『新しい花が咲く ―ぼんぼん彩句―』の各短編のタイトルは「俳句」。

    宮部みゆきさんが参加している句会で出た印象的な句から着想を得て生まれた物語は、十七音という枠を飛び出し、読者の想像をはるかに超える色彩豊かな無限の世界へと広がっていきます。

    物語の舞台は現代。ミステリあり、ホラーあり、社会派あり、SFあり、人間ドラマありと、様々なジャンルの詰まった、宮部ワールドの魅力全部入りの宝箱のような一冊です。

    今回は全十二編の中でも最も不穏な一編「鋏利し庭の鶏頭刎ね尽くす」の冒頭を特別公開いたします。

    鋏利し庭の鶏頭刎ね尽くす

     正午過ぎ、仕事先から事務所に戻る途中で、夫の実家の前を通った。つば広の帽子の上から手ぬぐいを巻きつけ、両手に長手袋をはめるという恰好で、義母が庭いじりをしているのが見えた。縁側に置いたポータブルラジオから、NHK第一放送の「ひるのいこい」のテーマ曲が流れている。

     義母はわたしの車に気づかず、わたしもスピードを緩めずに、そのまま通り過ぎた。

     義母はガーデニングが趣味である。夏休みに入ったばかりのこの時期、庭には日々草やアマリリスが咲いている。けっこうな広さのあるこの庭は、夫が子供のころは駐車場兼農具置き場だったのだそうだ。二十年ほど前、夫の実家が農業をやめ、義父が駅前の繁華街で居酒屋を営むようになってから、義母が少しずつ庭造りを始めて、今のような美しい眺めをつくりあげた。

     八年前、わたしが夫に連れられて初めてこの家を訪ねたのは四月の半ばで、庭には芝桜と沈丁花(じんちょうげ)が咲いていた。その美しい景色とかぐわしい香りに、当時は頭のなかにも花を咲かせていたわたしは、義母の手入れしている花々がわたしたちの幸せな結婚を祝福してくれているような気がして、胸がいっぱいになったものだ。

     それは悲しい勘違いだった。

     夫とわたしは、夫の友人の紹介で知り合った。夫は地元の機械メーカーのサラリーマン。当時のわたしは、今も勤めている事務所で時間給の事務員として働きながら、司法書士の資格を得るために勉強していた。

     当時も今も、夫は真面目でおとなしい人だ。骨惜しみせずに働き、めったにグチもこぼさない。お酒は付き合い程度で、ギャンブルは嫌い。あまり身の回りにかまわず、もさっとしている。付き合い始めてすぐに、彼が生まれてこのかた理容室にも美容院にも行ったことがなく、髪は母親にカットしてもらっていると聞いて、正直わたしはちょっと引いてしまい、これからは少しお洒落をしてよと勧めた。一緒に買物に行き、よさそうな理容室を見つけて連れて行ったりもした。

     交際二年で結婚し、一年足らずで息子を授かった。わたしが育児に気をとられているうちに、夫はまた身の回りにかまわなくなり、義母に髪のカットを頼むようになった。それっきり、二度と理容室に行くことはなかった。

     たったそれだけのことだけれど、わたしたちの結婚生活の齟齬が、ここによく表れていると思う。

     代々の家業だった農業については、そもそも義父は継ぎたくなかったそうで、やめるときに揉めることはなかった。宅地開発が進んでいるところなので農地もすぐ買い手がついたし、義父の念願だった居酒屋の経営も順調だから、問題はない。親戚筋にはうるさい年配者もいたようだが、今ではみんな鬼籍に入っている。義父母は好きなように暮らし、人生を楽しんでいる。

     いわゆる嫁いびりをされたことはない。いびってやろうというほどに、義父母はわたしに関心を持っていないのだ。孫であるわたしたちの一人息子についても、疎んじることはないが可愛がってもくれない。

     夫にはずっと好きな女の子がいて、義父母も、夫の二歳下の妹――わたしにとっては小姑(こじゅうとめ)である義妹も、その女の子と夫が結婚することを望んでいたなんて、わたしには知るよしもなかった。結婚前も結婚後も、夫の家族との付き合いのなかで、わたしがその女の子の名前をちゃんと耳にすることはなかったし、いまだに写真さえ見せられたことがない。

     それは夫の一家四人だけの秘密だった。わたしにはその一端を窺がわせる必要などない夢と理想だ。わたしと息子は、それを打ち消す身も蓋もない現実でしかない。

     それならなぜ、夫はその女の子と付き合い、結婚しなかったのか。

     答えは簡単だ。彼女は十五歳のときに交通事故で亡くなっているからである。
      
    (以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて)

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