学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が数多く記録されているのです。そこで今回は、「すごい」と「やばい」の両面から日本史上の人物を見直しながら、「最も型破りな人物」ベスト3を紹介します。(ダイヤモンド社書籍編集局・三浦岳)


    日本史上「最も型破りな人物」ベスト3Photo: Adobe Stock



    第3位:忌野清志郎

    ――お茶の間をぶっとばした男

     忌野清志郎は、日本のロック界を代表するミュージシャンだ。


     しかし彼の破天荒さは、音楽性だけではない。1989年、テレビ番組の生放送中に事件は起きた。以下は本郷和人監修『東大教授が教える 超!やばい日本史』からの引用である。


     1989年、清志郎はテレビの歌番組で5曲歌う予定でした。しかし1曲目のあと突然、「FM東京! 汚ねえラジオ なんでもかんでも放送禁止さ」とラジオ局をディスる歌を歌いはじめたのです。

     関係者と司会者はパニック、共演者は爆笑!

     これは、とがった歌詞の彼の曲をラジオ局が連続で放送自粛したことへの抗議でした。――同書より


     放送禁止に抗議すること自体はあるかもしれない。しかし清志郎がすごかったのはその方法だ。


     全国放送のテレビ番組で、しかも生放送中に名指しで放送局を批判する曲を歌ってしまったのだ(おまけに放送禁止用語も交えて)。


     関係者がパニックになるのも無理はない。あぜんとして凍りついたお茶の間もあっただろう。日本のテレビ史に残る、前代未聞の放送事故だった。



    第2位 蔦屋重三郎

    ――「おもしれえ」を追及しすぎた男

     蔦屋重三郎は江戸時代の「カリスマ編集者」だ。


     喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出したことで知られるが、彼は「おもしれえ」と思ったものをとにかく世に出してしまう型破りな編集者だった。


     時の老中・松平定信を風刺した本まで出版し、その影響は作家にも及んだ。


     重三郎は、こわい老中・松平定信をネタにした本『鸚鵡返文武二道』も出版。

     作者の恋川春町は本業が武士なので、定信に呼び出されてしまいます。

     春町は病気を理由に断り、その後すぐ死去しました。家を守るための自殺といわれています。重三郎の大ヒット連発の裏には、犠牲になった作家たちがいたのです。――同書より


     相手は江戸幕府の最高権力者の一人。それでも重三郎は、きわどい本を世に出し続けた。


     読者は熱狂したが、その代償は作家たちにまで及んだ。


    「おもしれえもの至上主義」の熱狂は、ときに人の人生まで巻き込んだのである。



    第1位 織田信長

    ――「ただの石」すら神にした男

     戦国武将には型破りな人物が多い。だが信長の発想は、その中でも飛び抜けていた。同書でも信長のやばすぎるエピソードが書かれている。以下は引用である。


     安土城の中に建てたお寺に大きな石を「神」として置き、自分の誕生日を「聖日」として、あらゆる身分の人々におがませたこともあります。

     ふつうの石でも、信長が「これは神だ」と言えばみんな従ったのです。――同書より


     現代でも「神仏」は特別な存在だが、当時はなおさらである。


     ところが信長は、ただの石を「神」とし、自分の誕生日を「聖日」としたという。


     思いつくだけでもバチが当たりそうだが、信長はそれを堂々とやり、多くの人にそれを受け入れさせたのだ。


     信長のすごさは、戦の強さだけではない。誰も思いつかないような発想をし、それを本当にやってしまう。そのぶっとび具合こそが、信長という人物の真骨頂だった。


    (本稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』に関連したオリジナル記事です)

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