写真引用元:ゆうめい 公式X(旧Twitter)

    公演タイトル:音楽劇「あわせて」
    劇場:ユーロライブ
    劇団・企画:ゆうめい
    作・演出・美術:池田亮
    音楽:小西力矢
    アニメーション:りょこ
    映像:りょこ、池田亮
    出演:宮崎吐夢、村山新
    期間:7/24〜7/26(東京)、8/28〜8/29(岐阜)、9/22〜9/24(兵庫)
    上演時間:約1時間10分(途中休憩なし)
    作品キーワード:音楽劇、二人芝居、創作者、ファン
    個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆

    2024年には『ハートランド』で第68回岸田國士戯曲賞を受賞した経験もある、劇作家の池田亮さんが主宰する演劇団体「ゆうめい」の新作公演を観劇。
    「ゆうめい」は2015年に設立し、2019年には「MITAKA “Next” Selection 20th」に選出、2021年には「芸劇eyes」に選出されるなど活躍の規模を広げ、昨年の2025年には『養生』で第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞している。
    私自身「ゆうめい」の公演は、『姿』(2021年5月)『娘』(2021年12月)『ハートランド』(2023年4月)『養生』(2025年12月)を観劇しており、5度目の観劇となる。

    本作は音楽劇ツアー公演として東京だけでなく岐阜や兵庫を巡回しながら、かつては「しあわせ学級崩壊」の主宰をし、今では吉祥寺シアターの職員でありながら「まばゆいクラブ」として新劇団を立ち上げた小西力矢さんを音楽担当に迎えて上演された。
    物語は、『あわせて』という漆原ミライというアイドルを主人公とした漫画を中心に展開される話で、その漫画のファンである長谷川剛(宮崎吐夢)と、その漫画の原作者である八木寛己(村山新)の二人芝居である。
    長谷川は、中学生時代に「汚物顔のハセガワ〜♪」とCMのパロディでいじめられていた。
    そして、同じクラスメイトの森渕真美に避けられた挙句、長谷川がカレーと牛乳を一気に口に詰め込んで教室で吐き出してしまったことが決定打となり、学校内で居場所を失い不登校となった。
    しばらくして、長谷川は『あわせて』という漆原ミライという女性アイドルを主人公とする漫画に熱狂する。
    そしてその漫画のアニメ化が決まった時、漆原ミライの声優役に森渕真美が抜擢され絶望する。
    一方八木は、自身も学生時代にとある掲示板の書き込みで野球部の岩田を不登校にしてしまった過去があったが、漫画家として『あわせて』を生み出してヒットさせるのだが…という話である。

    舞台上には、ステージ中央背後に巨大な映像モニターが設置されており、さらに下手側と上手側にも小さな映像モニターが設置され、劇中は終始この映像モニターに漫画の吹き出し風に字幕が表示されていた。
    また、字幕には英語訳も同時に表示されていて、ろう者だけでなく英語圏の観客にも配慮された演出になっていた。
    それに、台詞が漫画の吹き出しのようなので、観客はまるで演劇を観ているというよりは漫画を読んでいる感覚に近い新感覚な観劇体験を受けた。

    ただ、観客はどうしても映像モニターに日本語の字幕が表示されるとそちらに意識が行ってしまい、宮崎さんや村山さんの演技にあまりのめり込むことが出来なかった。
    演技が視界に入らず見逃したというよりは、映像の字幕を追うことと役者の演技を観ようということに意識が行き過ぎて、物語が全然入ってこなかった点が勿体無い点であった。
    個人的には、これは自身がそういう演出との相性が悪かったという訳ではなく、もっと演出として見せ方の工夫が出来たのではと思っている。
    三谷幸喜さんの作・演出でかつて上演した舞台『オデッサ』(2024年1月)では、やはり映像の字幕と役者の演技を融合させていたが、観客が映像字幕にフォーカスする時間と役者の演技にフォーカスする時間を上手く切り替えられるように演出設計されていたので観やすかった。
    本作も、もっとこのシーンでは観客はどこに視線が向かうのか、どこに没入すべきかを明確に出来るように上演した方が満足度は高かったと感じた。

    学校机を組み合わせた祭壇のような舞台セットは芸術性が高く素晴らしかった。
    このように日常のものを組み合わせることで全く異なる形状のものに仕立てるというのは、『養生』の脚立でも拝見しているので、こういったセンスは池田さん自身が立体造形を専攻された経験から来ていて、唯一無二な演劇だと感じ素晴らしかった。

    小西さんの音楽と、りょこさんの映像のクオリティが相性良くて素晴らしかった。
    脚本としては割といじめや苦しい描写があるのだが、音楽がポップで明るいのでそれを中和してくれる感じがあるのと、映像が音楽に合わせて切り替わるのでリズムを感じた上に、可愛らしくて動きが伸びやかで躍動的なのが良かった。

    物語のテーマは戯曲を後に読んで掴むことが出来たのだが、AIやネット社会に支配される世の中になっている今の世相を反映しており、その中で人間が生み出した作品の存在意義などが問われていて批評しがいのある戯曲だった。

    出演者は、「大人計画」所属の宮崎吐夢さんと劇団「まばゆいクラブ」の村山新さんだったが、個人的にはお二人とも良かった。
    宮崎さんだからこそ許される、舞台上の机を組み合わせた装置や箒を使って遊びながら演技する感じと、ラストの叫び声に感情の爆発が含まれていて良かった。
    村山さんは、とてもクレバーそうな感じと、心の奥で辛さを噛み締めている感じが演技に出ていて良かった。

    個人的にはもっとやりようがあるのではと感じた部分もあるが、とても実験的な試みでこういう挑戦を忘れてはいけないよなと思う。
    今後も「ゆうめい」としての活躍を期待したいと思う。

    写真引用元:ステージナタリー ゆうめい 音楽劇「あわせて」より。(撮影:佐々木啓太)
    【鑑賞動機】

    私の観劇人生の中で大きく影響を受けた「ゆうめい」の新作公演であるというのと、音楽担当に「しあわせ学級崩壊」の小西力矢さんを迎えているということで、観劇したいと思った。

    【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

    ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶とその後上演台本を読んだ記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

    客入れ中、リズミカルな音楽と共にステージ背後の映像には拍手に合わせて手の中から宮崎吐夢さんと村山新さんらしき顔の似顔絵が交互に出てくる。まるでその出てき方は、あやとりのように手を広げるタイミングで顔が伸縮したりする。
    ステージ上に、白装束を着て箒を持った宮崎吐夢さんがやってくる。宮崎さんは世間話から始める、趣里さんが心配だと。真面目でしっかりしている女性ほどダメな男性を好きになってしまう傾向があるからと。その男は10年前に新国立劇場の公演で遅刻をしてきたことがあるのだと言う。
    宮崎さんは、上演中は許可のない撮影・録音は禁止であることを伝える。でもこういうのは聞き飽きましたよねと観客に問いかける。でも、こういった前説をすることは法律で昔から決まっているのだと言う、嫌ですよねと。それなのに皇室典範はすぐ改正してしまうと愚痴をこぼす。
    映像モニターには、ずっと宮崎さんが話した会話をリアルタイムで生成AIによって文字起こしされている。一部漢字の変換など間違っている。

    上演が始まる。長谷川剛(宮崎吐夢)は自己紹介する。文字起こしされた漢字には誤りがある。長谷川は中学生時代に、「汚物顔のハセガワ〜♪」とCMのパロディでバカにされ虐められてきた過去の話をする。中学時代のクラスメイトに森渕真美という女性がいた。その女性にいつも顔が汚いと避けられていた。
    とあるカレーの学校給食の日、寺岡というクラスメイトが、ふざけて嘘で長谷川の唾が入ったとカレーを指差した。クラスメイトたちは、みんな気持ち悪いと吐く真似をする。森渕は、「汚物顔のハセガワ〜♪」とさらにいじめる。長谷川はカレーと牛乳を口に詰め込んで教室で戻してしまう。教室中で大騒ぎになり、森渕からは視界に入ってくるなと言われる。
    それから、長谷川は学校に行かなくなった。
    しばらく時間が経って、長谷川は一つの漫画に夢中になった。それは、漆原ミライというアイドルが登場する『あわせて』という漫画だった。そして、その漫画はブレイクしてアニメ化が決定した。しかし、漆原ミライの声優が、かつて自分が中学時代にいじめられた森渕真美だった。長谷川は衝撃を受けつつ、さらにカレーにまつわるキャンペーンをやっていたので、余計に過去のことを思い出した。
    長谷川はアイドルのライヴがあるとのことで、スタッフの応募をした。

    長谷川は去り、今度は義足の八木寛己(村山新)が登場する。八木は性欲が強い方だが美術部に所属していた。野球部の岩田にいじめられていたが、岩田が野球で腕にギブスをしている時に、掲示板で「あいつの腕ロックブラスター」と投稿し、それをきっかけにして岩田は学校に来なくなってしまう。
    八木は、そんな岩田のことをずっと引きずっていて、そこから漫画を描き始める。岩田を題材にした漫画であった。しかしとある人にエロが足りないと指摘され、同人誌を描くことになる。
    八木は嶋村桜という女性に出会う。桜は今は若さの時代だと言っている、そして割とエロかった。八木は脚本を描き続けながら、桜と仲良くなりセックスも何度もするようになる。
    八木は初詣に漆原神社に行く、そして今描いている漫画を『あわせて』と名づけ、アイドルの名前を漆原ミライにしようと決意する。
    漫画は大盛況で、アニメ化も決定した。声優は森渕真美が務めることになった。

    八木は去り、長谷川が登場する。長谷川は、『あわせて』のライヴ会場にスタッフとしていた。KアリーナのKは股間のKだからななどの叫びもある。
    新人スタッフが指示書を探していた。その時新人スタッフが戻してしまい、指示書と初版が汚れてしまう。長谷川はもどしたものを掃除することになる。この件についてはSNSで拡散され、長谷川は「もどしたのを掃除する人」として有名になる。

    長谷川は去り、八木が登場する。森渕と八木は、『あわせて』が大盛況であったこともあり親密になっていった。
    しかし、突然電話がかかってきて、『あわせて』が小学生の間でタブレット経由で大量拡散されてしまって炎上しているという。そこから森渕の過去のことも掘り出されて炎上してしまい、森渕は休業することになる。

    八木は去り、長谷川が戻ってくる。長谷川は、同じ苗字の長谷川と意気投合したが、彼は父親との関係が悪くて実名でニュースになり、そのまま殺人事件に発展してしまい殺されてしまう。
    長谷川は、「もどしたのを掃除する人」の肩書きを捨てて実家に帰る。そこで寺岡に会う、寺岡はかつて中学校時代に給食のカレーに長谷川の唾が入っていると嘘をついた男だった。そんな寺岡は、会社を設立して慈善活動を行なっていた。長谷川はその活動にgoogleの星1をつけたがすぐに消した。そのまま長谷川は漆原神社に向かう。

    長谷川は去り、八木が戻ってくる。八木は森渕の親友である寺岡が代表をしている会社にお世話になって支援してもらう。寺岡は、『あわせて』の大ファンで漆原ミライが好きだった言ってくれた。
    八木は『あわせて』を新しく連載しようかと、新人の声優である穂長美琴を起用する。美琴とも八木は仲良くなって一緒に出かけるようになったが、はそういう関係になる前に不倫が発覚した。
    八木はネットでAI作家としてデビューした。本当は人間なのに誰も人間だとは疑わずにAIだと思っていた。八木はAI作家を辞めた。印税も入ってこなくなった。
    桜も森渕も美琴もまだ活動はしていたが、若い頃よりは勢いは落ちていた。

    八木が漆原神社に向かうと、そこには長谷川がいた。二人は初対面であった。長谷川は八木が『あわせて』の原作者であることを知ると、どうしてここにいるのかと尋ねる。八木は、かつて野球部の岩田に言ってしまったことをずっと引きずっていて、それで漫画を描き続けて『あわせて』が生まれたのだと話す。そして、今でも若さを求めているのだと言う。
    長谷川自身も、どうして『あわせて』に夢中になれたのかというと、ずっと死にたくなくて若さを求めていたからだと伝える。そして長谷川は漆原ミライに伝えたいことがあると言う、そして「あああああああ」と叫び続ける。八木は辛いのかと聞くが、いや安易だと答える。
    そして長谷川と八木は二人で「あああああ」と合唱する。そして上演は終了する。

    劇中は脚本を追いきれず上演台本を読んで保管したのだが、やや物語にも設定がぶっ飛んでいる部分が多くてイメージしきれない箇所も多かった。ライブ会場の嘔吐や、『あわせて』が小学生に拡散されて炎上してしまったイメージがつきにくかった。
    ただ、上演台本を読んでいると伝えたいメッセージ性は明確だなと感じた。昨今様々な作品で話題になっているアイドルとオタクの話なのだなと思った(朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』のような)。作品を通じて、その作品に夢中になった人はどういう遍歴をたどって夢中になるに至ったのか、そしてその作品を描いた人はどういう経緯で描こうと決意したのか。その二つが同時進行で描かれることで、どちらも人間だからこそ共通して抱えることや共感できるポイントが混ざり合っていて良かった。
    作品は人間が描いたからこその良さと苦悩を描いている点も良かった。まさに戯曲としては、AIが進化する時代だからこそ人々に訴えかける作品になっていて今の世相を反映するものだと思い批評しがいのあるものなのだが、いかんせんそのメッセージ性に結びつけようという誘導が強くて、細部のディテールで気になる部分が多くてもっと自然な展開にしてほしかった。
    詳細の戯曲の考察は、考察パートで深く触れることにする。

    写真引用元:ステージナタリー ゆうめい 音楽劇「あわせて」より。(撮影:佐々木啓太)【世界観・演出】(※ネタバレあり)

    ステージ上にユニークに存在する舞台セットもそうであるが、池田さんの奥様でもある「ゆうめい」所属のりょこさんの映像演出と、かつては「しあわせ学級崩壊」の主宰であり、今では吉祥寺シアターの劇場職員で先日「まばゆいクラブ」の劇団の立ち上げをした小西力矢さんの音楽も相まって、音楽劇として独特の世界観を創出していた。
    舞台セット、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

    まずは舞台セットについて。
    ステージ上には、学校机がまるで祭壇のように組み合わせられて接合されている舞台セットがあった。昨年(2025年)12月に「ゆうめい」として上演された『養生』でも、脚立を組み合わせて様々な形に見立てていたが、それと同じようなセンスを感じて、「ゆうめい」の池田さんらしさを感じた。たしか池田さん自身が、元々演劇専攻ではなく立体造形をされていた方なので、その経験から来るオリジナリティ溢れる舞台装置になっていたと思う。
    学校机の上に学校机を置いて脚の部分を固定させることで、一つの段のようなものが出来上がっていた。それを、一番左側は学校机が一つ、その右側には学校机を縦に2つ重ねたもの、その右には学校机を3つ縦に重ねたもののようにすることで、階段状になっていた。長谷川や八木は、その階段のようになった段を上って移動したりすることで主に一人芝居を演じていた。
    その祭壇のようになった学校机の舞台セットは2つあって、それを組み合わせることで山型になっていた。
    学校机の引き出しの中には、おもちゃのレインボースプリングがくっついていて、長谷川はそのレインボースプリングを取り出して引っ張ったりすることで遊びながら演技をしていた。それがまた自由な感じがあり良かった。
    長谷川は割とこの学校机の舞台セットを上手く活用しながら演技していた印象で、舞台セットをもう一人の演者のように見立てながら、壇上に上がったりレインボースプリングを引っ張ったりした。また、自らが持ってきた箒も色々活用していた。一方で、八木は学校机の祭壇のようなものに腰掛ける程度だった。それは八木が義足だったというのもあるのかもしれない。

    次に映像について。さすがりょこさんの映像ということで独自性がありとても好きだった。
    まず、客入れ時の学校机と椅子同士が馬跳びをしているような躍動的な映像が非常に良かった。今回の映像は、ビジュアル的に芸術性の高い、今までの「ゆうめい」の作品で見られた映像のセンスと同時に、躍動感の描き方が優れている点にも注目したい。映像の中に登場する道具がまるで生きているように伸び伸びと躍動感を持って動いている映像が素敵だった。
    また、タイトルが『あわせて』ということで手を合わせて開いてを繰り返す映像があるのだが、その中から宮崎吐夢さんや村山新さんの似顔絵も登場するのが良かった。特に宮崎さんの似顔絵は特徴を捉えていて、目が狐目のような感じとかですぐに分かった。その手を開くときの顔が手の動きに合わせて伸縮して躍動感があるのも非常に良かった。
    さらに、本作では映像で全ての台詞が字幕で日本語と英語で表示される。台詞については、ただ映像で文字として表示するのではなく漫画の吹き出しのように表示されることによって、観客は漫画を読んでいるかのような錯覚を受けて、新感覚な演劇体験だった。
    しかし、やはり観客は全ての台詞が映像で表示されてしまうと、そちらに終始目を奪われてしまって、その間に役者の演技を見逃してしまったりするので、視線の切り替えばかりに意識が行ってしまって物語に上手く没入しにくいというデメリットも感じられた。ここが本当に一番勿体無い部分だったと思う。様々な演出方法を検討した上でのこの方針だったと思うので、どういう経緯で今の形になったのかは分からないが、もっと初見の観客視点でそのシーンでどこに視線が向かうのか、その時観客の感情はどう動くのかを考えて演出を設計した方が良いかと思った。先述したように、三谷幸喜さん作・演出の舞台『オデッサ』(2024年1月)でも、映像字幕を多用しての上演であったが、シーンごとに今観客は映像を見るべきか演技を見るべきかが明白なので、そこまで混乱せずに映像字幕を演出として上手く取り込めた演劇だと感じたので、このやり様が悪手であるとは全く思っていない、やり方が難しいのだなと感じた。
    序盤で、宮崎さんがアドリブで世間のニュースを題材にしながら前説をするが、その時に生成AIで文字起こしをしていた。これが本作のテーマとも重なっていて良かった。AIは素晴らしいものだが間違えることもあって、その完璧でない部分をしっかりと見せるというクリエイションの醍醐味を表現しているように感じた。

    次に舞台照明について。
    舞台照明は特に奇抜に切り替わるような演出はなかったが、Kアリーナ横浜のライヴ会場のシーンや、ラストの漆原神社で長谷川と八木が出会って二人で「ああああああ」とデュエットするシーンでは、照明が煌びやかになって盛り上がっていて良かった。

    舞台音響について。
    音楽劇ということで、全編には小西力矢さん作曲の音楽がずっと流れていた。たしか、ラストの漆原神社で長谷川と八木が出会うシーンだけ無音であった認識である(記憶違いだったらすみません)。
    かなり音楽の主張が強くて、本当に演劇の劇中に流れるBGMという感じではなく、かなり主張をしてくる音楽・メロディで音楽劇とタイトルを打っているだけあるし音楽にはかなり力を入れていることを感じた。
    かといって音楽一強という感じではなく、しっかりと役者と映像にも意識を傾けることが出来たから良かった。たぶん音楽が強いので台詞が聞き取れなくなることもあって全台詞に字幕をつけたのかなと思ったのだが、音楽によって役者の台詞が聞き取れないということはなかったので、音量バランスは役者の声量を考慮しても適切だったと思う。
    非常にポップでリズミカルな音楽で、映像の躍動感ある動きとの親和性が非常に良かった。音楽と映像については、おそらく相互のスタッフで演出を間に挟みながらディスカッションをしてしっかりとすり合わせたのだろうなと思うくらいピッタリ決まっていた。素晴らしいスタッフワークだなと感じた。
    小西さんは、「しあわせ学級崩壊」で『終息点』(2021年7月)をかつて観劇しているので、割とポップで電子音的な感じの楽曲を創作されるイメージを持っていたが、今回の作品に関しては小西さんの色を出しつつ、しっかりと洗練された感じがあってアングラっぽさがなくなったように感じて、これは好みの問題かもしれないが好きだった。

    最後にその他の演出について。
    まず、過去の池田さんの作品のエッセンスを踏襲しているところがあるよなと感じた。もちろん、学校机を組み合わせて祭壇のようにする舞台セットも、『養生』でやったようなことを踏襲していると思うが、それだけではなく、「汚物顔のハセガワ〜♪」は岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』(2023年4月)にも登場したよなと感じた。そして、本作も学生時代のイジメをテーマにしているが、これも過去のゆうめいの作品『弟兄』からエッセンスを踏襲しているように感じた。
    八木を演じた村山新さんが昨年事故で義足になったが、それまでも作品の中に吸収している点に衝撃を受けた。きっと池田さん自身、村山さんの義足を見てかなりあてがき的に戯曲を描いた部分もあると感じた。中学時代に岩田のことを腕がロックバスターと投稿してしまって傷つけてしまった過去をずっと引きずっている八木だが、そんな八木が義足になっているというのも何かの罰のように感じて恐ろしかった。義足であるという驚きと、劇中の八木の設定の恐ろしさがあってゾクゾクした。そして、義足でも赤い靴をしっかり履いている八木が素敵だった。

    写真引用元:ステージナタリー ゆうめい 音楽劇「あわせて」より。(撮影:佐々木啓太)【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

    「大人計画」所属の宮崎吐夢さんと、新劇団「まばゆいクラブ」の村山新さんの二人芝居で、ほぼ最後のシーン以外は一人芝居のようなものであったが、ずっとモノローグのような台詞から登場人物に感情移入できる部分が普遍性をついていて心動かされ良かった。
    それぞれの役者について見ていく。

    まずは長谷川剛役を演じた宮崎吐夢さんについて。宮崎さんの演技は、ウーマンリヴ『もうがまんできない』(2023年4月)、ゆうめい『娘』(2021年12月)で演技を拝見したことがある。
    前説からアドリブで始まる緩さから個人的には良かった。どこかのSNSで、宮崎さんの演技にとちりが多いなどで賛否が分かれていたが、宮崎さんのああいうキャラなのだからとちりとかはそんなに気にしなかったなと感じた。むしろキャラクターとして一貫していて宮崎さんでしか出せない味を出していた。
    宮崎さんの演技でいうと、やっぱり注目したいのは一番最後のシーン。「あああああああああああ」とずっと嗚咽し続ける感じ、あの出し方が良かった。しわがれ声で、心の奥底から出している感じに侘しさを感じた。宮崎さんも55歳と年配だが、もう若さがなくなって歳を重ねてしまって、二度と取り戻すことのできない若さを渇望している感じがグッと身に染み込んできた。
    長谷川というキャラクターで考えると、彼は中学生時代にずっといじめられて不登校になってしまってという輝いた時代なく歳を取ってしまった男性である。だからこそ、漫画『あわせて』に登場する漆原ミライのような、若さで勝負するような生命力を感じる存在なのかもしれないなと思った。その感情には凄く共感できた。
    しかし、アニメ化される時にその好きだった漆原ミライの声優が自分をかつていじめていた森渕真美だったというのは、長谷川にとってはショッキングであっただろうなと思う。
    でも結果的に、そのアニメのライブにスタッフとして応募して、そこから「もどしたのを掃除する人」として有名になれたのは、本人にとって良かったのか悪かったのか。

    次に、八木寛己役を演じた村山新さんについて。村山さんの演技は、しあわせ学級崩壊『終息点』(2021年7月)で演技を拝見したことがある。
    八木は長谷川とは対照的な部分があるキャラクターである。どちらかというとクレバーで才能の持ち主である。しかし、中学時代の野球部の岩田に「ロックバスター」と投稿してしまって不登校にさせてしまったという過去が、ずっとその後の人生に影響を及ぼし引きずってしまう。
    しかし八木は漫画家としてデビューして売れる。エロい女性とも寝たりと人生を謳歌する。しかし、漫画『あわせて』のブレイクは長くは続かず、SNSで炎上したりする。
    やはり創作者側の人生の苦悩や葛藤を描いているので、池田さん自身も創作者であるからこそ解像度も高くリアルだなと感じる。
    村山さんの一人芝居がとても良かった。その存在の裏にはどこか物悲しさや暗さがある八木がとてもよく表現されていた。自身の漫画が売れて人気になっても、どこか満たされないものがある、岩田を学生時代に不登校にさせてしまった過去は消しゴムで消せない。そんな重く暗い部分をどこか背負っている感じがとてもよく表現されていた。
    そして、やはりあまり言及すべきではないのだが村山さん自身の義足には驚いた。最初、義足のように見せている演出なのかと思ったが、いや本当に義足なのだなと何度も目をこすりながら確かめた。かつて演技を拝見した時は義足でなかったので、昨年の事故でそうなられたと知って胸が苦しくもなった。そんな状態でも舞台に出演しようと決意して臨まれる村山さんの覚悟の大きさも感じた。

    【舞台の考察】(※ネタバレあり)

    ここでは、本作の戯曲について考察していこうと思う。
    私はこの戯曲を読んでいて感じたのは、そこまで大きく登場することはないが、これだけAIが普及する世の中において、人間が作品を創作する意味や価値についてをテーマとした作品のように感じられた。

    長谷川は『あわせて』という漫画の大ファンであったこと、そして八木は漫画『あわせて』の作者であり、二人は最後に漆原神社で対面を果たすことになるが、その二人の間に登場する人物には、色々と共通する人物が多々登場する。
    まずは、森渕真美である。森渕は、長谷川を中学時代に徹底的に嫌ったいわばトラウマ的存在である。その森渕が声優になって八木の漫画の主人公である漆原ミライの声を担当することになり、八木とは友好な関係を築いている。だからこそ長谷川は、大好きな漫画である『あわせて』のアニメ化が決まった時に、主人公の漆原ミライの声優が森渕であったとわかった時、大好きな漫画の主人公の声優に自分のトラウマになっている嫌いな森渕が担当になって衝撃を受けていたのである。
    さらに、寺岡という人物の存在も重要である。長谷川にとって、寺岡は中学時代にカレーに唾が入ったと嘘をつかれた人物であり、森渕同等に嫌っている。しかし、八木にとってみると自分の作品が炎上した後に支援してサポートしてくれたありがたい存在である。
    このように、二人の間に登場する人物がお互いに与える影響がまるで正反対であることが分かる。この結果を知っている観客であれば、長谷川が何も知らずに漫画『あわせて』に熱狂していることが、どれだけやばいことなのか分かる。
    これは、昨今で好きだった作品が炎上してファンが離れていくことに近い火種を持っているような気がする。例えば、世間的に評価されている作品の創作者がパワハラやセクハラの中で描かれた作品であることを知らずに熱狂していたり、それを知らなかったからこそ楽しめたが、知った途端に離れていくという火種をはらんでいるということを意味していると思う。
    しかし、これは『あわせて』という漫画を人間が創作し、人間が携わっているから起きることなのである。AIがはじめから生成したものであったら、こんな炎上は起こり得ない。人間が創作することの限界と絶望を詰め込んだ物語のようになっていて皮肉を感じた。

    劇中の一つの台詞に衝撃を受けたものがある。それは、八木がAI作家として別の名義でデビューしたが、誰もAIでなく人間だと気が付かなかったという結末である。そこには、人間である創作者の絶望を描いているように感じた。
    人間だと思ったらAIだったということはよくあるので、私たち視聴者や観客は、その作品が本当にAIではなく人間の手によって描かれたのか疑うことはあると思う。しかし、意外と逆はないかもしれないと思った。AIですと嘘をついて、これ人間なのではないかと疑うことってあまりしないように思う。だからこそ、世間的にはAIは人間と同じようなことが出来てしまうという認知が進んでいるという絶望を描いているようにも感じた。
    それはAI作家辞めたくなるし、創作活動も辞めたくなるなと思う。

    また、長谷川が「もどしたものを掃除する人」としてネット上で有名になったという設定も興味深かった。長谷川は中学時代では、カレーと牛乳を口に詰め込んで吐いてしまったので吐いた人扱いだった。しかし、『あわせて』のKアリーナ横浜での新人スタッフの嘔吐を片付けてから、「もどしたものを掃除する人」という肩書きで広まった。
    ここには、ネットで拡散されて話題になることの恐ろしさがあると思う。たった注目された一度の印象でその人の印象が決定づけられてしまうネット社会の恐怖を暗に描いているように感じた。

    私たちがネットで拡散して知っている事実は、その人のことの本の一面しか捉えてなくて、多くの部分を知らないまま決めつけていることが、ネットの発達で往々にして起こっているのかもしれない。
    そんなネット社会への警鐘とも呼ぶべき作品に感じた。

    この作品の戯曲を買って改めて読んだことで分かったので、戯曲を買って良かった。それが上演中に伝われば良かったのだが、演出が凝りすぎた結果なのであろうか、脚本がすっと入ってこず勿体無かった。
    改めて池田さんの戯曲の強度を痛感した。

    ↓ゆうめい過去作品

    ↓池田亮さん脚本担当作品

    ↓小西力矢さん音楽担当作品

    ↓宮崎吐夢さん過去出演作品

    ↓村山新さん過去出演作品

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