チョン・ピョンジン代表=生島マキ(c)KOREA WAVE 

    4卓から始まった小さな店は、東京・新大久保とともに歩みながら大きくなっていった。

    ――改装を重ねるのではなく、別の場所に店を移そうとは思わなかったのでしょうか。

    「別の街に出店しないかという話をいただいたことはありました。でも、私はこの場所がよかったんです」

    ――新大久保が大きく変わったと感じたのは、いつ頃でしょうか。

    「やはり、2002年のサッカー・ワールドカップ日韓大会の頃ですね。その後、ペ・ヨンジュンさんの人気をきっかけに韓流ブームが起こり、街は大きく変わっていきました。それまでは、正直に言うと治安のあまりよくない街でしたね。韓流ブーム以前の新大久保を知る人も、今では少なくなりました。昔は、会う人会う人がみんな知り合いでした。隣の店の人も、向かいの店の人も知っていました。でも今は、店も何軒も入れ替わりました。あの頃は、みんなで助け合っていたんですけどね」

    ――店同士が競争するというより、異国で暮らす仲間同士として支え合う文化があったんですね。それでも辰家は34年たった今も同じ場所で営業を続け、新しいメニューも生み出しています。メセンイ(カプサアオノリ)のトックなど、珍しい料理も多く、どれもおいしいです。

    「メセンイは最近加えたメニューです。今でも、新しいメニューは常に考えています」

    「辰家」の名物スンデクッパ。サービスで出てくる自家製キムチも人気=生島マキ撮影(c)KOREA WAVE

    ――現在も韓国へ足を運び、新しくおいしい店ができたと聞けば食べに行くとおっしゃっていました。大変ではありませんか。

    「材料は昔より簡単に手に入るようになりました。それでも、韓国へ行くと良い素材が見つかるんです。もっと良いものがあれば使いたいですから。もちろん、すべて無添加のものです。そのこだわりは創業当時から変わっていません」

    ――他の場所へ移ろうと思ったことはなかったのでしょうか。

    「考えたことはありました。でも、移りませんでした。やっぱり、ここが好きなんです」

    ――街も周囲の環境も大きく変わりました。今の新大久保を、どのように見ていますか。

    「いい街になりましたね。昔は、正直に言うと雰囲気が怖かったんです。ひったくりがあったり、風俗関係の店や客引きも目立ったりして、歌舞伎町より怖かったんじゃないかと思うほどでした」

    ――これからも辰家は変わらずに続いていくのでしょうか。今後の目標も教えてください。

    「そうですね。目標というほど大きなものは、あまりないんです。これからも新しいメニューを考えながら、お客さんに喜んでもらえる店でありたいと思っています」

    (c)KOREA WAVE

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