【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.150「私の執筆の原点・美輪明宏の世界」

    音楽専門学校の卒業制作のひとつに、自由なテーマで寄稿するというのがあった。そこで私は当時夢中になっていた美輪明宏さんについて書いた。タイトルは「美輪明宏の世界」。音楽について書いたものが冊子になったのはこの時が初めてだった。

    上京して2年目、18歳だった私は手始めに美輪さんの事務所であるオフィスミワに手紙を書いた。写真1点の添付が掲載条件だったからだ。何度も書き直し、願いを込めて投函した結果、美輪さんのアーティスト写真をお借りすることができた。メールに添付、サーバーからのダウンロードといった素材のやりとりが瞬時にできるデジタル社会の今と違い、フィルムのネガが郵送で送られてきた。それをワープロで打った原稿を格納したフロッピーと共に入稿、使用後は御礼の手紙を同封して直ちに郵送で返却した。こうした表には出ない裏の工程を踏んだだけで出版業界の一員になれたような、物書きとして認められたような気がして胸がいっぱいだった。

    そうして出来上がった冊子は学生自身のバンドについて綴られているページかその学校に縁のあるビジュアル系バンドのいずれかでほぼ占められていた。そんな雑多で未完成な10代の青春の数々がぎっしり詰め込まれた場にあっても、私のページに君臨する美輪さんは、ご本人もよく仰っていたとおりビジュアル系の元祖として恐ろしいほど美しく、異端の象徴として輝いていた。私の執筆の原点であるその冊子と感熱紙の元原稿は実家の宝箱に入れて大切に保管している。

    あれから30年が経ち、様々な出逢いと経験をして、執筆の分野ではこうしてコラムを書かせてもらえるようになった。コロナ禍以降は働き方に変化があったこともあるが、好意のあるアーティストの旅立ちに際すると考え込んでしまって綴りきることができずにいた。けれど、美輪さんから得た「この人のことを書きたい。この芸術の素晴らしさを伝えたい」という学生の頃の衝動が現在へとつながる原動力となったこと、そして美輪さんの生み出したアートからいかに刺激を受け続けてきたかについては記しておきたい。とても悲しいが、記憶を掘り起こして精一杯向き合うことにした。

    私が美輪さんに興味を抱いたのは1990年代半ば、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんが美輪さんについて語った記事を読んだことがきっかけだった。SOFT BALLETの森岡賢さんも交流があると公言されていたので俄然興味が湧いた。しかし何かを深く知るためには、ことマイナーなものであればあるほど本で情報収集をするしかなかった時代だったので、バイト代が入るたびに音楽作品と並行して『紫の履歴書』をはじめとする著書や、特集されたムック本を1冊ずつ買い足し、当時50代後半だった美輪さんの歴史を遡りながら自分なりに理解を深めていった。触れる作品すべてにその時代からかけ離れた独特の美と毒々しさがあり、お気に入りのバンドのジャケットと並べ、部屋に飾ってはうっとりと見とれていた。

    美輪さんの世界に入ると、次から次へと様々な文豪や芸術家が登場してきた。寺山修司、三島由紀夫、横尾忠則。強烈な香りがプンプンする彼らについても同時進行でどんどん掘った。世間はバブルの残り香が漂い、小室サウンドに溺れているような状況だったが、趣味のよく似た友と運良く出逢い、彼女と多くを分かち合えたおかげで孤独を感じることなく渋谷ラママや下北のライブハウスに通いながら平成の時代をアングラ街道まっしぐらに突進していた。たまらなく楽しかった!

    そんな中、上京してすぐに憧れの地・渋谷ジァン・ジァンに足を踏み入れた。当時美輪さんはCMやテレビにも多く出演していたが、芝居やコンサートを併走、さらに数ヶ月に一度ほど渋谷ジァン・ジァンのステージに立たれていた。

    ジァン・ジァンでの定期演奏会は、金欠学生でも数時間並びさえすれば舞台のチケット価格の半額以下で美輪さんの世界に入り込める非常に稀な好機であり、都会の喧噪から一変、まるで秘密基地のような地下空間で手の届きそうな位置から放たれる美輪さんのシャンソンにどっぷり浸かれる至福の大人時間だった。通い始めてからほどなくしてジァン・ジァンはなくなってしまったけれど、その数年間で一度だけ美輪さんと対面し、言葉をかけていただいたことがあった。

    それはジァン・ジァンでのリサイタル後のサイン会でのこと。サイン会は楽屋とは言えないくらい薄暗くて狭い場所で行われていて、そんな場所でも美輪さんは発光しているかのように眩しかった。いよいよ自分の番となったが、本人を前にして言葉を発せられずにただ号泣する私に対し、あの微笑みで優しく語りかけてくださった。

    「ゆうこさん。舞台はいらしたことある? 舞台にもぜひいらしてね」

    当然すぐに舞台を観に行った。その舞台が革命的で全身が痺れるほど大きなカルチャーショックを受けた。1997年、青山劇場で上演された名作『黒蜥蜴』だ。

    小学生の頃から江戸川乱歩を愛読していたので原作の物語は知っていた。だが美輪さんの舞台『黒蜥蜴』は三島由紀夫の脚本によるもので、大泥棒・緑川夫人と探偵・明智小五郎の禁断の恋に焦点があてられた、原作とは印象が異なるストーリーだった。特に恐怖美術館のシーンでは、ハラハラしすぎて我を忘れ、戯曲の中に完全に入り込んだ。口をあんぐり開けて驚いたり、震えて泣いたりして、五感を全方位から刺激された。そんな体験は初めてのことだったので、これが影響を受けるということかと自分に起きた変化に大変驚いた。それまでもだいぶ魅せられていたはずだったのだが、この日の舞台から放たれた魔力によって、美輪明宏の世界の虜になってしまった。

    それからは美輪さんが舞台に立つという報せが美輪明宏友の会から届くたびにチケットを申し込み、必ず一度は観に行った。社会人になり自分でお金を稼げるようになってからは、『愛の讃歌』『双頭の鷲』『葵上・卒塔婆小町』『毛皮のマリー』など、どの演目も一度ならず二度通った。しかし『黒蜥蜴』だけは心を底から揺るがされた別格作品と位置づけていたため、1997年の衝撃的な出逢いから最後の上演となった2015年まで、上演されるたびに初日、中日、千秋楽の最低3回は観に行った。白檀の香りと美輪さんのオーラで頭がおかしくなるような魅惑の異世界がたまらなく好きだった。

    https://barks.jp/news/814611/

    そのほかにも多才な美輪さんの活躍の場は多岐にわたった。世間をあっと言わせたり、風刺を効かせた活動家のような一面もあった。

    中でも2012年のNHK紅白歌合戦に初出場した時の「ヨイトマケの唄」のパフォーマンスは凄まじかった。いつもの派手な身なりから一変、漆黒の服、髪の色まで真っ黒くして登場。照明も美輪さんを照らすサス1本のみで、正真正銘、歌で勝負された。流石としか言いようがないこの演出は放送直後からSNSで大きな話題となっていたが、ファンである自分さえもが「やられた!」と思ったのだからお茶の間はそりゃ驚くだろうと納得の一幕だった。

    そして、ジブリ。声優としても天下一品だった美輪さんは、社会現象にもなった『もののけ姫』で犬神・モロの君を演じ、「黙れ小僧!」というたった一言で観た者すべてを、世間を、一蹴した。SNSでは公開から29年が経った今なお、当時のアフレコ映像や宮崎駿監督の満足そうな表情が切り抜かれて流れているが、あの迫力ある演技には誰も太刀打ちできないし、他国の吹き替え声優にもあの凄みを再現することは到底できないだろう。

    そんな美輪さんの功績は山のようにあって、とても語り尽くせない。だから最後にもうひとつだけ、私が最も感動したシーンを挙げさせてもらおう。

    美輪さんの音楽面では、ジァン・ジァン時代からオリジナルのみならず、ピアフも聴いたし他のシャンソン作品にも多く触れた。オリジナルアルバム『白呪』も復刻版だが持っている。でも一番心を打たれたのはセルジュ染井アンサンブルが演奏し美輪さんが歌う、喜納昌吉の「花」だった。

    美輪さんは、音楽会<愛>やリサイタルでこの曲をよくカバーされていた。慈愛に満ちたその姿は、“神様がこの世に存在するならきっとこの人だ”と感じてしまうほどに神々しく、大きく広げた両腕の中にこの世のすべてを抱いているようで、ただただ愛を感じた。歌い終えると菩薩のように微笑んで合掌をされ、光のなかへゆっくりと消えていくのだが、何度観ても感銘を受けた。私が美輪さんの舞台やコンサートに足を運び続けたのは、海よりも深くて大きな美輪さんの愛にふれたかったからであり、生きるための力をもらいに行っていたように思う。

    美輪さんが心を動かしたのは芸術だけではなかった。愛、そして平和。戦争、原爆被害、LGBTQ。長崎で被爆された美輪さんの経験談に触れたことで、日本や他国の過去を知ろうと思ったし、学びもした。アルバム1曲目から従軍慰安婦について歌う人だ。逝去後に事務所が発表した絶筆にも「愛があれば戦争なんか起こりません」と明記されていた。生半可ではない。

    舞台の報せが途切れ、テレビへの露出が減ってからも心配していた。訃報によせて浮かんだ思いは、美輪さんは人間だったんだな、美輪さんでも死ぬんだな、だった。

    出逢いから30数年間、美輪さんの作品に可能な限り触れ続けてきたという自負がある。だから悔いはない。仕事では二度ほどお会いできそうなチャンスもあったが実現しなかった。雲の上の人なので、それはどちらでもよかった。ただ、始まりと同じくこのコラム用の写真を事務所にお借りしたかったのだが、窓口に辿り着けなかった。やはり美輪さんは遠い存在だ。それでいい。

    美輪明宏様。知れば知るほど天井桟敷の頃の、時代の空気感にいた貴方を観てみたかった。ニューヨークでの『黒蜥蜴』公演も観てみたかった。たくさんの愛を有難うございました。愛しています。

    文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

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