯と対照的な、鮮やかな赤で塗られた唇も印象的です。

実はこのかしらにはあるしかけがあります。胴串どぐしと呼ばれるかしらの持ち手部分にある小猿こざる(しかけ糸)を引くと……。

目の部分が返り、真っ赤な眼球と金の瞳に早替わり。口は耳まで割れて、中から鋭い歯が覗いています。元のかわいらしい顔とのギャップも相まって、子どもなら泣き出してしまいそうな迫力があります。
このような美しい娘の顔から、恐ろしい形相になる特殊なしかけを持つかしらを「ガブ」といいます。口が「ガブッ」と割れることから名づけられたといわれています。ガブの中には、目と口が変わるだけでなく頭から金色の角が出てくるしかけの付いたものもあります。
ガブは美しい娘に化けた妖怪の役や、娘が激しい怒り・狂乱のあまり超人的な存在になる役に用いられます。ガブを用いる作品の一例として、源みなもとの頼光らいこうの家来・渡辺わたなべの綱つなの鬼退治の物語である『増補ぞうほ大江山おおえやま』があります。渡辺綱は深夜の戻り橋で娘・若菜と出会いますが、実は若菜の正体は鬼女でした。渡辺綱に正体を見破られた鬼女は、戦いの末に空へと飛び去ります。舞台写真のガブには、少し分かりづらいですが金色の角が生えています。
人形浄瑠璃文楽『増補大江山』戻り橋の段=平成20年5月国立劇場
ガブは、歌舞伎など生身の人間が演じる舞台においては表現しにくい、一瞬のドラマチックな変化を見せてくれます。かしらの中でも特に人形ならではの表現を持った、魅力あふれるかしらといえるでしょう。
それでは、このガブのかしらがいつ誰によって作られ、どのような経緯で国立劇場にやってきたのかをたどってみましょう。
このガブのかしらの作者は、阿波(現在の徳島県)の人形師・人形富にんぎょうとみ(1815ごろまたは1829~1894年)といわれています。幕末から明治にかけて活躍した人物で、阿波人形のテリのある塗りの技法を確立し、門下からは初代・天狗久といったのちの阿波の名人形師を出した名匠として評価されています。人形富がこのかしらをいつごろ制作したかは不明ですが、130年以上前に作られた古いかしらであることは間違いありません。
そしてこのかしらは、明治期を代表する人形遣いの一人である初代桐竹きりたけ紋十郎もんじゅうろう(1845?~1910年)が所蔵していたことが分かっています。人形浄瑠璃研究家の内海うつみ繁太郎しげたろう(1896~1966年)は、紋十郎がこのかしらの顔のかわいらしさから、以前『新版歌祭文しんぱんうたざいもん』の野崎村のざきむらの段に登場する娘・お染のかしらとして使ったそうだ、と記しています。その後、五代桐竹門造もんぞう(1879~1948年)の所蔵を経て、斉藤清二郎せいじろうの所蔵となりました。
斉藤清二郎画『日高川渡し場』 斉藤充夫氏より提供
斉藤清二郎(1894~1973年)は、大阪の曾根崎で生まれました。画家を目指して、「麗子像」で知られる岸田劉生りゅうせいに絵の指導を受けた経験を持ち、洋画家として文楽の舞台を題材にした絵を多く描き残しました。同時に文楽のかしらの研究にも力を注ぎ、自分でかしらを集めたりフィールドワークを行ったりして、かしらの専門的な調査・研究の道を開きました。彼が最初にかしらに関する研究をまとめた、昭和18年(1943年)出版の『文楽首の研究』にも、斉藤氏が所有するかしらの一つとして、このガブのかしらの写真が載っています。
余談になりますが、幕末以降、人形浄瑠璃の中でも人気を集めた文楽座の所有していた古いかしらの数々は、火災や太平洋戦争の空襲によってその多くが焼失してしまいました。幕末・明治期のかしらは、単に保存状態が良い古いかしらという以上に、貴重なものといえます。
さて、昭和29年(1954年)に改正された文化財保護法によって、伝統芸能や伝統工芸などの「無形文化財」のうち、特に価値の高いものを「重要無形文化財」とする指定制度が作られ、その保存のために国が資料の買い取りなどを行う根拠ができました。そして斉藤清二郎が所有していた幕末・明治期のかしらも、芸能資料として国に買い上げられました。その後、これらのかしらは他の芸能資料とともに国立劇場の所蔵品の一つとなったのです。

今回は人形浄瑠璃の「かしら」から、「ガブ」のかしらを紹介しました。斉藤清二郎旧蔵の幕末・明治期のかしらは、ほかにも国立劇場に所蔵されています。それらについても、別の機会でご紹介できればと思います。また文化デジタルライブラリーの人形浄瑠璃 文楽ページでは、ガブのしかけが動画で確認いただけます。あわせてぜひご覧ください。(国立劇場調査資料課 末田千郁子)
※参考文献 斉藤清二郎『文楽首の研究』、内海繁太郎「人形頭諸相─桐竹門造氏所蔵品に就いて─」『民俗芸術』3巻7号
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