1992年4月25日、34年前に26歳で旅立った尾崎豊さん。令和になった今も尾崎さんの曲たちは多くの人に愛され続けています。そんなカリスマ的人気を誇っていた尾崎豊さんと18歳で運命的に出会い、20歳で結婚、21歳で息子・裕哉さんを出産した繁美さん。さまざまな困難と紆余曲折を経て、やっと穏やかな家族の幸せを掴むと思った矢先、繁美さんは24歳で最愛の夫と死に直面します。

    繁美さんは封印を溶くように尾崎豊さんの没後30周年を機に、連載『30年後に語ること』として発表。その後、2023年7月からは、豊さんが亡くなった後、息子の尾崎裕哉さんと渡米した日々などを『笑顔を守る力』として定期的に寄稿いただいています。

    前編では、裕哉さんが大学に進学した後、日本語を自由自在に使いこなすために始めたInterFMの仕事と初めて父の曲『I LOVE YOU』をアメリカン・エキスプレスカードのCMで歌った出来事について寄稿いただきました。後編では、裕哉さんが書籍『二世』を出版したいきさつについて綴っていただきます。

    書くことは、心を育てる

    裕哉は、2016年に新潮社から『二世』を出版しました。

    『二世』の出版が決まるずっと前から、私は裕哉に、自分の思いを文章に綴ってほしいと願っていました。それは、私自身が「書くこと」によって救われた経験があったからです。

    最愛の夫を亡くした後、私は長い間、自分の感情に蓋をして生きていました。悲しみも、怒りも、寂しさも、言葉にしてしまえば、自分自身が壊れてしまいそうで、ずっと心の奥深くへ閉じ込めていたのだと思います。そして当時は、自分の本当の気持ちを語ることさえ、許されないような空気の中で生きていました。

    そんな私を少しずつ変えてくれたのが、ボストンで出会った「グリーフケア」でした。心にしまい込んできた感情を一つひとつ言葉にしていく。心の叫びを吐き出していくうちに、私は少しずつ本来の自分を取り戻していったのです。

    そして、七回忌の節目に出版したのが『親愛なる遥いあなたへ』でした。原稿を書き上げたとき、大きな変化が訪れました。思い出に触れても、以前のような痛みに支配されることはなくなり、豊との日々は、悲しみではなく、かけがえのない人生の一部として心の中に息づくようになったのです。

    私は、書くことには不思議な力があると感じています。過去や状況を整理し、自分の心と向き合い、少しずつ前へ歩き出す力を与えてくれる。書くことは、心を癒やし育ててくれる時間でもあると思うのです。

    だから私は、裕哉にも「話すこと」と同じように、「書くこと」の力を知ってほしいと願ってました。それは、表現者になるための訓練ではなく、自分自身の心と向き合い、言葉にならない複雑な感情を自分自身で見つめ、思いを少しずつ整理していくためです。

    私が一番願っていたのは、裕哉が父との距離感を、自分自身の中で見つけていくことでした。「尾崎豊の息子」として見られること。父の声に似ていると言われること。期待され、比べられ、ときには違いを否定されること。父の存在は、本人にとって大きな支えである一方で、大きな重荷にもなり得るものだと私は思っています。

    実は、裕哉が20歳のころに、一度、本を書くことを勧めたのです。そのとき、彼はこう言いました。

    「何者でもない自分が、なんで本を出版できるのか?」

    ラジオの話をいただいた時も、同じようなことを口にしていました。確かに、「尾崎豊の息子」であることによって開かれた扉ではあったと思います。でも、それだけで物事が実現するほど世の中は甘くありません。そこに本人の努力と覚悟があって初めて、自分だけの道が築かれていくのだと思うのです。

    人から注目される人生だからこそ、自分の感情を置き去りにしてはいけない。いつか父との距離感に悩み、比べられることへの葛藤から、その存在を封印したくなる日が来るかもしれない。怒りや寂しさといった自分でも受け止めきれない感情に出会うこともあるでしょう。そんな時、自分の心を守ってくれるのは、誰かの言葉ではなく、自分自身の言葉です。

    思いのままに自分の感情を書き出していくことで、人は少しずつ自分の心を整理し、前へ進む力を取り戻していく。それだけは、私自身が身をもって知っていました。母として、父をどう受け止め、どう距離を取り、どう自分の人生につないでいくのか。その答えは、裕哉自身が見つけるしかないのです。だから私は、「書くこと」がその答えを探すための道しるべになると信じてました。

    ラジオで自分の言葉を語ること。本という形で自分の思いを綴ること。その二つは裕哉にとって表現の手段であるだけではなく、自分自身と向き合い、未来へ歩いていくための大切な時間になったのだと思います。私が願っていたのは、本を出版してほしかったからではなく、どんな時も、自分の心は自分で守れる人になってほしかった。ただ、それだけでした。

    そうして裕哉は、自分自身の心と向き合いながら、一冊の本を書き始めることになるのです。

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