Interview & Text: 伊藤 美咲
    Photo: 堀内 彩香

     書籍や文筆と縁深いアーティスト、また音楽と縁深い作家へ、自身の書籍や音楽とのかかわりについて訊くインタビュー企画【WITH BOOKS】に、作家の一穂ミチが登場。

     最新短編集『たぶん、恋しい』には、名前のつけられない感情を抱えた人たちが登場する。誰かへの思い、何かへの執着。かけがえのない存在への「恋しい」という感情を、6つの物語でそっと描き出した一冊だ。

     それぞれの物語はどのように生まれたのか。創作への向き合い方から、執筆を支える音楽との関係まで、たっぷりと語ってもらった。

    「恋しい」は相手が目の前にいる状態では生まれない感情

    ――新刊『たぶん、恋しい』は6つのお話が入った短編集ですが、「名前のつけられない感情」というテーマが通底しています。このテーマは書き始める前からイメージとしてあったのでしょうか?それとも、書き進めていくうちに見えてきたものでしょうか?

    一穂ミチ:本作は『小説新潮』に掲載されたものをまとめた短編集です。その号ごとの特集テーマをいただいて書いたもので、たとえば「エンパイアライン」であれば「あなたをケアする物語」というテーマでした。そのため、連載中はその時々のお題を意識していたのですが、書籍化する際に改めて読み返してみると、「名前のつけられない感情」が通底していたと気づいたんです。

    ――「名前のつけられない感情」をどのようなものだと捉えていますか?

    一穂:この本に限らず、すべての感情はその人固有のものだと思っているんです。「これが恋」「これが愛」と断言できるものはないのに、いったん名前をつけた瞬間から、「あ、私のこの感情って恋なんだ」と決まってしまいますよね。「好き」「嫌い」「嬉しい」「憎い」といった言葉にはめず、ありのままの生の感情をできるだけ書き留めたいという気持ちがあります。それは読者の方に、自由に受け取っていただきたいという意味でもあります。

    ――本作はジャンル分けのできない作品だと感じました。タイトルに「好き」でも「愛おしい」でもなく「恋しい」を選んだのはなぜでしょうか?

    一穂:「恋しい」って、相手が目の前にいる状態では生まれない感情だと思ったんです。そばにいない人のことを思うときに、はじめて出てくる言葉。この作品集に登場する人たちは、もういなくなった相手への思いや、形のないものへの愛着、執着を抱えています。だから「恋しい」という表現が一番しっくりくるなと。「好き」や「愛してる」よりも、どこか切なくて、宙に浮いているような感じが、この本には合っていると思いました。

    「恋しい」には、必ずしも幸せとは言えない、寂しさを含んだ感情があります。でもネガティブとまでは言い切れない。そのグラデーションも、この言葉を選んだ理由のひとつです。「恋しい」という言葉から思い浮かべる感情って、人によってかなり幅があると思うんです。その余白も含めて、この作品集にふさわしいのかなと思いました。

    ――たとえば「エンパイアライン」は「あなたをケアする物語」、「わたしたちは平穏」は「恋と食べ物」、「月を経る」は「締め切り」が当初のテーマになっています。ストーリーはどのように組み立てられているのでしょうか?

    一穂:テーマをいただいたら、あとは連想ゲームですね。「締め切り」であれば、まずは「作家」や「仕事」が浮かんで、そこから頭の中でいろいろと揉んでいく。たとえば「一方通行の扉」を見て、これも締め切りだなと思ったり。そういう連想と、そのとき自分の中にある物語の種みたいなものを結びつけて形にしていきます。

    「月を経る」の主人公は私と年代も近くて、女性の身体は男性よりもシビアなリミットがあると感じながら書いていました。「締め切られていく」感覚を書くのは、自分ではよくわかっているはずなのに、いざ整理しようとするとなかなか難しかった記憶があります。

    ――「締め切り」から連想して「生理」に着地するとは。テーマとつながりつつも、意外な飛躍のある着想だと感じました。そのあたりは意識されていますか?

    一穂:あまり意識はしていないですね。たとえば「すげぇ泣くじゃん」は「涙」の特集だったんですが、お題をいただいたとき真っ先に思い出したのが、作中にも出てくる白浜のパンダが中国へ帰るときのことで。最後のお披露目の日のニュースで、インタビューに答えながら号泣している女性がいて、それを見て「めっちゃ泣くじゃん」と思ったことが頭に浮かんだんです。そこからストーリーを組み立てていきました。

    書きながら、人物像が立ち上がってくる

    ――ご自身の実体験が着想のもとになっていたんですね。本作に収録されている6つの物語は、メインとなる人物の性別も年代もそれぞれ異なっています。人物像はどのように考えているのでしょうか?

    一穂:最初に大まかな枠組みを決めます。男性視点か女性視点か、一人称か三人称か、年齢や性格、仕事など、物語に必要そうな要素をざっくりと整理したら、あとは書き始めてみる。細かい性格は書いているうちに自然と立ち上がってくるので。今回は6つの話で人物がなるべくばらけるよう、意識して組み合わせました。

    ――書きながら人物像が浮かび上がってくる、という感じでしょうか。

    一穂:なかなか説明が難しいんですが、実際に生身の人と関係を作っていくのと同じ感覚だと思います。最初は名前と大まかな外見しかわからない。2回目にお茶をして、「この人コーヒーが飲めないんだ」と知る。初対面の相手に、「あなたのご両親はこういう人でしょ」なんてことは思わないですよね。それと一緒かなと。

    ――それぞれの物語の中でキーとなるアイテムも、日常の中にあるのにパッとは思いつかないところをついてくるなと感じました。そこにも意図はありますか?

    一穂:あまり意図的ではないんです。たとえば「エンパイアライン」に出てくるエア猫にしても、一人でいるときに架空の猫がいる感覚で撫でてしまう、そういう瞬間が私にも覚えがあって。ぬいぐるみとお茶をするとか、好きなアイドルのアクスタをどこへでも持っていくのと通じるものがあると思うんです。だったら、エア猫をもっと極端な形で愛している女性がいたら、というところから始まった話もあります。

    ――『たぶん、恋しい』を、どんな人に読んでもらいたいですか?

    一穂:人には言えない恋しさをひそかに抱えている人でしょうか。「言ったら引かれるかな」「変な人だと思われそうだな」と感じながら、それでもどこかに大切にしまっているような。人間以外の何かに恋しさを覚えたことがある人に読んでいただけたら、作中の誰かと重なる部分があるんじゃないかと思っています。

    ――この一冊に音楽のイメージをつけるとしたら、どんな曲が合うと思いますか?

    一穂:軽やかなハイトーンのハミングですね。自然とフレーズを口ずさんでしまうような。曲調としては明るく軽快だけど、主張しすぎない。邪魔にならない音楽というイメージかもしれないです。この小説自体もそういう存在だと思っているので、流れているのを忘れるくらい、そっと寄り添っているような音楽が合う気がします。

    リリース情報

    『たぶん、恋しい』

    一穂ミチ 著
    2026年6月17日発売
    定価:1,870円(税込)
    (C)新潮社
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