不完全さという魔法
本作のテーマ自体は、極めて批判的で重い。しかしブンバンチャーチョークは、それを生々しくストレートに告発するのではなく、あえて「おとぎ話」のような形式をとることで、オーディエンスを広げるというアプローチをとった。
まず映画の根幹をなすのが、ストーリーテリングの入れ子構造だ。本作のストーリーは、ナットとマーチの物語を、「アカデミック・レディボーイ」を自称するトランスジェンダーの学者が謎の修理工から聞かされるという構造で展開する。学者の口から語られる作中作というクッションを置くことで、生々しい社会の歪みは、より普遍的で自由な寓話へと昇華されていくのである。
この寓話性を空間的に支えるのが、タイムレスなビジュアルだ。登場人物は誰もスマートフォンをもたず、旧型の分厚いPCを使い、古いトヨタ車が道を走る。その一方、工場では生体認証が使われ、壁面が無数のスパイク状の電波吸収体で覆われた近未来的な実験室(タイに実在する試験施設だという)も登場する。
ブンバンチャーチョークはスタッフに対し、この世界観を「優雅に倒錯している(Elegantly perverted)」という言葉で共有した。「徹底的につくり込まれた人工的な映像美と、そこから溢れ出すいたずらっぽさのバランスを求めたのです」
現実を撹乱するアプローチは、デザインや画づくりにも及ぶ。主役である赤い掃除機のデザインを手掛けたのは、インダストリアルデザイナーのシム・ハオチー。「実用性とバカバカしさを混ぜてほしい」という直感的なリクエストを見事かたちにしてみせた。
少し前かがみでお辞儀をするようなフォルムは、謙虚で友好的な霊を体現する。さらに「生きている」気配を宿すため、状況に合わせて色が変わる光る円のインターフェースが組み込まれた。滑らかで効率的なスマート家電とは対極にある、不器用で生々しいプロダクトの誕生だ。
テクノロジーへの抗いは画づくりにも徹底され、洗練されたCGIへの依存を極力避けた。掃除機は内部の機械でラジコンのように操作し、暴れる排煙チューブはグリーンスーツを着た4人のスタッフが人力で操演してポストプロダクションで姿を消去している。
「CGIを使えば動きはずっとスムーズになったでしょう。でも、わたしは不完全なものが好きなんです」とブンバンチャーチョークは語る。「ラジコンで動く掃除機は、途中でつまずいたり、動きがぎこちなかったりします。そのスムーズではないぎこちない動きにこそユーモアがあり、命が宿るのです」

シム・ハオチーによる掃除機のデザイン。
© 2025 185 FILMS, HAUT LES MAINS, MOMO FILM CO.忘却へのレジスタンス
奇想天外なコメディと優雅な意匠のヴェールを1枚めくると、そこにはタイの政治や歴史に対する静かだが激しい告発が隠されている。
映画の冒頭、アカデミック・レディボーイが語る「たったひとつの塵(ちり)の粒子が、ゲイとしてのわたしの人生を永遠に変えてしまった」という言葉がある。物語の起点となるこの「ほこり(粉じん)」は、バンコクの深刻な公害問題を指すだけでなく、タイの現代スラングにおいて「人間以下の扱いを受ける人々」を意味するという。それは声を上げられず、支配層の意のままに搾取され、容易に消し去られてしまう底辺の人々だ。
