萩本欽一(21)「これが失敗したら堅気になる」キャバレーの司会をやっていた坂上二郎からの運命の誘い【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ〜んぶ話しちゃう!」】

    1日200通のファンレターがきたというコント55号時代(C)日刊ゲンダイ

    【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ〜んぶ話しちゃう!」】#21

     作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。

      ◇  ◇  ◇

    増田「その一軒家は世田谷の?」

    萩本「はい、そうです」

    増田「築20年の…」

    萩本「いや、そのときは建て売りの新築。そのときは言ってみれば一応形だけだね。28歳で家が建つっていうんで芸人を始めたから、とりあえず急いで買わないとって。28歳が近づいてましたから。とにかく買いたいってだけで、全額お金を借りて買っちゃいました」

    増田「借りたんですか?」

    萩本「はい。銀行は貸してくれないってんで、信用金庫行ったら『コント55号の未来に出しましょう』って貸してくれた」

    増田「信金は見る目がありましたね」

    萩本「『きっと大きな大きなタレントになるでしょうから』って」

    増田「昭和43年くらい?」

    萩本「年号で言われてもわかんないな」

    増田「ゴールデンショーが始まった頃じゃないですか、お昼のゴールデンショー」

    ※『お昼のゴールデンショー』:1968年4月からフジテレビ系で放送されていたバラエティー番組。毎週月曜〜金曜の昼12時から12時45分の生放送。司会は前田武彦。萩本欽一と坂上二郎がレギュラーとして脇を固めていた。横山やすし・西川きよし、かしまし娘、牧伸二、立川談志、青空はるお・あきお、初代林家三平、夢路いとし・喜味こいしなど錚々たるゲストを呼び、大人気番組となった。

    萩本「ああ、そうそう。ゴールデンショーの時はすごかった。1日にファンレターが200通来てましたから」

    増田「毎日」

    萩本「郵便の人が紐で縛ったやつを、朝と夕方4時ごろにもう1回持ってきて」

    増田「ファンレターっていうのはほとんど女性から?」

    萩本「はい」

    増田「独身だし、まだ」

    萩本「はい」

    増田「二郎さんはもう結婚してたんですか?」

    萩本「二郎さんは結婚してました。で、奥さんに子供が生まれるっていうんで『最後の勝負をさせてくれ』って。キャバレーの司会やってたんですよ。奥さんに『最後の勝負をさせてくれ』って。これが失敗したらもう」

    増田「堅気になると」

    「あまりにも奇跡的」

    萩本「そう。で、そういうことで欽ちゃんのとこへ(コンビを組もうと)来たんだって」

    増田「それで55号を結成した」

    萩本「はい」

    増田「豆腐屋に電話がかかってきて」

    萩本「そうそうそう、俺もね、どん底だったのよ」

    増田「熱海から帰ってきた日に二郎さんから電話がかかってきたっていうのがまた」

    萩本「これも奇跡でしょ」

    増田「はい」

    萩本「1日早くても1日遅れでも実現しなかった。『二郎さん、俺に何回か電話したの?』って聞いたら『初めて』って言うから、いや、あまりにも奇跡的」

    増田「出会ってたのは、その5、6年前にフランス座で」

    萩本「そうそう」

    増田「出会って、時々2人でやりながら遊んで」

    萩本「ないないないない。私が浅草から逃げて、それから劇団やって、で、それやってたらテレビ局から『テレビ出ない?』って言ってスカウトされて、うれしくてテレビに行ったものの何年かひどい目に遭って。もうつらいんでさ、すべて辞めて、事務所も辞めて、で、さよならして」

    増田「浅草に戻ってきたら…」

    萩本「そう。そしたらちょうどね『そういう欽ちゃんにはいいんじゃないの? 熱海が』つって先輩から声がかかったんです。『俺も熱海に6年いるんだよ。だけど後釜入れないと辞めらんないんだよ』ってね。『欽ちゃん代わりに行ってよ』って言うからさ。じゃあ行っちゃおうかな、と。俺もどん底だったから」

    増田「まさにそのどん底が実は一番大きな運を持ってたわけですね」

    萩本「そうそう」(つづく =火・木曜公開)

    ▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。

    ▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

    Share.

    Comments are closed.