2026年6月23日
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鑑賞方法:映画館
だいぶ前の話だけど(‘90年代のどこかあたり?)、仲間うちで呑みに行ったときに、酒の肴のおしゃべりで「不幸せなセレブ」の話題になったことがあります。すなわち、経済的に恵まれていて欲しいもの(物質的なモノでしょうけど)は簡単に手に入るのに、ちっとも幸福でなく、それどころか不幸を感じてる有名人て誰だ、といった話題。名前があがったのが、マイケル•ジャクソン、プリンセス•ダイアナあたりで、あと私は日本人ならこの人だなといったところで、当時の日本でプリンセスと呼ばれていた人(まだ子宝に恵まれる前でこの人にかけられていた圧力はかなり酷いと思っておりました)の名前をあげました(酒の席とはいえ、あまり趣味のいい話題ではなかったかも)。まあでも、その中で特に持っているものの物質的なデカさとその精神的な飢餓状態の落差を考えると、マイケルこそ世界一不幸なセレブじゃないか、というところで、仲間うちの意見は一致をみたのです。
ということで、観てまいりました、そんなマイケル•ジャクソンの伝記映画(とされる)『Michael マイケル』。感想はというと、あまりピンとこなかったかなというのが正直なところ。このレビューのタイトルにあげたように、マイケルの孤独や苦悩を描いたオーソドックスな伝記映画を期待していたのですが、なんだか長尺のミュージック•ビデオを見せられたような気がしてしまって。映画的な興趣を感じたのは、コールマン•ドミンゴが演じた父親のくだりぐらいで、なんだかちゃんとした劇映画として成立していないような気がしました。それと、スクリーンに登場しているマイケルは、再現度も高く見事な出来栄えと言ってもいいとは思いますが、結局は「似て非なるもの」であって、似せれば似せるほど空虚で、それこそ「仏作って魂入れず」とはこのことか、と感じてしまいました。人間マイケル•ジャクソンの本質に迫らずして伝記映画と言えるのか、と思いましたが、まあでも、この映画の本篇では上に書いた「世界一不幸なセレブ」の状態に陥るまでは時代が下っていなかったようなので、続篇があることが予想され、そこでは彼の孤独や苦悩がもっと描かれるものと思われます(今回の作りからしてその点は期待薄ではありますが)。
あと、個人的な話で恐縮ですけど、この映画を観て、自分はマイケル•ジャクソン及びその楽曲にそんなに思い入れがないことに気づきました。彼のアルバムのCDも何枚か持っていてそれなりに聴き込んできたつもりなのですが、今回この映画内で聴いてみると、けっこうつまらなくて、特に『ビリー•ジーン』なんかは(こんなこと言うとファンに怒られちゃうけど)陳腐で駄作感がたっぷりと感じられました。何年か前に『ボヘミアン•ラプソディ』を観たときには、曲名を映画のタイトルに使うなら、映画内ではその楽曲を最初から最後までちゃんと聴かせろよ、せめてエンドロールでは、と思ったぐらいに、クイーン及びその楽曲に思い入れがあったのに、マイケル•ジャクソンにはそれほどでもなかったです。思えばクイーンのアルバム『オペラ座の夜』は学生時代になけなしの小遣いをはたいてLPレコードを買って宝物みたいに大事にして何回も何回も聴いたっけな、既に社会人になった身でCDで聴いたマイケルとは違うんだろうな、といった感じかな。ともあれ、マイケル•ジャクソンは私の中では急速に陳腐化しておりました。
ということで、私にとっては期待に反して上っ面のみの浅薄な伝記映画で、まさかの続篇あり、みたいな方向に進んでしまっており、心外だったわけですが、まあ、送り手側の商業主義に乗っかって続篇を待つとしますか。続篇がウィ•アー•ザ•ワールドにまつわるエピソードをちょろちょろっと入れた長尺MVみたいな作品になり、また今回と同じようなレビューを書いてしまう近未来が見えているような気がしておりますが。
Michael マイケル
