東京・恵比寿の東京都写真美術館で、出光真子の活動の全貌を振り返る大規模回顧展「出光真子 おんなのさくひん──ある映像作家の自伝」が開幕した。会期は9月21日まで。担当は同館学芸員の田坂博子と遠藤みゆき。

     出光真子は、日本における実験映画およびビデオアートの先駆的な作家だ。1940年に出光興産創業者・出光佐三の四女として東京で誕生。お茶の水女子大学附属小・中・高校から早稲田大学第一文学部に進学したのち、60年代にアメリカ・サンタモニカに滞在し映像制作を開始。抽象画家のサム・フランシスと結婚後、2児の母としての生活のなかで、「娘、妻、母」という社会的役割とアーティストとしての自己の葛藤を鋭い観察眼で表現してきた。なかでも70年代以降のビデオ作品では、モニター内に別のモニターを映し込む独自の「マコ・スタイル」を確立。テレビ・メロドラマの手法を取り入れながら、女性の生き方や家族、メディアと社会の関係を問い続けてきた。

     本展は、同館が2016〜17年度にかけて収蔵したフィルム、ビデオ、インスタレーションを含む作品群を、展示と上映によって網羅的に公開する収蔵後初の機会。出光の代表作を紹介しながら、その30年以上にわたる表現をたどる構成となっている。

     会場は章立てされておらず、カーテンで仕切られた空間に作品が点在するかたちで紹介されている。明確な時系列順にはなっていないが、会場の前半部分では初期に取り組んだフィルム作品が、後半では1970年代頃から本格的に取り組んだビデオ作品が展開。5点のインスタレーションは会場の内外で展開されている。

    生活のなかでつくられたフィルム作品

     出光は学生時代から自己表現に関心を持ち、当初は言葉を用いた表現を行っていた。しかし画家のサム・フランシスとの結婚後、カリフォルニア州サンタモニカでの生活において、英語と日本語の狭間で言語的な混乱を経験したことから、視覚表現に興味を持ちはじめる。出光は、抑圧的な状況を打開すべく、2人の子供を連れたまま店に向かい、8ミリフィルムカメラ(スーパーエイト)を購入。これを機に、育児や家事を行いながら映像作品を制作しはじめた。

     その後、16ミリフィルムカメラを手に入れた出光は、夫の友人でもあった実験映画作家のブルース・コナーの映像作品に刺激を受け、本格的に映像制作に着手する。出光は育児・家事の合間という「細切れの時間」で映像を撮り溜めるほかなかったが、様々なカットをコラージュして映像を構成するコナーの手法は、合間を縫って撮影し編集を重ねる出光の制作スタイルに影響を与えた。

     本展で紹介されている《Woman’s House》(1972)は、出光が手がけた初の16ミリフィルム作品だ。美術家のジュディ・シカゴらが71年に企画した「ウーマンハウス」展を出光が訪れた際に撮影された。古い民家を改装した展示空間での実践を記録し、約1年の編集を経て完成させたという。

     《Inner man》(1972)も出光の最初期の作品のひとつ。本作は、渡米後に出光が関心を寄せたユング心理学をベースとしており、女性の心の内にある男性性「アニムス」を描いている。作中では、着物姿で舞う女性の映像に、裸で踊る白人男性の像が重ねられる。「アニムス」は、以降の出光作品にも頻繁に登場するモチーフとなる。

    出光真子《At Yukigaya 2》(1974)11分10秒 東京都写真美術館

     当時、「第2回アンダーグラウンドシネマ新作展」への出品が決まったものの、フィルムを入手する資金的余裕のなかった出光は、自宅にあったハイコントラスト・フィルムを偶然見つけて使用した。これが、同フィルムを用いた最初の作品となる《At Yukigaya 2》(1974)である。通常はタイトルやクレジットの撮影に使われる高価なフィルムだが、出光は光に敏感に反応するという特性を生かし、ガラスの破片や小石に陽が差す瞬間、木漏れ日などを捉えた。なお、当時は子供を連れて移動できる範囲が限られていたため、撮影はすべて自宅の周辺で行われている。

     担当学芸員の遠藤は、前半のフィルム作品群について、「出光が育児や家事の合間を縫って制作していた背景を念頭に置いて鑑賞することで、制作背景や作品の構造をより深く理解できる」と語る。

    Share.

    Comments are closed.